偽りの世界でこれから

 俺は両手に上限いっぱいのカード広げ、部屋の壁に向かって回転させながら投げた。トランプは六面に一、二枚突き刺さるように張り付き全面へとその数を増やしていく。表面の数字が四方の壁を埋め尽くし、部屋の様相をお伽噺の世界っぽく変えた。


「リバース」


 俺の小言と同時に全てのトランプは裏側に、つまりスートも数字も書かれていない面のこと。俺の場合は、黒と白の二色を使用した市松模様である。黒と黒のチェッカーは人に錯覚を覚えさせる。ずっと見ていると勝手に上下に動いたり、円運動を始めたり。ひどい人には何か浮かびあがっているようにさえ見える。もちろん、そんなことは一切起きていないし、俺は手品師でも魔術師でもないので細工を仕掛けることができるわけでもない。見た人間の脳が勝手に騙され、その騙された虚像があたかも本物のように見えてしまうのだ。


 だから、毎回不思議なことが起こる。


「きゃっ! な、なにこれっ!?」


 気が付けば全員下着になっていた。今どきの女子高生はこんなにもカラフルなのかと思いたかったのだが、それこそ俺の幻想だったようで色が付いていても青とか、水色とか、薄いピンクとか、なんか紫陽花みたいなものが多かった。星は青の迷彩で美月は純白の白に僅かな装飾が付いたもの。どれもアイデンテティと清潔感を感じられる。無論この俺もその例外ではない。人並みにしか鍛えられていない上半身の筋肉は正直恥ずかしいレベルである。昔の名残でふくらはぎはいい感じに仕上がっているのだが、胸筋なんてしょぼすぎて笑えない。今気が付いたのだが、腹筋の方は少しあるみたいだった。大事にしよう。


「……なるほどな。外見は取り繕えても、内面まで完全に覆い隠せているわけではない。性転換に対する世の中の偏見は薄れてきているように思えていたが、それも完全ではなかったってことか。なんにせよ、ここの認識だけは改められるのだ。今後を祈ろう」


 俺は一人に首肯で合図を送る。彼は被っていたフードを外し、その美貌を周囲に晒した。長身にしてそのさらさらとしたイケメンパウダーを存分に振りまくいけ好かない野郎だが、彼の能力はそれさえも含まれる。つくづく嫌な野郎だ。


「浅倉君……!?」


 一部のクラスメイトが彼の顔を見てさらに混乱し始めた。やはり、潜入捜査というのは自分がどれだけ慎重を期していても思いがけないところで情が移ってしまうのだな。誰か一人が崩れるように倒れてしまったが、きっと彼女もそういうことなのだろう。……惚れていたのだ。


演算開始バックアップ


「じゃあ、僕も始めます。――黒は内なる心の闇。白は外なる体の闇。真実が残酷なのであれば、虚構はやさしさであれ。理不尽な黒を、白に――」


 小柄なザキが詠唱を開始し、スタードがその補助を始めた。


「おっと、お嬢ちゃんたちは動いたらダメだよ。そのまま、そのまま」


 小物のミソノがツイン拳銃バレットを誇らしげに掲げながらすかさず牽制する。多くが目を伏せて無事に時が過ぎることを祈っていた。知らないうちに巻き込まれたと彼女たちは思い、今は恐怖で抵抗の言葉すら出てこないのだろう。きっと自分が起こし、選択した行動の責によって起きているとは夢にも思わず、因果応報の意味さえも信じることはないのだろう。それはこのクラスメイトすべてに共通することであり、美月や星もその対象。彼女たちだけが被害者で、何か特別だってことはない。何も特別ではないし誰も特別ではない。平凡や普通が嫌で一般論から外れたければ、俺のようにこの世の人間であることを辞めることだ。


 メンバーが手を降ろし、ため息をついたりつかなかったりしながら各々フードを被りなおした。どうやら、お仕事はおしまい。任務終了のようだ。


「それでは、俺たちはこれで失礼します。また機会があれば黒の世界われわれを御ひいきにどうぞ――」


 瞬間、トランプの札が部屋中を駆け巡り吹雪のような状態になった。視界は霧の摩周湖のように不遼で誰も何が起きているのか把握できなかった。錯視と混乱がもたらしたのは転換前とその間の時間の忘却。きっとその後に訪れる平穏は今までの日常と変わらないものだと信じ込むことになるのだろう。当事者には微々たる困惑が訪れても、それ以上に幸福な時間が与えられればそれにすぐ慣れる。偽りの世界でこれから歩み始めるのだ。


 俺は学校を眺めることのできる少し遠くの病院の屋上から様子を確認していた。


「うん、大丈夫そうだ。俺がこの教室に来た痕跡も記憶メモリーもよく消えている。さすがはザキだね。スタードの密偵ぶりも中々様になっていたし、しばらくはこの地域は何とかなるんじゃないかな。いいよ、マザー。分かってる。ちびっ子たちの件も任せてくれ。きっと、いい感じにひっくり返って優勢を取れるようにしてみせるよ」


 俺は黒いレアメタル内蔵金属版をより黒い画面へと戻し、報告を兼ねた連絡を済ませた。達成後の気分は何でも気分がいい。イヤホンから大好きな三十年前のバンドの曲を、それこそまるで“空も飛べることが当たり前なはず”だと思えるような曲を流し始めた。



 そして、今日も今日とていつもの店へと足を向けるのだった。

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