第15話 彼女の学校生活

「――正解だ。よく勉強をしているな、白月しらつき


 座っていいぞ。という先生の声を聞いて座りなれた固い椅子に座る。

 よく勉強をしてる、ね。


「ここの解説をすると――」


 先生の声と黒板に書き込まれる音。

 それらの音を聞き流して、左に見える青い空を眺める。雲ひとつない深く澄んだ青空。

 私は夏の空より、このどこまでも吸い込まれそうな冬の空の方が好き。


「……」


 先生がさっき言った「よく勉強してる」という言葉が私のいた胸を突く。

 それに、いま教壇に立っている人だけじゃない。他の人――友達や親――もよくそういうことを褒めるように言う。

 でも、


すすむ! 今日は昼休み返上して練習な」「当たり前だろ。大会が近いんだし」


 私には他の人みたいに“やりたいこと”がないから、なんとなく勉強をしているだけ。

 だから褒められるようなことじゃない。

 むしろ私にとって「よく勉強してる」という言葉は、なにもやることがない私を責めているようにさえ聞こえた。


「…………」


 中学の時もやりたいことなんてなかったと思う。

 でも、それを疑問に思ったりはしなかった。きっと周りの人もそういう人ばっかりだったから。

 

 だけど、高校になってからは違った。

 周りの友達がスポーツや目的のある勉強、それに恋。なにかしらのやりたいことを見つけ始めた。

 だから私は焦っている。


「……違う」


 焦りとかじゃなくて、もっとぼんやりしているようなもの。

 このまま高校を卒業して、大学を出て、結婚、それか仕事をしている。

 ……両親のように仕事に没頭するような人になる。


「ダリー。就職組は勉強を楽にしてほしいぜ」「それいいなぁ、もしそうなったら俺も就職組にいくわ」


 なにもしたいことがなくて、未来がどういうものかもわからなくて、こういうのを空虚くうきょな気持ちっていうのかもしれない。

 わからないや。自分のことなのに、自分がわからない。

 このままあの木枯らしに舞っている枯葉みたいに、よくわからない流れに乗ってどこかへ行くのかな。


「……」


 高校にぼんやりと――なんとなく必要だと思うから――通って、そう言ったのを繰り返していく。

 そういうのがイヤだった。でも、なにをすればいいかがわからない。

 ……それであんなことをやるなんて私も大概だよね。


「…………」


 窓越しの景色を眺めたまま、昨日切りそろえた前髪を触る。

 ほんの少しだから、気づいたりはしないよね。


「あれって」


 お兄さん?

 スーツを着た人が校庭を横切って、校舎に近づいてくる。

 そのシルエット――顔は、最近よく会う人にそっくりだ。


 そういえば、学校で商品を売っていたりするって言ってたっけ。

 じゃあ、あれはお兄さんなのかな。


「……」


 気になっていた。

 援助交際に手を出して、騙されて、それでも私に会いに来る人のことを。

 

「信じてる、か」


 ぼそっと自分に呟く。

 胸が、じんわりと熱くなった。お昼休みにでも、探してみようかな……。






理沙りさのお弁当っていつ見ても美味しそうだね! ねっ?」


「はいはい、いいよ。どれかひとつだけなら」

「やりぃ!」


「ふふっ、エミちゃんもリサちゃんも変わらないね」


 卵焼きを頬張る恵美えみとそれを見て微笑む由紀子ゆきこ

 

 中学の時から変わらない風景。

 でも中学の時と違って、二人はもうなにかを見つけている。それが少しだけ寂しい。

 

「う~んおいしい! おふくろの味ってやつだねぇ」


「恵美のお母さんになったつもりはないから」

「なにぃ! 私は理沙をそんな子に育てたつもりはないよ!」


 コロコロと変わる恵美のキャラクターを見て、ため息を吐く。

 まるでお兄さんみたいだ。……今も学校にいるのかな。

 気になるけど、ここから抜け出すのは少し難しそう。


「でもさ、どうやって作ってんの?」

 

 理沙が作ってるんだよね、と聞かれて「そうだよ」と答えた。


「いま料理の練習してるんだけど、どうにもこの卵焼きみたいな味にはならないんだよね」


 私のお弁当箱を箸で指差しながら恵美は言う。

 この箸の動かし方、また卵焼きを食べる気だ。


「あっ、彼氏さんのために練習しているんだね」


 桜が咲いたような笑顔で由紀子が、恵美に対して言った。

 

「まぁ仕方なくね。大会も近いから活力を俺によこせーっ! って言われちゃってさ」 


 二人が話をしている間にお弁当箱の位置をずらす。

 恵美は彼氏と上手くいっているらしい。……恋ってどういうものなんだろう。


「というわけで理沙先生! どうかご教授をお願いします」


 恵美が手を合わせながらお願いをしてきた。

 おおげさな頼み方。これぐらいわけないのに。


「まぁいいけど。たいしたことは教えられないよ」


「そんなことないって! ありがと、じゃあ次の土曜日とかいかが?」

「大丈夫――」


 と言いかけて、お兄さんのことが頭に浮かんだ。最近の土曜日はいつも彼が繁華街で待っている。待っている理由はあれだけど、それでも私が来ると信じているからあんな寒いところにいる。

 それを知ってるのに、ほかの予定は入れられない、かな。


「――じゃないかな。平日にしてくれると助かるかも。ウチはいつでも使えるから」


「それで問題なし! だけど最近土日の付き合い悪いぞ~。ね、由紀ゆき


「え、えっと、ちょっと寂しいかな」

「ほらー由紀が言うなんて相当だよ」


 小さなサイドテールを揺らしながら恵美は言った。

 ……心配させちゃってるかな。恵美がこうやって冗談めかして言う時はなにかを伝えようとしている時だ。

 でも、ごめん。まだ今の状態は続けるよ。心の中で意味のない謝罪をした。



「あっ! 理沙も遂に彼氏を作ったんじゃ……!」

「ええっ、そうなのリサちゃん!」


「違うから。由紀子も間に受けないで」


 そもそも相手がいないから、と付け加える。

 私と仲の良い男子なんて……そういえばお兄さんとは仲が良いっていうのかな。男子じゃないけど。

 

 考えてみると私とお兄さんっていったいどういう関係なんだろう。

 知り合い、よりも仲がいい気がする。友達、だとなんか違和感がある。じゃあ、恋人……?

 それもきっとおかしい。ならお兄さんと私はどういう関係なんだろう。わからない。……でもわるくない関係だと思う。


「相手ならいるじゃん、渡瀬わたらせくん。イケメンでスポーツもできて、昔からの幼馴染! 文句なしでしょ」


「うんうん! 漫画みたいだよね」


 うっとりとした声で由紀子が、恵美の言葉に続く。

 相変わらず由紀子はロマンチックだ。弓道をしている時とは大違い。


すすむとはそんな仲じゃないから」


 顔がいいのは事実なんだろうけど。昔から私を通してラブレターを渡そうとする女の子がいるし。恋のキューピットなんてがらじゃないよ。

 

「もうっ、昔から変わらないね。じゃあ誰がいいの? 理沙ならよりどりみどりだよ」


「そんなことないと思うけど」


「じゃあ告白された回数は?」

「四回とか五回じゃない。わかんないけど」


 告白してきた相手はみんな私が知らない人ばっかりだった。

 そんな人から告白されても覚えていられない。だって名前どころか、顔すら初めて見るような人ばかりだから。


「キェーッ、これだからモテる女は! 私が知っている限りでも十回は告白されてるんですけど!?」


「……ラブレターとか含めたらそれぐらいになるかもね」

「ちょっとーこの発言どう思います? 由紀さん」


 マイクを向けるようにして由紀子に尋ねている。

 それにしても恵美は彼氏ができたのに、恋バナが以前よりも多くなっている。 むしろできたからこそ、なのかな。


「リサちゃんだもん! それぐらい当然だよ」


「うっひゃー、相変わらずの理沙loveっぷり……」

「そういう誤解を招く発言はやめて」


「果たして誤解ですむのでしょうかって、わかったから。そんな怖い顔しないで。ねっ」


 恵美は冗談が過ぎる時がある。

 でもどうして由紀子は私のことをあんなに過大評価しているんだろうと、考えていたら、


「だけど理沙って可愛くて美人だけどクールでツンツンしてるように見えるから、あんま告白されないタイプだよね」


 それなのに十回以上って……そう言い恵美は肩を落とした。

 

 私ってそんなにツンツン――とがっているように見えるのかな。そんなつもりはないんだけど。

 ……まぁ愛想がいいとは思ってないけどさ。

 もしかしてお兄さんもそう思ってるのかな。そうだったらなんだか悲しい。


「でも、リサちゃんってどういう人が好きなのか私も気になるな」


 そう言い由紀子はおぼつかない手で、スマートフォンを操作する。

 そして、


「えっと、虫が苦手な男の子。リサちゃんなら大丈夫? ダメ?」


「……私は気にしないかな」


 虫。という言葉を聞いて、すぐにお兄さんが思い浮かんだ。

 あそこまでクモが嫌いな人はそんなにいないと思う。凄い反応だったな。


「おおっ……」


 恵美の驚いた声に私はどうしたのと尋ねた。


「いい笑顔してたから、つい」


「なにそれ。私が笑わないみたいじゃん」


 髪をかく恵美に対して文句を言った。

 

「いやぁ、見惚れる笑顔みたいな? 由紀子が見たら昇天してたね」

「もうっ。そんなことないよ。あ、それで虫のことなんだけど」


 最近虫が苦手な男の子が増えているんだって、と由紀子が言葉を続ける。


「私はやっぱり守って欲しいかな」

「うーんまぁ私もそうかな。虫が苦手ってちょっとナヨナヨしている感じだし」


 2人のそんな否定的な言葉を聞いて、私はつい言葉が出てしまう。

 いやだった。誰かを否定されているみたいで。



「――理由にもよるんじゃないかな。なにか嫌なことがあって苦手になっちゃったのかもしれないし」

  

 普段よりも声を強く出してしまった。という自覚はあった。

 けど、思った以上にクラスの皆がこっちを見ている。


「はぁ」


 ここは一回席を離れた方がよさそうかな。

 自分らしくないことをしちゃったと思いながら席を立ち、2人に声をかける。


「飲み物でも買ってくるね」


 返事は聞かずに歩き始める。

 せっかくだしお兄さんを探そう。こうなっちゃったのも、お兄さんのクモ嫌いが原因だし。

 そう思いながら教室のドアをくぐり抜けようとしたところで――


「理沙~ミルクティーよろしく!」

「えっと、よければオレンジジュースがいいかな」


「……はいはい」


 2人のいつもと変わらない声に少し笑いながら、教室を出た。

 3本、買ってこなくちゃね。


 

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