第14話 彼の営業、彼女の文化祭

 校長室。学校というお馴染みの場所において、そこだけは特別な空間だ。

 

 他にも男子からみた女子更衣室、女子からみた男子更衣室もまた特別な空間かもしれない。覗きたかった、近づきたかった、あの頃のプレシャスルーム! とは対照的に見たくない、近づきたくないのが校長室だ。まるで投げ捨てられた父親の下着みたい。


 どうしてこんなにも校長室に抵抗感があるんだろう。

 この高そうな雰囲気がダメなんだろうか。それとも偉い人には楯突かないという精神が高校生の頃には芽生えていたのか。もしくは校長室にそう入る機会がなくて単純に慣れていないからか。

 

 なんにせよ俺にとって校長室は苦手な場所だ。

 だけど、なんかこうハッキリとした理由があった気がするんだよな。こんなにモヤっとした理由じゃなかった気がする。でも、不良とかじゃなかったし、呼び出しをくらう機会なんて……。 



 校長室にある偉いオジサンたちの写真を眺めても理由が思い出せない。

 この役立たず! と頭の中で逆ギレをしていると、


「うーん、迷うな。すまないね、中村なかむらくん。待たせしてしまって」


 額縁の写真には載っていない、柔和にゅうわなオジサンが話しかけてきた。

 ニコニコとしていて人当たりの良い人だ。だからこそ、今の取引の状況はよくないと判断できる。ここは一度雑談でもして、場を仕切り直そう。


「お気になさらないで下さい、大谷おおたにさん。自分は自分で楽しんでいますので」


「楽しむ?」


 大谷さんは不思議そうに口を開いたあと、パンフレットを閉じた。

 その様子を見て俺は首を縦に振る。


「私も生徒から学生、そして社会人になってそれなりの月日が経ちました。それでも校長室というのは特別な存在ですよ。しかも校長室で、校長先生との取引! これでなにも感じない人はいません」


 正直に言うと楽しいより、恐怖心が若干上回っているわけだが。

 なんかこう校長室と警察って類似関係にある気がするんだよな。

 今の俺に警察はNGだ。


「そうか、なるほどね。今はスーツを着た立派な社会人でも、昔は学生服に身を包んで、青春を謳歌していたわけだ」


 校長先生は俺に向かって微笑みながら、ゆっくりと語りかけた。

 そして言葉を出し切ったあとは静かに温かいお茶を飲む。俺もそれに習って湯のみに口をつけた。


 そして互いに湯のみから口を離したところで、


「にしても驚いただろう。校長という立場の人間がこうやって備品の買い入れ交渉までしてて」


「それはもちろん! 事務員さんとの話し合いかと予想していましたから」


 まさかイチ営業マンとの話し合いで、校長先生が出てくるなんて予想だにしていなかった。学校での交渉自体が初めてだけど、これが相当に珍しい状況なのは理解できる。


「ここ――高ノ森花たかのもりはな高校は事務員の数を可能な限り削っていてね」


 それで私もこういったことをやっているわけだ、と口にした。

 話の雰囲気から察するに、こういう交渉事が嫌いというわけではなさそうだ。


「ですが、その削った分のお金を教員の充足に使っていらっしゃるとか。経済誌で読んだことがあります」



 独自の経営方法――ということで、この学校は何度も特集されていた。

 赤字で閉校間近だったここを再建する為の数々の手法。その一つが事務員を削り、教師を増やすという方法だ。ここの教師は質も高く、数も多いことで有名だ。それと年収も高めらしい。

 だけど、そのかわりに事務員がやるような仕事もするという。労せず報酬は得られないというわけだ。

 それでもここの学校に勤めたいという教員は絶えないらしい。報酬以外にも、教師としての環境がモノを言っているらしい。生徒が真面目とか、カリキュラムを比較的自由に作成できるとか、そういう理由。この辺はあまり読みこんでいないから覚えていないが。


 そんな高ノ森花高校は生徒たちにも人気なようで、年々受験者数や偏差値が上がっている。

 生徒に人気な理由は制服とイベント行事の多さだったからかな。あとは親がここに行けと言っているんだろう。進学実績とか見て。それに都市部と違って、周りに高校があまりないから選択肢がない。というのは野暮なツッコミか。


 いま目の前にいる柔らかい雰囲気をまとった校長先生も少し風変わりな経歴をしていた。教師一筋ではなく、経営者として活動していた時期がある。今もやっているんだったかな。

 校長、という肩書きではあるが、きっと学校の経営にも関わっているのは間違いない。


 さて、そんなシステマチック――慣習が少ない高校だからこそ、商品を売り込めると思ったわけだが……



「よく勉強をしているね。中村くん、花丸をあげよう」


「わーい! やったぁーー! って、これじゃあ幼稚園生ですよ」

「ははは、そうだね。すまない」


 互いに笑い合う。

 この校長先生はユーモアまであるのか。

 自分のとこの校長先生もこれぐらい気持ちのよい人間だったらな。なんか怖いイメージがある。


「パンフレットをもう一度見させてもらっていいかな?」


 校長先生の笑いの残った声に「どうぞ」と答える。

 これで雑談は終わりだ。そしておそらくこのまま交渉を進めると俺の“失敗”で終わる。


「この君が勧めてくれたパソコンは、当校が求めている性能の水準に達している、というのは間違いないね」


「はい、それはもちろん。最新型のハイスペックマシンですので。それに予算の範囲内にも収まっています」


 ギリギリ、という言葉は心の中にしまう。

 そう、かなり予算ギリギリまでの金額を使わせるのだ。これがマズイ。

 ここの学校は削れるところはドンドン削ろうという学校だ。そんな考えの学校にこの商品が売れるとは思えない。



 正直、俺はこれを売りたい。

 理由としは俺に対してのキックバック、恩恵がデカイ。いま俺がプッシュしている商品は自社の子会社が作った商品だ。そういった商品は、他の自社とは関係のない商品を売るより、営業成績に大きく加味される。ボーナスもウハウハだ。

 けれど、そんなウハウなハ商品も売れないのなら仕方がない。

 そう、多分売れないのだ。こうやって交渉の雰囲気が良い時こそ上手くいかないことが多い。相手がやり手で、優しい人間という言葉がくっつくと尚更だ。


 “成功”を得るためには、ここで手を打つしかない。

 いま押している商品を断られてからじゃ遅いんだ。否定の気持ちというのは簡単に断ち切れない。否定される前に押すべき商品を変えていこう。


 俺は自分の経験を信じて、もう一枚のパンフレットを取り出す。

 自社とは関わりのない企業の商品一覧だ。利益率が低くて、旨みのない商品。

 わざわざ別にするなんて大人って汚いわっ!


「もう一つお勧めしたい商品があるんですが、よろしいですか?」


「構わないよ。どのページに載っているんだい」

「こちらのパンフレットに載っている商品なんです。性能は落ちますが、金額は――」




「いい取引だったよ。ありがとう」


 校長先生の差し伸べた手を握り、頭を下げる。


「こちらこそ、貴重なお時間を割いていただきありがとうございます」


 良い取引だった。額は小さくなったが、それでも大口取引なのは間違いない。

 最近の俺は運が良い。これも白月様様かなと考えていたら、


「君は優秀な営業マンのようだ」


 校長先生に褒められてしまった。

 やだ、なんかちょっと緊張する。


「いえいえ、そんなことは……。ああ、でも校長先生の前ですからね! 頑張りましたよ!」


「ふふっ、中村くんは面白いな」


 そう笑みを浮かべたあと、校長先生はソファーから立ち上がる。


「実を言うと、君が最初に勧めてくれた商品は昔にも勧められたことがあってね」


「……もしかしなくても、弊社の営業ですか?」


 俺の言葉に校長先生は静かに頷く。

 うわ、やっちまった。社内での交流の少なさが響いたか。


「一度断った話だからね。まさかまた同じ商品を勧めてくるとは思っていなかったよ」

 

 でも、といい言葉を続けた。


「断ろうとしたタイミングで別の商品を勧めてくるとは……つい感心してしまった。全部君の計算の内かな?」


 不敵な笑みを浮かべながら校長先生は俺を見てくる。


「ははは、まさか」


 俺は平静を装いながら答える。はたから見たらドラマのワンシーン。

 けれど実際は勘違いをしているオッサンが二人いるだけだ。なにこのお互いに恥ずかしい状況は! ま、まぁ上手くまとまったんだし、よしとしよう。


 とりあえずこの流れを変えるとするか。

 自分の精神を守るため、話を変えるもとい進める。


「では、次回の話し合いの際に最終の契約書を持って参ります。それで、次はいつ頃がよろしいでしょうか?」


 俺はカバンに入っている手帳を取り出して尋ねる。


「そうだね……申し訳ないんだけど、来週の土曜日って可能かい?」


 土曜日!? 

 という内心のリアクションは隠して「大丈夫ですよ!」と答えた。

 顧客の都合に合わせなくてはいけないのが、サラリーマンのつらいところ。


「なら来週の土曜日によろしく頼むよ。それと、話し合いの前か後でも文化祭を見ていってくれると嬉しいな」


「そうですよね、来週の土曜日って文化祭がありますもんね。あの、でも大丈夫なんですか」


 そんな大事な日に話し合いを設けて、と口にする。


「近い日取りで見るとその日ぐらいしか学校にいなくてね。実はこの日に交渉事を集中しておこなうつもりなんだ。……校長という仕事は思った以上に外での活動が多い」


 校長先生は苦い顔をしながら頭を掻いた。

 

「おっと、愚痴を吐いてしまったね。すまない」


「いえ、心中を察し申し上げます」


 重くなった空気を打ち払うために元気よく、


「わかりました! 可能であれば文化祭の方を覗かせていただきますね」


 そう言うと微笑みながら「頼むよ」と口にした。

 俺はそれを見てソファーから立ち上がり、ビジネスバッグを手にした。

 

 そこで俺は思い出した。校長室に対するこの恐怖感の理由を。


「あ、そういえば一つ校長室にまつわる思い出話があるんですよ」


「どういう話だい、気になるな。聞かせてくれ」

 

 校長のリアクションに気をよくしながら、口を開く。


「あれは自分が高校生の頃、夢の国に営業終了後まで居座った時の話で――」




 


 階段を二つ下り、ゴム床で作られた廊下を歩く。ここの床は踏み心地がいい。

 にしてもついつい話がはずんじゃったな。迷惑に感じていなければいいんだけど。


「……」

  

 腕時計を見る。もう昼休みも半分ほど過ぎた時間だ。

 

 昼休みが始まる前には交渉も終わり、軽く雑談をして帰ろうとしたが――その雑談が長かった。俺が学生時代に校長室で説教された話から始まり、果てには校長先生がここの学食の美味しさを語り始め……。

 最後には仲良く学食の日替わりメニューを校長室で食べていた。最近の学食は侮れん。うまし。

 

「だけど校長室で飯を食べると緊張するな」


 白いシャツの首元を整えながらそう思った。

 あそこでなにかをするのは独特の緊張感がある。来週も来るんだし慣れないとな。


「ってあれは」

 

 来賓用らいひんようの靴箱に近づいたところで、見慣れた――けど、とても新鮮な印象を感じる少女を見つけた。

 まさか会えるなんて。驚きと喜びのままに声を出す。


白月しらつき!」


 自販機で飲み物を選んでいる白月に声をかけた。

 窓からの日差しもあってなんだか輝いて見える。 


「やべ」

 

 思ったよりも声が大きかったらしい。廊下に声が響いた。慌てて周囲を見渡す。周りに人は……いないな。よかった。 

 それにしても驚いた。校旗に書かれている校章を見て、白月がいるだろうとは考えていたけども。

 

「お兄さん。どうしたのこんなところで」


 俺とは対照的に白月はいつもと変わらないポーカーフェイスで聞いてくる。

 なにこの落ち着きよう。もっと驚いても良さそうだけど。例えば「えっ! 私がえんこーしているのチクリに来たの!」とか。

 ……ないか。仮に俺が白月のことを学校に連絡しても、眉一つ動かさないだろうし。


 むしろその場合、俺が警察所に連行されるのは間違いないだろう。

 想像の上でも白月に勝てず、涙していると「もしかして不法侵入?」と聞いてきた。


「仕事だよ! 俺をなんだと思っているんだ」


 俺の怒りの声に、白月はボソッと言う。

 

「プロレス技を何度もかけられに来る人」


 ひぎぃ。

 俺の数少ない急所を突くとはやるじゃねえか!


「他にもあるよね。女子高生に制服着さえようと、強要したり――」


「異議あり! 強要はしていない」

「ふぅん“お金はいくらでも出すから。ワクドナルドの制服姿で技をかけてくれ”だっけ」


 この言葉に覚えない? と聞かれ、俺は沈黙した。

 だ、だけどやっぱり強要ではないはずだ、突っ込まないけど。間違いなくヤブヘビになる。あとさっきの言葉は訂正。俺って急所だらけだ。



「まぁ、学校でお兄さんをいじめるのもよくないし、これぐらいにしておくよ」


 そう言い自販機のスイッチを押す。

 選んだのは炭酸入りの栄養ドリンクだ。意外なチョイス。

 

 にしても学校か、その言葉を聞き改めて白月を見る。

 白いシャツに青いネクタイ、それとデザイン性の高いブレザー。

 普段とは違い制服を着崩したりはしていない。おそらくここの校則が厳しいからだろう。


 意外と真面目ですね、という言葉はさておき、


「白月って美人だな……」


 しみじみと思った。

 普段見せる蠱惑こわく的な雰囲気はなりを潜めている。そのせいか正統派美少女感がハンパない。


 いつだったか『クラスにこんな子いたら即告白するわー』とか言ってたけど、無理。こんな可愛い子に告白する勇気なんて俺にはない。雲の上の存在だと、諦めるに違いない。

 せめて性格が快活なタイプならいけるかもしれないが、キリッとした美人系だからな。


 あ、でも学校だと全然違う性格かもしれない、と考えていたら、


「なにいってんの」


 呆れられてしまった。

 視線を俺に向けないまま、体を屈ませて、自販機の取り出し口から飲み物を四本取り出す。

 


 四本も……? はっ、もしかしてパシリなんじゃ!

 ってそんなわけないか。多分友達に頼まれて買いに来たんだろう。



「はい、これ」


 俺のアホな思考は露知らず、白月は立ち上がったあと、一本の飲み物を差し出してきた。黄色いパッケージが特徴的な炭酸入りの栄養ドリンクだ。


「えっと、くれるってこと?」


「そういうこと」


 いつもと変わらない落ち着いた声でそう言う。

 ……なにこれすごく嬉しい。仕事終わりの疲れている時にもらう栄養ドリンクっていうだけでうれしいのに、それをあの白月からもらえるなんて。この嬉しさだけでご飯が三杯は食べれそうだ。


「勘違いしないでね。お兄さんが変なことを言うから、間違えて買っちゃっただけだから」


「なにそれ! 今ものすごくきてたのに。俺の感動を返して!」


 俺の感動は一瞬で落胆へと変わった。

 期待させてからのこれ。流石白月様はわかっているね。泣ける。

 

 !


 けど、待てよ。

 ネットで見たことがある。勘違いしないでね! はふりみたいなものだって。

 この言葉を聞いたら『私はあなたに惚れています』と同意義らしい。


 俺は期待しながら顔を上げ、チラリと白月の顔を見る。

 美人さんですね。うん、それだけ。頬が赤くなったりしてないよ! バカ野郎!


「はぁ、わかったよ」


 一向に飲み物に口をつけない俺を見て、白月は小さくため息を吐き、つぶやく。

 そして俺の姿――上半身を見たあと、


「しゃんとしたお兄さんへのごほうび。スーツ、決まってるね」


 眉尻を小さく下におろし、呆れたような――だけど、どこか微笑みかけているような顔でそう言う。

 ぅぅう、ひゃっふー! オレ 大 勝 利! 無理やり言葉を引き出した? 知らん!


「いやぁ、わかっちゃったか。白月に怒られたあと、スーツを全部クリーニングに出したんだよね」


 今日着ているのは前に白月が見たのとは別物だけど、と付け加える。

 いま俺が着ている黒い喪服のようなスーツだ。この服は自分にとっての勝負服だ。これを着ている時だけは交渉事で負けない、という想いで着ている。

 スーツのことを考えてムッツリ顔の誰かちちおやを思い出したが、すぐに追い出した。

 

 それよりも……ハピネス!


「くぅ」


 俺は勝利の美酒を一気に飲み干した。

 うまい! 炭酸が体に染みる。


「お兄さんって大げさだよね。まぁ、いいけど」


 ちょっと機嫌が良さそうに言った。

 最近気づいたけど、白月ってオーバーリアクションが好きな気がする。勘違いだろうか。


「おっ」


 白月が残った三本の飲み物といつの間にか補充した一本を小さな袋にしまい込む。それを見てひとつあることに気づいた。些細なことだけど、オーバーに表現しよう。


「白月って髪切ったでしょ! 

 うわぁぁああああ、元から可愛かったのにこれ以上可愛くなる気かよォ!

 もうダメだ、お前のことを直視できない……! これからは女神・白月と呼ばせていただきます」


 オーバーな身振り、オーバーな言動、そして最大限の敬意を込めた最後の言葉。

 どうだ! これで参っただろう。俺は腰に手を当てながら、白月の反応を待った。


「うわ……」


 まるで息を吸うかのように自然な一言だった。

 

 知っている? キモっとかアホとかよりうわって言葉の方が傷つくんだ。

 どうしてかっていうと“うわ”は自然と出てしまった言葉だから。

 キモとかアホとか少し考える時間がある言葉より傷つくんだよ。ためになったねぇ~。


 しくしく。

 もうオーバーリアクションなんてしない! と心に決めていたら、


「確かに髪は切ったけどさ。……よく、わかったね」


 白月がそう言った。

 そして、少しだけなのにと言いながら、毛先をもてあそぶ。


 その仕草に思わず「可愛い」という言葉が口からもれ出す。

 だが、自分の自然と出た言葉はチャイムの音でかき消されてしまった。

 だからおそらく白月には聞こえていないだろう。そうであって欲しい。なんか今のは恥ずかしかったから。


「ん……ん。チャイム、鳴ったよね」


「ああ、鳴ったと思うけど――」


 あれって授業開始の合図? と聞く前に、


「そっか」


 といい白月は階段のある方へ小走りで動き出した。

 スカートがヒラヒラしていてよろしいですね。じゃなく、なにかを聞こうとしていたんだけど。

 そうだ、俺は遠ざかっていく白月に声をかける。


「しらつきー! 来週の文化祭に行っていい?」


 俺の声が廊下に響く。

 だが、白月は動きを止めない。

 聞こえるかどうか微妙な距離だ、仕方がないと諦めようとしたところで、動きを止めた。

  

 そして白月は長い黒髪を纏わせながら、こちらを向いた。

 陽の光を浴びた少女は一種の神々しさを感じさせる。この子の言うことならなんでも聞いてしまいそうだ。


「ダメだよ」

 

 いつもより力強く、美しい声が廊下を震わせた。


「わかった!」


 俺は元気に答える。

 そのさまは神様の言に従う、あどけない子供のように見えているだろう。


 前言撤回。

 来週の文化祭、例え校長先生との約束をボイコットしてでも行こう。

 そう心に誓った――――






「なんとなく来るとは思ってたけど」


 教室・2―Dに入るため、並ぶこと二十分。

 白月の呆れた声と顔が俺を出迎えてくれた。

 

 それにしても人が多い。こんなに人が多ければスーツ姿の男が一人いても気にも留めないだろう。後ろに続く長い列を見ながら、そう感じた。


「これメイド喫茶の行列かよ。並ぶのめんどくない?」「いや、せっかくだし並ぼうぜ。結構可愛い人がいるみたいだし。もし好みの人がいたらここを受験しようかな」


「メイド喫茶? はっ、古いな。時代はガチムチ喫茶だろ」「「お前だれ!?」」


 後ろの最後尾にいる男集団の会話がカオスすぎる。気になるが、今は無視しよう。それより……


「似合ってるよ! メ・イ・ドさん!」


 俺はにやにやとしながら美人メイドを見る。

 白月はなんの催し物もよおしものをするのかと思っていたが、まさかのメイド喫茶。

 

「はいはい」


 白月は俺の言葉を適当にあしらう。

 ふざけすぎたな、もう少し真面目に言えばよかった。本当によく似合っているんだが。

 

「それとここ、メイド喫茶だけじゃないから」


「どういうこと?」


 どこからどう見てもメイドさんに見える。

 白と黒を基調としたオーソドックスなメイド服に、白いフリルのエプロンとカチューシャ。

 もうこれぞザ・メイドって感じだ。スカートがミニじゃないのは女子の抵抗にあったからだろう。多分。


「見ればわかるよ。……一名様ご案内です」


 そう言い教室の中に入る白月の背中を追った――

 あ、意外と背中は大胆。

 

 

 

「そういうことね」


 俺は案内された椅子に座りながら、さっきの言葉の意味に気づいた。

 確かにメイド喫茶“だけ”じゃない。


「いらっしゃいませ! お嬢様」


 どうやらここは執事喫茶andメイド喫茶らしい。

 女子はメイド服を着て、男子はスーツを改造したような服を着ている。

 こういってはなんだが、よく許可が下りたな。あーでも俺の高校時代も女装してたやつがいたもんな。それに比べれば、たいしたこないのかもしれない。


 にしても……


「いらっしゃいませ、お客様」


 女子はお客様なのに、男子はお嬢様呼びだ。男子の方が意外とノリノリである。

 ここは「ちょっと女子! 真剣にやりなさいよ」って言いたいね! この場合の真剣はご主人様って呼んでくださいということだ。

 

 つまり白月にご主人様と呼ばれたい。

 というかあの子はいったいどこに……ってああ、めっちゃ引っ張りだこだ。

 お客さんに呼ばれたと思ったら、クラスメイトに呼ばれて――


「おい、理……お前。もっと慎重に運べよ! お客さんに当たるだろう」


「お前ってだれ。というかすすむが遅すぎるんだよ」

「ハァッ!? そんなことねえだろ。お前より早い自信あるから」


 ――白月とサッカーをやっていそうなイケメンが揉めていた。

 いや、揉めているというよりじゃれあっているような感じか。


「ちょっとバカップルー! お客様が待ってんだからね」


 『バカップル』その言葉に心臓の音が一段階上がる。

 おそらくバカップルと言われた片割れには白月が含まれているだろう。

 

 白月が誰かと付き合っている。

 そう認識した瞬間、喉が詰まるように感じた。上手く息が吸えない。


「ふぅ」


 腹に残った空気を完全に吐き出す。

 すると、普段と同じように空気を吸うことができた。


「だ、誰がこんなヤツと付き合うかよ!」


「はぁ」


 なんらおかしくはない。白月が誰かと付き合っていても。

 そんなに驚くことではない。なのになぜこんなに取り乱したんだよ。

 自分を責めるような気持ちがふつふつと湧いてくる。


 俺はあの二人を改めて見た。

 ……両方とも文句なしの美男美女だ。白月はもちろんのこと、男の方もサッパリとした顔立ちや背の高さもあって、イケメンという言葉に負けてはいない。

 二人が一緒にいるのはとても自然な感じだ。お似合いのカップル、というやつだろうか。


 そんな彼らを――白月をぼんやりと眺めていたら、その視線に気づいたのか、白月がこちらに向かってきた。

 

「注文は決まった?」


「あー、まだかな」


 白月の問いかけにぼんやりと答える。

 いかんいかん。情けない姿を見せるのはみっともない。しゃんとしないと。

 俺は深く呼吸をしたあと、背筋を整える。そしてなにかオススメがあるかを聞いた。


「ん、そうだね。メニュー見せてくれる」


 そう言われて紙を差し出す。

 ざっと見た限りこういった出店にしては凝ったメニューが多い。


「これとか、おすすめかな」


「……りんごのパフェ? こんなのまであるのか」


 イチゴやチョコレートのパフェはよく見るが、りんごは初めて見た。

 どうしてりんごなんだろうと疑問に思っていたら、


「……私が提案したメニューなんだよね。あんまり売れてないけど」


 白いエプロンドレスの端を触りながら、ぶっきらぼうに言った。


「ははは、なるほど。じゃあそれを貰おうかな」

「了解。ちょっと待っててね、お兄さん」


 そう言い背中を向ける白月にさっきのことを――尋ねた。

 俺は胸のモヤモヤを放って置けるほど強い人間じゃないらしい。


「さっきのって彼氏? いいのを捕まえたね~」


 冗談めかしながら聞く。

 俺はなんて――人間なんだ。


「まさか。ただの幼馴染だよ」


 というか彼氏がいたらあんなことできないよ。

 白月はそう苦笑いしながら、仕切りの奥へ歩いていく。

 そんなあの子の姿を見つめながら、


「よかった……」


 そんな言葉が勝手に出てくる。

 なにがよかったのか。今の俺にそれを確かめる勇気はなかった。


 

 

  



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