第18話 彼と彼女と警察

 夜のビル街を一人で歩く。

 土曜日ということもあって、やはり人が少ない。

 きっと多くの人は反対側にある東口――繁華街のある方に行くのだろう。


 俺もそこへ行くために足を動かしているわけだが。

 人生の分岐点に立ってもなお、えんこー少女を求めてしまうらしい。

 それより……


大輝だいきも大変だよな」


 居酒屋から走り去っていた同期を思い浮かべる。 

 聞いた限り、ハードな一日だ。 


 朝から本社にいる幹部たちの前で報告会議をして、昼はそのままお偉方との昼食。その後、新幹線で何時間もかけて俺と夕飯を食べる。そして、今日の最終便でシンガポールにトンボ返り。社員二名の社長は大変だ。

 だからこそ、人を増やそうって話なんだろうが。


「……」


 迷う心をそのままに、スマートフォンを取り出した。

 そしてアドレス帳を開きコールする。

 


『もしもし』


 聞き慣れた、けれど懐かしい声が耳を通り過ぎた。


飯田いいださん? 俺です。中村なかむらです」


 ぶしつけな言葉だが構わないだろう。

 会社外での会話ならいつもこんな感じだったし。


『同……中村か。久々だな、元気にしているか?』


「ええ、意外とそれなりには。飯田さんも元気そうですね」


 続けて本題に移ろうとしたら、


『そんなわけあるか! 最近は時間が取れなくて、元気が補充できん』


 怒鳴り声が聞こえてきた。

 ……元気の源は十中八九、アイドルのことだろう。

 でもこの人が時間を取れない、って言うとはな。寝る間も惜しんで行くようなタイプなのに。


『それに、一人で行ってもあまり楽しめなくなってな……』


「飯田さん、それは歳です」

『俺はまだ五十を超えてない。そんなことを言われるような筋合いはないぞ』


「その言葉がもうおじさんですって。アイドルの生ライブを見に行くのはもう止めたらどうです?」

『俺に死ねと言うのか』


「……じゃあせめて踊るのはやめしょうよ。娘さんも心配してましたし」


 そりゃ心配もするよな。

 事情を知らない娘さんからすれば、自分の父親は常に働いているようなイメージだろう。

 その実――趣味と仕事を両立するために、あまり家に帰れていないのだが。


『……前々から気になっていたんだが、葉月はづきと話したことがあるのか?』


「飯田さんを何度も家まで運んでいるうちに、自然とですね」

『ほぉう。自然とか』


「なんにもありませんって。だからそんなドスの効いた声を出さないでくださいよ」


 この人の素の声はおっかなくて仕方がない。

 酔っ払っている時の声は、面白い声なのにな。




 ――歩きながら電話をしていると、駅が見えてきた。

 そろそろ本題に移ろうかと思っていたところで、


『そっちはどうだ。東京よりも寒いんだろう』


 飯田さんが喋り始めた。


「雪も降るらしいですからね。といっても今日は暖かいですよ」


 風が吹いても寒さを感じない。むしろ暑いぐらいだ。

 俺はコートを脱いで、右腕にひっかけた。


『今、外にいるのか』


「ええ、そうです。彼と会ってきましたよ」


 そう呟いた瞬間、飯田さんはため息を吐いた。

 続けて『あのバカ、本人には話すんじゃないと言ったのに』とボヤく。

 

「アイツに隠し事は無理ですって」


『そうみたいだな……』

「まぁ、そこが良いところなんですけどね」


 苦笑いしながら、同情した。

 俺も過去にやられたことがあるからな。彼女関連のネタで……。

 今日は適当にいなしたけど、もし本当にシンガポールへ行くとしたら彼女のことも話さなくちゃな。大輝に話した瞬間から、同期全体に広まるだろうけど。


 俺は肩をすくめる。

 そのあと苦い笑みを更に深くしながら、口を開いた。


「どうして自分を推薦したんです? 言っちゃあなんですが、それだと今ここにいる意味がないでしょ」


 俺は前任者の代わりとしてここに来た。

 そんな人材が半年も経たないうちに別の場所へ移動するのはマズイだろう。


『お前はそんなことを心配しなくていい』


「そんなことって……行くと決めたのに止められちゃあたまりませんよ」

『……行くのか?』


 飯田さんの少し嬉しそうな声が返ってきた。


「いえ、まだ考え中です」

『そうか。あと、心配しなくていいのは俺の範囲でどうにかできる問題だからだ』

 

 もう新卒採用の時期だしな、と付け加えた。

 

 この人、人事部じゃないんだけどな。どうにもそのへんに口が効くらしい。

 俺に対する辞令だって、本来は別の人の役目だ。それなのに飯田さんが告げてきた。あれはこの人なりの気遣いだったんだろう。


『だから、中村はなにも気にせずに自分の判断を尊重しろ』


「……ありがとうございます。飯田さん」

『気にするな。俺にはこのぐらいしかしてやれん』


「そんなこと」


 そんなことは全然ない。

 見えない相手に首を振った。



 ――あの転勤を告げられた夜。飯田さんと飲みに行った時のこと。

 

 居酒屋では散々アイドル談義をしていたのに、店を出た途端にシリアスな表情へと変わった。

 そしてその表情のまま、俺が転勤させられる理由を話し、励ましてくれたことを今でも覚えている。飯田さんの励ましの言葉には『部長になったら、本社へと戻してやる』なんて言葉もあった。

 

 口約束だし、私情の入った言葉だろう。

 それでも嬉しかった。俺にとっての慰めになったし、それなりに頑張ろうと思った。

 あの時までは。


 まぁそんな夜でさえ、最後はアイドルの話をして解散したわけだが。

 んん、アイドル? ……シンガポール? なにか引っかかるものを感じていると、電話口から声が聞こえる。



『ところでだ……仮に中村がシンガポールへ行くとしたらだ』


「はぁ」

『もちろん、まだ決まってないことなのはわかっているぞ』


 飯田さんは奥歯に物がつまったような言い方をする。

 

『だが、シンガポールで仕事をすることになったら、視察に行きたいと思う』


「視察って、なんの視察をするんですか」

『そりゃあ、なんだ、お前の働きぶりを視察するに決まってるだろうが』


 部下でもない人間を視察するっておかしいだろ。なにを隠して……


「……アイドルですね。アイドルなんですね! 飯田さん!!」

 

 こいつ、俺を口実にシンガポールのアイドルライブを見に来るつもりだ……! 

 いつか言ってたもんな。東南アジアのアイドルを見に行きたいとかなんとか。

 

『そうだよ!! それのなにが悪い! チェンちゃんに早く会わせろ。とっととシンガポールに行け!』


「あなたは本当に元気そうですね! この十円ハゲ!」

『お前だってそうだろうが』


「え、マジですか!?」


 スマホを持ったまま、髪を触る。

 が、特に薄くなっているような感じはしない。

 で、でも感触だけだとわからないんじゃ……鏡で確認するべきか迷っていると、頭上から笑い声が響いた。


『お前の行動が手に取るようにわかるぞ』


 笑いながら大きな声で喋った。

 この野郎! 俺が心を震わせていると、


『あなた、どうかしました?』


 女性の声が電話口から聞こえてた。

 この声は多分飯田さんの奥さんの声だ。


『……なんでもない』


 静かに、威厳のある声で呟いた。

 ……きっと奥さんは信じないだろうな。この人の趣味を。

 

 しみじみと考えていたら、咳払いが聞こえた。


『中村の判断を尊重する。その言葉に嘘はない』


「……わかってますよ。それぐらい」


『そうか。視察に行くのも嘘じゃないがな』

「それもわかってますって。色々とありがとうございます」


 そこで言葉は途切れた。

 用件は済んだし、そろそろ目的地である東口にも到着する。

 別れの挨拶をして電話を切ろうかと考えていたら、


『……支社の方でなにか不都合はないか』


 飯田さんらしくない、要点がぼやけている質問が飛んできた。


 …………


 少し考えはしたが、思い当たらない。島流しとも呼ばれなくなったしなぁ。

 

「特にはないですよ」


『それならいい。切るぞ』

「ええ、それでは」


 モヤっとしたものを残しながら、通話は切れた。

 どういう意図があってあんな質問をしたんだろう。


 まぁ、たいしたことじゃないか。

 俺は増えてきた人の波に身を任せた――





 

――ビル街のある西口を抜け、そのまま繁華街のある東口へ流れ着いた。

  時計を見ると、もう夜の八時だ。


「八時かぁ、さすがにもういないかな」

 

 普段白月しらつきと会う時はもっと早い時間帯だ。

 でも、せっかくここまで来たんだし探すとしよう。

 

「……」


 視線を彷徨わせている時に思った。

 最近慣れてきちゃってるけど、女子高生とホテルに行くのって相当ヤバイよな。


 ふぅー! シンガポールに行く前に捕まってしまいそう。

 俺は警察官を避けるように歩きながら、東口と繁華街を結ぶ――大きな公園に潜入した。

 律儀な白月のことだ。いるとしたら、ここにいるはずだ。お宝は頂いていくぜ、とっつぁぁん。


 ル○ンごっこをしながら、白月を探す。

 そういえば○パンの着ている服ってスーツでいいの? 俺とお揃なの? 色とかは全然違うけど。

 そんな疑問を頭に浮かばせながら、公園内にある噴水の近くまで来た。いるとしたら多分ここに……


「なんだあれは……?」


 白月はいた。

 だが、男三人と話している……違うな。囲まれてるのか? 俺はいぶかしみながら、コートを再び着る。

 そして何事もないことを祈りながら、白月へと足を向けた。




「だから、援助交際なんてしてないから」


 白月まで残り数歩という所で、足を止める。

 

「んなわけないでしょ。噂通りの子じゃん!」


「じゃんな~、噴水近くにいて、制服着て、ありえんほど可愛いもん。他にそんな子いないし」


 典型的なチャラ男が一人とフトメンが一人。

 それと……


「なにが不満なのかな」


 優男風が一人。計三人。

 俺より少し若そうだし、大学生ってところか。社会人かもしれないけど。


「不満とかじゃないよ。そもそも援助交際をしてないだけ」


 白月はいつもと変わらない、ふてぶてしい態度で答えた。

 確かにえんこーじゃないかもしれない。えっちしてないし。最近に限って言えば、お金も受け取ってないしな。あ、でもホテル代とか飯代が交際費に当たるのか……?


「それはないんじゃないかな。昭太しょうたたちが言うように、噂通りの美しさだ」


「……どういう噂なのか、聞かせてくれない」

「いいよ」


 優男が優しげに言葉を呟いた。

 そして穏やかな表現を用いながら、説明をしている。



 彼曰く、最近ここの駅前で、白鳥のように美しい高校生がいること。

 その子は土日の夕方から夜にかけて、公園の噴水の縁に座っていること。

 相応の金とその高校生の御眼鏡にかなえば、最高の夜を過ごせるとかなんとか。



 うーん、話を聞くと確かに白月っぽい感じがする。

 でも最高の夜って、まさかこの三人は相当なドエムってことか……?


 いや、そんなわけないな。

 こいつらは最高の夜=えっちと捉えているのだろう。このエロザル!

 ……自分もダメージを受けたが、気にしないことにしよう。


 それよりもどうするべきか。

 俺は顎に手を置いた。


「ふぅん。なるほどね」


「納得してくれたかい? なら、不満の理由を聞かせてほしいな」


 どこか得意気に優男は言葉を吐いた。


「そうそう、俺たちめっちゃ優しいから。つうか、なんだったら俺だけ相手してくれてもいいし」


「あ~ないわ~、抜けがけないわ。そしたら今日はお前の分の金は払わないからな」

「おいおい、冗談だって。いつもの冗談だろ」


 んん? いつもこいつらの金も払っているのだろうか。

 もしそうならフトメン、めっちゃ利用されてるじゃん。

 とか思いながら、動向を見守る。白月が俺にどうして欲しいのかを見極めるために。

 

「仮に、だよ。もし、私がその噂の子だったら断るかな。だって、あきらかに優しそうな人間じゃないし」


 白月がそう言うと、優男は眉をピクリと震わせた。


「女の子にそう言われたのは初めてだな。でも誤解さ。数時間も僕と一緒にいれば、その誤解も解ける」


 だから一緒に遊ぼう、と優男が白月に手を伸ばす。

 しかし白月は「いや」とシンプルに答えを返した。


 さすが白月さんだ! ブレないぜ!

 

 ってそれより、そろそろ割り込むとしよう。「いや」って言ったわけだし。

 ……この光景はあまり気持ちのいいものじゃない。嫉妬、なんだろうか。

 自分の気持ちにため息を吐きながら数歩足を動かし、白月の肩を叩いた――


 


「キミ、困ってそうだけど大丈夫?」


 肩を叩いたあと、白月と男三人の間に足を踏み入れる。

 正義感の強いサラリーマンがか弱い少女を救う大作戦、始動!


「……大丈夫じゃないかな」


 白月は「なにやってんの」という目を俺に向けながらも、合わせてくれた。

 恋人のふり作戦とどっちを採用するべきか迷ったけど、こっちの方がリスクは少ないだろう。


「それは大変だ。なら一緒にここから――」


「――おじさんは、なにか勘違いをなさっていますよ」


 優男が言葉を挟んだ。この場から素直には離してくれないらしい。


「勘違いもなにも、この子が困っている。それが全てじゃないか」


「いいえ、そこからが勘違いなんです。僕らと彼女はとても密な関係なのですが、少し揉めてしまいまして。今、彼女はすねているんですよ」


 なにを言ってるんだこいつは。

 今の白月がすねているというなら、年中すねていることになる。


「“他人”にご迷惑をおかけして、すみません。すぐにこの場を離れますから」


「そうそう、おっさんも疲れてるっしょ。早く帰りなよ」


「土曜日に仕事とか社畜の鑑~ぶふっ」


 おっさん……社畜……。

 一定の層には効果のある言葉が、俺の心をゴリゴリと削っていく。

 くそっ、ここが原始時代ならお前らも今ごろ狩りをしているんだぞ!

 

 とアホなことを思いながら、頭の中で作戦を練る。どれが手っ取り早くこの状況を解決できるだろうか。


 …………


 よしっ、決まった! これでいこう。いざとなれば、学生証を見せてどうにでも解決できる。

 俺は優男を見ながら考えていることを口に出す。


「わかりました。こちらこそ誤解をしてしまい、すみません。ただ、最後に一つ確認しておきたいことがあるんです」


「なんでしょう。お答えしますよ」


 優男は俺と白月の間に入り込みながら、返事を返した。


「その仲が“親密”だという、可憐な少女の名前を伺いたいのですが」


 俺の言葉に彼は苦笑した。

 そして呆れるようなポーズをしながら、


「あなたに答える必要があるとは思えませんね」


 そう答えた。彼は。

 だが、白月は違う。


蝶野ちょうのだよ。お兄さん」


「! そうなんです。こ、困った子だな。蝶野は」


 プロレス……プロレス繋がりか! ガッデム!!

 俺は意外な苗字に内心焦りながら、話を進める。


「へぇ、随分と珍しい苗字ですね。……それにしてもどうして“仲の良い”あなたがそんなに驚かれているんです」


 優男を見ながら問いかける。

 やってしまったな。リアクションをしてしまうなんて、このド素人め。

 というか、名前を同意してしまった時点でアウトなんだけどさ。デデーン。優男、アウトー!


「もしかして苗字をご存知なかったんじゃ」


「いえ、久々に苗字を聞いたもので。普段は名前で呼び合っていますから」

「でしたら、彼女の名前を教えてください。そうでなければ納得いきませんね」


 と言葉にしながら、交番のある方へ視線を向ける。

 

「……はぁ、二人とも行こう。付き合っていられない」


 優男は俺から顔を逸らしながら、そう言った。


「ちょいこのレベル見逃すのかよ! もったいなくね?」

「女なんて星の数ほどいるだろう。ほら、いくぞ」


 優男を先頭に駅の方へと逃げ帰っていった。

 フトメンが最後に「蝶野ちゃん、またね~」と言ったのが気になる。

 まさか本当の苗字だと信じているのだろうか。



 それよりも……


「スルーパスが無事に通ってよかったよ、白月」


 右手の平を白月にかかげながら、呼びかける。

 

「来るのがおそい」


 そう言いながらもハイタッチをしてくれた。

 触れた手の平は、柔らかくいつもより冷たい。


「ごめんな。今日は仕事が入っちゃってて」


 頭を小さく下げる。

 にしてもまさか男に絡まれているとはな。

 いや、今までが幸運だったのか。このレベルの子なら声もかけられるよな。


「でもどうして彼らと行かなかったんだ?」


 純粋な疑問を投げかけた。時間的に俺が来る確率は低い。

 だから、彼らについて行ってもよさそうだが。


「……わからないかな」


 白月はレンガ造りの地面を見ながら、小さく呟いた。

 わからない。……わかってしまうと、きっと危険だ。俺が喜ぶ。


「お兄さんを待ってたからだよ」



 ……!

 …………!


「ひゃっほぉおお!」 


 はい、喜んだー。俺のテンションが上がりました。

 白月が続けて「毎週来てたし」なんて言った言葉は聞こえてないっ!

 都合のいいことにだけ耳を貸せ。それが正義ジャスティス


「だからお兄さんのリアクション、大げさだって」


 困ったような笑みを浮かべながら、後ろ髪を右肩の方へ流す。

 いつもより大人びている姿と年相応の表情のミスマッチさが、たまらなく可愛かった。


 白月の姿を眺めていると「それに」と口を開いた。


「もうほかの人にはしてないし。今更やるのもね」


「えっ、そうなの」

「そうだよ。だってここ最近は日曜日の夜も一緒でしょ」


 する時間がないよ、と言葉を続けた。

 んん? それってつまり俺専属ということじゃないか!


 はぁ、嬉しくて仕方がない。この気持ちを伝えたいもんだ。  

 ……そういうわけだし、そろそろ教えちゃってもいいよな。これは信頼の証とか、そういうものだから。


「俺の名前は中村なかむら 信太郎しんたろう。呼び名は今まで通りお兄さんでよろしく!」


「……教えちゃっていいの」


 白月は長いまつ毛をピクリとさせたあと、静かにそう言った。


「もちろん。というかもっと早く教えればよかった」


 俺は微笑みながら口にする。

 これで警察が今まで以上に怖くなったが、後悔はない。

 白月のあの吸い込まれそうな瞳を見れば、誰だってそう思うだろう。


 よしっ、名前まで教えちゃったんだ。

 ここは毒を食らわば皿までの精神で、あれも教えよう。 


「メールアドレスも交換しない? 待ち合わせ場所とか変えたほうがよさそうだし」


 白月が可愛いのは間違いない。

 でも、まさか噂として広がるレベルだとは思っていなかった。人気あるよなぁ。中身はプロレス技をしているだけなのに。ちょっとジェラシー。


「いいけど。どうしちゃったの、お兄さん」


「テンション上がりすぎて……というよりも、どうかしちゃってるのを認めつつあるのさ、うん」


 俺は首をカクンと下に揺らしながら、スマホを取り出す。

 そして間違えて通話アプリの方を開いて、思い出した。


「そういや、どうして通話アプリをやってないの?」


 聞こうかどうか迷ったが、聞いてしまった。

 だってこのアプリを使ってない人って滅多にいないからな。

 ……友達がいないから使ってない、なんてこともなさそうだし。


「だって、面倒な感じがするし」


 実に白月らしい理由だった。

 俺は納得しながら、アドレスと電話番号を交換する準備をした。




「じゃあそろそろいこっか」


 無事に連絡先の交換を終えると、白月はそう言った。

 時刻を見ると夜の八時三十分を過ぎている。


「時間は大丈夫? 結構遅くなっちゃったけど」


「気にしないで。早くいこ」


 白月は会話を終わらせ、繁華街へと歩みを進める。

 聞きたかったが、聞けなかった。家族のことを。そう簡単に踏み込める内容じゃない。

 ……俺たちが出会った時は夜の十時を過ぎていたな。親が、家にいないのかもしれない。もしくは相当に不仲なのだろうか。


 少女の堂々としていて、でも寂しげな背中をただ見つめる。

 なにかしてあげたい。そう想っても、想うだけしかできない。感傷的な気持ちが胸を満たしていると、白月が動きを止めた。


 

 長い黒髪が舞う。

 そして誰もが「はっ」とするような――気持ちが伝わる笑顔でこちらを見た。


「お兄さんだけじゃ不公平だよね。りさ、私の名前は白月しらつき 理沙りさ。改めてよろしくね」

 

 まだ満ちていない上弦の月。

 やわらかな月の光に照らされながら、惚れ惚れとするような微笑みを自分に向ける。


 ――このまま時が止まってしまえばいい。

 そう思った時には、また歩くことを再開していた。


「これは、たまらんさ」

 

 もうこの気持ちを認めなくちゃいけないのかもしれない。

 そう思いながら、白月の背中を追った。






 人通りの激しい繁華街の通りを曲がると、そこは大人の世界だった。

 照明や看板の色は落ち着いたものになり、通りを歩く人も自分より歳を重ねた人ばかりだ。

 ここまで来ればホテルまであと数分だろう。あのシン○レラ城もさすがに見慣れてきたな。


 ほんの少し前を歩く白月を眺めていると、後ろから男性の声が聞こえる。

 「止まりなさい」と。誰かが食い逃げでもしたんだろうか。

 

 そんなことよりも、白月のことをなんて呼べばいいんだろう。

 このまま白月? それとも……理沙? もしくはあだ名だろうな。……ほかの女なら下の名前でも呼べる。でも、意識している相手だとなぁ。ぬぅぅぅぅ。こ、ここは白月かあだ名呼びでお茶を濁そう!


 そうへっぴり腰に考えていたら「止まりなさい」という声がまた聞こえてきた。

 さっきよりも近くからだ。

 

 あれ、これってもしかして俺たちに声をかけているのか。

 と思いながら、振り向いたらそこには――


「君たち、少し話を聞かせてくれないか」


 ――全身を真っ青にさせる存在がいた。

 警察って、そりゃあないでしょ。

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