第8話 彼と彼女の連絡事情

 おちょこに日本酒がトクッ、トクッ、と注がれていく。

 濁りのない清流の水が、あたたかみのある電球に照らされながら、器を満たす。

 

 トク。


 音が止まった。

 小さなおちょこをあついあつい液体が満たしている。味は至上。だが、右手を揺らせばこぼれ、一気に飲み干せばのどを焼く――バラのような存在。

 

 間を置くべきだ。

 けれど、ガマンなんてできない。あつくうまいそれを一気に口元へと持っていき、飲み干す。


「くぅっ、美味い!」

 

 口から白い湯気が逃げるようにして出てくる。

 あったかい店内でこれが出るって相当ですよ。たまらん。


「あんちゃん、いい飲みっぷりだね~。ほら、もっと飲みな」

「けんちゃんありがとう~」


 キャッキャウフフ。


 右隣に座っているけんちゃん(本名不明)に酒を注いでもらう。

 うーん本来は俺がやるべきことな気がする。だってけんちゃん明らかに俺より年上だし。頭ツルツルだし。でも、いいよね! 無礼講ってやつだ。

 

「こらこら、けんちゃん。自分があんまり飲めないからって、若い人に飲ませるんじゃないの」


「いやいや」


 俺は右手を上げ、おっさんもとい店長の言葉を止める。

 手を上げた際に酒が足にこぼれ目が潤んでしまうが――漢・中村なかむら 信太郎しんたろうはそんなことで怯まない。


「もっと飲みたいんです。だからけんちゃんの行為は嬉しい! 感動的だ!」

「よく言った!」


「なにがよく言ったですか。まったく……。

 お客さんが前回そこのオジサンに酔い潰されたから、心配してですね――」


「てっちゃん、止めるのは野暮ってもんだ。若者の行く末おうとを見守ってやろうじゃないの。ってことで焼き鳥の盛り合わせ1つ!」

「あいよ。けんちゃんは変わらないねぇ……」

 

 吐いたら一緒に掃除してくれよと言い、店長てんちょうもといてっちゃんはのれんをくぐり厨房へ向かった。哀愁漂うてっちゃんの背中を見て、俺は心が震える。あれが漢の背中ってやつだ……! 心の中で今日は吐くまいと決意をしながら、おちょこに注がれた酒を一気に飲み干す。


 すると、酒が喉を通り過ぎた直後に視界がブレた。あ、これ、そろそろヤバイやつだ。熱くなってきた頬をさわり、木目のテーブルにおちょこを置く。それを見ていると――

 


 ¥ ・∀・¥                        

 

 やってまいりました。ナカムラ★テレフォンショッピングのお時間です!

 本日紹介したい商品はこちら! まだらの模様が刻まれているこのお猪口!

 

 ただのおちょこじゃないかって? いえいえ、それが違う。お客さんはお目が高くない! これはとても不思議なおちょこなんです。おちょこを満たしている日本酒、これを今飲み干します。ちゃんと見てて下さいね。

 はいっ、飲み干しました。なにもおかしなことはない? そんなことはありません! 見てください、おちょこの中を。そうなんです! また日本酒でおちょこが満たされているんです。某おとぎ話の瓶もビックリだ!

 

 本日はこのお得な商品をお値段三万円で販売させて頂きます。

 それに! 今ならなんと!! 二十四時間以内にお電話を頂けた場合けんちゃん(本名不明)もお付けして――

 

                             ¥ ・∀・¥


 

 ふぅ……ちょいと頭の中を旅行トリップしていた気がする。

 流石に連チャンで吐くと酒に対して抵抗感出てくるからやめよう。接待の時に支障が出る。俺はおちょこをけんちゃんから遠ざけ「アイライクウォーター」と言い、おかわりを断る。

 すると、残念そうな顔をしながら「そうかい……」と熱燗あつかんを引っ込めた。


 ちょっと悪いことをしたなと考えていた、次の瞬間――


「いやぁ、でもよかった!」


 けんちゃんが満面の笑みで俺の肩をパンパンと叩いた。

 いた、痛く――ない! これがプロレスで鍛えられた成果だ。ないか。

 にしてもこの人の切り替えはやっ。いいですね~。俺もその雰囲気に乗じて、


「よく分からないですけど、バリバリっすよ!」


 元気よく答える。今日もいい日だ。

 あーでも白月しらつきと会えてないんだよなぁ。高校生だしなんか用でもあったのかな。帰り道にでもまた探してみるか。できれば今週も技をかけて欲しいしな。やってもらわないとちょっと不安だ。今日会えなければ、明日も顔を出そう。


「バリバリかッ、いいね! 最初に会った時はしんどそうな顔してたからな。元気になったならよかった」


 けんちゃんはニカッと白い歯を見せながらそう言う。

 いい人だ。まだ会って間もない人の心配をしてくれるなんて。類は友を呼ぶってやつなのかな、厨房にいる店長を見ながら思った。

 

「心配してくれてありがとうございます! おかげさまで仕事の方は順調です」


 俺はできる限りの誠意を込めて、頭を下げる。

 

「そりゃよかった! なら次は彼女探しだな。ということで景気付けに……」


 ささっと熱燗を取り出す。まだ飲ませる気なのか……? 

 へっ、仕方ねえ。付き合ってやるぜ。と鼻をこすっていると、


「はい、焼き鳥の盛り合わせ一つ!」


 店長が皿いっぱいに盛られた熱々の焼き鳥をテーブルへと置く。

 それと同時に空いた手で、けんちゃんのツルツルな頭を軽くはたいた


「いてっ。なにをするんだい、てっちゃん」

「またお客さんに飲ませようとしていたでしょうが」


 次またお客さんに飲ませようとしたらこうですよ、こう。

 と言いながら手首をスナップさせていた。そのさまはまるでスシを手早く握る職人のようだ。キレッキレ。


「あと、お客さんも同罪ですよ」


 ハチマキを締め直しながら、俺を見てそう言う。とばっちりだ。


「元気になったのはいいですけどね、付き合いが良すぎやしませんか。けんちゃんと会ったのはまだ二回目でしょ」


「す、すんません。そうですよね……店長だけハブるのは良くなかった! 

 よろしく、てっちゃん!」

「なぁんだ、てっちゃんそういうことかい。あんちゃんとの仲に嫉妬してたとはな。ごめんよ~」


 てっちゃんは頭を抑えながら椅子に腰掛ける。そしてこう言った「まるでけんちゃんが二人になったみたいだ……」と。俺はあの人ほど勢いがありませんよ! それとツルツルじゃないです。まったく。

 心の中で陳情をしたためていると一つ疑問が生まれた。


「そういえば焼き鳥ってメニューにありましたっけ」


 俺はつくねにかじりつきながら言う。

 ここのメニューは新鮮な海の幸や山の幸が中心だ。だから焼き鳥のイメージがない。見落としてたっけか、と頭を捻っていると、


「けんちゃん専用のメニューですよ……」


 甘めのタレがたっぷりついたカワを手に取りながら、合点がいく。

 ああ、きっとけんちゃんがゴネたんだろうなと――






 白月しらつきは駅と繁華街を結ぶ大きな公園にいた。

 公園のサイズに見合う噴水のふちに座りながら、足をブラつかせている。……その姿がどうしてか寂しく見えた。夕暮れの公園で一人、ブランコの上に取り残されてしまったような、そんな光景が頭に浮かんだ。

 だから――胸を締めつける痛みを消すために――俺は元気よく白月に声を掛ける。



「ヘーイ! 白月ガール、コンバンハ!」



「こんばんは、お兄さん。それ以上そのノリで近付いたら警察に行くから」

「わ、わかった。エセ外人はやめるからポリスメンはやめてくれ」


 立ち上がろうとする白月を手で制す。警察はいけないはんざいしゃ

 ちょっと前まで警察なんて怖くねえ! 

 って感じだったのに、今じゃあビビリまくりだ。

 

 でも、仕方がないだろう。あの時とは状況が違いすぎる。

 あの時は運悪く本社から転勤させられて、彼女にも振られて自暴自棄になっていた。

 けれど今は支社での仕事とはいえ、かなり順調だ。彼女への想いもそれに乗じてか、ドンドンと薄れていってる。これから俺の新生活が始まる! って時に、警察のお世話になるのはなんのメリットもない。デメリットだらけ。

 だから「許してください」と女子高生に頭を下げる大人がいても仕方がない。うん。


「はぁ……」


 白月が白い息を吐き出す。

 きっとこの子は今こう思っているだろう。どうしてこの人に関わっちゃったんだろうって。可哀想だが、俺の人生のためだ。もう少し付き合ってもらおう。それにしても、


「寒くなってきたね」


 俺はジャケットに手を突っ込みながら喋る。

 そして自身の言葉に導かれるようにして、繁華街方面にあるビルボードを見る。

 すると、現在の気温――八度と表示されていた。そりゃ寒い。ちょっと前までは十度を切ることなんてなかったのに。


「そういえば今日は制服じゃなかったり?」


 白月は、ううん、と言うように首を横へ振る。

 

 ってことは中に制服を着ているんだな。もうホテルへ移動するときの格好をしているからてっきり。あ、よく見るとスキニーパンツの上からスカートがヒラヒラしてる。んーそれにしてもパッと見だと、高校生じゃなく大学生に見える。それだけこの子が垢抜けているんだろうな。


「安心してよお兄さん。ほら、今日はブレザーまで着込んじゃってるし」


 そういい白月は座ったままジッパーを胸元まで下ろし、上体を傾ける。

 この態勢は見てみろってことだろうか。胸を見せるような態勢のせいでドキッとする。どうしよう……いや、見ないのはもったいないな! どれどれと首を伸ばして、少女の胸元をのぞき込む。警官が近くにいないことを祈りながら。


「へぇーデザインに力入れてるんだな。白月に似合いそう」


 ブレザーの色はわからないが、模様や作りはなんとなくわかった。

 ん? この校章、つい最近どこかで見たような。


「どっかの有名なデザイナーが作ったんだって。私も結構気に入ってるんだ」


 機嫌を良くしたのか眉が少し持ち上がる。可愛い。


「ん、寒いからもう閉めるね。それと制服から高校を調べたりしないでよ」

 

 切れ長な目を俺に向ける。悲しいかな、こういう表情のほうが見慣れている。


「しないから! 仮に白月の学校を知ったところで、どうしようもないだろ」

「そう? 色々とできそうだけど」

 

 なにこの子、こわい。

 色々とできるってなにができるんだろう。脅しとか? ……逆に脅されそうだ。

 まっなんでもいいか。白月とはプロレス以外で関わることはないんだし。知る必要のないことは知らなくていい。下手に知ってると逮捕された時が面倒だからな。リスク管理が重要よ。こんなことをしている自分が言っても説得力なんてないか。頭を軽く掻いていると、


「じゃあいこっか。今日もするんだよね、あれ」

「もちろん! 昨日はいなくて残念だったから、その分お願いしやす!」


「ふぅん、昨日も来てたんだ。悪いことしたね」

「気にしなくていいよ。休みの日なんだし、用の一つや二つはあるでしょ」

「まぁね。昨日はヘルプを頼まれたってだけなんだけどさ」


 白月はそう言うと、手を縁につけながら体を素早く立ち上がらせる。

 その軽やかな動きについ目が奪われてしまった。運動神経がよさそうだけど、なにか部活をしていたりするのかな。あーでも部活とかやっていたら土日にここへは来れないか。

 それにしてもなんのヘルプなんだろう。ヘルプ、ヘルフ、ヘルス……? 相も変わらず失礼な考えが頭に浮かぶ。すると、俺の不埒な考えに気づいたのか白月が声をかけてくる。


「ん、そうだ。お兄さん、アドレスの交換しようよ」


「アドレスの? どうしてまた」

「だってまた会えなかったら手間でしょ?」


 それに、と言葉を続ける。


「寒いから私もあんまりここで活動しないだろうし」

「ああ、そういう」


 秋、というよりはもう冬だ。

 そんな冷え込む時期に暖房器具もない公園にはずっといられないよな。

 

 納得はした。確かに連絡先を知っていた方が便利そうだ。

 でもなぁ、連絡先を教えると俺が捕まるリスクは跳ね上がる。例えば白月が夜の繁華街で警察に補導されてスマートフォンの中を見られたら、芋づるしきだ。俺に間違いなく影響がある。警察じゃなくても親が勝手にスマホを見て――というパターンもあるしな。

 どうしたものか。フリーアドレスならどうにかなったりしないかな。ダメか。証拠が残ったりすること自体よくない。うーん、と俺が頭を悩ませているたら、白月が「それと私、通話アプリとか使ってないから。交換するならメールのアドレスね」と言った。


「珍しいね。なんか誰でも彼でもやっているイメージがあるけど」


 俺はつい大げさに驚いてしまう。それぐらい意外な言葉だった。

 中高生があれをやっていないのは結構不便そうだけど。

 

 !


 もしかして友達がいないんじゃ……。俺がその可能性に気づいた瞬間、少女から視線を逸らして背を向ける。

 ありえる。ありえるぞ。この子の性格はそこまで問題なさそうだけど、外見がかなり優れている。外見が良いと同性に目の敵にされるらしいからな。それが理由で友達がいないのかもしれない。

 仮に友達がいないとしたら俺はなんて酷いリアクションをしたんだろう。謝るべきか触れざるべきか、迷っていると、


「ごめん」


 俺が発しようと思った言葉をなぜか白月が言った。

 その言葉と同時に、もしくは少し遅れたタイミングで、誰かが俺の背中を抱きしめる。


 えっ!? 


「少しじっとしてて」


 後ろから声が聞こえる。この風鈴が響くような声は白月以外に出せるものじゃない。それはつまり今俺を抱きしめている人物は……心臓が激しく高鳴る。凍えていた体も今じゃ熱くなっている。

 突然の状況に思考が追いついていかないが、体は叫んでいた。もっと薄手の服を着てくればよかったっ!


「…………近くに制服姿の女子っている?」

「えっと、ちょっと待って」


 質問の意図に戸惑いながら、俺は周囲に視線を向ける。

 ――いた、ボブカットの女子が一人いる。だいたい白月と同じ年頃の子だ。

 その事実を白月に告げると、いなくなったら教えてと言われた。




 一分も経たない内に、その子は視界から消えた。

 他にも制服姿を着た子が目の前を何人か通りかかるが、どうにもそれは問題ないらしい。背中から人のぬくもりが消えていく。サービスタイムは終了のようだ。もう少しすっとぼければよかった。


「ごめんね、抱きついちゃったりして」


「いやいや、ありがとう。……間違えた、気にしないで」

「そっか、お兄さんからしたらご褒美だもんね。謝って損した」


 呆れたような顔で俺を見たあと、手櫛で長い髪を梳く。

 その姿は背格好もあいまってまるで一流モデルのようだ。そりゃね、ありがとうしますよ。こんな子に抱きつかれて感謝しないやつはいない! 彼女持ちが喜ぶのはNGだけどな! いま初めて思ったよ。彼女と別れていてよかったと。決して彼女持ちへのひがみではない。そう言い訳しながら、白月に尋ねる。


「どうしてこんなことを」


 なんとなく推測がつく。きっとあのボブカットの子にいじめられて……!

 優しそうな顔をしているのに、なんてことをするんだと義憤ぎふんにかられていたら、


「友達と顔を合わせたくなかったからさ」

「ああ、ん? 友達?」


 予想外の言葉が飛んできた。

 えっいじめっ子じゃないのか。友達ならどうしてまた。

 

「そう、友達。なんだと思ったの?」

「いや、なんだ、俺も友達だと思ってたよ! でも友達なら隠れることなかったんじゃないのか」


 って咄嗟とっさに言ってみたはいいけど、そりゃ隠れるか。

 友達にえんこーしていることを話しているならともかく、この様子だと隠しているみたいだし。


「……もしここで会って話が始まったら、今日のあれはなしだよ?」


 そう言いながら、白月は上目遣いで尋ねてくる。

 俺はその視線と言葉にしどろもどろにながら「それはイヤ、ですね」と言った。なぜか丁寧語で答えるオレ。この子の前では大人の立場なんてありやしない。恥ずかしい。

 

「じゃあ改めてホテルいこっか。と、その前に結局どうするの? アドレス交換」


 お兄さんの意思を尊重するよ、と言われ俺は眉間を抑える。そして迷いながらも断った。リスクが……リスクが高すぎる! この子と会える可能性が減るのはつらいけど、それ以上に危険だ。

 俺の言葉に白月はいつかと同じようにそっか、と淡白に答える。

 それを見てやっぱりモテる人間は違うなと思いながら、俺達は人の多い繁華街へ歩みを始めた――――




 ☆




『入るね』

『どうしたの? そんなに驚いて。カラダ硬くなってるよ』

『まぁいいや。洗ってあげるからそのままジッとしてて』


『ん、やっぱり男の人っておおきいね』

『なに……その不満そうな顔。スポンジじゃイヤって言われても』

『はぁ、そういうことね。ハイハイ』


『ん……ん……どう? おにいさん。満足でしょ』

『バスタオルも脱いで欲しい、ね』

『そっか……ふぅん』


『ダメ』

『わがままを言うお兄さんにはお仕置きが必要かな』

 

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