第5話 彼と彼女のラブホテル

「どうするよ、俺」


 繁華街と新幹線口を結ぶ、大きな噴水広場にあの少女はいた。噴水のふちに一人で座っている。

 格好は前回と同じ制服だった。足の長さに反して短いスカート、それを補うように履いている長いソックス。上半身は白いシャツに髪の色と同じチョコレートブラウンのセーターを着ているだけだ。やっぱりいつ見ても寒そうに見える。というより実際に寒いだろうな。


「さて」


 どうしたものか。つい焦って木の陰に隠れたはいいんだけど、このままって訳にはいかない。

 声を掛けるか、素通りして居酒屋に行くか。どちらかの判断をしないと。考え込もうとして――やめた。チャンスは何時までもある訳じゃない。もしかしらこの瞬間、少女に声を掛ける不埒な奴どうぞくがいるかもしれないからな。

 俺は急いで財布から三万円を取り出す。そして、木々の間から抜け出してあの子の元へ向かった。




「あ、あの!」


 俺は少女に若干離れた距離から声を掛けた。


「ん」


 声に気付いてくれたらしい。小首を傾げながら、少女はこちらを見た。

 やっぱり真正面から見ると改めてこの子の美少女っぷりがわかる。とても綺麗で、可愛い。もしクラスメイトにいたのなら即告白するレベルだ。

 

 だからこそ、どうしてこんな事をしているのか疑問に感じていると、

 

「……先週の」


 少女は周囲の音に反して、静かに呟いた後、あの後は大丈夫だった? と聞いてきた。


「う、うん! なんとかね」


 緊張で言葉が絡まる。

 くぇー、良かった。最悪忘れられている可能性も考えていたんだけど。

 ってこの後が大事だ。俺は高鳴る心臓――背徳的な興奮と彼女への捨てきれない気持ちに身をよじらせながら、口を開いた。


「その、今日は……」


 言葉が震えていた。言葉だけでなく、三万円を握り締めた右手も震えていた。


「したくて……」


 言葉が詰まる。

 早く落ち着いてくれ! 心の中で叫びながら、自分の冷静さを取り戻す為に思い出を振り返る。俺がこんなに緊張をするのはいつぶりだろう。きっと学生時代まで遡らないといけない。

 彼女に告白された時? 友達と夢の国に深夜まで居座ろうとした時? それとも。俺が頭を必死に働かせていると、少女はそれを嘲笑うようにゆっくりと立ち上がり、


「ふぅん。お兄さん、高校生としたいんだ」


 罵るような口調で言った。視線は俺の顔ではなく、右手を見ている。震えている右手を馬鹿にするような視線で見ていた。

 そこから少しの間、沈黙が起こった。周囲はハロウィンの話題で盛り上がっているのに、俺達の間だけは無音で構成されている。

 頭の中が白くなっていき、本当にこれでよかったのかと思い始めた所で、


「あの、それで」


 俺は耐え切れず言葉を出してしまう。意味のない言葉。俺と少女の間でしか理解ができないそんな言葉。今の俺にはそれが限界だった。少女はそれに対してなんでもないかのように、


「いいよ」


 と言った。そしてちょっと待ってて、と言いトートバッグを持って何処かへ行ってしまう。

 少女が目の前から立ち去った瞬間、全身から汗が吹き出し、体中の力が抜ける。

 ああ、今日の夜空は星がハッキリと見える……


「それと」


 俺が気を抜いていると、少女は公衆トイレと噴水の間で立ち止まった。

 そして長い髪を首元でしならせながら、呆れた顔でこう言う。


「とりあえずその三万円しまったほうがいいよ。怪しまれるから」

 


 

「あと、どれくらい?」 


「五分ぐらいかな」


 制服の上に紺のPコートを羽織り、下に黒いパンツを履いた少女は淡々と答えた。噴水広場からもう歩いて五分ぐらいになるだろうか。その間、一定の距離をたもちながら黙々と繁華街の一角を歩いていた。今の会話とも言えないものが少女との初めての会話になる。緊張で記憶が飛んでいない限り。


 俺は深呼吸をした後、もう一度前を歩く少女に話しかけた。

 だって話していないと緊張でどうにかなりそうだから。


「あーえっと、何て言えばいいかな。名前教えてくれる?」


 バカが! 自分の考えなしの言葉に頭が痛くなった。


「……言えると思う? どうしても呼びたいならメロンパンとかアップルパイとか何でもいいよ」

 

 当然と言えば当然の答えが返ってきた。

 少女の言葉にはこいつバカだな、というニュアンスが多分に含まれている。今の俺にそれを否定する術はない。間違いなくバカです。

 

「あ、なんなら好きな人の名前でもいいよ」

「あはは……そういう人はいないから」


 彼女の顔が俺の脳内に一瞬現れる――笑顔が絶えない奴だった。

 それを振り払うように、話題を変える。


「そういえば前見た時は茶髪だったと思うんだけど、地毛に戻したの?」


 俺は少女を見た時から感じていた違和感を口にした。

 前見た時は暗めとはいえ茶髪だったはずだ。だけど、今はどう見ても黒髪にしか見えない。どちらも似合っているし、特に問題はないんだけど。


「よく、気付いたね」


 驚いたような声を出した後、少女はこちらをちらりと見た。


「でも地毛に戻したわけじゃないよ。そういうヘアーカラーなんだ。

 明るい場所では黒髪に見えて、暗い場所では茶髪に見えるの」


 もっと明るい茶色が良かったんだけどね、と背を向けながら言った。

 

「そうなんだ! 俺の学生時代にはそんなの売ってたかな?」

「多分売ってたんじゃないかな。女性用として」


「そっか。言い方からするに今は男性用も売ってたり?」

「うん。確かね」


「へぇ、結局俺は髪を染めなかったからな。ちょっと羨ましい」

 

 少女は腰の近くまである長い黒髪を揺らしながら、賑やかな繁華街を歩く。

 俺もそれに遅れないよう足を動かしていると、少女は方向を変え細い路地へ入っていく。

 

「もう少し?」


 尋ねた後、俺は自分でそうに違いないと思った。

 路地に入った途端、明らかに雰囲気が変わった。今までのガヤガヤとした人の賑わいはなくなり、静かでアダルティーな雰囲気が漂っている。

 というか左右や前方にある店がひっそりとしたバーやピンク系のばかりになっている。


「そうだね」


 少女は周りの雰囲気にあった声で短く答え、会話が終わった。

 俺が話しかけようかどうしようか迷っていると、


「話が好きなお兄さんに質問、あるんだけど」


 ふてぶてしさを感じる声でそう聞いてきた。

 俺は迷わずにいいよと答えを返した。バカにされようがとにかく話していたい。


「お兄さん、ここ出身じゃないでしょ」

「よくわかったね。そうだよ」


 イントネーションとかでわかったのだろうか。この辺はそんなに訛りがないように聞こえるけど。


「だってここ出身の人はこの道避けたがるから」


「そうなんだ。……って、もしかしてここって訳あり?」


 若干身が凍えるのを感じながら、恐る恐る尋ねる。

 すると少女は、歩きながら首を横に振った。


「ちょっと危ないってだけ。でもこういう場所の方がバレにくいから」

「あっはは、そうなんだ。ちょっとか」


 ちょっとってどれくらいだよ。

 そしてなにが危ないんだ、俺がここの危険性について聞こうとした所で、


「学生には見えないし、出張とかで来たの」


 少女はこちらを見て、どうでも良さそうに聞いてきた。魅力的だ――これが係長の仕草や言葉なら間違いなくイラッとしている。

 だけど、なぜだろう。この少女のふてぶてしい態度は心をくすぐる。


「あー、まぁ出張というかなんというか、東京から来たんだ」


 俺は心に感じている衝動とは裏腹に、適当な言葉を口に出す。


「そうなんだ。左遷って奴?」


 グサリ。

 俺の胸に鋭い物が刺さったような気分だ。

 違う、左遷じゃない。左遷じゃなくて転勤だから。自分に言い聞かせながら、渇いた舌で言葉を返した。


「その、なんだ。左遷じゃなくて転勤って奴だよ。運が悪くてさ、ここに三ヶ月前から来たんだ」


「運、ね」

 

 少女はそこで言葉を切った後に続けて、


「旅行以外で東京からここに来るなんて早々ないから、なにかよくないことでもしたのかと思っちゃった」

「まさか! あと全然、全然気にしなくていいから」


 口とは裏腹に俺の気分は悪くなっていた。

 悪意がないとはいえ、ここまでストレートに聞かれると流石に痛みを感じる。しかも年下の女の子にだからな。俺はたれてきそうな汗を袖で拭う。


「着いたよ」


 そうこうしている内に着いてしまったみたいだ。ラブホテルに。

 外観は至って……普通じゃない。なにこのシン○レラ城。いや、あんなに大きくない、というかむしろホテルとしては小さい部類だ。

 けど、お城オーラが半端ない。屋根は先端が尖ってるし、白い外観の建物が青白い光で照らされていて、いやに綺麗だ。クリスマスの時のデートスポットかよ! ……デートスポットか。


「ここ……入るの?」


 俺は唖然としながら、前にいる少女に問いかける。

 色々と目立ちませんかね。大丈夫なんだろうか。


「やっぱり驚くよね。私も最初は驚いたけど、中は多分普通……だと思うから」

「そう……」


 珍しく自信なさげな声で言う少女に俺は言葉が少なくなる。ここに入るのかー……そういえば高速道路を走っている時よくこんなホテルを見たな。その時はこんな所だれが行くんだよ、ってげらげら笑ってたけどまさか俺が入るとはなー。

 

 友よ、我が蛮行を許したまえ。両親よ、無邪気な頃の私の質問を許したまえ。


 心の中で懺悔をしていると、白い羽を携えた少女が「早く入ろ。ここで立っている方が目立つから」と言った。

 ああ、今天使に導かれようとしている。ならば、と俺は純真を持って可愛らしく「うん!」と返事をする。少女からのリアクションはなかった。無情。


「…………」


 俺は装飾が凝っていて無駄に仰々しいラブホテルの門の前で、足が止まる。

 ――――彼女の顔が思い浮かんでしまったから。


『ごめんなさい。今のあなたとは付き合えません。』


 スマホを取り出し、今だに消せない一通のメールを見る。

 彼女からの最後のメールだ。飾り気のない文章。普段ならこれでもかというくらいに絵文字や顔文字を使う彼女のメール。そんな彼女が最後の最後に送ったシンプルなメール。それを見た時、俺は彼女の知らない側面を別れて初めて知った気がする。いつか感じた胸の痛みが、揺れては返す潮騒しおさいのように思い出された。

 今のあなたとは、か。やっぱり田舎に左遷を喰らうような彼氏は嫌ってことだろうな。


 俺は目を細めながら、スプレーで固めた髪を掻く。

 柑橘系のような甘酸っぱい匂いを感じさせる風が俺の鼻を刺激してくる。

 

 いつまで経っても来ないから不審に思ったのだろう。門を通り抜けた少女が俺に声を掛けてきた。

 俺は“元”彼女のメールを消去した後、絢爛けんらんな門を通り抜け、少女の所までゆっくりと夜空を見上げながら歩いた。




「なるほどね」


 俺は部屋に向かうエレベーターの中で、納得した。

 どうしてわざわざこんなに目立つホテルを選んだのかを。


「ここぐらいなんだよね、顔を合わせずにホテルに入れるの」


 ネットで調べた限り、と少女は付け足した。

 機械での自動チェックインに、部屋での自動精算。そりゃえんこー少女としてはここを選ばない手はないか。

 俺としても捕まるリスクが減るのはありがたい。……にしても狭いエレベーターなのに、距離を開けすぎじゃないですかね。


「なに?」


 俺がじっと見ていたせいか、少女は振り向いて尋ねてきた。

 なんでも、と首を振り返事をする。

 警戒する気持ちはわかるんだけど、これから俺達エッチ――もといワンナイトラブするわけだからもう少しなぁ。

 

 はっ……!


 もしかしてこれはフリなんじゃないか。

 お客から触らせて、そのまま流れるままにベッドイン的な!

 考えてみるとさっきから少女は誘うように、小ぶりなおしりを軽く揺らしているような気がする。


 ごくり。

 

 おいおい、これはどうするべきだ。

 行くか……? でも、ちょっと怖い。フリとかじゃなかったら全部台無しだし。自分から中高生に手を出すのもなんか、ヤバくない? と、考えている内に目的の階に着いてしまった。


「部屋は……目の前のやつだね。いこっか」

「……ああ」


 これで、これで良かったんだと言い聞かせながら、俺は少女に続きエレベーターを降りる――




 ――部屋もホテルの外観と同様に普通じゃない。普通じゃないよ! こんなの!

 俺は明かりによって照らされている部屋を見回す。そして思った、なんか置いてある物が古臭い!

 大きな円形のベッドに、暫く使われていなさそうなミラーボール、それに……ぱかぱかお馬さん。昭和を感じさせる物品の数々。

 でも、決して嫌な雰囲気を感じさせなかった。部屋は広々としていて、小奇麗さを感じさせる。きっと何度か改装しているんだろう。俺が部屋をきょろきょろ観察していると、


「先にシャワー浴びる?」


 手に持っていたトートバッグを荷物置き場に置いた少女が、声を掛けてきた。


「あっと、じゃあ先に入らせもらおうかな」


 首に手を置きながら返事をする。

 うぉおおおおおお、いよいよか。俺は心の興奮を隠しながら、浴室のある洗面所へ行く。

 もしかして俺がシャワーを浴びている最中に入ってきちゃったり? と妄想しながら、服を脱ぎ、体を洗い、何事もなく終わった。




「ぬぅうう」


 悩ましい音が部屋に響く。

 どうしてこうもシャワーの音というのはいやらしいのか。ベッドに浅く座りながら、水の跳ねる音に悶々としていた。どうしよう……じっと待つのって苦手だな。

 

 手慰みにアダルト――テレビでも見るか。

 ……EDになってないか確かめないといけないしな! うん! 

 自分を納得させながら、近くにあったリモコンを取ろうとして気付いた。


「万年筆……?」


 リモコンの近くに黒くてゴツイ万年筆が落ちていた。なんでこんな所に、疑問を感じながらキャップを外してみる。うーん、見た限り何の特徴もない。強いて言えば少し重いぐらいだ。誰のだろう。俺の、ってワケでもないし。


「まっいいか」


 万年筆を再びベッドに放り投げ、テレビを起動させる。

 すると、映し出された映像はちょうど今実行できるシチュエーションで、それを見た俺は――

 



 ☆




『やっと来たんだ。のぼせちゃうかと思った』

『ん、早くしよ。時間もそんなにないんだし』


『……綺麗? ありがと。スタイルには自信あるから』

『胸は普通ぐらいって、まぁそうかな。不満?』


『そっか。それよりゴムは付けてるよね。……大人として当然、ね』

『真っ当な大人は未成年に手を出したりしないと思うけど』


『んっ、ふふっ怒った? そうだよね。自分よりずっと年下にこんなこと言われたら怒るよね』

『……いいよ、その気持ち私にぶつけても。って、がっつきすぎ』


『なんて。やめなくていいよ。今だけは好きにしていいから――』




 ☆




「――なに見てるの」


「ふぉぅ!?」


 俺はカエルのようにベッドを飛び跳ねた。

 そして咄嗟に液晶テレビの電源を消し、声のする方へ振り向く。

 するとそこには冷たい眼差しを向ける(髪が)濡れ濡れな少女がいた。


「いや、ちょっとその暇つぶしでさ!」


 嘘は言っていない。


「そっ。まぁいいけど」


 冷たく言葉を放ち、少女は洗面所に再び戻った。

 音を聞く限り髪を乾かしているみたいだ。ってあれ、何か今違和感があったな。

 

 うーん、と頭を捻っている内に「おまたせ」と言って、少女が戻ってきた。

 ああ、なるほど。違和感の理由はこれか。


「どうしてまた制服?」


 疑問をそのまま口にした。

 てっきり俺と同じように白いバスローブを着るものかと思ってたのに。

 

「こっちの方が嬉しいでしょ」


 さも当然かのように言う。

 俺はその言葉に同意するかのように、少女を見つめてしまった。

 スラッとした足をより魅力的に見せるスカート。水分によって肌に張り付く白いシャツは確かに魅力的だった。しかもちょっと透けてる……。ライムグリーン、さわやかでいいですね、わざとなんだろうか。

 いやそんなことより、この子のバスローブ姿も捨て難い。少女らしい可愛らしさと垢抜けた雰囲気を持っているこの子のことだ。きっと似合う! 見てみたい!

 妄想が頭で渦巻く中、俺が何も言わないのを否定と捉えたのだろう。


「……服、着替えてこようか」

「あ、そのままでお願いします」

 

 少女の提案を即座に断った。

 当然だ。なぜならこの先、制服を着た子とする機会があるだろうか? 

 否! まずありえない。なら制服でよろしくお願いしますって言うのが普通なんだよ!


 それに。

 犯罪を犯しているという背徳感と罪悪感を強めて、それだけに集中して、興奮したい。

 別の事は考えたくなかった。


「なら、しよっか」


 彼女は首を小さく傾けながら、軽く言う。放課後に寄り道してこうよ、というぐらいにフランクな言葉。慣れているんだろうな。初めてじゃないのは少し残念だけど、ここは大人として落ち着いた対応をしよう。


「よろしく頼むよ。電気は暗くする?」


 いつもと変わらない平静な声で尋ねる。


「……そうだね。少しだけお願い」


 その言葉を聞き、俺はベッドから一度立ち上がる。

 そして明るさのボリュームを絞って暗くする。顔を見ながらしたいし、ちょっと明るめにしてっと。


「これぐらいでいいかな」

「ん、いい感じ」


 そう答えた少女がベットに近付くのを見て、一度止めた。


「なに? 怖気付いたの」

「いやいや、まさか」


 俺は否定しつつ、ベッドに近付いた。

 少女の近くを通った時シャンプーの良い香りが鼻をくすぐる。匂いにつられて、このまま襲ってしまおうかという考えが一瞬頭を通り過ぎた。けれど、強引な事はしたくないと思い、本来の目的を果たした。


「さっきベッドの上に万年筆が落ちててさ。そのまんまは危ないよね」


 手に持ったペンを見せながら、少女に説明する。

 少女はペンを見て、何かを確かめるようにスカートのポケット部分を何度も触っている。


「あれ」

 

 声に落ち着きがない。 

 焦っているように見えるけれど、これってこの子のか。


「君の?」


 俺はペンを差し出しながら聞いた。

 

「……そうみたい。ありがとう」


 少女は視線を下に向けながら、ペンを受け取った。落ち込んでるなぁ。もしかして大事な物だったんだろうか。ってじゃないと中高生が万年筆なんて持ち歩かないか。俺は苦笑いをしながら大丈夫? と聞く。

 すると、落ち着いた声で大丈夫と返した。切り替えが早い子だな。見習いたいもんだ。


 感心していると、沈黙が起こった。

 薄暗い雰囲気も相まっていよいよおっぱじまるかって感じだ。

 

 心臓の鼓動が早くなる。

 少女の整った顔、抱きしめたら壊れてしまいそうな体を見るたび、それはどんどんと加速していく。

 何かを変えてくれるような――終わらせてくれるような――激しい鼓動。



 短い沈黙を打ち破ったのは彼女だった。


「変な雰囲気になっちゃったね」


「…………」


「……先にベッドに寝そべってくれる?」


 俺は何も言わずスプリングの効いたベッドに身を沈める。

 いよいよだ。いよいよですわよ。緊張のあまり髭の濃いオカマキャラが頭に思い浮かぶ。誰だおまえ。出てけ! 

 

 俺はカマを頭から振り払い、端麗な顔をしたあの子の方へと振り向こうとし――止められた。


「そのままでいて」

  

 吐息が耳にあたる。

 そして気付く。少女がもう間近にいることに。俺の耳元には少女の唇が、肩には少女の両手、そして足の付け根を挟み込むかのように少女の両足が密着していた。


「で、でも」


 俺は思わず振り返ろうとする。

 だが、


「いいから、ね。気持ちよくしてあげるから」

 

 止められた。言葉と、手によって。

 撫でるような手つきで、頬の辺りを触れ、止められてしまった。


 さらっとした手だ。

 触れたら溶けてしまいそうな――新雪しんせつのような――冷たく心地のよい手付き。


「わかった。わかった」


 俺は興奮していた。

 今の言葉だって自分に言い聞かせていたようなものだ。早く無茶苦茶にしたいという欲望を抑えるための――


「あっふぇええええ!?」


 ――突如左腕に強い痛みが走る。

 それは中村なかむら 信太郎しんたろうが哲学者になろうとしていた瞬間の出来事だった。


「ちょっ……ちょっと!」


 俺は必死に声を出す。

 なんだこの状況! なんで俺は腕を締め付けられるてるの!

 これからエッチするんじゃ、それともこれは前菜的な何かですか!?


 汗がぶわっと吹き出てくる。

 焦りに焦っている自分。その様子を見て、嘲笑うかのように少女は言った。


「私ね、正直者なんだ。嘘も嫌いだし」


 だからね、と言葉を続け、


「こうやって……!」

「あっだだだだだだっ」


 腕を更に強く、雑巾を絞るかのようにねじ曲げる。

 少女は腕と声に力を込めながら喋る。


「最初に言ったよね。“私とプロレスしない?”って」


「言った……いったけどもぉおお」


 ドナドナの歌が頭に流れてくる。


「ふふっ、期待しちゃったんだ。女子高生とエッチできるかもって」

「それは……」


 その通りだ。

 仕方ないじゃん! だって男の子だもん! 色々と忘れたいんだもん! 頭の中でダダをこねる。我ながらキモかったが、それぐらいイタイ。逃避しないと痛みでどうにかなるんだよッこの野郎!

 目に涙を浮かべるか浮かべないかの瀬戸際に立たされていると、

 

「安心して」


 少女が口を開いた。

 何が安心できるんだよぉ。もうお家帰りたい。


「骨折はしないから。……多分」

「たぶんっ多分ってどういう意味だ――ぁァアアイ!」


 俺は最後の力を振り絞り後ろを向く。

 目に映ったのは垢抜けたこの子には似つかわしい、星型のペンダントとライムグリーンのブラ紐だった――――


 

  

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