白の能力者≪シロウト≫

 マザーは安心したようだった。もちろん顔を見て判断したのではない。声でもない。ちょっとした息遣いだけで俺はマザーが安心したことを知った。察した。マザーにもう一言付け加えて言うとしたら、子供も意外と親のことをしっかり見てるものなんだぜ……ってことぐらいだろうかと俺は思った。


 去り際にマザーは餞別を俺にくれた。別にこれから死にに行くわけでもないのに。もう俺が死ぬことはこの先ないって分かっているのに。マザーは俺に長い旅行の前の旅立ちの瞬間が今であるかのように、そっと手を差し伸べた。正確には小さなひょろひょろとした蛇が一匹伸びてきただけなのだけれども。


「……これは?」


 >一枚入れときなさい。補給用の山札はあの子に託しておいたわ。あなたならあの子の扱い方ぐらい、……もう大丈夫でしょう?


「ああ」


 俺はそのカードを受け取る。このカードを受け取った時点で、きっとこれを使わないと勝てないような勝負になるのだろうと俺は少し覚悟した。それから黙って残り少ない手持ちの山札に滑り込ませた。


 >そのカードは切り札よ。もちろん代償はあるし、さらに厄介なのが使用するためには条件が必要なの。環境……と言ってもいいわ。とにかくそれを使うにしても、使わないにしても、そこだけは頭に入れておいて。


「分かったよ、マザー」


 俺は再び背中を向けて足を踏み出そうとして止めた。


 >どうしたの?


「ありがとう、マザー」


 >頑張って。



 ***



 部屋にはまだミソノと星がいた。二人とも近くにあったポットで新しく飲み物を入れなおしており、丸机を囲んで会話を弾ませていた。どうやらミソノが俺の武勇伝である話を面白おかしく馬鹿にするように星に聞かせているようで、楽しそうに見えた。一方的にミソノが話し込み、それを一方的に星が笑いとばしていた。


「――そうそう。そうなんですよ。シャドウは上野こうずけって名前を表名オープンネームとして付けてもらったんですけど、だれも読むことができる人がいなくって(笑)。みんな上野うえのって読んで呼んでるんですよ。ん? ああ、ほら依頼人としての時に会ったやつですよ。あのいかにも文学青年で探偵とかそういうミステリックな感じに憧れてそうなあいつ。ええと、依頼を受ける時とか、他の現世で活動するときは与えられた表名オープンネームを使うんですね。シャドウとかっていうのは裏名フィルコードっていって裏の世界、つまりこっちの神の世界にいる時の名前です。だから裏の名前。現世は表だから表の名前。一応、それぞれ生前の名前を憶えていたりするんですが、さすがにそれは私でも知らなくて。ええ、マザーはその名前で呼んでくれることが多いのですが、たとえその名でマザーが呼んでそれを他の人が聞いてもその名前を聞くことはできないんです。どう頑張っても裏の名前にしか聞こえない。やっぱりマザーは特別な術を使えるんですかね? ……ここだけの話、私はマザーのことを本物の魔女だと思って――」


「おい、こらミソノ。何をべらべらと俺たちのことを話している」


「痛い!? 痛いですぅ。痛いですよシャドウ」


「三回も言わんでもわかるわ。俺はおまえの頭を殴ったのだから痛いのは当然だろ」


ミソノは非常に痛そうに、見せつけて甘えるようにこちらを見ながら目を潤ませていた。俺はミソノの精一杯のアピールを鼻で蹴散らす。


「なんで俺たちのことを星に言っている」


「だって、シャドウだって、下の名前で馴れ馴れしく呼んでいるじゃないですかぁ!」


 俺はもう一度ミソノの頭をはたいてから椅子に腰かけた。背もたれのない机と同形の丸椅子だった。


「あのな、俺は名前の重要性は散々教えたつもりだったんだがもう忘れたか?」


「いえ、それはしっかりと叩き込まれております。刻みに刻んで刻印されております」


「……俺はお前の体に刻み付けた覚えはないんだが。まあ、いい。俺が星と下の名前で呼んでいるのは友達になったからでも、親しい関係になったからでも、親子になったからでもない。だからと言ってただの知り合いでもなければ、赤の他人だというわけでもない。依頼者だ。そして、目にした瞬間、俺は彼女に能力が関わっていることが分かった。もちろん今だってそれは発動しているし、彼女に影響している」


「そうなの?」


 ミソノは敬語を忘れて星に聞く。星は静かに頷くだけだ。


「名前はその人の現在を、世界における位置づけを示す唯一の物だ。名字で呼ぶのと

 名前で呼ぶことと、あだ名で呼ぶこと呼ばれることは違う。何が違うのかといえば、それはその人がその世界ではどのような立場にいるのか、簡潔に言えば他人とどういう関係かを端的に示していることになる。俺は下の名前で呼んでいたのではなく、名字で呼ばないようにしていたんだ。名字はその人の族を、どこに属しているのかを示している。だからそれはあくまでも個人を呼ぶものではない。俺は星と俺の関係が属性上だけでの物にしてはいけないと思った。それはなぜか分かるか? ミソノ」


 ミソノはここで今までの笑顔を崩した。すこし現実を混ぜた表情でつぶやく。


「能力者じゃないのに能力を使っているから」


「その通り。本来能力と呼んでいるマザーから授かった力は当然のことながらマザーから受け取らない限りは使えないはずだ。しかし、星は俺の目の前に姿を見せた時からその能力を使っていた。酷使していた」


 マザーの、神の力を使えるということはどういうことか。簡単だ。マザーからその能力を貰ったということだ。常時発動しなければいけない状態だということを考えればおのずと答えは導ける。


「星の能力は名付けるとしたら〝自己猜疑〟だ。自己暗示でも、欺瞞でもいいだろう。虚偽、瞞着まんちゃく欺騙きへんとかもふさわしかろう。人柄で言えば、ペテン師、詐欺師、人を騙していたって意味では手品師も範囲か」


「……?」


 ミソノは少し不快な顔をした。分からないからだ。星は不愉快な顔をした。なぜ自分のことを事細かく、細部まで情報開示されなければいけないのか理解できないからだ。俺は座っているのがじれったくなり、先ほどみたいに壁へ向かいながら話しつつ靠れた。


「星は父親から性的虐待を受けていた。これは本人も母親もどうすることができない問題だった。家庭内で解決できない二人が外部に救いを求めるのは自然な行為だろう。でも、それができるのであれば今も苦しみ続ける必要はない。きっと、これは中学生……いや、もっと前から始まったのかもしれない。幼ければ幼いほど周囲に相談することは躊躇われる。たとえそこにどれだけの正義や正論がぶつけられたとしても、それは家庭を崩壊させる凶器にしかならないからだ。助けを一度求められなければ、この関係がずるずると続くのは摂理といえよう。だから神に祈った。そしてそれは叶えられた。星が手にいれた能力は自分を騙す能力だ。周囲を騙して事を隠すのではなく、自分を騙して、何事もないように過ごすための能力」


 だから俺は彼女のことを美しいと思ったのだ。俺が美しいと思ったのはその能力とそれを受け入れて三百六十五日二十四時間使用し続けるその覚悟。世界を騙すのは簡単だ。他人を騙すのは簡単だ。嘘を言えばいい。事実と違うこと言えばいい。真実とは異なることを事実として扱い、それを事実にしてしまえばいい。この件も世界を騙すほうがずっと楽で簡単だ。素人でもよそ見をしながら扱うことができるだろう。だが、星は騙す対象を自分であるこの能力を受け入れた。自分は虐待など受けていない。受けたことがない。両親とは仲睦まじく幸せな日々を私は送っているのだと、騙した。自分が騙されたのだ。周りがそれに気づけるわけがない。だからこそ、それは美しいのだ。だって、問題を問題にせず、事件を事件と扱わずに真実を無実にしてしまったんだぜ。これほどまでに美しい自己完結を俺は見たことがない。自己犠牲を見たことがない。自己表現を見たことがない。俺には笑うことも、真剣に悩むことも、ただ何も考えずに傍観することもできない姿だった。




 だから俺は彼女を美しいだと思ったのだ。




 ただの勘違いではない。間違いがなく、正しくないからこそ覚悟を必要とする勘違い。それは並の人間では壊れてしまうようなことで、錯乱してもおかしくないこと。加賀山星はそうやって生きてきたのだから、その間違いはきっと美しい。



「だけど、星は玄の人間じゃない。白でも朱でも青でもない。人間だ。今まさに現在いまを生きている人間だ。所詮能力の正しい使い方などしらない素人だ。通常兵器しか使えない白の人間と同じ素人だよ。白の能力だといっても違わないね。俺は断言できる。正しくない、間違っているってことに絶対に気づくことができない。だって自分を騙しているんだから。でも、俺ならそれを正すことができる。間違いを間違いだと指摘し、偽物を贋作だと言い張り、歪みを直してあるべき姿に変えることができる。だから俺は助けようと思ったのだし、マザーも俺が星を救うことができると直接伝えた。作戦の結末を知っていたマザーは星に指示して送り込み、俺の仮説を証明させた。俺のチームに伝えることで星のために動いてくれている人がいるってことを目の前で見せることでその不安を取り除いた。これが一連の騒動の全てで、問題に対する答えだ」


 静かだった。ポットが残り少ないお湯を保温するのに一生懸命な音がはるか遠くでなっているぐらいで、それ以外に音と呼べそうな音はなかった。空気を揺るがし始めたのはまじめな表情を貼り付けたミソノではなく、頬に小さな光を放っている星だった。


「本当に、私は助かるんですか……?」


「ああ」


「本当に、私は乱暴されなくなって、お父さんは優しかったお父さんに戻って、お母さんがいつものように笑って、それから、そして、だから、本当に、本当に――」


「そうだ。俺が救ってやる」



「………………ありがとう、……………ござい……ます…………」



 加賀山星の最後の礼の言葉はほとんど机に吸い込まれて行き、そのまま涙と嗚咽の音に変わった。ミソノも彼女にその上から抱き着いて涙を流し、喚き始めた。俺はというと、――頭を撫でてやるのが精いっぱいだった。

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