第6話 彼は彼女の名前を知る (1)
「また、きたんだ」
先週と同じように、少女は大きな公園にある噴水の
「……言っておくけど、私は嘘なんてついてないから」
俺との距離はカラダ五つ分くらいだろうか。
「…………」
「なんなら一緒に警察へ行ってもいいよ」
動揺一つせず、アーモンド色の目をこちらに向ける。
賢い子だ。もし一緒に警察へ行けば間違いなく俺の方がダメージは大きい。色々と計算済みなのだろう――酔っていた俺に声を掛けたのもきっと。
「はぁ、黙っていられると怖いんだけど。警察に行かないなら、力ずくでどうにかする? 確かに私の方が力は弱いだろうし、どうにかできちゃうだろうね」
最後の方はからかうように言った。
――少女の言葉の裏には、
「…………」
「…………」
周囲の騒音は俺達の間には関係がなかった。
静かな空間――ロマンティックに言えば二人だけの世界ができあがっている。
俺は少女に向かって、右足を踏み込む。
「………っ」
すると少女は両足を地面にしっかりと付け、半立ちの状態へと変わる。そしてその体制のままスカートのポケットにしなやかな手を入れる。それを見て、俺は更に左足を踏み込み――――
――――感謝した。
「ありがとう!」
踏み込んだ勢いを利用して、体ごと頭を下げる。
「えっ……え」
少女は困惑に満ちた声を出している。
きっと鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしているんだろうな。えんこーをしているとはいえ、常識のある子みたいだし。まっそんなことよりだ。
「ありがとう!」
俺はもう一度、今度は顔を見ながら感謝した。
「ごめん、意味がわからないんだけど」
少女は整えられた眉に手を置きながら、苦い顔をしていた。
あ~大人びた子のこういう顔をはいいなっ! 心の中の幸せゲージが更に溜まっていくのを感じながら、口を開いた。
「君のおかげで今週の営業成績が抜群でさ! あんなに気持ちよく仕事が出来たのはここに来てから初めてだよ。だからありがとう」
「営業……? よくわからないけど、よかったね」
「あーわけわからないよね! 実はあのプロレスを受けた後、色々あってさ――」
「――待って。別に私はその話を聞きたいわけじゃ」
俺は少女の言葉を無視して、会社のことを話し始める。
また今週もプロレスをしてもらうために――――
◇
「プー太郎、調子良さそうね」
「ええっと、そうですか?」
月曜日の朝。
社内での朝礼が終わり、席に着こうとした所で、隣に座っているおばさん――
「見るからにね。なにかいいことでもあった?」
田貫さんの言葉が信じられなかった。もしかして嫌味で言っているのだろうか。
いや、ないな。田貫さんが嫌味を言うとしたら、もっとストレートに言ってくる。
「いえ……」
俺は苦い顔をしながら返答をする。そして自然と二日前の出来事を思い出してしまう。
おととい、
そこまではよかった。いや、社会的には良くないんだけど、目的を果たす、という点においては順調そのものだ。
だけどその後が酷いもんだった。ホテルに入り、昭和チックな部屋に驚きつつ、シャワーを浴びて――そして! ついに! ベッドイン! したところで、アレですよ。
一方的な蹂躙、プロレス技の博覧会、なんて形容すればいいかわからないが、あの出来事にハッピーな要素が一つでもあったとは思えない。
だって、もうお財布の中はカラカラなんですよ!? 三万円とそれにホテル代も払って、したことと言えば女子高生にプロレス技を掛けられたぐらいだ。
せめて俺もプロレス技をかけたかった! そうすればラッキーなハプニングの一つや二つぐらいは起こせたのに! あぁ、胸の感触ぐらいはあったかもしれないが、痛みのせいで全然覚えていない……。ちくしょう!
うぅ、思い出したらまた左腕が痛んできた気がする。だいたい一時間くらいはプロレス技を喰らい続けたはずだ。そのせいで終わったあともしばらく身動きが取れなかったからな……。
なーにが「じゃあね。延長はしておいたから安心して」だ。実際助かりましたけども! あのまま延長しないでいると、従業員が電話なり見に来たりするからな。
男一人、ラブホテルのベットの上で、まな板の鯉のように体をビクビクさせてる姿をですよ? 見ず知らずの従業員に見られたらと思うと……ひぇぇえええ。
想像した自分の姿があまりにも惨めすぎて、頭を抱え込む。
そしてその状態のまま田貫さんに全然、全然です……。と、か細い声で答えた。あんまりだ。
「何があったのか気になるわね。話しなさいよ」
「無理です」
とてもじゃないが話せない。援交しようとしたら、逆にハメられちゃいました! てへぺろ☆ なんて言ってみろ。
冗談で済んでも
だけど、やってない! 俺はそれでもやっていないのだ! 売春を求めた時点でアウト? そんなことは知るもんか。
にしてもなんで田貫さんには俺の調子が良さそうに見えたんだろう。俺は顔を上げて疑問を口にする。
「あの、俺のどこを見て調子が良さそうに思ったんですか?」
「顔よ」
田貫さんはそう断言した。
「今もコロコロ表情が変わってて……気づいてないの?」
「え、ええ」
そんな変な顔をしていたんだろうか。
聞こうと思って――やめた。ロクなことにならない気がする。
だが、そんな俺の判断は意図も容易く踏みにじられた。
「ニヤっとした顔でしょ、落ち込んだ顔に、怯えた顔、それと怒った顔、あと最後の方は青ざめた顔をしてたわね」
うげっ。まさか考え事をしてた時の感情が全て表情に出てたのか。
まぁでも仕方がないよな。それくらい衝撃的だったし、ダメージもでかかった。俺が心の中でため息を吐いていると、
「ほらまた」
田貫さんに突っ込まれてしまった。
この人いつもと変わらない不敵な顔をしているが、なんかこう怒ってるような気がする。さっきからジッと俺の顔を見てるし。勘弁してくれよ……。
俺は体を震わせながら口を開く。
「そ、そんなにですか。すみ――」
「――いいわね」
「えっ……と?」
田貫さんは口角を上げながらそう言った。
どういうことなの? もしかして褒められてる? でも、なんで?
頭の中がクエスチョンマークで埋め尽くされていると、
「いいって言ったのよ」
そう言葉を重ねた。
「何がいいんです?」
「表情がよ。喜怒哀楽が表面に出てきていいじゃない。
野呂松人形みたいな顔より、今のバカっぽい表情の方がよっぽど魅力的よ」
「ば、ばか……ちょっと酷くないっすか?」
「あら、酷くないわよ。事実だもの」
そう言うと、田貫さんは仕切りの奥に顔を引っ込めてしまった。
なんか納得がいかないけど、褒められたなら喜んでおくか。ひゃっほーい。
俺は席に着きながら適当に喜んでおいた。うむ。そして朝礼後の日課であるメールをチェックし始める。
数分ほど経った頃だろうか。
ベージュ色の仕切り越しから、田貫さんの声が聞こえてきた。
「プー太郎、新規営業ってもうやってるの」
「新規営業ですか、まだ……というかやってもいいんですかね」
取引先との通話やタイピング音が響く社内。
俺はメールに目を通しながら返事をする。
「既存の取引に影響がない限りね。アンタもここに来てもう三ヶ月は経つでしょ? やってみなさいよ」
「うーん」
顎に手を置き考えてみる。
新規営業――今までになかった可能性だ。田貫さんに言われて生まれた可能性。
「…………」
悪くない気がする。
既存の取引を改善していくより、よっぽど可能性があると思う。
鮫島さんから引き継いだ取引は正直今すぐどうにかできるようなものじゃない。鮫島さんが築いた信頼関係は強固だ。だからそれと同等の物を得るには、相応の時間をかけないといけない。
だが、新規なら相性さえかみ合えばすぐに上手くいく可能性がある。それに失敗した時のデメリットも少ない。
となれば……
よしっ! やってみるか!
俺は腹に決まったものをそのまま田貫さんへと吐き出す。
すると、
「今のアンタなら上手くいくわよ」
といつもと変わらない平坦な声で応援してくれた。
この人が言うなら成功は間違いないな。俺は気持ちがおもむくままに周辺の会社を調べ始め――
――ドンピシャだった。何もかもが上手くいったと言っても過言じゃない。
小さい会社から飲食店に、病院や学校と節操なしに電話やメールをし、アポを取っては会いにいく。そして会っては話し、店に足りないものを発見し商品を売っぱらう。
シンプルだが、俺にとってはとても有効な手だった。一週間で今月のノルマを達成してしまったぐらいに。まぁ、これは大口の取引が運良く成立したからってのはあるが。それでも今までの自分にとっては信じられないほどの成果だった。凄すぎすて申し訳ない。周りが「あの島流しが――」「たまたまだろ」という声もなんのその。
俺は今週、幸せに包まれながら仕事ができた! これも誰のおかげかって言うと――――
◇
「キミのおかげってわけ」
俺は話を終え、再び制服姿の少女に頭を下げる。
それと同時に噴水が夜空へと小さく打ち上がった。まるで俺を祝ってくれてるみたいだ。
「私のおかげかな……その田貫さんって人のおかげじゃない?」
少女の言葉に頷きながら、正確に言うと二人のおかげかな、と言い直した。
田貫さん、最初は苦手だったんだけどな。能力はあっても言葉は厳しいし、途中から俺のことを公然と島流しプー太郎って言うし。
だけど、あの人は他の人みたいに陰口は言わないんだよな。正直になんでも言ってくれる。だから支社の中では一番に信頼しているし、アドバイスも素直に受け取れた。改めて感謝しないとな。
そう思いながら、雲間から輝く星を眺める。気が緩んでいたのかポロッと言葉が出る。
「そういえば今週は反省会がなかったな」
「反省会?」
少女は腕を組みながら聞いてくる。
あっいけね。いらないこといった。
「あー気にしないでくれ」
いぶかしむ視線を受け流しつつ、適当に答えた。
週末恒例・係長との反省会――が今週もあるにはあったんだが、なんで呼ばれたのかがわからん。
営業成績が書かれているA4の用紙を見ながら、渋い顔で「うん……来週もこの調子で頼む」と一言いわれただけ。謎すぎる。怒られるでもなく、褒められるでもなく、なんの意味があったんだろう。
考えても仕方ないか! 面倒な説教があったわけでもなし。俺は自分の中で話を完結させ、少女に視線を向けると――
――いなくなっていた。
「ちょっ、どこに!」
焦って辺りを見回すと、いた。
平然と繁華街へ向かっている。長い黒髪を揺らしながら悠然と歩く姿は「なに? わたしわるいことしてないよ」と言わんばかりだ。
これは将来大物になるでぇって、マズイ。もう信号のところまでいっちゃってる。青に変わる前には声を掛けないと……!
「いそげ、いそげ」
自分にハッパをかけながら走る。人とぶつからないように走るせいで思うように速度が上がらない。
けれど、この感じなら――
――と思っていたところで、信号が青になる。
少女は周囲の大きな流れに合わせて動き出す。俺はそれを見て更に動きを早める。ふへぇ、最近運動してないせいで体が重い。
だけど、間に合った。あとは手を伸ばせばって、
はっ……! まさかこれを狙っているんじゃないのか。
今俺が少女の肩を叩いたら、かかったな! と言わんばかりの顔をしてあれをやる気だ。
☆必殺☆キャーコノヒトチカンデス☆彡
くそっ。都会の満員電車からおさらばして、もうそのシチュエーションには遭遇しないと思ったのに!
「……こんな所で立ち止まるなよ」
「あ、すみません」
俺が立ち止まっていたせいで、人とぶつかってしまった。
ああっ、こんなバカなこと考えてるうちにもう信号を渡り切りそう……!
そうだ! 名前を呼べば! って、あの子の名前知らねえや。
名前、名前……なにかないか……そうだ。
俺は顔を上げ、声を出す。
「メロンパン! アップルパイ!」
少女の肩がぴくりと揺れる。
――少女だけでなく周囲もなんだこいつという目線をぶつけてくるわけだが。俺はそれらを気にせずもう一度メロンパン、アップルパイと叫ぶ。
前回少女が冗談で言った名前。しかし、効果はあるようだ。歩く速度は遅くなっている。
だが、止まらない。止まってくれない。くぅ、もしかしてヤバイ人と関わったなんて思っているのか。
ならば、と死なば諸共の気持ちを込めて叫んだ。
「えっんこーーーーしょう、いだっ」
結局また元の場所に戻ってきた。戻ってこれたというべきか。
俺は満足気に星空を眺めていると、
「バカじゃないの?」
猫のような目をした少女が心底冷たい
女子高生に言われるとやっぱりダメージが……いやいや、この程度で怯んではいられない。俺は大の大人として、堂々と胸を張り少女と向き合った。
「バカです」
「はぁ……」
頭を抑えながら、少女は疲れたかのようにため息を吐く。
なにそれっ! 俺だって走らされて疲れてるんだよ! という逆ギレは流石に辞めた。プロレスしてもらわないといけないし。
「で、なんでお兄さんは私を呼び止めたの? もう用は済んだでしょ」
少女の声にはいつの間にか媚びるような音色は消えていた。
その代わりにどうでもいい親戚のおっさんを呼ぶような声が聞こえる。……そんな声でも、少女の声は魅力に溢れ返っている。親戚のおっさんになりたい。そうすればお金を払わずにタダで、ってそれもそれでヤバイな。俺は短い髪を掻いたあと、単刀直入に呼び止めた理由を言う。
「また夜のプロレスをしてもらいたい」
「……正気?」
「正気も正気だよ!」
……自信はないけど。だってねぇ、最初にあのプロレス技をくらった時は恨んでいたぐらいだし。
でも、仕事がああまで上手くいけば考えだって変わるさ。
プロレス最高! 女子高生最高! 愛の無い性行為なんて最低だ! といつかのように調子こいていると、
「まぁ、いいけど」
意外なことにあっさりと承諾してくれた。
「本当?」
「本当だよ。……リピーターなんて初めて」
少女は呆れた様に両手のひらを肩まで上げる。
意外だな。リピーターはいないのか。そういう趣味の人がいてもおかしくないのに。
ああ、でもエッチ系を望んでいたのに
「する前に条件が一つあるんだけど」
「言ってみて」
少女は人差し指を立てながらそう言った。
なんだろう。金額の釣り上げとかか。一万円ぐらいなら対処できるぞ……!
俺はジャケット越しにエネルギーっぽいなにかをまとわせて、相手を威嚇する。
「来週お兄さんの営業成績が良くなくても、文句を言わないこと」
ほっ。全然関係なかった。
「もちろん言わなさいさ。またプロレスして欲しいのは願掛けみたいなものだから。ほら、あれだよ。調子が良い時にしたことってまたしたくなるでしょ?」
俺は得意気な顔で少女に言う。
ふふん、これは共感しちゃうんじゃない。
「願掛けがプロレス……」
そう呟きながら、ドン引きしてた。これガチなやつだ。……人ってこんな顔できるんだな。
俺が頬をヒクつかせていると「……じゃあ、着替えてくるね」といいバックを持ったまま、公衆トイレのある方へ歩いていった。
後味悪っ。えっ、こんな雰囲気のままホテル行くのか。憂鬱になりかけていると、少女がこちらを振り返る。
「
「えっ?」
「名前。またさっきみたいに、えん……とか言われたら困るから」
そうクールに言い去り、背を向き歩き始める。
街灯のせいだろうか――少女、白月の頬が赤く見えたのは。
にしても、白月って珍しいな。源氏名ってやつ?
俺は空に浮かぶ三日月を眺めながら、とても失礼なことを考えていた。
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