第19話 彼の家

「君たち、少し話を聞かせてくれないか」


 人通りの激しい繁華街の通りを曲がり、ホテルまであと数分。

 というところで、全身真っ青の人――“警察官”に声をかけられた。


 マズイ。

 俺が一人だけの時に声をかけられても、冤罪ですぅ! と言える。

 だが、今は“ホテル街”で“女子高校生”と一緒にいる。これはマズイぞ……。


 自分がそう考えていると、


「隣にいる女の子も、こちらを向いて」


 男性警察官が白月しらつきにも声をかけた。

 幸い白月はまだ動きを止めているだけで、顔は見られていない。今から歩くことを再開して、そのまま立ち去ってしまえば、無関係を装える。そう考えたが、それは難しいか。俺達の距離はあまりにも近かった。


 肩と肩が触れ合う距離で歩く他人なんて、いない。


「……」


 白月は無言で警察官の方へ振り向く。

 横顔はいつもと同じように憮然ぶぜんとしていた。いや、違うな。ちょっとこわばっているように見える。


 そりゃそうだよな。

 悪いことをしてるって自覚がある状態で、警察に声をかけられれば緊張もする。

 俺だってそうだ。きっと顔の筋肉がひきつってる。


 でも、どうしてだ。

 どうして警察が俺たちに声をかけた。白月を未成年だと見抜いたのだろうか。

 大人びているし、そう簡単に見抜けるとは思えない。と考えながら、白月の格好を見て理解した。

 

「格好からの判断で申し訳ないが、君は中学生か高校生。そしてあなたは社会人」


 間違いはないね、と聞かれる。

 俺は黒い空を見上げて、ため息を吐いた。

 


 そう、白月は制服姿のままだった。

 オシャレなブレザーの下に、髪の色と同じチョコレートブラウンのセーター。そして白いシャツにくくりつけられた、青いネクタイ。

 ボトムも制服スタイルだ。長い足が生えるような短めのスカート。それに、膝丈まである長いソックス。



 ああ、どっからどう見ても女子高校生だ。しかもえんこーしてそうなタイプの!

 

 どうすればいいんだろう。

 そうだ「制服のコスプレをしてもらってただけなんです!」で言い逃れできやしないかなと考えていたら、


「君たちはこんな場所でいったいなにをしていたんだ? ここがどういう場所かはわかるよね」


 そう言われ周囲を見渡す。

 ……ここでやれることなんて限られている。酒を飲むか、愛を育むホテルへ行くかのどっちかだろう。

 間違えてここに来てしまった、という言い訳は苦しいか。


「……」


 どうする、どうやってこの状況を切り抜ける。

 警察官は明らかに俺たちを疑っている。

 

 けれど、まだ“なにもやっていない”これが真実だ。

 それに、えんこーをしている証拠なんてものはないだろう。なにせまだホテルには入っていないのだから。


「聞こえているのか。ちゃんと答えるんだ」


 でも、それを大人の俺が説明しても意味はない。

 援助交際をして罪が重いのは自分なのだから、ただの自己弁護にしかならない。

 なにより警察官から見れば、少女が悪い大人にかどわかされいるようにも見えるだろうし。


 だけど、ムッツリを決め込んでも状況は解決しない。

 ここは営業でつちかったトークスキルで逃げ切ろうとしたところで、白月が口を開く。


「おまわりさん。さっきから勘違いしているみたいだけど――」


 白月はそこで言葉を止めたあと、俺の右腕を抱きしめた。



 !?



 どういうつもりだと内心焦っていたら、


「私たち兄弟だよ。ね、兄さん」


 白月が上目遣いで同意を求めてくる。

 とんでもないことを言うな……兄弟って、でも始めてしまったならこれでいくしかない。


 俺は内心の動揺を胸に隠して、堂々と言う。

 

理沙りさの言うとおりです。それと先ほどの質問に対する回答ですが、駅へ戻るための抜け道として使っていました」


 大通りは人が多いですから、と苦笑いしながら答えた。

 あえてこの場所の建物には触れない。触れてもロクなことにはならないから。


「…………」


 警察官はまだ疑っている。

 けれど、さっきよりもどこか迷うような素振りをしていた。


「なら……兄弟であることを――」


「兄さんはね、お仕事の出張で久々に家に帰って来てくれたんだよ。でも、あと少しでまた遠くへ行っちゃうんだ。だから、こういうわずかな時間でも大切にしたいんです。少しでも多く話をして、思い出を作りたいから」


 そう言い俺の腕を引っ張りながら、通りを小走り気味に歩く。

 きっと後ろにいる警察官は、兄弟であることを証明できる身分証明書を出してください、と言うつもりだったんだろうな。

 そんな警察官も「待ちなさい」と言うだけで、こちらへは来なかった。あっちもハッキリとした証拠を持ち合わせていないから、追求するのは難しかったのだろう。


「やるな。白月は演劇部に入った方がいい」


 斜め前にいる白月を見ながら、軽く呟く。

 でも、さっきの言葉はとても演技には思えなかった。白月のなにかへの想いがとても込められていたように感じる。

 

 それに、自分も他人事のように聞くことはできなかった。

 俺は来年もこの場所、この国にいるのだろうか。

 ……自信はない。


「あれぐらい、女なら当然だよ」


「そりゃ怖い」


 俺はすっとぼけるように言いながら、白月の顔を見る。

 いつもと変わらない仏頂面だ。でも、その顔がなにかを隠しているように見えたのは、俺の勘違いじゃないだろう。






「さっきはごめん」


 細い路地を抜け、コンビニの前まで来た。

 そこで白月は足を止めて、俺に謝罪してきた。


「どうしたの、いきなり」


 首を傾げながら尋ねる。

 謝られるようなことをされた記憶がない。


「着替えるの忘れちゃってて。今日は暑いから、お兄さんと会ってから着替えるつもりだったんだけど」


 そう言うと、白月が肩にかけているトートバッグから、コートを取り出した。

 そして、紺色のコートを着ようとしている白月を見ながら俺も謝る。


「ああ、そういうこと。こちらこそ気づかなくてごめんな」


 確かに白月にしては珍しいミスな気がする。

 しっかりしてるからなぁ。やっぱあの男共に囲まれていたのが原因だろうかと考えていたら、


「……私もテンション上がってたのかな」


 静かなつぶやきが、俺の耳にギリギリ届いた。

 テンションが上がるようなことってあったかな。

 まさか、俺の名前を知れたからとか? まさかなぁ。……まさか?


 聞こうか迷ったが――やめた。

 自分はこのパターンでの勘違い多いからな。さすがに学習してきた。


 俺は自分の気持ちを切り替えるために、さっきの話題を振る。


「それにしても、さっきの警察官に対する返しは危なくなかったか?」


 身分証明書を提示されたどうするんだと言葉を続けた。


 別に責める気は毛頭ないが、兄弟設定なんて、身分書を見られたらおしまいだ。かなりリスクの高い方法には違いない。でも白月の熱の入った演技でどうにか乗り切れたけど。


「見られなかったでしょ。それが全てだよ」


 白月は両手の平を肩まで持ち上げて、いけしゃあしゃあと答える。

 ……こりゃ将来は大物になるな。


 感嘆の――呆れが混じった――息を吐いたあと「今日は解散にしようか」と言葉にした。

 時計を見るともう夜の九時だし、なにより警察とやりあった直後だからな。

 あの近くのホテルに戻るのはどう考えても危ない。


「お兄さんはそれでいいの?」


「仕方がないだろ。まさかホテルの近くに戻るわけにはいかないし」


 まだあの警官がいる確率は高い。残念だけど、解散するのがベターだろう。

 そう考えて駅へと足を向けたところで、


「お兄さんの住んでる場所ってどこ?」


 白月が聞いてきた。

 どこかイタズラっけのある笑みを浮かべながら。


 俺は首を傾げながらも、素直にそれを答え――



 



 ――家に帰ってきた。

 新幹線のある駅から一時間近く電車に揺らされたあと、寂れた無人駅を降りて更に五分。

 俺の疲れをそれなりには癒してきた二階建てのアパートの前にたどり着いた。


 ここは繁華街と比べて寒い。

 おそらく周囲に山や森があるからだろう。人っけも少ないし。

 でもその代わりに、空気が澄んでいて、上に広がる星空はどこよりも輝いている。


 といってもこの寒さに耐えてまで見たいとは思わない。

 普段なら早々に二階の部屋へと戻っているわけだが……


「お兄さん、早く部屋に入ろうよ」


 そうにもいかない事情がある。

 どうしてか俺の隣には白月しらつきがいた。白い息を零しながら。

 

 

 ――俺の住んでる場所を教えたあと、白月はいい場所があると言って駅へ向かった。

 てっきり西口の方に行くのかと思っていたら、なぜだか電車に乗り……一緒にここまで来ちゃったよ。

 

 電車に乗っている途中で「あ、これは俺の家に来る気だな」と勘付いてはいたんですけどね!

 けど、まさか違うだろう。という気持ちがあった。それと……それはそれでいいかな。という気持ちに後押しされて、なにも言えずじまいだ。


 でも、実際に家を目の前にするとためらってしまう。

 このまま自分の家に入れたら、取り返しのつかない事態になりそうで。


 いや、それは大丈夫だ。自分の理性を信じている。

 問題はそこじゃなくて、高校生を部屋に入れてしまうことが問題だ。独身の男の部屋に女子高生を招き入れるなんて、言い訳がきかない。



「あーもうちがう!」


 俺は思わず叫んだ。

 すると、白月が珍しく心配そうな目で見てくる。が、気にしない。

 こんな気持ちを抱かせているのはお前が原因だぞ。と思いながら、空へと視線を向ける。


 違うんだよな。

 そんな模範的な理由で、白月を部屋に入れる、入れないと、迷っているわけじゃない。ホテルに何度も行っている時点で今更な話だろう。

 そこじゃなくて、部屋に入れると決めたら、どうかしている気持ちを認めざるを得ない。


「はぁ」


 高校生に恋しちゃったかぁ。

 大学生ならよかったのにな。見た目はそっちでもいけるし……。


「ふぅ」


 障害の多い恋になりそうだ。

 っていうか、そもそも白月が俺をどう思ってるかって話なんだけど。

 まぁそれは追々考えるとしよう。……嫌われている、なんてことはないだろうし。


 俺は気持ちを決めて、白月を見る。

 そして心を落ち着かせながら、口を開いた。


「お待たせ。部屋に行くとするか」


 俺のそんな言葉に、


「なんか、大丈夫なの」

 

 と返されてしまった。

 ……そりゃいきなり叫べば心配もするよな。

 いっそこのまま帰ってくれれば、なんて気持ちを胸に隠す。


 そして鉄骨で作られた階段を上りながら、呟いた。

 「大丈夫じゃないだろうな」と――






「おじゃまします。あれ、暖かいね」


「暖房をつけっぱなしにしてるからな」


 玄関で靴を脱ぐ制服姿の少女を尻目に、部屋の電気をつける。

 あーなんか緊張してきた。とりあえず飲み物でも出すか。

 俺が冷蔵庫の前まで移動すると、


「それもったいないよ。お兄さん」


 どこか非難めいた声だ。

 俺もそう思う。電気代がもったいない上に、自然破壊までしてるからね。

 でもまぁ……


「せめてもの贅沢さ。本当はマンションに住みたかったんだけど」


 住めば都。

 なんて言葉があるぐらいで、今のアパートにさして不満はない。

 けれど、できればマンションの方がよかった。おっ、イチゴミルクめっけ。


「この辺はそういうのないもんね」


「そうそう。それこそ繁華街の方までいかないとさ」


 家を探す時は苦労した。

 なにせこういう賃貸のアパートすら、この辺には少ないと来た。意外とあるのが一戸建ての賃貸。でもこれは一人で住むのにはデカ過ぎる。住んでいる途中で絶対に寂しくなるね。

 

「繁華街の方じゃダメだったの」

「……会社の通勤に一時間以上かかる」


 俺はイチゴミルクを透明なコップに注ぎながら、苦い顔をする。

 マンションか会社の通勤時間、どちらを犠牲にするのか? という話なら、迷わずマンションを犠牲にする。……社会人一年目の時は苦労したからなぁ。


「なるほどね。私も通学に一時間は耐えられなさそう。……お手洗いってどこ?」


「すぐ右に曲がったところ。お風呂と同じ部屋にあるから」

「ありがと。じゃあ借りるね」


 そう言ったあと、扉を開く音、閉まる音が聞こえた。 

 その音を聞きながら俺は飲み物が注がれたコップを二つ手に持つ。

 そして、一足先にテーブルの方へ向かった。




「……」


「…………」


 会話がない。

 もう既に二杯のイチゴミルクを飲み干してしまった。

 なにを話せばいいんだろう、学校のことでも聞くか? ……それじゃあ、まるで父親だ。

 

 俺はチラリとベッドを見る。

 そもそも白月がここに来た理由は自分にプロレス技をかけるためだ。なら、とっととベッドに移るのが一番だろう。

 でも、自分から言っていいものなのか。「技をかけてください」って。


 うーんうーんと頭を悩ませていたら、


「これって、ギター?」


 と白月が指差しながら尋ねてきた。

 俺はそれに頷く。

 

「大学時代にサークルでやってたからさ、こっちにも持ってきたんだよね」


「本当、いろんなのやってるね」

「まぁははは」


 白い壁に立てかけられたカーキ色のギターを見る。

 始めたきっかけは女子にモテるぞ! と言われたからだが、それは黙っておこう。

 

「今でも弾けるの?」

「うーん、どうかな。最近は弾いてないんだけど……試してみるか」


 そう言ったあと、白月にギターを取ってもらうように頼む。


「はい。結構重いよ」


「ありがとう」


 確かに重い。

 しょっちゅう弾いていた大学時代は軽いとさえ思ったんだけどな……。俺は若干自信を失いながら、ピックを持って音を鳴らす。


「あ、鳴ったね」


 白月は少し驚いたようにまばたきをする。

 俺もちょっと安心してたり。故障してたらまた会話につまってしまう。


「なにか弾けるの」


「定番のならね……よしっ、弾いてみるか!」


 白月のどこか期待する視線を受けて、ついついそんなことを言ってしまう。

 チューニングすらろくにやっていないんだけど大丈夫だろうか。

 というかそれ以前に今の俺がまともに弾けるか怪しかったりする。


 でもまぁ素人相手ならいくらでも誤魔化せるしな!

 とゲスな考えをしながら、ギターを持つ手に力を込める。

 

 そして弾こうとしたところで――やめた。


「お兄さん?」


 俺は一度立ち上がり、外へそのまま向かう。




「どうしたの、いきなり外に出っちゃって」


 困惑する白月に対して俺は事情を説明する。


「アコースティックギターって音が大きいんだよね。だからお隣さんがいるかどうか確認してきたんだよ」


 ギターを手にしながらそう口にした。

 幸いお隣さん――右側の部屋には人がいなかった。角部屋だし、左側は心配する必要がない。

 つまり、演奏をしないという言い訳はできなくなってしまった。

 

 俺は髪を軽く掻いたあと、ミニテーブルに置いたピックを手にする。


「大丈夫そう?」


 どちらの意味で聞いたのだろう。

 お隣さんのことを聞いたのか、それともちゃんと弾けるのかという意味で聞いたのか。

 鋭い白月のことだ。両方の意味で聞いたのかもしれない。


「いける、いける」


 対面にいる白月にグッドポーズをして、アピールをした。

 そして頭の中でメロディを呼び起こす。


 トゥ、トゥ、トゥッ、タ。

 大学時代に流行ったポップスの歌だ。

 今でも耳にする曲だし白月もわかるだろう。それに俺の中で一番自信がある曲だ。どうにかなるはず。


 そう思いながら、ゆっくりと音を弾かせた――




 ――数曲弾いたところで音を止める。

 久々にやるとかなり疲れるわ。精神的に。


 俺が小さくため息を吐いていると、拍手の音が聞こえた。


「うまいね。全然久しぶりな感じがしなかったよ」


 いつか見た――ダーツの時に見た――あの感心するような瞳が自分に向けられる。

 

 ふぅぅー!

 その視線に調子づきながら、六本の弦を響かせる。


「ありがトゥゥッ! でもまあこれ全力じゃないから。チューニングで調整しちゃえば更にヤバイよ」


「もう、なにそれ」


 手で口元を隠しながら、くすくすと笑う。

 今までと打って変わって緩やかな時間だ。けど、こういうのもいいな。

 適当にギターの弦を弄っていると、あるアイディアが思い浮かんできた。


 …………

 ……


「白月もギターやってみる?」


 その言葉に白月はちょこんと首を横に動かす。


「私やったことないよ」


「だからこそさ。軽くなら教えられるから」


 俺はギターを持ったまま立ち上がり、白月の斜め後ろを陣取った。

 そして横から差し出すようにギターを渡す。


「ん、やっぱり重いね」

「なら、あぐらか体育座りで……って違うから! パンツを見ようとしたわけじゃない」


 前科者はつらい。

 白月の眼差しに俺は焦りながら否定する。


「その二つの座り方でやったほうが楽だから勧めたの! でもまぁ制服だもんな」


 短めのスカートを履く白月を見てそう思った。


「なんかないかな。その正座モドキでも楽に弾ける方法……」


「いいよ、そこまでやりたくないし」

「いやいや、ここは一度経験してみようっと、そうだ」


 ギターストラップ――肩紐があるじゃないか。

 俺は茶色のクローゼットからそれを取り出す。そして一度返してもらったギターに、紐をくくりつけた。



「よしっ、白月も立ち上がって」


「はいはい」


 どこか諦め半分「もうなれた」と言わんばかりの声を出しながら、素直に立ち上がる。

 そして立ち上がったあとにギターを渡して、白月の肩に紐をかけてあげた。


「これで重くないはず。ギターは水平に持って……」


 白月の手に触れながら指南をする。

 音の出し方や響かせ方、それに好きな曲の話。

 そんな他愛のない会話と動きを積み重ねていた最中、俺は気づいてしまった。



 距 離 が 近い!


 

 自分史上最高の近さ!(ベッドにいるときは除く)

 近くにいることを意識してから、白月の髪から香る爽やかなにおいとか、密着している体のしなやかさとかを感じてしまって、もうどうしようもない。

 心は遥か昔の中学生時代に戻った気分だ。すごいドキドキする。


 俺は動きを止めた。

 そしてこの気持ちを悟られないよう、少しだけ距離を離す。

 バレてたまるか! また変態なんて呼ばれたくない! 変態だけど!

 

「お兄さん、どうしたの。って、ああそういうこと」


 壁の方を見ながら白月は呟いた。

 そういうことって、どういうこと!? もうバレたのか。

 俺が冷や汗を流していると、


「するんでしょ? もういい時間だもんね」


「へっ、するって……」

「いつものだよ」


 ほら、ベットに早く行ってと催促されてしまった。


 あーよかった。勘付かれてはいなかったか。

 それにしても、もう終電の三十分前か。今日は技の時間が短めで少し残念だ。

 けど、今までの時間には代え難いと心から思った。




「うんんんっ、今日もぎぐううううう」


 自宅のベットで、いつもと同じように技をかけてもらう。

 仰向けになっていて白月の表情はわからないが、きっと素敵な笑顔を浮かべているに違いない。


「いて」


 俺が快楽と痛みの狭間に立たされていると、頭になにかがぶつかった。

 感触からして、プラスチックのような感じがする。


 なんだろうと、顔の近く――枕元に落ちたそれを右手で拾い上げる。

 ペン、いや万年筆か。このゴツッとした形状はどこかで見たな。


 思い出そうと頭を捻っていたら、


「あ、ごめん。落としちゃったみたい」


 白月が動きを止めて、そう口にした。

 ああ! そうだ。初めて白月とホテルにベッドインした日に見たやつだ。

 そういやこの万年筆を落とした時、随分と焦ってたなぁ。


「大切な物なんだろう? ちゃんと気をつけてね」


「ん? 別に大切ってわけじゃないけど」

 

 白月はペンを受け取りながら、首を傾げる。

 あれ、なにこの意識の違い。


「前にこれを落とした時は焦ってたからてっきり」

「ああ、あの時はそうだね。ちょっと焦ったかも」


 そこに食い違いはないらしい。

 いよいよわからなくなっていると、


「そっか。お兄さんはこれがなにか知らないんだ」


 そういうと白月は蠱惑的な表情をしながら「ためしてみる?」と口にした。

 試すっていったいどう意味だろう。書き心地を試すって意味ではないだろうし。

 

 うーん、気になる。物は試しか。

 そう思い俺は白月に「ためす!」と元気よく返事をした。

 すると、


「人にやるのは初めてなんだよね。……多分大丈夫だから」


「えっ、ちょっと多分ってどういう」

 

 次の瞬間――万年筆を俺の右腕にひっつける。

 そしてそれを認識した瞬間には、痺れていた。



 !?



 なにこれっ!

 腕が痺れて、次には体が痺れて、口が上手くまわらない。


「あばばばばばばっ」


 静電気の威力を可能な限り高めたなにかが、俺の腕を痺れさせる。

 よくわからないけど、能力者に目覚めるぅぅうぅ!! 目覚めてマジシャンとかやっちゃううぅぅう!

 と考えていたら、いつの間にか痺れはおさまっていた。


 あれ、俺は世界を救っていたはずなのに……


「ごめん。なんか思った以上に威力ありそうだね」


 申し訳なさそうな白月を見て、


「ごめんじゃないんだよこの野郎!? 大の大人が少し泣きそうになったわ!」


 キレた。なにも考えずにキレたね。

 大の大人が気になっている女子高生の前で泣くなんてまっぴらごめんだぞ! 現実逃避してなかったら泣いてたね。

 俺は危機を乗り越えられたことにキレながら安心していると、白月はしゅんとしていた。


「お兄さんだからって、やり過ぎだよね。ごめん」


「あっいや、そんな、大げさリアクションしただけだから。ほらなんていうの、芸人のサガ?」


 思っていたより落ち込んでいる白月をフォローする。

 冷静に考えたらこわいよな。男がキレながら叫んだりしたら。


 俺は反省しつつ、その万年筆について尋ねる。


「それってもしかしてスタンガン? ペン型のもあるとは聞いてたけど」


「……そう。最近はカバンの中に閉まってたんだけど、今日はあの人たちがいたから」


 なるほど。

 防御策としてスタンガンを持っていたわけだ。

 なかなか用意周到だな、流石は白月。


 ンン? まてよ……


「今の言い方だと、最近は俺を信用してカバンの中に閉まってるってこと?」


 その言葉に白月は呆れたような――少し照れているような顔をしながら、頬をかく。

 そして一つ呼吸を置いたあと、口を開いた。



「信用してなきゃ、部屋になんてこないよ」



 そのあと「私のことどう思っているわけ」と口にする。ジトっとした目をしながら。俺の返答は決まっている。


「もちろん、えん――俺の心が炎上しそうなほどに、美人で可愛い子さ!!」


「もう、バカじゃないの」


 そのまま言葉を続けても気にしないのに、と苦笑いしながら口にした。

 俺はその表情を見たあと、捻っていた首を戻す。そして枕に顔を埋めながら、


「ぼふぉのこほだだらいうのさ(本当のことだからこれでいいのさ)」


 と口にした。

 我ながらなにを言ってるのか聞き取れない言葉だ。もう豚野郎だ。

 そんな動物言語に対して、


「そっか」


 白月は穏やかに答えた。

 

「ねぇ、そのままうつ伏せでいてくれる?」


「いいよ。でも、時間は大丈夫なの。車で送ってくこともできるけどさ」

「大丈夫だよ。少しだけだから」


 それに終電でちゃんと帰るから、と口にする。

 俺はその言葉を聞いて、少し残念だったり、ほっとしたりした。

 でも最後にはちゃんと家に帰してあげよう。という気持ちが強く残った。……その気持ちが最後に残ったのはきっと、今の関係を大切にしたいと思ったからだ。


 自分のそんなシリアスな気持ちに身を預けていると、白月が背中に両手を当てた。


「お詫びをするね。ペンのこと隠してたり、痺れさせちゃったりごめん」


「そんなの、気にしなくても」

「ううん。それだけじゃなくて、感謝も含めて。……助けてくれてありがとう」


 最後の言葉は小さい声で、けれど一番心のこもった声だった。

 そして俺のカットのシャツを後ろからめくり始めた。


 !?


「初めてだから、自信ないけど。そのへんは気持ちでカバーするから」


 俺のシリアスな気持ちは、その言葉で完全に崩壊した。

 初めて! お詫びと感謝! 俺の服を脱がす意味。

 

 ぼくわかる! レッツえっち!




 ☆




『はずかしいよね。高校生にもなって初めてなんて』

『頑張るから。最後まで……してね』


『そうなの? なら、いいかな』

『ふふっ、うん。お兄さんが喜んでくれるなら、はじめてでよかったよ』


『好きだよ、お兄さん』




 ☆




 俺もです!

 と思いながら、肩をほぐしてもらう。


「上手いじゃないか。初めてには思えないよ」


「まぁ、勉強はしてたから」


 白月の細く長い指が、俺のツボを刺激する。 

 あーこれがまた気持ちいい。一時期マッサージ店に通ってたけど、それと遜色無い気持ちよさだ。

 技術とかじゃなく、白月がマッサージをしてくれる、という事実が最高に気持ちよかった。


「気持ちよすぎて眠っちゃいそう」


「大丈夫だよ、眠っちゃっても」


 俺のポロリとこぼれた本音を白月が拾う。

 

 できれば見送りをしたい。でも眠りたい。

 という葛藤が頭の中でバトルをする。あっこれは眠るパターンだ。


 ……にしてもエッチとかじゃなくてよかった。

 本当にそういう系の行為なら俺は必死に止めていただろう。

 だって、焦りたくなかった。白月はまだ若いし、勢いとかでそういうのはするべきじゃないと思ったから。

 それに白月と勢いで行為をしたあとに、俺がシンガポールへ行くと決めたらとても残酷な行為だ。まさか一緒について来てくれとは言えないし、ついて来てくれないだろう。彼女と同じく。

 遠距離恋愛にだって、耐えられないだろうしな……。


「ふぅ」



 シンガポールか。

 田舎でくすぶっているよりいいかもしれない。大輝が言うには、給料も今の倍ぐらい貰えるらしいし。

 なによりアイツと一緒に働ければ、毎日が刺激的で、きっと楽しいだろう。


 でも、迷いがあった。白月の暖かさを感じながらそう思う。

 もし俺が白月に恋心を抱いていて、それをこの子も抱いているのなら――日本で働くのも幸せなはずだ。

 一緒に街とか家で遊んだりしてさ、ギターとかも教えて一緒に弾きあったり、たまには遠出をしたりして、それでほんのたまには技をかけられちゃったりする。それってきっと素敵な毎日に違いない。



 シンガポールか白月、どちらを選べばいいのだろう。

 時間はあまり残されてない。遅くても、あと一ヶ月程度――クリスマスの日にまでは返事をしないといけない。白月とゆっくり関係を確かめ合っている時間はないのだ。


 それなら、仕方がない。

 一ヶ月で判断するための手を打つ。……俺が眠ってしまう前に。



「なぁ、白月。クリスマスの二十五日って学校は休み?」


「イブで学校が終わりだから、そうだね」

「休みか……」


 目を閉じて、心を決める。

 そして白月の方へと振り向いた。


「クリスマス、俺とデートしよう」


 小細工はしなかった。

 営業で培ったスキルを投げ捨てて、ストレートで勝負する。


「……本気?」


 白月は手を止めた。

 その“本気”という言葉の意図を読み取れない。

 だが、言葉を続ける。


「本気も本気。大真面目だ、白月と“クリスマス”にデートしたい」


 あえて俺は誘う日をクリスマスにした。

 この日に誘って、受け入れてくれるなら、きっと俺と同じような気持ちを白月も抱いている。

 あとは遊んでみての相性次第だ。野となれ山となれってやつに違いない。


 もしここで断られたら……シンガポールに行く。それだけだ。

 それも悪くない選択だろう。


「俺はクリスマスも仕事があるから、終わったあとの短い時間。それを一緒に過ごしたい」


 自分の気持ちを出し続ける。

 白月が返事をくれるまで。


「行きたい場所があるなら連れて行く。白月と同じ時間を共有したいんだ」


 ふざけず、ただ真面目に言葉を言う。

 

「もちろん遅くなりすぎないように気をつける。そこは信用してほしい、だから――」


「――いいよ。デート、するんでしょ」


 頭に浮かんでくる言葉を続けることはできなくなった。

 笑いたくなるような、ふてぶてしい声が聞こえてきたから。本当にオッケーなのか信じられなくて、つい確かめてしまう。


「……マッサージはあり?」


「……場合によっては」

「うっひょぉおおおおおお! ……」


 雄叫びをあげたら、なぜだかとても眠くなってきた。

 ああこれは俗に言う『気が抜けた』ってやつですね。わかります。


 意識がどんどん遠のいていくなか、綺麗な声が聞こえてくる。


「どこいこっか」


 でも、可愛らしさも感じられる声で、


「遊園地とか行きたいな。でも、遅くまで営業しているのかな」


 とてもとても贅沢な声を子守唄に、


「お兄さん?」


 俺は眠りについていく。明日もいい日であることを信じて――

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