第2話 彼とヤクザの初体験
「新幹線が止まるだけはあるな」
いつも使っている古臭い駅とはわけが違う。洒落た作りの構内はもちろん、駅ビルもちゃんとある。家から電車で一時間弱かかるとはいえ、とても同じ県にある駅だとは思えない。都会的な駅の作りというか地方都市の駅というか、とにかく俺が求めていたのはこういうのだよ! うれしい!
懐かしさに浸りながら袖をめくり、左腕にはめた
「今は……十二時を回った所か」
よしっ丁度いい時間に到着できた。
飯食って、映画見て、服買って、ゲーセン行って、最後は酒でも飲んで帰ろう!
うん、悪くない休日になりそうだ。けど、
「…………」
改札を出た所で、周囲を見渡す。
多くの人がお休みであろう土曜日ということもあってか、人混みが激しい。
たけどそれは問題ない。むしろちょっと歓迎できるぐらいだ。人が少ない場所の方が俺にとってはつらい。問題はそこではなく……
「ケーン、チューしよチュー」
「はははは、仕方ないな。お前は」
ぶち殺すぞヒューマン。
なーに人前でキスしようとしてんだよ! 汚い物を見せるんじゃねえ。
ああ、でも俺も昔は……はぁ。
「やめやめ」
カップルから視線を逸らす。
彼女がいなくてなんだ! 友達がいなくてなんだ!
そんなものいなくたって楽しめるわっ!
「…………」
会社の自慢とかをしてなけりゃ、友達とは今でも遊べただろうなぁ。
過去のどうしようもない出来事に憂鬱になりながら、繁華街のある――新幹線口へ足を進めた。
「お客さん、そろそろ辞めた方がいいんじゃない? あんまりお酒強くないでしょ」
「んなこたあ、ないですよぉ。これでも潰した相手は山の数ほどいるんですから」
頭にハチマキを巻いたおっさんに反論する。
そしてジョッキに残った僅かな酒を口に流し込んだ。いつ飲んでもビールはビールだな。やっぱりマズイ! というかここはどこだ……このおっさんは誰だ……。
「そうは言ってもな、顔見てみ。真っ赤になっちまってるよ」
カウンター越しにいるおっさん、ええと居酒屋のおっさんかこの人。
あー酒飲んでたんだ、おれ。一人で飲むなんていつぶりだろう。
って我ながらサルみたいな顔になってるわ。
「どっからその鏡出したんすか?」
俺はおっさんが持っている手鏡を見て疑問に思った。
どうして居酒屋のおっさんが、仕事中に手鏡を持っているんだろう。必要なさそうなのに。まさか自分の顔をいつでもチェキできるように……?
だとしたら、なんてナルシストなんだ!
「お客さんみたいな人を現実へ引き戻す為に持っているんですよ」
「はえー、そうなんですか。じゃあもう一杯!」
「……話、聞いてました? お客さん」
どうでもいいことを質問してしまった。
顔は真っ赤だけど、こうやって物事を考えることが出来ているんだ。
まだまだいける。
「どうかお願いしますよ。お店ガラガラなんだし、いいでしょう~」
「痛い所を突いてきますね……わかりましたよ、もう一杯だけですよ」
そう言いおっさんは俺の目の前から離れ、酒を汲みにいった。
はー頭いてえ。
今日は悪くない一日だったけど、どこまでいっても悪くない一日に過ぎないな。昼の飯屋だってノーリサーチの割に当たりだったし、噂のアクション映画も面白かった。服だって自分好みの物を買えて、ゲーセンでもそこそこ勝てた。
けど、それだけなんだよなぁ。どこまでいっても満たされない。何かが足りない。
「あ、おじさん。なめ茸おかわりー」
「はいよー!」
厨房の中から見た目より若々しいおっさんの声が聞こえてきた。
……ここの甘辛いなめ茸を食べてると、ママ――
「ごほっ、んっんっ」
――母さんが作ってくれたなめ茸を思い出すな。
母さん、か。今の状況を知ったらなんて言うんだろうな。
予想はつく。慰めたり、励ましてくれるだろう。だからこそ打ち明けられない。逆に父さん辺りは……。
「はい、なめ茸にジョッキ一杯ね!」
「お、早いね。ありがとうござい……ん?」
「いやぁ、でも良かったよ。咳込む音が聞こえたから吐いてるんじゃないかと」
おかしい。
俺の目に映っているこの液体はなんだ。
想像していた黄金色の物とは大きくかけ離れてる。
「店をゲロまみれにされたら困るからね。それにお客さんも高そうな洋服を台無しにしたくはないでしょう」
「いや、服は正直どうでもいいんですけど」
服を買ってから気付いたけど、見せる相手がいなけりゃ服なんて価値はない。
今は新しい彼女を作る気もないし、こっちで友達と遊ぶって事はないだろうしな。仮に会社の付き合いで飲むにしてもスーツ姿だし……うーん無駄な出費だったか。
ってそんなことより。
「これですよ! これ!」
渡されたジョッキをおっさんの目の前に突き返す。
「入ってるのどう見ても水じゃないですか!」
「そうだよ、悪いかい?」
俺の怒りを少し込めた言葉に、おっさんは不敵な笑みで答えた。
なんてにくったらしい顔をするんだ。
「そもそもあっしは注文を聞いておりませんもの。勝手に酒を出すわけにもいきません」
「くっ、ニュアンス的にこう……くーッ!」
おっさんは頭に巻いたハチマキを整えながら、抜け抜けと話した。
いたよ、こういうの。新人の頃、相手の営業マンにハメられた記憶がある。
俺が入社一年目に担当した企業との取引だったか。
ライバル会社に情報が漏洩しないよう秘密裏に取引を進めていた時、万が一を考えて具体的な製品名を紙面とかに出さないようにしていたことがあった。特徴だけを暗に伝えてこの製品を寄越せと俺が言って、相手の営業マンもおっけーおっけーわかってる。みたいな顔してさ。
これで一安心と思ったら、最終契約書を見てビックリ。
要求していた製品とは違う物が書かれているじゃありませんか!
あれは驚いたというか――唖然としたね。だって今年販売される改良版を買おうとしたら、数年前から販売されている改良前の商品を買っていた訳だからな。
ダブルチーズバーガーを頼んだらチーズバーガーが出てきた気分だ。
確かに似てはいるけどさぁ……。とあの時は思った。
結局今だに相手のミスか故意的な物かわからないままだ。相手側はミスでした! って言ってたけど、口だけなら何とでも言えるし。
最終的には教育係の上司が取引を修正してくれたけど、あれは焦った。
もしあの取引がそのまま成立していたら額も額だし、地方や途上国へ飛ばされていたに違いない。……結局、今こうして地方へ飛ばされたわけだが。振り返ってみると、遅かれ早かれの問題だったな。
「わかりました……わかりましたよ。水でこの甘辛いなめ茸を頂きますよ」
もうあの頃のように俺を助けてくれる上司はいない。
ここはあまんじてこの結果を受け入れよう。俺は渋々ながら、箸でなめ茸――えのきたけを口に運ぶ。悔しいが――うまし。
「まぁまぁ、そんなに不貞腐れないでよ。これもお客さんを思ってのことさ」
「……さっきメチャクチャ店の心配してたじゃないっすか」
俺がなめ茸を口に運びながら、宙に浮かぶ暖かみのある電球を眺めていると、
「あれはあれだよ。店の心配をしない店主はいませんて」
おっさんはそう喋りながら、近くにあったらしい椅子を自らの所へ手繰り寄せた。
「お詫びと言ってはなんですが、新しいお客さんが来るまで話を聞きますから」
背もたれのない椅子に腰掛けながら、暖かい眼差しを向けてきた。
優しい人なんだろう、酒の代わりに水を提供したり、こうやって聞き相手になろうとするあたり。
だが、その優しさが命取りだっ。おっさん!
「言いましたね?」
俺は素早く言葉を差し込む。
「お、おう」
おっさんはどもりながら返事を返した。
予想外だったのだろう。酔っ払って、なおかつ不貞腐れている人間がこうも返事が早いことに。俺も普段ならもっと間を持たせて返事をしていた。自分ってプライド高いみたいだし。
けれど今はプライド以上に大切な物がある! それは――――!
――――愚痴を吐く事だ! こちとら三ヶ月近くまともなコミュニケーションを取ってないんだよ! 話をさせろぉおおおおお!!
「聞いて下さいよ。今まではね!
凡々な大学出身の自分がまさかの一流企業から内定獲得! その後流れるように彼女もゲット!
就職した後も一部のエリートには及ばないですけど、本社で働ける程度には頑張ってたんすよ!
彼女ともそろそろゴール見えてきたんちゃう? ぐらいの関係でしたし! 同棲はしていませんでしたけど!
ま、まぁ友達との関係は若干ちょっと疎遠になってて……でも社会人ってそんなもんですよね!?」
「そうかもしれねえな。
俺は調理師学校を卒業してから今の店継いだんだけど、確かに以前よりは疎遠になった。……ちょくちょく店には来てもらってるけどよ」
おっさんが後半なにかおかしなことを言っていたけど、気のせいだろう。
ついでに頭を掻いている左手――薬指にキラリと光る輪っかが見えるのも気のせいだろう。聞こえない、見えていない。都合の悪い事実は聞き流す。社会人になって学んだことだ。大人って素晴らしい!
「で、その後はどうなったんだい。あんちゃん」
「聞いてくださいよ! ここからが重要な所なんです……?」
ん?
隣から声が聞こえてきたと思ったら、誰だこのハゲちゃびん。
いつの間に店へ入ってきたんだ。しかもしれっと隣に座ってるし。まぁいいか。
「会社に就職して三年っ! それなりに働いてきたんですよ! 真面目かと言われればあれですけど、月毎のノルマは必ず達成してきましたからね!
こりゃあ昇進か、最低でも部下が付くようになるなって考えていた矢先のさせ――転勤ですからね。たまったもんじゃありませんよ!」
「てっちゃん、
「はいよ!」
「――えっどうして転勤するハメになったかって? そうなんです、そこ気になりますよね。仕事柄、海外への出張や転勤は多いんです。
だけど、ここは日本の田舎! なぜだ! おかしい! どうしてこうなった!!」
「久々だね、てっちゃん。店の方は?」
「ボチボチさ。けんちゃんこそどうなんだい?」
「腰の調子以外いい感じだよ。おっ、熱燗に冷やしトマト! この組み合わせが意外とイケるんだ」
「――運が悪かった! そう、運が悪かった! 理不尽だ!
ただまぁ転勤だけなら我慢できましたよ。……悲劇ってのは続くものですね。
まさか、まさかの彼女からサヨナラメール! グッバイあなたとの思い出! こんにちは、デーモン閣下! ……はぁ、いや本当ダメージでかいっすよ。もう今じゃ昔みたい恋愛脳をバカにできませんもん。こっちに来てから仕事も手につかなくて……。
自分の社内でのあだ名知ってますか? 島流しプー太郎ですよ。酷くないっすか!? 皆さん大人ですから大っぴらには言いませんけどね……ははっ」
あーダメ。テンション上げて話したけど、段々辛くなってきた。
島流しプー太郎って……事実だけどさ。
「はぁ」
俺が地面を向きながら重たいため息を吐くと、誰かが肩を叩いた。
「お客さん、人生山あり谷ありですよ」
「そうそう、あんちゃんはまだ若いんだから」
おっさんがそう言いながら俺を慰めるように肩をもう一度――今度は二人して優しく叩いてくれた。
やだ、うれしい……。
……はっ、俺は今おっさん達に慰められて嬉しいって思ったのか? う、嘘だ。
「忘れよう、全てを水に流そう」
水さえ飲めば元通りの俺だ。そう自分に言い聞かせながら目を閉じた。
そして、水の入ったジョッキを手に取る。……妙に熱い気がするけど気のせいだろう。
「あっマズイですよ! それかなり熱めに――」
「あんちゃん、それ俺の熱燗――――」
周りの声をシャットアウトし、
「あふぅついいいいい! ふぁにこれぇええええ」
水が俺の喉を焼いた。
「ああっ! 言わんこっちゃない!」
「俺の熱燗が……っと、それよりもてっちゃん水持ってきて!」
そんな環境に反して、俺は静かに涙を浮かべた。
「いふぁい……」
人の熱気と冷たい夜風が混じる繁華街は妙に気持ちが悪い。
……単に俺の体調が悪いだけか。
「頭いてえ……」
吐き気もする。
また飲んじゃったのは失敗だったな。飲んだって言うより飲まされたって言うべきか。あのハゲちゃびん、なーにが酒で負った傷は酒で直すべき、だ。余計に痛くなったぞ。
話を聞いてくれたりして、楽しかったけどさ。
「うげぇ、人多すぎだろ」
他人と当たらないように前の人の足元を見ながら、体を動かす。
体を動かす度に脳が揺れて、あぁドンドン気持ち悪くなってきた……。
「先輩、しっかりしてくださいよ」「おらぁは平気だ。もう一軒行くぞ~!」
スーツを着た二人組を避けて歩く。その際に持っていた荷物が軽く当たったが、相手は気にせずに肩を組んだまま光の濃い場所へ消えていった。因縁を付けられなくてよかった。
にしてもサラリーマンにしろ、カップルにしろ、土曜日の夜は混むなぁ。特にこの辺は居酒屋とかが多いし、それも影響しているんだろうな。……夜の店が多いのもあって、看板の色も派手なのが多い。赤に黄色に橙色と、見ているだけで体調を悪化させるようなもんばっかだ。
今の状態でこの場所をフラフラするのは危険すぎる。リバースする前に早く駅へ行くとしよう。駆け足気味に歩いていると――
「お客さん! 1発どうですか?」
――ホスト崩れの格好をした男が声を掛けてきた。
タイミングが悪い……それとも俺みたいなのを狙っているのか。
「…………」
反応する気力なんてあるもんか。
目も合わせないまま、俺は男の方からそれていく。
ここが狭い道ならともかくメインストリートの一角だ。いくらでも逃げられる……が、
「今なら安くしときますから。それにウチのオプションは凄いですよ!」
俺が走れないのをいいことにしつこく付きまとってきた。
ぶっかけうどんがどうとか隣で説明してくるが、全て聞き流す。
目も合わさず、反応も返さないのに、よくペラペラと喋れるもんだ。中々に営業成績は良いと見た。俺は観念して口を開く。
「結構です」
語尾を強めて、拒絶の意思を表した。
こういう手合いはストレートな反応に弱いはずだ。
「いやいや、どうかそこをね! 最近溜まってたりするんじゃないですか?」
「……はぁ」
予想に反して相手は引っ込まない。押しが強いのは結構だが、勝ち目のない試合をしても仕方がないだろう。流石に付き合っていられないな、まじリバースしそうだし。
いっそこいつにぶっかけるのもありか? と思いながら、歩くスピードを早める。
これが失敗だった。
「ッ……おい、何ぶつかってんだ?」
「あっ」
人とぶつかってしまった。
体がふらついてる状態でスピードを早めるべきじゃなかった。
それよりも、だ。
「あはは、すいません」
ぶつかった人種が問題だ。見た目が明らかにヤから始まるお方にしか見えない。
派手な銀色のシャンブレースーツに、この威圧感。まともに相手しちゃいけない。俺は謝ると同時に足を駅の方へ動かすが、
「なに笑ってるんだ。もう一度、俺の顔を見て、しっかりと謝れ」
「……っ」
ドスの効いた声に足がつい止まってしまった。
クソッ、謝るだけで済むのか?
ここはあいつに押し付けるか……っていつの間にかホスト崩れが消えてるぞ。
俺より逃げ足が早いとはやるじゃねえか!
「おい、返事はどうした」
「は、はい」
現実逃避も虚しく、シャンブレーさんに返事を催促されてしまった。
どうすればいい、煙に巻ける相手だとは思えないし、何よりもう吐きそうだ。
手早く終わらせる為には、ここで腹を括るしかない。相手の目を見ながら、頭を下げて――――
「ごめんなさっヴォエエエエエ!!」
ヤクザと
「みじめだ……惨めすぎる……」
はぁ……それにしても運が良かったというべきか、悪かったというべきか。
自分の体に汚物をぶちまけたおかげで、ヤの付く人は何もしなかった。
むしろ、だ。
「ん、ん、っふう」
このペットボトルの水を買ってきてくれた。しかも常温の奴。
お礼の一つでも言えれば良かったんだけど、何も言わずにどっかへ行っちゃったからな。次に会った時にでも、いやだけど正直関わりを持ちたくないし……。
「にしてもヤクザにすら同情されるって、どうなんだよ」
よっぽど今の俺が惨めに見えたんだろうか。
ははっ今度からあだ名はヤクザにも同情され太郎、でいこうかな。
「…………」
ベンチから立ち上がり、白い光で存在を主張する自販機へ向かった。
レンガ造りの地面を踏みしめる足は一歩一歩が重い。筋肉痛って事はないだろうし、気持ちの問題か。
「水は、っと」
空のペットボトルを捨てる。
そして新しい水を買うために財布を開き、憂鬱になった。
「勘弁してくれよ。手当が減って給料少なくなったんだからさ」
千円札を自販機へ投入しながら、自分の今の格好を見た。
上着やシャツ、パンツも昔から馴染みのある格好だ。それも当然だろう。今朝から着ていた服なのだから。……こんなはずじゃなかったんだけどな。
「今日は服に五万も使ったのに、全部パーだもんな。ははは」
ゲロまみれになった服なんてもう着たくない。とはいえ捨てるのは勿体無かったか。ま、でもいいや! どうせ見せる相手もいないし。
「…………」
俺はおつりを小銭入れにしまい込み、取り出し口へと落ちてきた水を手に取る。
今の時間は……二十二時を回ったところか。終電までまだ時間があるな。
もう少し休んでいこう。
「気分悪いし」
自分にそう言い聞かせながら、元いたベンチへと足を向けた。
「出口が違うだけで、こうも違うもんか」
繁華街があって騒がしい新幹線口とはまるで違う。
今いる西口はとても静かで、人も少ない。
その少ない人の殆どは駅に向かってて、その他は俺のように――
「ふう」
――ベンチに座っている。
俺は振り向き、円形のベンチに取り囲まれている小さな街路樹を見る。こういう木の名前をなんて言うんだろう。この寒い時期に緑の葉を付けるなんて根性がある。
「…………」
背もたれに寄りかかりながら、周囲を見た。
駅のロータリー前にあるベンチの数はざっと二十程ある。
人の数は……十人ぐらいだろうか。
「この中で俺よりみじめな奴はどれくらいいるかな」
……今の呟き、聞かれてないよな。
自分で言ってて恥ずかしくなってきた。いい年したおっさんが何言ってんだろ。
「下を見りゃあキリがないし、上を見ても……キリがない」
ベンチに座ったまま、上半身を脱力させる。
下に見えていたのは、大学時代の友人だろうか。今にしてみればウザったい奴だよな、俺は。調子に乗っていたことは否定できない。もう戻れないかな。
「寂しいなぁ」
雲一つない空を見上げる。上に見えるのは、同期入社のエリート達か。
今まで周りにいた人間とは全く別の人種だった。能力も、向上心の強さも。
どうして、なぜ、あんなにも凄くて、頑張れるんだ。
「その中で俺は俺なりに頑張ったよな?」
返事はなかった。
「頑張ったはずだ」
胸を優しく、けれど締め付けられるような痛みが返ってきた。
「なに馬鹿なことを言ってんだか」
頑張っていたに決まっている。
酔いと気持ちの悪さで俺らしくもないことを考えてる。
「けど、ま」
さっき買ったばかりの冷たい水を手に取り、口へと運ぶ。
口へ入った水が、食道を冷やし、胃を冷やした。冷えている体がより一層冷えていくのを体全体で感じる。
「寒いな……」
寂しく、寒かった。
俺が転勤してきて3ヶ月、ずっと寒かった。
彼女のいない生活、友達のいない生活、
転勤先の会社ではプー太郎呼ばわりだからな。……そう言われても仕方がないか。
「俺は…………っ!」
その先の言葉を今の俺には紡げなかった。
怖いと感じた。
「ひとりじゃ生きられないよ」
俺はひとりじゃ生きられない人間だ。
だから、もうつらい。今の環境が。
「会社、辞めるかな」
転勤を告げられた時、一流企業のブランドを捨てきれなかった。勿体無いと思った。
だから会社に今も残っている。けど、気付いたんだ。今の俺じゃブランドを持っていても仕方がない。
なら会社にいる意味なんてないだろう。金を稼ぐための場所なんていくらでもある。俺はズボンのポケットに手を突っ込んだ。
「親になんて言おうかな」
父さんからの言葉は想像できる。
母さんからの言葉も想像できる。
胸が痛んだ。
「今日じゃなくてもいいだろう」
手に取ったスマートフォンを再びポケットにしまう。
そして顔を再び
「…………」
会社を辞めたらどうすっかな。
まずしばらく休んで、英気を養おう。その後はどこかに転職しないとな。
あ、それとも株辺りをやってみるのもありか……?
「あの」
でも転職先は選び放題だし、適当に楽な仕事を選んだ方が……
「聞こえてないかな」
後ろ側から少女らしき声が聞こえる。
その声もあって、俺の未来へのほとばしる妄想は中断された。
「ねえ、おじさん。大丈夫?」
可愛らしさを内に秘めた綺麗な声。
だけど、どこかふてぶてしさを感じさせる声が俺の耳を通り過ぎた――――
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