God Knows
俺は警戒を最大限にして階段を上がっていく。白の人間を見かければ陰に隠れてやり過ごした。大輝の教室は四階の一番隅にある五年四組の教室である。同年齢ということでいとも簡単に潜入したミソノが任務を遂行している場所である。いや、この時間だと多分もう終わっているだろう。俺と連絡が取れなくなってあいつらはどうしているどうしているだろうか。考えても仕方がない。俺は敵の存在がいないことを確認するとドアのそばに来た。小窓から僅かな範囲の様子を窺うとそこには誰もいないように見えた。
ふう。
俺は意を決して中に突入する。手札は最大許容量の五枚を維持して。そこにいたのは被害者である大輝一人だった。いや、違う。彼は大輝に似ているやつ、つまりドッペルゲンガーだ。その証拠として両の足で彼は立っている。車いすを使用してはいない。だが、どうして彼――ドッペルゲンガーの大輝――の様子は明らかにおかしかった。俺は警戒を解かずに彼に近づき、声を掛けたが何も反応せず。肩を叩こうとしたらその手は肩をすり抜けた。
「本当に幽霊なのか……」
俺の動揺は続く。彼は俺がここにいることを無視して一人で芝居を始めたのだ。彼にとっては独白でしかなく、傍から見ても独り言なのだが俺には芝居のように見えた。幻のお芝居だ。
「――僕には何もない。僕は彼女のことが好きだ。彼女は僕に優しくしてくれる。だけど、その優しさは僕だけじゃない。皆に、誰にだって彼女は優しくする。僕にはそれを独り占めするだけのものが、何もない」
彼女? 彼女とはだれだ。親しい人物……七飯藍か。
「何かって何?」
気づくとフードを被った人物が彼の向かいにいた。それはまるで
「何だろう。何があれば、僕は優しくしてもらえるんだろう」
「どうして優しくしてほしいの?」
「彼女に優しくされると、僕はとても幸せな気分になる」
「担任の先生だって、両親だって優しくしてくれるよ?」
「ううん。それとは違う。うんと、難しくてよくわからないんだけど、優しくしようとして、してくれる優しいじゃない。自然に彼女は優しい。そこが違う」
「意図的か、そうじゃないかってこと」
「たぶん」
「なるほど。それで君はそれを自分にだけ向けてほしいと、そう願っている」
「そう」
「じゃあ、そうしよう」
「えっ?」俺は思わず呟いてしまう。
「え? どうするの?」
「簡単だよ。誰もが同情するけれども、その中でも特に優しい彼女が見過ごせずに自らその慈愛を注いがざるを得ない状況を作ればいいんだよ」
「どうするの?」
「例えば、足が不自由になるとか。下半身不随。車いすでの生活をしなければいけないとき、君は誰かの助けがないと不自由になる。彼女に車いすを押してもらえるようにすれば、その優しさの殆どは自然と君に向けられることになる」
「なるほど、すごい……ああ、でも僕痛いのは嫌だよ?」
「そこは心配いらない。生まれつきの病気ってことにしておいてやる。いいか。お前はこれから生まれつき足が不自由な可愛そうな少年だ。わかったな?」
「わかった」
フードの少年は玉を取り出す。その玉は真黒で、すぐに広がり二人を包み込んで消えた。
「どうなってるんだ……なっ!? おいおい」
今度は教室に私服姿の小学生がたくさん現れた。ランドセルから教科書を取り出して机に入れる少年や、夏は未使用のストーブに腰かけて集まってアイドルの話に花を咲かせる少女たちなど。まるで朝の登校の時間帯だった。
俺は窓に駆け寄って外を覗く。そこには色とりどりのランドセルを背負った大小さまざまな児童が学校へと向かっていた。楽しくおしゃべりをしている少女二人や、ランドセルの開閉部にある磁石を外しあうという悪ふざけをしている少年二人など。完全再現だった。
俺が拙い動揺を未だ続けていると、教室の空気が変わった。大輝が来たのだ。振り返って入口を見ればそこにいたのは七飯藍に押されて入ってくる小清水大輝だ。七飯がこの教室の担任である荒井に相談し、その荒井から依頼を受けた事件の被害者である彼だ。大輝はクラスメイトに笑顔でおはようと言い、七飯が大輝の三倍の笑顔でおはようと言っていた。まさに先ほど大輝が独り言の中で求めていた光景だ。
そこで俺ははっとし、急いで教室の扉を開いて顔だけを出した。そう、そこには階段の陰からこちらの様子を窺っている大輝がいた。俺たちがドッペルゲンガーの名で呼んでいた彼もまた、そこにいた。
「これが、真実」
これは小清水大輝という少年に何が起きたのかを示している。姉さんの空間でそれが示されているってことはこれが、真実。
「そうよ、これがこの
俺は
「姉さん」
「そしてこれが〝黒〟の真実でもあるの」
黒の真実? どういうことだ。
俺は戦闘態勢にも逃亡態勢もとらずに素直に話を聞こうとしていた。俺の足を止めるには十分すぎる言葉と状況だった。
「少し前に出来事を戻すわ。この大輝君はとても素直でいい子なの。七飯ちゃんに振り向いて欲しかった大輝君は神様へお願いしに神社に行くの。きちんと五円玉を投げて二礼二拍手一礼してね」
黒板の前にある教卓に座って足を組んでいる姉さんと教室の後ろにいる俺との間で大輝はお参りをしていた。
「そして、神様はこの願いを叶えることにした。大輝君はいい子だから、叶えてあげることにした」
そしてまた先ほどの独り言だ。大輝は俺が先ほど見た独白と全く同じ科白を述べている。つまり、この願いを叶えたフードの男の前に大輝はお参りをした。
お願いをした。
そしてその願いは神に届き、神は叶えることにした。大輝がいい子だから。
「もうわかるよね。そのフードの男は神の使いよ。代理で願いを叶える男。この男は黒い玉を使って世界を変えた。偽物で偽りの世界を創った。でも神様が遣わしたのは実は男ではなく能力の方だったの。この男は見ての通り少年よ。大輝の分身かしらね。この分身に能力を与えて願いを叶えたところまでは良かった。でも、彼はいい子だった。つまり黒としては不十分だった」
俺は脂汗を伴って動揺していた。この不可解な事件は神の気まぐれで起きたものであり、ドッペルゲンガーというのは紛れもなく大輝自身だ。
そのものだ。
幽霊でも、妖怪でも、化け物でも怪異でもない。彼自身だ。彼の感情の権化だ。ここまで言われれば俺だって理解できる。俺はその意思をなんとか前に手を突き出すことで示した。姉さんは「賢いわね、拓人」と言ったが俺の顔は下を向いたままだった。ここは真実を示す空間だ。それは姉さんの能力をよく知っている俺が、今までの白の行動と照らしあわせることで立証できる。だからこれは事実だ。
「俺は、神の使いなのか。神によって使われていたのか。能力は、俺の物じゃなくて神から与えられたものだったのか。じゃあ、神っていうのは――マザーなのか……?」
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