第10話 彼の休日出勤、彼女のアルバイト
俺はスーツのボタンを外しながら空を見上げる。吸い込まれそうな青い空。控え目に輝く太陽。こういった天気を見ているとまだ秋は終わっていないぜ! と言われている気分になる。
「俺の仕事はもう終わったぜ!」
見えない誰かに向かって大きく叫ぶ。……現実は小声でつぶやいただけだ。
できることならば大声で叫びたい。でも、流石に人の多い繁華街で叫ぶ勇気はなかった。会社の最寄り駅ならギリギリいけるんだけどな、実際に落ち込んでいた時やったし。
まぁその時はバッチリ人に見られたけれども。通報とかされてないよね?
「ふぅ、世間様が休みの時に仕事するのはもったいない気分だ」
仕事自体は上手くいった。これも土日にしてもらったプロレス技のおかげだろう。やっぱり白月は俺にとっての女神様だな。
「だけどなぁ」
それとこれとは別問題だ。仕事が上手くいくのはいい。
だけど、なぜ祝日に取引を持ちかける。こっちは休みなんですよ! ベンチャーのピチピチな会社とはいえもっと配慮しろ!
これは決して相手会社のイケメンで有能な社長に嫉妬したわけじゃない。マナーの問題だからね、仕方がない。
「でもあのお茶請けで出されたイチゴは美味かったな」
酸味の効いたイチゴを思い出し、口の中に
思い出してはいけない……あーダメだ。勝手に思い出される。
透明なデザートボウルにこれでもかと盛ってある赤いイチゴ。
フォークで突き刺せばジュックと甘い汁がこぼれ、ボウルを赤く染め上げる。
そしてそのボウルを眺めながら、フォークに囚われたイチゴを口に放り込む。うまい! 赤い果肉は弾け飛び、甘さが口の中に広がる。
しかもそれだけじゃない。口の中に広がった甘さを刺激するかのように、わずかな酸味が後追いでくる。あれは素晴らしい。
そしてそのタイミングで来る酸味のおかげで後味が爽やかだ。何個も何個も食べたくなる。
けれど、人は飽きるものだ。俺もボウルに盛られたイチゴを半分食べた所で飽きた。
だが! その飽きを喜びへと変えてくれる存在があった。それが練乳だ。その練乳のおかげもあって出されたイチゴ全部食べちゃったからな。
最後の方、交渉相手の社長が頬をヒクつかせてたけど知らん! マナーがどうとかも知らん! 嫉妬とかでもありません!
出された物は全部食べる。それが食べ物に対する礼儀だ。
ぐぅ
好物のことを考えていたら、お腹の音が鳴った。
「…………」
時刻は午後の三時だ。お昼の時間を過ぎ、おやつの時間になっている。
さてと、どうしたもんか。昼を食べていないからお腹は空いている。けれど、この時間に食べると夕飯がな。
食べようか家に直帰しようか迷っていると、強めの風が吹き抜ける。
あの黄色いチャリのせいだな、爆走しやがって。この通りは信号がないし走りやすいんだろうが。
「さむっ!」
くーっ、コートを着てくればよかったな。寒い。
あーもういいや! とにかくどっか適当に入ろう。
「うーん」
辺りを見回すがめぼしい飲食店はない。カツって気分でもないし、スシって気分でもない。
俺はなにかいい店がないかと、駅の方面に向かって歩く。あれ、もしかしてこれこのまま帰るパターンじゃ……。
それはどうにもな。そうだ、あの居酒屋って昼も営業しているのかな。行ってみてもいいけど、結構遠いんだよな。あーダメ。考えているだけで面倒臭くなってきた。仕方ない、仕事終わったあとだから疲れてるんだよ。ふへぇ。
「お願いしまーす」
「どうも」
レンガ造りの地面を歩いていると、ティッシュを貰った。
ちなみにティッシュの提供主はメガネの販売店だった。俺はメガネしていないんだけど。いや、あれかコンタクトの可能性を疑ったわけだ。してないけどね!
とにかく貰えるものはもらっておこう。ラッキー! 濃紺色のスーツのポケットにねじり込む。
「ふぅ、落ち着くな」
なんかこの辺を歩いていると、都会にいたころを思い出す。
昼は老若男女がワイワイと街を練り歩き、夜はポン引きが酔ったサラリーマンを無一文にして帰す。どちらも馴染みの深い光景だ。
そういや夜のポン引きといえば、酔った飯田副部長がポン引き(男)を好きなアイドルと見間違えて抱きしめたのは忘れられないなー。
と思い出にふけていると、これまた懐かしい物を発見した。
「ワクドナルドじゃないか……!」
久々に見た気がする。なにこの感動の対面。ちょっと胸が打ち震えてる。
都会に住んでいた頃は駅の近くに必ずと言っていいほどにあったけど、いまじゃあ会社や家の最寄り駅にファストフードなんて乙なものは存在しない。
悲しいかな、田舎にファストフードなんて必要ないのだ。家でゆっくり暖かいご飯が食べられるからね。料理ができれば。
とにかくだ……
よしっ、ここに決めた!
俺はブタギュウに後ろ髪を引かれながらも、愉快なピエロに誘われて店に入る。ハハッ! これは違うか。
「いらっしゃいませ」
馴染みの声が俺を出迎える。いい声だ。可愛らしさを内に秘めた綺麗な声。
ン……ン? なんか前にもこの感想を抱いた記憶が……気のせいか。
俺は店員さんの頭上にあるメニュー表を眺める。チーズ、デリたま、ベーコンレタス、どれにしようかな。
「お決まりになりましたらお声掛けください」
さっきと同じ声が聞こえる。ヤバイな……この声の感じからして相当に可愛いと見た。っとそれより先に決めちゃおう。客が入ってきたっぽいし。
「店員さん、注文いいですか」
俺はレジ裏で作業をしている人に声を掛ける。
少々お待ちください、という声と共に店員さんは立ち上がる。おおっ、後ろ姿もスラッとしているな。それに女性にしては身長も高い。
さっきの綺麗な声の人だろうか。そうだったなら相当の上玉に違いない。
父:待て
俺:けっ、父さんの言うことなんて聞くものかよ。やってみせる!
俺は大きな期待と若干の不安を胸に店員さんの方へ顔を向ける。
そこには――
「お客様、お待たせいたしました」
――
「はっ……え?」
「いかがなさいましたか? お客様」
「いかがなさいましたかってそりゃあ……」
知り合いを見たら驚くだろう。しかもワケありな関係だし。
でも白月はまったく驚いた様子がない。もしかして俺だと気づいていないのだろうか。今日はスーツ姿だし。
「あーっとごめんなさい。なんでもないです」
「では、何になさいますか?」
そう言い白月(仮)はカウンターに置かれたメニュー表を注目させるように手の平を出す。
俺はメニュー表なんてそっちのけで、長くしなやかな指を見る。この指が俺の骨をいつもいじめてきたわけだ……。ってまだ白月と決まったわけじゃない。
「お客様?」
催促の言葉が飛んでくる。それに対して「じゃあまずビックワックを一つ」と注文した。全然ビックワックなんて食べるつもりなかった。
なのに、ついオススメと書かれていたから頼んでしまうとは。俺ってばドジ。
そんなことよりだ。本当に白月じゃないのか……?
俺は店員さん――白月を見る。可愛い上に美人だ。白月の特徴の一つである切れ長なアーモンド・アイ。
そして普段とは違い一本にまとめられた長い黒髪。新鮮だな、いつもより明るく見える。
それに整った鼻や肌の白さもあの子と一緒……だと思う。というか胸元の名札に白月と書かれていた。どう考えても本人じゃないか。まさか瓜二つの双子ってことはないだろうし。
「申し訳ありません。もし注文がお決まりでなければ――」
「お待たせ致しました! お次でお待ちの方、こちらへどうぞ~」
どういうこと? あ、白月が俺を一度並び直すように言いかけたところで、他の店員さんが来たのか。
へっ、真実を探る妨害はできなかったようだなぁ。白月ィ!
って後ろの人に悪いことしたな。俺は後ろにいた主婦っぽい人に向けてちょこんと頭を下げる。
さてと、俺は何をしようとしていたんだっけ。
メシを食べること……違う。白月に俺だと気づかせることだったな!
目的を思い出し、攻勢に出るため口を開く。
「店員さん、“あれ”ってないんですかね」
「あれ、とはなんでしょうか」
「あれはあれですよ。“アップルパイ”と“メロンパン”」
俺がそれらの言葉を発すると
……この反応、最初から俺だと気づいていたな。それなら挨拶の一つでもしてくれればいいのに。
うーんでもあれか。関係的に大ぴっらな場所で挨拶もしにくいよな。少し悪いことをしたなと思っていると、
「アップルパイでしたらございます」
気を取り直した様子の白月がこっちを見ながら、返答をした。
「そうでしたか。じゃあ――」
「――アップルパイを二十個ですね。かしこまりました」
「ちょ!?」
もしかしてお仕置きのつもりか、と驚いているうちにあれよあれよと話が進んでいく。このままだといつの間にか会計まで進んでしまいそうだ。俺はせめてもの抵抗で飲み物を頼む。
そして注文の復唱が始まった。ビックワックが一つ、コーラのMが一つ、それとアップルパイが二十個。
「――ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
俺は諦めて「はい……」と答えた。あんまりだ。
三枚の野口さんをレジ近くに置いたあと、働いている白月を眺めていた。
今は慣れた手つきでドリンクの蓋を閉めている。なんか意外だな。この子がここで働いているなんて。
なんで働いているんだろう。前の一件を思い出すにお金が目的とは思えないしな。
ぼーっと少女を眺める。アップルパイを二十個も頼んだせいか、商品がいまだに揃っていない。後ろに並んでいた主婦はもう店を出ちゃったし。
にしても、
「いいな……」
赤と白のコントラストがいい。それにあのキャップも意外と白月に似合う。
はい、どっからどう見ても変態です。最近技をかけられも耐えられるようになったし――そうだ! 頭の中で白いひらめきが走る。
俺はそのひらめきの導くままにメモ帳を取り出し、一枚抜き取る。そしてボールペンで文字を書き込んだ。
今日してくれませんかと――
その誘いに対して、白月はため息を吐きながら、
――いいよ とシンプルに答えを返した。ひゃっふー。
「お兄さんも本当に好きだよね」
店員の時とは打って変わって、ふてぶてしい声が背後から聞こえた。
でも、俺はあのお上品な声よりもこっちの方が魅力的に感じる。うまく説明できないけれど、この声こそ白月って感じだ。
「否定はしない」
俺はワックの近くにある小さな公園で、両手を広げる。後ろにいる少女へ降参のポーズだ。無難に考えれば情けないポーズ。けど、スーツを着ているし案外さまになっているに違いない。
「なにそのポーズ」
今の一言で自分の幻想は打ち砕かれた。
間の抜けたダサいポーズをしていると風が頬に当たる。さっきよりも冷たい。
窓越しに時計屋の掛け時計を見ると、時刻は午後の四時を少し過ぎたところだ。
「なんにしてもバイトお疲れ様!」
俺はそう言い白月の方へと振り向く。意外と近くまで来ていたんだな。
内心で驚きながら、紙に包まれたアップルパイを差し出す。
残り十五個。
「……皮肉のつもり? でも、あれはお兄さんが悪いんだからね」
知り合いがいる中であんなことして、と眉を曲げながら言った。
やっぱりこの反応からして、他人の振りをして欲しかったらしい。
俺は苦笑いをしながら謝った。
「はぁ、お兄さんは警戒心が高いのか低いのかよくわからないな」
呆れたように言う。
もしかしてあの対応はこの子なりの気遣いだったのかもしれない。
「ほら、なんか予想外の所で知り合いと会うとテンション上がらない?」
「……小学生じゃないんだから」
グサリ。
俺が胸の痛みを感じていると、白月は差し出したアップルパイを受け取った。
そして包を開けて齧り付く。サクサクとテンポよく食べ終え、包を小さくたたみながら喋り始めた。
「ちょっとやり過ぎたね。ごめん。二十個だっけ、アップルパイの注文数」
「そうだけど、俺の配慮が足りなかったし気にしないで。って、なぜ財布を取り出す!」
「余っている分を買い取ろうかと思って。まさか全部食べてないでしょ?」
真っ直ぐな視線を向けながらそう言う。
そりゃあなと思いながら頷く。あの数を一気には食べれない。そんなことをすれば糖尿病待ったなしだ。
「だったら――」
「大丈夫! 何日かに分けて食べるからさ」
俺は手で制しながら少女の動きを止める。
すると、白月はそう……といい財布を引っ込める。そのあとにボソッとこう言った「私、結構ワクドのアップルパイも好きなんだけどな」と。
…………
まさかとは思うが、残った十五個を全部食べれるほどに好きだったりするのだろうか。そういえばこの子がなにかを好きって言うの初めて聞くし。
いやいやまさかな、と思いつつも、白月が肩にかけているトートバッグにそっとアップルパイを三つ入れておいた。腐る前に気づきますよーに。
俺はバッグにブツを入れたあと、そのまま白月の服装を眺める。
「おお……」
いいね!
それに白月の私服姿って初めて見るな。この子のイメージに合った服のチョイスだ。だから普段よりも大人びて見える。
アルバイト姿にしろ、この私服姿にしろ、今日は初めて尽くしでテンション上がるな~。
「お兄さんのスーツ姿を見るの初めてだね」
感心したような声が聞こえる。
どうやら俺だけじゃなく、白月も同じような気持ちを抱いているらしい。
ふ、これは惚れちゃうかな? オレ調べによると男性のスーツ姿にドキッとする女性は八割いるらしい。
つまりこれは来たな。いやぁ、でも困っちゃうな。告白されてもね! 今は彼女作る気ないから!
俺が歯をキラッとさせながらアピールをしていると白月がゆっくりと近づいてくる。
そして手を少しでも出せばぶつかってしまうような距離で、止まった。
「あの……」
「…………」
問いかけに白月はなにも答えない。
ただ、俺の首元を愛おしそうに見つめているだけだ。
えっとどうすればいいんだ。冗談が真になったパターンか……? 俺はフェロモンの出る香水なんて買ってないぞ。
焦りをかき消すために雑誌の裏表紙で宣伝されている香水について考える。
けれど、その間にも白月の視線は強くなる一方だ。そしてついには視線だけでなく、俺を抱きしめるように首元へ手を伸ばし――
あっ。
「ネクタイ曲がってるよ。もっとしゃんとしたら? スーツもよれてるし」
白月は俺を抱きしめることなく、ネクタイに触れる。そして曲がっていたと思われる部分を直してくれた。
うん、わかってたよ? こんなオチだって。でもね、期待しちゃうんだよ。だって男の子だもん。
我ながらキモいが、それぐらいにショックを受けた。白月に初めてプロレス技を喰らった時みたいな感じ。あれは酷かったな……。エッチをするもんだと思っていたら、まさかの関節技。
ああ、あれに比べると今回のは全然マシだな。過去に経験した出来事と今を比較して、ショックをやわらげていると、
「クリーニングに出した方がいいよ。印象って大事だし」
「はい……」
追撃が入った。
女子高生にこんなことを言われる大人っていったい……。
今までなあなあで使い込んできたけどクリーニングに出そう。このスーツだけじゃなく、ほかのも。
俺は顔を覆いながら、心の中で思った。逆に考えればこんな格好でも上手く商談をまとめた俺って天才じゃね!? と。泣ける。
「ま、そんなことよりいつものするんでしょ?」
お馴染みの淡々とした声。
それが余計にダメージを与えてきて……そんなことだよ! チクショォオオ!
「はいっ!」
元気な声が口から放たれる。
おっかしいな、心では泣いてるはずなんだけど。カラダが勝手に返事をした。不思議!
「それともう一つお願い――要望があるんだけど」
そういえばだ。
オレ調べによると男性の八割が女性の制服姿が好きらしい。
残りの二割はヒッピーだ。要はすっぽんぽんが好きな人たち。
「聞くだけ聞いてあげるよ」
まぁなにが言いたいかとと言えばですね。
「お金はいくらでも出すから! ワクドナルドの制服姿で技をかけてくれ!!」
制服姿って最高だよねっ!
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