マザーを一般的に表現するのならば魔女だ

 アジトと俺たちが呼んでいるこの建物について俺はあまりしらない。たぶん俺の他のメンバーの誰一人として知るやつはいないだろう。無論、セキュリティの一部を担っているザキでさえ知らないだろう。それどころかこの建物の場所は一体どこにあるのか、今現在その建物内にいる俺でさえ分からない。その外見さえ見たことがないし、この内部の全てを把握したこともない。地図に表示されるはずのインターネットや衛星通信を利用したGPSで特定することも、アナグラムな方位磁針もダメである。真実を知っていそうなのはマザーぐらいであり、そのマザーも本当に知っているのかどうか分からない。


 じゃあ、どうやってここに来るのか。


 それはマザーに教えてもらうのだ。俺たちが世の中のどこか果てしない街にいて、そこからアジトへ帰る時に俺たちはマザーへのコンタクトを試みる。心の中にいるはずの声に尋ねる。すると、その手順だけ教えてくれるのだ。例えば近くの噴水に飛びこめだとか、左の扉を開けろだとか、屋上から飛び降りろなんて指令が来たこともある。新米の頃はその指示に一々躊躇って、おっかなびっくり従っていたが今では素直に実行している。燃え盛る火の中に飛び込めと言えば飛び込むであろうし、爆弾を積んだ車に乗り込む必要があるのならば俺はそれを実行しよう。そこには推測も、疑念も、信念も、正義もない。あるのは帰る場所に帰るというただそれだけだ。


「マザー、入るよ」


 マザーの部屋は俺たちメンバーが使用している部屋の一つ下の階にある。木製の扉に取りつけられたガラスからはいつもオレンジ色の暖かくて小さすぎる明かりが漏れている。俺は三度のノックしてから戸のノブを回して押すように開け、叩扉した。


「うわっ……すげえな。今度は何にはまったんだ? これはガラスか?」

「ああ、影人かげひとさんか……。それはガラスペンだよ。カラフルで綺麗だろう?」

「ガラスペンって、インクで書く文房具じゃなかったっけ」

「綺麗だからつるしてみたんだけど、だめかしら」

「まあ、好きにすればいいよ。確かに美しい」


 今度の美しさの対象はガラスペン。いや、ガラスペンそのものではない。そこに当たって拡散する光のスペクトルが俺は美しいと思ったのだ、と俺は思いこんだ。思い込むことにした。


「それで、何か迷ったのかい? 影人さん」

「その名前はもうやめてくれよ、マザー。それは俺が探偵になる前の名前だ。その名前で呼ばれると俺はまだその頃のままなんじゃないかって勘違いしちゃう」

「そうかい……? じゃあ、シャドウ。の裏側のシャドウ。今度は何に迷ったんだい?」


 マザーは木製の椅子に座っていた。左右のひじ掛けには馬があしらわれており、その馬は曲線の胴体であるため椅子は定期的にマザーの重さによって揺らされていた。マザーの声は今にも殺されそうな、そんな殺気だった元気の良い明るい声音が大半を占めていた。見た目は豊富な量の白髪がその年齢を語ってはいるが、その目を見ればその人が三十歳以上若く見える。年を取っているのに取っていないように見える。だからきっと、マザーを一般的に表現するのならば魔女だ。


 俺はその辺のガラクタにしか見えない西洋のおもちゃのある机に凭れながらマザーに言った。


「もう何が起きているのかは分かっているだろうから省くけど、俺が接触した白の人たちをマザーはどう思う?」

「そうねえ。あの人たちはいつも必至だからね。自分の無念を、後悔を他の人には味わってほしくないからそれを未然に防ごうとしている。そこは変わってないと思うわ」

「じゃあ、あの小学生にこれから不幸が、運命とかで定められた抗いようのない不幸が訪れるかもしれないのか?」

「それは分からないわ」

 

 身体的に不自由な彼にこれ以上どんな不幸が訪れるというのだろうか。常に自分が夢見て憧れていた自由に歩くことのできる自分が目の前に現れて、それをまざまざと見せつけられるのを受け入れて傍聴するしかない彼に、これ以上どんな不幸が訪れるというのか。もしもそれが本当であれば、幽霊だのドッペルゲンガーだとかの正体を見破ってもどうしようもないことになる。それを回避できるのであれば、白の行為が正しいことになりそれを妨害する我ら黒は悪だ。


「あなたはどうするつもりなの?」

「スタードの事件を探ってみて、様子を見ようと思っている。少し遠回りになるけどこの辺りの事件は全て繋がっている。何らかの影響を与えることはできると思うんだ。少しでも変化があればそこから、きっと何かが分かる」


 するとマザーはゆっくりとほほ笑んだ。


「そう。影人さんは頭が良いのね。なんでもお見通しって感じ。でもそれが正しいのか迷ってるのね。大丈夫よ、あなたの思うようにやってみなさい。黒に歪は今のところないから安心して頑張りなさい。わたしはいつもあなたの裏側にいるわ」


 裏側。俺がこのポジションに位置づけられたのは多角的な見方による俺の視野の広さと、思考の幅を評価されてだと思っている。どっちが裏でどっちが表なのか、というのを決めるのは結局人間であって全ては当人の判断となる。裏が黒だとするのならその表は白で、黒以外は全て白である。黒の周りは全部白だという視点ではいけない。何が表で裏なのかを見極めるべきポジションに俺はいるのだから。

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