第12話 彼と彼女の居酒屋

 繁華街のメインストリートを俺と白月しらつきは歩く。

 昼とは違い、夜の繁華街はもう見慣れたものだ。天井付近にある照明の光が、家族連れやカップル達の行く道を照らしている。こういう光景は土日でも、祝日でもあまり変わらないみたいだ。


 変わらないといえばサラリーマンもチラホラと見る。

 あ、バカ野郎! どうしてカップルの集団にまぎれ込むんだ。隅を歩けばやられなかったのに! 俺は心の中で同じ悲しみ休日出勤を背負う仲間のために泣いた。


「はぁ」


 にしても祝日か。俺、明日も仕事があるんだよな。

 ああ、なんて悲しい現実……でもそんな現実を乗り切るための秘策があるからな! 今から楽しみだ。


「ってもう夜か」


 周囲を見渡すと天井の光のみならず、飲食店やカラオケ店の看板も光を放ち始めている。

 これはマズイ。思っていたよりゲームセンターに居座っていたらしい。ちょっと急がなくちゃな、じゃないと技をかけてもらう前に解散ってことになりかねん。もしそうなったら白月的にはラッキーだろうが、俺的にはアンラッキーだ。今日を逃したら勝負の結果もうやむやになるだろうし。

 つまりワクドナルドの制服がパーになる。 


 アンラッキーな可能性を避けるためにも早く店を決めてもらわなくちゃ。

 俺は前を歩く白月の――スラッとした背中に声をかけた。


「なんか良い店あった?」


「まだかな」


 白月は長い髪をなびかせながら、俺をチラリと見る。

 いつもながらにシンプルな答え。そこがいい。だけど、返事の内容はバッドだ!


「なら、あれとかどうよ。早い! 安い! 美味い! の三拍子揃ったお肉の店」


 俺は指をさしながら、ブタギュウを押した。

 最近あそこの牛丼を食べていないから、この機会に食べておきたいんだよな。都会と違ってブタギュウの存在ってレアだし。俺が繁華街に来てスーツを着ているぐらいレア。なにげに初めてだもんな、スーツでここに来るの。

 あと、なによりもこれが重要だ。食事の提供スピード! 

 とにかくここは早い。個人的にはファストフード界イチの早さだと見ている。ここなら仮に白月がゆっくり飯を食べる派だとしても、無問題モーマンタイ。さして時間は使わないだろう。



「うむ」

 

 俺にとってはなんて都合の良いお店なんだ。

 これは行くしかないだろう。俺は意気いき揚々ようようとその店に向かって足を動かそうとしたら、


「ふぅん、へぇ、そうなんだ」


 冷めた台詞、冷たい視線が俺の背中を貫く。その視線に体を震わせながら後ろへゆっくりと振り向く。

 すると、そこにはいつもと変わらない白月が立っていた。


 いや、違う。パッと見はいつも通りでも、あれは間違いなく俺を侮蔑した目!

 心の中ではきっと「私に制服を着させる対価があれなんだ。あの、警察ですか」的なことを考えているに違いない。

 くぅ、俺としたことがなんたるミス。冷静に考えなくても女の子とあの店に行くのはマズイ。彼女との苦い経験を忘れたか、おれ。


「なんて冗談さ! なにか食べたい物とかあるの?」


 笑いながら今までの流れを断ち切る。そしてなおかつ話を進めた。

 これが経験を積んだ男の切り返しだ。我ながら見事すぎるな。

 自画自賛をしていると、


「あれ、行かないんだ」


 白月の少し残念そうな声が聞こえた。

 

「食べたい物……そうだね、普段あんまり食べないようなのがいいかな」


 そう言い白月は歩くことを再開する。

 俺はそんな少女の背中を追いかけながら思った。

 これ、もしかしなくてもブタギュウで良かったんじゃないかと――――

 

 


「えっと、ここはちょっとやめておいた方が」


 白月の「ここがいいな」という声に焦るオレ。

 よりによってここを引き当てるか。眉間を抑えながら、どうしたものかと迷う。

 いや、いいお店ではあるんでですけどね。うん。


「別の店でもいいよ。思ったより高そうだし」


 白月は店の外に置いてあるメニュー表をめくりながらそう言った。

 どうにも俺が迷っている理由を金額の高さと判断したらしい。違う! そうじゃない……! 女子高生にそう思われるとなんだか悔しい。


 ここは自分の運を信じて店に入るべきか? 

 いや、でもな、オレ運が悪いし。その運の悪さで、どうにもあの人と遭遇しそうで怖い。

 お店自体にはなんの問題ないけど、あの人――けんちゃんがいると、いらんこと聞いてきそうだからな。


「おおっ! あんちゃんじゃないか。よく会うな~」


 噂をすればなんとやら。聞き慣れた声が俺の肩を叩いた。

 オーマイゴッド!


「あ、あはは、いやぁ本当によく会いますね」


 本当、どうなっているんだ。このエンカウント率。

 ここに来て会わなかったことがおそらくない。普段は会えると嬉しいけど、今日は勘弁して欲しかった。


「よし、じゃあ今日も――って、そこの嬢ちゃんはもしかしなくても、あんちゃんのこれか」


 頭がツルツルなけんちゃんは、小指を立ててそう聞いてくる。

 出会い頭で既に下世話な質問。酒を飲んだらどうなるかもう目に見えている。

 白月、すまん。俺はもう諦めた。


「連れではありますけど、全然違うというか――」


「ひゃぁ、あんちゃん手が早い! 仕事終わりにやるなぁ」


 けんちゃんは「中でくわしく聞こうか」と言葉を続け、ずるずると俺を引きずる。店の扉に取り付けられているウグイス色の暖簾のれんを見た時、心から祈った。

 店長――てっちゃん助けてと。


「お兄さん、どうする。って、あれ、お兄さん……?」



 



 温かみのある電球、木目のテーブル、見慣れた数々の備品。

 そんなお店でもうひとつ見慣れた存在がある。それがベロンベロンに酔っているけんちゃんだ。


「いやぁ、お嬢ちゃんはいいのを捕まえた!」


 俺の右隣に座っているけんちゃん。

 いや、もういい。今日に限ってはハゲちゃびんと呼ぼう。

 そのハゲちゃびんが俺の左隣にいる白月に呼びかけていた。


「…………」


 白月は枝豆をぱくつく手を止める。

 そして端正な眉を曲げ、困惑していた。ここは助け舟を出すとしよう。


「だから、違いますって。この子は、俺みたいなのとじゃ釣り合いませんもん」


「そんなこたぁない!」


 ハゲちゃびんは日本酒を飲み干し、空になった徳利とくりをテーブルに置く。

 そして威勢良くそう言い切った。


「最初に会った時は確かに心配した!

 なにせあそこの会社で勤めているっていったら精神が鋼で作られているようなのばっかりだからな。そんな鋼の精神を持った奴があそこまで落ち込んでちゃあ、心配もするだろうさ」


「そこまでですか? 確かに愚痴ってた記憶はありますけど」


「そらそうよ!

 だって最初に会った時は彼女と別れたとか、仕事が上手くいかねえとか、島流しプー太郎だかってピー垂れていたじゃねえか」


 ちょいと待った。何を話してるんだ、この人は!

 俺の情けない過去が白月に全部聞かれた。恥ずかしいと思いながら白月を見る。


「なに。まぁお兄さんらしいよね」


「ひどい!」


 今の話を聞いてもこの塩対応……私たちって仲良しね!

 ……元々どう思われていたんだろう。ああ、恥ずかしいやつね。そうですよね。

 俺が大人とはいったいなんだろう、と考えていたら、


「でも次会った時はまるで別人だ! このあんちゃんはただもんじゃねえと感心したもんよ。実際に仕事が上手くいってぇ、もう彼女まで作っちまう。いやぁ、大したもんだ」


 ハゲちゃびん――いや、けんちゃんの熱いフォローが待っていた。

 若干事実と異なる点があるけど、目をつむろう。ナイス!


 チラリと左隣を見る。

 ほら、どうだ白月。俺も案外にできる男だろう!

 そんな視線を投げかけると、


「へぇ、そうなんだ」


 さっきと対応が同じだった。

 なにこれ、しょっぱい! あっ、でもそうだ、白月って仕事が上手くいってること知ってたんだ。なら仕方がないか。

  

 俺は気を取り直すために、水を口に含む。

 正面に見える熱燗あつかんに少し心を奪われながらも、今日は飲んじゃダメだなと考えていたら、


「ははは、仲良しだな。で、付き合ってみてどうだい?」


 けんちゃんが声をかけてきた。

 声のする方へ顔を向けると、暖かな眼差しで俺を見ていた。

 ただの世話焼きなんだろう……これは責めるに責められないな。 


 だが、これだけは言っておこう。


「「付き合ってませんから」」

 

 見事に声がハモる。

 無言で少女――白月の顔を見る。予想通りむっとした顔をしていた。

 ごめん、まさかこんなベタなことをするとは思っていなかったんです。許してください。


「そうだな! 付き合ってなかったよな。おじさん勘違いしちゃったよ」

 

 けんちゃんがほがらかに言う。

 わかった。一つは感謝しよう。この甘さと苦さが入り混じる空間を壊してくれたことに対して。

 でも! その言動と表情の不一致はどうにかしてくれませんか。もう絶対勘違いしてるよ、この人。


 俺はため息を吐いたあと、てっちゃんカムバッークと心の中で叫んだ。



「ところで、あんちゃんの名前はなんて言うんだい。そういや聞いてなかった」


「あれ、前に名刺を渡してませんでしたっけ」


 酔っ払っていたから記憶があやふやだけど。


「あーもらった! そう、あの会社だってビックラこいたもんだ」


 けんちゃんはポンと手を合わせたあと、名刺入れを懐から取り出す。

 そして俺の名刺を取り出し、名前を呼び上げようとするところで、


「お手洗いに行ってくるから」


 白月の淡白な声がそれをさえぎった。


「……わかった。お手洗いの場所は――右の突き当たりを曲がった所だ」


「ありがと」


 ……お礼を言うのは俺の方だろうさ。

 座面が高い椅子から飛び立つようにして降り立ち、廊下へ向かった少女を見てそう思った。


中村なかむら 信太郎しんたろう。いい名前だ!」


「ありがとうございます!」


 目の前のけんちゃんに感謝をしながら、白月にも感謝をする。

 名前を聞かないようにしてくれるなんて、よく出来た子だよ。まったく。

 

 俺は運ばれてきた焼き鳥の煙に目を奪われながら、白月の好きな物について考えた――



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