第7話 彼は彼女の名前を知る (2)
ホテルへ行くため俺達はネオンとヴォイスが乱れる繁華街を歩く。
デジャヴュを感じた。
どこもかしこも以前と同じなんじゃないかと錯覚しそうになる。
だけど、1つ違うことがある。それは、
「ちゃん付けはやめて。理由は言わなくていいよね?」
「は、はい」
会話……会話が増えたことだろう。
目が
俺は手で顔を拭いながら、先を歩く少女に声を掛けた。
「白月は俺の名前、どうする?」
曖昧な言い方になる。
ありがちな名前とはいえ、自分の名前を知られるのは結構なリスクだ。できれば教えたくはない。決してお兄さん呼びが気に入っているわけじゃないんだが。
「なんか呼び捨てだと先生みたいだね。まぁそれはいいや」
そう言い、白月は長い髪を耳元へと手繰り寄せる。
そして視線だけをこちらに向けた。
「名前、聞かれたくないんでしょ?」
まぁ……と濁す。なんかこの子にこれ以上弱みを握られるのは危ない気がする。
こう、上手く利用されちゃう的な?
「じゃあこれからも私はお兄さんって呼ぶから。それで問題ないし」
「ありがとう」
この子、色々わかってるんだろうな。少しこわいけどここは感謝しよう。
せっかく会社での調子がいいんだ。警察行きの可能性は減らしたい。
「……それにお兄さんって言うと、喜ぶよね」
!
俺は聞こえていないフリをしながら、細い路地を曲がる。
曲がった先は大人の世界だ。さっきよりもお酒の匂いが濃くなり、代わりに看板の照明は落ち着いたように感じる。居酒屋よりもバーが多いからだろうか。
にしても、喜んでるってマジ……? 自覚がないだけなの? そんな趣味はないと思うんだが。自分の性的嗜好について地面を向きながら考えていると、勢いよく誰かにぶつかった。
「あぶねっ」
手が上手く動いたおかげで、ギリギリ転ばずにすんだ。
アスファルトの地面に手をつきながら顔を上げると、
「すまねえッ、てお前はいつかの……」
鋭い眼光が俺を射抜いた。
シャ、シャ、シャッ、
まさかまた会うなんて……い、いやそれよりも早く謝らないと。
俺は立ち上がる。それと同時に彼も立ち上がる。それだけで怖い。
どうしてそんなに目立つ銀色のシャツを着るのか、どうしてそんなに胸板が厚いのか。おかしい、おかしい、と思いながら、謝る。足は当然のように震えていた。
「気にするな。今回は俺が急いでたせいだ。あの後は大丈夫だったか?」
「お、おかげさまで。水、助かりました。あの時はありがとうございます」
「そうか――」
とシャンブレーさんが言いかけた所で、いくつもの足音が聞こえてくる。
足音のする方へ顔を向けると、これまた派手な金色のシャツとラメ入りの赤いシャツを着た2人組がものすごい勢いで走ってくる。
「チッ、もう追いつきやがったか。すまねえ、この借りは必ず返す」
「ええっと、これでチャラで」
いいですよ、と言う前に走って立ち去ってしまった。
2人組も何かを叫びながら、シャンブレーさんの後を追って消えてしまう。
恐怖、よりも困惑が頭を支配していると、
「ねぇ、いまのってなに」
少し離れた所にいた白月が声を掛けてくる。俺と同様、困惑しているように見えた。
「わからない」
頭を横に振り答える。その反応を見て彼女は、
「ここって、ちょっと危ないところだから」
といい、それ以上はなにも口にしなかった。
口にしないということは、ヤクザの
俺は冷たい風を受けながら思った。母さん、田舎の繁華街は物騒です。と。
「そういえば……お兄さん、いまあの厳つい人と仲良く話してなかった?」
もしかして、お兄さんも危ない人なんじゃ……と言いながら、一歩、二歩と俺から離れていく。げぇ! この展開は!
「そ、そんなわけないだろう」
俺はさっきの二の舞を避けるため、必死に説明する――
なんとか誤解は解けて、無事にホテルへ入り、ベッドインを果たした。
にしても、やっぱり痛い。この痛みに慣れる気がしない。
白月に背中を向けたまま、懇願する。
「もう少し緩めていただけません?」
「ダメだよ。それじゃあプロレスの技じゃなくてマッサージだもん」
そう言い、俺の左足を捻った。
いだだだだだっ。こんなの痛いだけだ。これをご褒美だという人の気がしれん!
「お兄さんが売っているパソコンとか机って学校にも販売しているの?」
俺の痛みなんてどこ吹く風だ。
白月は
「そうだよ、正確に言うと販売よりも仲介している場合が多いんだけどね。
それで学校か。そうだな……販売している可能性もあるかな」
実際俺もよくわかっていないんだが。社内で情報交換とか滅多にしないし……。
そういや、金曜日に学校宛にもメールを送ったけどアポ取れるかな。ちょい厳しいか、ああいうところはもうお得意先がいたりするし。という考えは痛みにより吹き飛ばされる。
「あぁああああっ……ふぅ……ふぅ……」
「そんなに痛いならやることないのに。今ならお金はいらないよ」
「ひぃ……ふぅ……頼みます」
白月の手が止まっているうちに呼吸を整える。
これ一種の修行だね、今わかった。あーこの丸いベット柔らかい。欲しい。白月の手もそれ以上に柔らかい。欲しい、とか言ったら骨折られそう。
そんな妄想をしていたら、今度は右足を捻ってくる。休憩はもう終わりみたいだ。
「でもさっきは笑っちゃったな」
そういい、先日起こったシャンブレーさんとの件を話し始めた。
「あれを思い出すのは勘弁してくれ」
「無理だよ。だってあんな厳つい人の前で、ねえ」
背中の方から小さな笑い声が聞こえてくる。
きっと少女――白月は今いい笑顔をしているだろうな。見てみたいけど、いい笑顔の理由がぶっかけ話ってのは複雑だ。
俺はモヤモヤとした気持ちから逃れるために話題を振る。
「そういえばなんでっ、プロレス技なの? 男ならともかく、女子高生が技なんて覚える機会なさそうだけどっ。レスリング部所属だったりして」
最初はどうしてえんこーしてるのよ? とストレートに聞こうと思ったが、どう考えても答えてくれないだろう。なので工夫をして変化球を投げることにした。やったね、太郎ちゃん! レベルが1上がったよ!
……レベルが上がった理由? それは間違いなく今受けている技のせいだろう。さっきのよりも数倍は痛い。ベットに突っ伏している俺の両腕を自らの元へ強く引っ張り、更に追い討ちをかけるように俺の背中を長い足で踏みつける。これなんてわざなの。ぼくわからない。せめて、レベルが上がったボーナスとしてパンツを見せてください……!
だが、現実は非情だ。後ろを振り向こうとすると、更に痛くなることが判明した。無慈悲や! あんまりですわ! 頭の中の登場人物が愉快にパッパッラッパーしてる。おほほほほ。頭が混乱を極めている最中、白月様の美声が聞こえる。絶対にこんなことは言っていないが、今の俺にはこう聞こえた。「せめてもの慈悲だ」と。
「弟がプロレス好きだから自然とね」
現実ではおそらくこういった気がする。おそらく、たぶん。
「なるほどこうやって技を試して弟をいじめていたわけだ」
ボソッ
「この性悪」
「いま、なにか言った?」
「ごめんなさっいいいい! 性悪なのはオレですぅ!!」
あまりの痛さについ相手を罵り、それを聞かれて更に技がキツくなる。
なんて酷い悪循環なんだ。全部自分が望んでやっているというのが余計に酷いし笑える。俺はピエロ。道化師さ! 観客がいたら社会的に死んじゃう!
「ん、よろしい」
その言葉と共に技が緩んでいく。
「ありがとう……」
俺は心の底から声が出る。ちなみにパンツの色はアスール・ブルー。今日もさわやか日和。
「ヤクザの前で吐いたり、私――女子高生にプロレス技をかけられたりさ、お兄さんってへんた……神経が丈夫だよね」
…………
少女は知っているだろうか。途中で言葉を止める残酷さを。
最後まで言ってくれればネタにもできる。けれど、言い切らなければその言葉の重さは加速度的に増し、自ら否定することも許されず、永遠と魂に刻みつけられることを。
「下着見たの、わかってるから」
きっと少女が大人になったら気づくだろう。言葉を止めてしまう残酷さを。
ならば俺はその時まで眠りにつくとしよう。永遠に近い眠りへ…………
「じゃあ、延長しておくね」
俺はベッドで体をピクピクさせながら、ぁいと小さく返事をする。
前回はなぜか筋肉痛にならなかったけど、今日は絶対になるね。間違いない。
明日は休みだし、大丈夫っていいたいんだけど、最近なー、二日後に筋肉痛がくるんだよー。なんでだろー。
「あ、それと」
視界の隅で彼女が自身のトートバッグを持ちながら、なにかを言おうとしてる。
眠いけど白月様の言葉だからな、頑張って聞こう。ン? なにかおかしいような……
「今日は五千円でいいから。残りは置いておくね」
「ぶふぉっ!?」
「無理して喋らなくていいよ」
枕に顔を埋めながら驚いたせいで、豚の鳴き声みたいになってしまった。
そんなことよりだ。どうして五千円でいいなんて言ったんだ。
「流石に同じ人からまた三万円は貰えないよ。というよりそもそも最初は五千円からだったんだけどね」
「どういうこと?」
俺は枕から顔を上げて尋ねる。
できれば顔を見て話したいけど、今カラダを動かすと痛くてたまらんからやめておこう。
「思った以上に需要があったからさ。値段を釣り上げていったら」
三万円になっちゃっただけ、と白月はなんでもないかのように言う。
「凄いな」
まぁこんな可愛い子が五千円でエッチしてくれる。
なんて言われたらそりゃ食いつく人も多いよな。なにせ三万円で食いつく奴がいるぐらいだし……。
「でも、本当に五千円でいいの? 俺としてはありがたいけどさ」
「うん、特に問題ないから。それに――――」
二回も来ちゃったってことは、三回目もあるでしょ。そうイタズラ気に言う。
俺はそれに対して、
「…………」
なにも言えなかった。
「ふふっ、それじゃあね」
その声と共に扉は開き、一拍の間を置いて静かに閉まる。
閉まる扉の音を聞いて俺は体の力を全て脱力させた。枕に顔をうずめているせいで、視界は真っ暗だ。そのせいか意識がどんどんと遠くなる。エアコンの暖かい風を受けながら、どれくらい延長したんだろうとボヤつく頭で考える。
意識が暖かい風と同化していく最中、予感した。
また少女――白月に会いに行くんだろうなと。なぜならそれが俺の……なにかを変えてくれる存在だと思ったから。言い換えるなら、幸運の女神……四葉のクローバー……あげまん。最近、あげまん食べてないなぁ。
それにしてもお金が目的じゃないなら、どうしてこんなことを……。ささいな疑問は頭の隅へと流されていく。
あぁ、明日もまた良い日になればいいな。
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