第22話 彼と係長
なんだこれ。
赤い
――
それを日が沈むまで続けて、退社時間になったところで約束通り営業係長の席へ。
そこまではいい!
でも、どうして「一緒に飲まないか」って話になるんだ。今まで一緒に飲んだことなんて一度もないのに。
……わざわざ社外で話をするのだから、クビの話とかではないだろう。
いや、もしかして最後くらいは優しくしてやろう的な? ら、来週からは真面目に働きますアピールをした方がいいだろうか。……体を壊さない程度にだけど。誰かと張り合ったりはしませんけど。クビになったらシンガポール行きってどうなるんだろう、そう思いながら、お
「…………」
「…………」
無言の若者一人と無言の老人が一人。合わせて二人が肩を合わせながら座っていた。あっ、目の前に立っている店長っぽいのも含めたら三人か。……屋台で働く人って
「……」
チラリと係長がこちらを見る。
なにその視線。喋れってことなの。
誘ったんだからさ~そっちから話振りなよ~、と女っぽいことを考えながら、口を開こうとして――
「すまない!」
――謝られた。
白髪の頭が全て見えるぐらいに、深々と頭を下げて。
えっ、何この状況。
どうして謝られているんだ。
「その、謝る相手を間違ってませんか」
「!」
そう言うと、係長は顔を上げ、驚きを表した。
ダメだ。言葉の意味もわからないけれど、リアクションの意味もわからない。
「飯田君との関係を知っていたのか……それでも、君は」
んん? 飯田君って本社にいる飯田営業副部長のことだろうか。
いよいよもって意味がわからなくなり、俺は「どういうこと」と視線を向けた。
――屋台の店長に。
「…………」
そもそもこっちを見ていなかった。
お玉かき混ぜながら、後ろにある山の方へと視線を向けている。
そりゃ、こんな面倒くさそうな状況に関わりたくないか。
俺もです。
と思いながら、係長に詳しく話を聞くことにした。
「飯田さんが係長の元部下って、驚きですよ」
ずるる。
俺は係長に勧められたおでんラーメンをすする。
こんな味のラーメン初めて食べたけど、意外といけるな……。
寒空の下、というのも美味しさに拍車をかけているのだろう。
「なんだ、知らなかったのか」
ちゅるる。
係長は麺を箸でレンゲに移したあと、慎重に食べる。
……何気にこういうのって性格が出るよな。
そう考えていると、
「いや、そんなことは関係ないな。すまなかった、許してくれ」
箸とレンゲを置いたあと、またしても謝ってきた。
「ちょ、顔をあげてください。というか、どうして俺が謝られているんですか?」
結構不気味だ。
今まで嫌われていると思っていた相手にいきなり謝られるのは。
なにより謝られている理由がわからない。まさかボケて謝る相手を間違えている、ということはないだろうが。……我ながら失礼な考え。
「こちらこそすいません」
「待て、どうして中村君が謝る。こちらこそすまないと言っている」
若干酔いが回っているせいか、行動がおかしい。
けど、たいした差じゃないし問題ないだろう。心の中で謝るか、口に出して謝るか、それぐらいの差。
あ、これ重要な差だわ。
ヤバイヤバイと思いながら、謝っている理由を聞く。
「初歩的な質問で悪いんですけど、どうして係長が謝っているんですか?」
「……君の営業成績についてだ」
「あ、来週からは頑張りますよ! 今週と先週はちょっとですね――」
「わかっている。私のせいだろう。私が君にだけ、冷たい態度を取っていたから。でないと、あんなに素晴らしい成績を残していた君が……」
「いやいや、そんな理由じゃありませんから」
「気を使わなくていいよ。社内で冷遇される辛さは私も知っているつもりだ。なのにな」
思い詰めたような顔で係長は告白してくる。
でも、どうしよう。係長の態度とかは殆ど気にしていなかった。
だって係長レベルなら、あんまり権力ないし!
という本音は隠しながら、話を進めることにして――
「飯田君は優秀すぎた。それこそ上司である私のポストを脅かすほどにね」
俺が
……この動作を何度も繰り返しているが、一向に酔わない。お酒には強いらしい。
別に酔わして潰そう! とかそんな考えはない。
けれど、係長の哀愁漂う表情を見ていると、このまま潰れしまった方がいいとさえ思った。
「雷鳴のように成果をあげる飯田君、
「二人の間にそんな関係性があったとは思いませんでした」
この前飯田さんが『……支社の方でなにか不都合はないか』って言ったのは、これのことだな。
俺が左遷される時から知っていたのか、はたまた途中で知ったのか。
どちらかは定かじゃないが、いまだに飯田さんもこの件を引きずっているんだろう。
「だろうな。……私だって最初は飯田君の成果に喜んだりもした。
だがな、途中からはこのままじゃ食い殺されると思って、表面上では喜んでも、内心では怯えていたよ」
情けない話だが……。そう言って係長は苦笑いをする。
「私は今でも覚えていることがあるんだ。ここに左遷させられると決まった時、飯田君に「貴様のせいで、貴様さえいなければこうはならなかった!」と言ったことがある」
「…………」
「八つ当たりだ。その八つ当たりが君にまで向いてしまった。本当にすまない」
「いいんですって。あれぐらいのことでめげてたら、ここでは働けませんよ」
でも、どうして俺と飯田さんが
社内で大っぴらに仲良くした記憶はそんなにない。……出張の時の荷物持ちとかはしてたけど。
「本社の友人から噂を耳にしてね。飯田君が懇意にしている子がここに飛ばされてくると」
oh……本人が気づかないだけで、噂って意外と広がっている。
白月の件もそうだし、いったい誰がどこて見ているのるか、わかったもんじゃない。
けど、そんなことはどうでもいいか。
「……いま、係長は支社に来て、どういう気持ちですか?」
知りたかった。
俺と似たような経歴を持つ彼の気持ちを。
十年以上ここで働いて、今も嫌々なのか、それとも。
「妻は、妻は喜んだな。ここに飛ばされて。田舎の生活に憧れていたみただから。今もそうだろう」
俺はおでん鍋から出てくる湯気を眺めながら、次の言葉を待った。
「……私は、死にたくなるほどに嫌だった。名誉を穢される、とはこういうことかとさえ思った」
でも、
「今は満足しているんだろうなぁ。なにせ素直に退職はせず、再雇用の提案を受け入れたのだから」
「あ、再雇用ってことはもういいお年ですよね……?」
「六十を越えているからね。……再雇用の時に、私は部長から係長に降格したんだが、そんなこと昔の自分なら受け入れられなかっただろう」
星空を見上げる係長の背中は、哀愁の一言だけでは言い表せなかった。
お節介かもしれないが、試して見たくなった。
「後悔していますか。飯田さんに言った言葉を」
係長の方を見ながら口を開く。
すると、係長はお猪口を机に置いたあと、ゆっくり喋り始める。
「後悔、か。しているんだろうな。
俺はそれを聞き、ポケットからスマートフォンを取り出す。
そしてアドレス帳を開いて、係長に差し出す。
「だったら、いま謝ってみませんか」
「飯田君にか……? だが、それは少し怖いな……」
「大丈夫ですよ。一言「スマン」って謝れば、その後悔も簡単に流れます」
飯田さんも多分気にしているのだろうしな。上司のポストを奪い取ってさ。
あの人、ナイーブな時も極稀にあるし。
「…………」
「
俺の言葉に係長――
そして屋台を出て行く。話を聞かれたくないのだろう。
「すみません、ウィンナーとガンモ追加で! なめ茸は……ないですか」
残念だ。
にしても、
◇
「本社から島流しにされて逆恨みしているのに、本社にいたという自分を誇ってるの。
だから本社にいた人間が活躍すると我が事のように嬉しく感じる。逆に成績が悪いとあんたみたいな扱いになるわけ」
◇
流石に飯田さんと増井さんの関係は見抜けなかったらしい。
あ! でも下の世代にポスト奪われて云々とか言ってたな。
どこまで知っているんだ? あの人。
――――
――
「ありがとう。中村君のおかげだ……」
どういう話をしていたのかは、わからない。
それでも増井さんのこのスッキリとした表情を見れば、満足いく結果になったことぐらいはわかる。
俺はスマホを受け取りながら、どういたしまして。と答えた。
「そろそろ帰りましょうか。いい時間になりましたし」
そう提案すると、増井さんは、
「もうちょっと待ってくれ。なんだ、中村君はなにか相談事とかはないのか。できる限り答えてやりたい」
時計を見ながら、焦っていた。
なぜだし。まぁいいか。
「相談……うーん、そうですね」
今日の俺はどうにも口が軽い。
けど、それもいいだろう。
「自分、失恋したんですよ。二週間前ぐらいに」
「二週間前というと――もしかして成績が振るわなかったのもそれが原因か」
「ええ、恥ずかしながら。でも、二週間離れて気づいちゃったんですよね」
彼女のことが諦められないんです。どうにも惚れてしまったみたいで。
そう、そっと口にする。
「その人を諦められないか。私は見合い結婚だったから、そういうのはわからないが」
お猪口を傾けながら、増井さんは返事を返した。
「ふぅ」
諦められないよな。色々な制約があっても、必ず方法はあるはずだ。
俺は一度深呼吸をする。
そして、新鮮な空気を肺に取り込んだあと、それを吐き出すようにして――
「ええ、好きなんです。諦められないんです。
彼女にとっては俺なんて――この空の上に広がる無数の、星の一つなんですけどね」
「……」
「でも、私にとっては、たった一つのお月様なんです」
雲一つない、十六夜の白く輝く月を見ながら、俺はお猪口を傾けた。
……深くは考えないようにしながら。
「ただですね、その彼女と付き合うにはハードルがいくつもあって。例えば、警察とか――」
「んん、待ってくれ、警察ってどういう、」
増井さんが俺のマズイ言葉を拾おうとしたところで、
「飯田部長、お待たせしてすみません」
俺の失言をカバーするように誰かが入ってきた。
のれんを頭に載せてはいるが、かなりダンディなイケメンがいる。言葉を聞くかぎり、飯田さんの知り合いか。
「あ、ああ。
えっ、鮫島……? 確かその名前って前任者の……。
「紹介する。彼が
「よろしく。苦労をかけたようだね」
「これは、どうも」
差し出された手を握り締める。
男らしさを感じる。
「今日鮫島くんに来てもらったのは、中村君へ適切なアドバイスをして貰おうと思って――」
「飯田部長、その心配はなさそうですよ。引き継ぎ先を回ってきましたが、皆中村君を――」
本人不在の会話が続けられていく。今日は帰るのが遅くなりそうだ。
でも、こんな日もいいかな。俺は白い月を見ながら、気持ちの在り処を確かめた。
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