第36話 彼と彼女の歩み
自宅から車で一時間。
俺たちは県内最大級の遊園地に来ていた。
土曜日ということもあってか、園内には人がわんさかといる。
「こりゃ夢の国や映画の国に次ぐ人気ってのも本当だな」
なんかテンションが上がってきたぜ!
そう思いつつ、人混みから徐々に視線を外して――
空を見上げた。
上空には青く透き通った世界が広がっている。
その世界の中には、輝く太陽、薄白な月。そして、大きな花弁が宙を回っていた。
「やっぱ迫力あるよなぁ」
大きな花弁――観覧車を改めて見る。
花の形をあしらったそれは外側に八枚の赤い花弁を身にまとっている。
そして中央には黄色い
この遊園地のテーマは「花」と「光」だ。
だからあの観覧車は遊園地のシンボル的な存在なのだろう。
夜が楽しみだなと考えていたら、
「どこからいく?」
隣にいる彼女――
白月の見た目は休日なのに制服姿だ。……さっき、どうして制服姿なんだ? と彼女に尋ねたら「お兄さんが喜ぶと思ったから」なんて返事が返ってきた。俺はとっさに「そ、そ、そんなことないわ!」と返したが、すぐに「嬉しいです……!」と言葉を改めた。うん、自分に正直が一番。
「白月の行きたいところからでいいよ」
もし決まっていなければ、俺が適当に決めるよ。と言葉を続ける。
すると、白月は「ついてきて」という言葉と共に歩き始める。
それを見て俺も歩き始めようとして、彼女が一度立ち止まった。
そしてこちらを振り向きながら、
「……手を繋ぐのは、大丈夫だよね」
確認を取るようにつぶやく。
その言葉に対して俺は頷きながら、彼女の柔らかな左手を握りしめた――
◇
午後の昼下がり。
窓際の白いカーテンが風に揺らされる。
陽光に照らされた店内は穏やかさと紅茶の香りに包まれていた。
「「「……」」」
一部を除いては。
俺たちのいるテーブルだけ異様な緊張感を持っていた。
店内の穏やかな空気なんてまるで関係なしだ。
隣にいる白月を見る。
表情はいつも通りだが、テーブルの下でぎゅっと握りこぶしを作っていた。
おそらく彼女が一番緊張しているのだろう。
なにせ昨日の今日で喧嘩別れした母親と一度話し合ってみよう、という流れになったからな。家出をしたあとロクに会話もしていないんだし、そりゃ緊張もする。
俺はせめてもの想いを込めて彼女の手に自身の手を重ねる。
彼女はこちらをちらりと見たあと、小さく頷く。そのあと母親の方へしっかりと向き合い口を開いた。
「別れないから」
えっ。
俺は思わずそう言いそうになった。
だが、ここは真面目な場面。なんとかその驚きを隠す。
でもえっ、なんでそんな話を始めたんだ。
ここは「ごめんなさい」とか「お母さん、どうして約束を破ったの」的な展開だろう。
と自分が考えている最中も、白月親子は真剣な表情で向き合っていった。
そして、
「
母親もふざけたことを口にした。
……間違えた。俺と白月の交際許可が無事に下りた。
嬉しい。嬉しいよ?
でもこの流れはおかしいでしょ!
そう突っ込みたい気持ちを抑えて、俺は内心でガッツポーズをした。
しかし、世の中そう上手いことばかりではなく……
「ただし、条件があります」
母親からある条件が課された―――――
◇
青い空を見上げながら考える。
白月の母親が俺たちに課した条件について。
様々な条件はあったが一言で言ってしまえば、
“清い付き合いをすること”
これだけだ。
それなら今までと代わりないじゃないか! やっぱり健全最高!
と言いたいところだが、様々な条件というのが意外と厳しい。
俺的に一番厳しかった条件は、白月と会うのは月に二回までというものだ。門限も当然ある。
先月は予定が噛み合わなくて彼女と一回しか会えなかった。そ、その分いっぱい電話できたからいいどね!
自分の心にウソをつきながらも、心は満たされていた。
なんたって彼女とその親が仲直りして、いまは母親も家にいる時間を随分と伸ばしたらしい。
この前なんか白月が「一緒にアップルパイを作ったんだ」と嬉しそうに語っていた。本当、よかったよなぁ。
そう考えていると強い風が下から上に向かって吹き抜ける。俺の髪は空へと召されていく。現実逃避の時間は終わりのようだ。
「あぁ……」
高さ三十メートル。
足首に紐を巻かれている今の状況。うーん、マンダム。
アトラクションの従業員が「パンジージャンプは初めてですか?」と尋ねてくる。俺はその言葉に
口を閉ざしたまま下を見下ろすと、念のためと言わんばかりの青く分厚いクッション、それと白月らしき人影が手を振っていた。やべぇ、この高さだと顔がハッキリ見えねえ。
愛が足りないのか!? と思いつつ、笑顔を浮かべていそうな白月を見る。彼女は俺の三人ほど前に宙を飛んでいった。そりょもうすごく楽しそうな表情をしながら。
それに変わって俺の笑顔は引き攣りまくりだ。昔はこういうスリリングなものを楽しめたが、最近マジ怖い。恥を忍んでやめようかなと思っていたら従業員が「これから音声アナウンスが始まります。三、二、一、の二! のタイミングで飛んでくださいね。二よりあとに飛んじゃうと前の方のようになってしまうので」と苦笑いをしながら俺の側から離れていく。
えっ、前の人ってどんな感じだったんだよ! 俺は現実逃避してたせいで全然覚えてないぞ!
そう考えていたら、無機質な音声がカウントダウンを告げてくる。
三…………二……
いまだ!
そう頭では判断しても体がすぐには反応せず、
一のタイミングで体が動く。
すると、体が動いたのと同時に煙幕のようなものが後方から吹き上げてくる。
その煙に視界を奪われながら俺は焦りと共に空を飛んだ――――
「ああああああああああぁっ!」
天国から地獄。青空から暗闇へ。
俺と白月は西洋風の館内――お化け屋敷の中にある廊下を走り回っていた。
当然走っているのには理由がある。なにせ俺たちの後ろには……
「どうやってこのクモ走らせてるんだよぉ!!」
ヤツがいた。
俺の天敵ともいえる最強の生物――クモが。
いやいや、それにしてもマジでこれどうやって走らせてるんだよ! 人間の倍以上はある大きなクモがそれはもうしつこく追いかけ回してくる上に、機械特有の『カタカタ』という音が余計に恐怖を煽る。幸いなのは館内がかなり暗めでヤツの姿がハッキリとはわからないことだ。それでもキツいんですけどね!
くぅ、安易に「まだご飯って時間じゃないし、どっか行くか」なんて言うのじゃなかった。白月も白月でパンジーのあとにこんなヘヴィーなところに連れてくるなんてヒドイっ!
そう思いながら白月の手を引いて逃げていると、彼女が「少し先にある左側の扉ににげよ」と提案してくる。俺はその提案に迷わず同意した。なにせヤツがこの扉に入ってくることはサイズ的にまず不可能だからだ。その上、前方からは悲鳴が聞こえてくるし……。ならもう扉の方へ逃げるしかない。俺たちはつないだ"手を離した”。その後、まずは彼女から扉の先の部屋に入り、次に俺が入った。はぁ、あと少しでクモと接触するところだった。あんなのと触れた日には今日のデートが最悪なものになっちまう。
「ふぅー」
安心のため息が漏れる。
まぁなんにせよ最悪は免れたわけだ。ヤツがここに来るのは物理的に無理だしな。
そう思いながら周囲を見渡す。所々に装飾が施された広い部屋。
さっきまでは装飾もなにも見えなかったからなぁ。この部屋はお化け屋敷にしては明るめの照明を使っている。といっても薄ぼんやりとした光でちょっと怖いんだけど……うわっ骸骨の置物がある。照明が明るいのにはこういう理由があるらしいって、
「白月?」
部屋を見渡していたらある違和感に気づいた。
そう、さっきまでは隣にいた彼女がいなくなっているのだ。どういうことだろうと思いながらも彼女の名を何度も呼ぶ。
けれど反応はなく部屋の中を動き回って痕跡を探る。すると壁に妙な赤いボタンが張り付いていた。……これは押せってことだよな。
「ふむ」
ポチッとな。
ボタンを押すと照明が一斉に光を失う――その代わりに正面の壁が横にズレ、地下へと続く階段を示した。
最近のお化け屋敷すげぇと感心しながらロウソクの灯りが示している道を行く。そこに白月がいるだろうと考えて。
あれから地下へと降りていった。
その過程で遊園地の従業員……ごほんごほん。ミイラやマミー、木乃伊に対して、通路に落ちていた光の棒でなぎ倒す。
そして意味ありげな鍵を拾ったりし、中々楽しいじゃないかと思い始めたところで、銀色の檻に閉じこもられた白月と再開して一言。
「遅い」
ですよね。
一人でこんな薄暗い部屋に十分も二十分も閉じ込めてたらそりゃ文句もでるか。
おいこら、このお化け屋敷作ったやつ出てこい! 俺はさっきまでの意見を翻し、白月の意見に殉じた。シラツキノコトバ、ゼッタイ。そう考えながら檻に近づいていく。これでお化け屋敷も終わりだな。と思っていたら、
ヤ ツ が 現れた。
上空から糸らしきものを垂らしながら、俺と白月の仲を阻むかのような場所に降り立った。
それを見て自分は足が竦む――なんてことはなく、そいつの横を通り過ぎて檻にくくりつけられている鍵穴に鍵を差し込み「あ、あれ」と白月の困惑する姿を見ながら、手を差し伸べた。
俺は無事にお化け屋敷を脱出した。
”無事に”そう、無事にだ。白月を檻から脱出させた時、足がガクガク震えていたのを彼女に悟られずにお化け屋敷を出た。これが無事と言わずしてなんと言う!!
そう思いながら白月に「俺がご飯買ってくるから、座ってていいよ」と声を掛けて、売店へと足を向けた。
ふぅ。
お昼時ということもあってか、売店には人が列をなしていた。今の内になにか食べるものを考えとくか。白月がデザートを作ってきてくれたみたいだから、軽めの……ホットドッグにしておこう。白月には可愛らしいお皿付きのヤツを頼めと仰せつかっている。ああいうのって料理がメインなのか、皿がメインなのか判断に困るところだ。
「……」
注文をするものが決まってしまい、途端にやることがなくなった。
適当に道行く人を見ると、白月ご注文のメニューを持っている人がいる。美味しそうなお肉のか・お・り。
んんっ……そういえばあの皿の模様ってあれに似てるな――
◇
「理沙、ごめんなさい」
陽光に照らされた喫茶店の一角。
白月の母親からお付き合いする上での条件を聞かされたあとのこと。
母親は娘に対して頭を下げ、謝罪を口にした。
「べつに、いいよ」
忙しいのは知ってたから。
白月は視線を机のマグカップに落としながら、そうつぶやいた。
……気まずい空気が流れる。でも、俺は口を出さない。あとは親子二人で解決できる問題なはずだ。
「お母さんね、看護師の仕事が人生をかけてもいい仕事だと思ってるの」
変わらぬ空気のまま、母親が力強く言葉を発する。
母親と白月の視線はぶつからない。
「怪我をして苦しんでいる人が笑顔になって、
でもね。
母親は微笑みながらゆっくりと語りかける。
「理沙と一緒に過ごす時間も掛け替えのないものだって気づいたわ」
「……私が家を出たときはたいして心配してなかったくせに」
白月のトゲのある言葉と視線が母親を貫こうとする。
だが、母親はその視線をただ一心に受け止めながら、頭を下げ続けた。
そして、
「ごめんなさい、ごめんね……」
謝罪を口にした。
その言葉に対して白月は「べつに謝って欲しいわけじゃ」と言葉を濁す。
俺は彼女の言葉の裏側にある”親と仲良くしたい”という気持ちが伝わって欲しいと心から願う。
…………
母親にこの気持ちが伝わったのか、再び口を開く。
「心配、したわ。あなたが私のせいでお正月に家を飛び出た時、すぐに追いかけたかった。けど母親としてどう振る舞えばいいのかわからなかったの。昔からの約束を破ってしまったことを謝って一緒に家でお正月を過ごせばいいのか、それともあなたの身近な大人として仕事に誠実であるべきなのか……迷って、結局仕事へ行ってしまって…………一日、また一日、あなたから『友達の家に泊まります』ってメールを貰って胸が張り裂けそうだったわ。でも今の――仕事を優先してしまった私があなたの心配をしていいのかさえわからなくて、なにもしなかった。ただ『わかりました』なんて心配する素振りも見せずに返信をするだけ」
でも、でもね、これだけはわかってほしいの。
母親の懇願する声と表情は、白月の視線を弱め、二人の視線を交わらせ、
「理沙をあの時から心配していました。大切に想っています。なのに、ごめんなさい」
「……私こそ、なんか、家をいきなり飛び出てごめん」
気持ちを結び合わせた。
泣きそうな、でもどこか救われたような表情。
その二人の表情に微笑ましさを感じていると白月から「こっちみないで」と言わんばかりのつねりが入った。俺はそれに従って視線を外していると、二人がぽつぽつと会話をし始めた。
「理沙が高校を卒業するまで、家にいる時間を伸ばそうと考えているの」
「……それって」
「ふふ、訂正するわ。考えているじゃなくて、もう職場には話を通していてね」
母親が楽しげに未来の話をする。
白月ものその話に頬を緩めながら「そっか」と口にした。
……
ひとしきり話が終わった。
そろそろ解散の頃合いだろうかと思っていたところで、母親が両手を合わせて「そうだ!」と口を開いた。
そして自身の鞄からネックレスを取り出して、白月の後ろへ回り込み、以前から付けていた星型のネックレスと取り替えた。
「ど、どういうこと」
一瞬の出来事に彼女は困惑していた。
ちなみに俺も困惑していた。君のお母さんは忍者かなにかですか。
そう思っていたら母親が席に戻り口を開く。
「お詫びも兼ねたプレゼントよ」
「お詫びって、そういうのいいから」
あのペンダントも気に入ってたし。
白月は現在母親の手にあるペンダントを見ながら、そう口にする。
それに対して母親は「昔のプレゼントを大切にしてくれるのは嬉しいけど」と答えたあと、俺をチラリと見る。
そして、親子を感じさせる笑顔で「今付けているペンダントの方が理沙に似合うと思いません? 彼氏さん」と突然話を振ってきた。
俺はその振りに戸惑うことなく、むしろ『ひゃっほーい! 話に加われるぜ!!』と思いつつ「似合ってます!」と即答した。
この返事を聞いた白月は……
「本気でそう思ってる?」
と疑いの眼差しを向けてきた。
俺はその疑いを打ち払うため、真剣に言葉を口にする。
「似合っているよ。これから先の白月にはもっと似合う、そんなネックレスだと思う」
首元の銀色が鈍く光る。
彼女はその銀色の満月を手のひらに置き「そっか」とつぶやいた――
◇
橙色の夕日が花を照らす。
ツバキ、パンジー、ナノハナ、色とりどりの花が遊歩道を美しく染め上げていく。
空を見上げれば朝に見た薄白な月は自身の形・色を徐々に
「歩いているだけでも満足できちゃうね」
隣を歩く白月がそっと口を開いた。
俺はそれに対して「遊園地の名所だけはあるよな」と答えた。
「このまま帰っちゃってもいいかも」
「あぁ、気持ちはわかる」
「……まぁジェットコースターには乗るんだけどね」
彼女の言葉に「流石」と返す。
パンジージャンプも人一倍楽しんでたし、刺激強めのアトラクションがお好みらしい。かく言う俺もジェットコースターはかなり楽しみだ。よく落ちて、よく回り、なおかつ景色もいいと聞く。園内の景色はさることながら、園外に浮かぶ海の美しさは格別らしい。夕方以降は特に綺麗だって聞くし、これはいいムードを作れるはず。いやでも所詮はジェットコースター。ムード作りは定番の観覧車に任せるべきかと考えていたら、
「ギター、結構弾けるようになったんだ」
白月が空を見上げながら口を開く。
自分の所に家出してきたときハマってたような素振りではあったが、まだ続けてたんだな。
「おぉもしかしてギターも買っちゃったり?」
「ううん、弟が昔使ってたのを勝手に借りちゃってる」
「ひぇぇ……いま白月家のヒエラルキーが見え……いや、なんでもないです」
俺は言葉を止めたあと笑う。それは彼女も同様だ。
この話の流れになった時点でお互いに話のオチが見えていたみたいだ。白月の弟ネタは段々と鉄板になってきた気がする。
「曲の練習とかもしてるの?」
「うん、ボチボチね。前にお兄さんに教えてもらった曲とかね」
「へぇー」
これは一緒に曲を弾ける日も近いな。
そう思い彼女に「来月一緒に演奏しない?」と提案をしようとして、
「じゃあ――」「だから――」
言葉が重なった。
俺は白月にお先にどうぞと手でジェスチャーをする。
が、彼女は「お兄さんからどうぞ」と言わんばかりの悠然とした態度を取る。
たぶん、考えていることは同じだろうな。
苦笑いをしつつ俺は彼女に提案をした。
「じゃあさ、来月一緒に演奏してみない?」
白月はその言葉に首を縦に振る。
そして「私も同じことを聞こうとしてた」と微笑んだ。
出会った頃とは違う柔らかな表情に成長の兆しを感じたのも、気のせいではないだろう。
「場所はお兄さんの家でいいよね。最近行ってないし――ん、花の味がするソフトクリームってどういう感じなんだろう」
気になるね。
彼女はそう呟くと近くにあるソフトクリーム屋へ歩みを進めた。
花に囲まれ夕日に輝く彼女は魅力的で、やっぱり自分をドキッとさせる。家の掃除をしておかなくちゃなと思いつつ、彼女の後を追った。
『安全バーが解除されます。そのままの状態でお待ちください』
そんなアナウンスが耳を通り過ぎた気がする。正直体が興奮しきっていってそんなのを聞いている余裕がなかった。
すげぇ、このジェットコースターすげぇよ……最初はゆっくりと眺めのいい景色を二人で楽しんでいた。
しかし、急転直下。そこからは止まることのない波が俺たちを襲い続ける。落ちるも回るも自由自在なジェットコースターが俺たちを恐怖で黙らせ、最後のほうはあの白月が「たのしいぃぃぃっ!」と叫ぶほどの興奮で終わった。怖かったけど、最高に楽しかったわ。俺も白月と仲良く叫んでいたが、最後にチラリと見えたあの海に沈む夕日の美しさがたまらん! このジェットコースターを設計したやつがニクイね!! と考えていたら、
「ほら、もう降りよ。後ろがつっかえちゃうし」
白月が肩を叩いたあと静かに声を掛けてくる。
ヤダっ、この子ったらもう冷静にッ……!、と思いながらその言葉に従った。彼女さんマジパない。
潮の香りが鼻をくすぐった。
ジェットコースターを降りた頃には、夕日は完全に沈み、周囲は闇に包まれていた。
その暗闇を少しばかり感じていると次第にアトラクションや売店の灯りが点灯していき、再び周囲は光に包まれていく。
だけど、太陽が沈んだせいだろうか。
光はあれども、昼間には感じなかった寒さをほんの少しばかり感じた。地面に溶けていく雪が余計に寒さを連想させる。そんなことを考えていたら、首元が急に暖かくなった。
「白月?」
首に巻かれたマフラーを見る。
そのあと、暖かさを与えてくれたであろう張本人に疑問を問いかけた。
彼女は白い肌をほんのりと染めながら、
「寒いだろうと思って。結構似合ってるよ」
「ありがとう。でも俺が使ったんじゃあ白月がって……二枚持ってたのか」
喋っている途中で気づいた。
彼女は彼女で制服の上に赤いマフラーを羽織っているのだ。
準備がいいなと感心しつつも同じマフラーをこう、ね! 一緒に巻くみたいなのができなくて残念だった。
なので、代わりと言わんばかりに彼女の手をやさしく握り締める。
「……あったかいね」
「だな」
「ジェットコースター、思ってた以上に楽しかったかも」
「ははは、白月があんなに叫んでるの初めてみたよ」
「お兄さんもね。あ、お兄さんはそうでもないか」
「おいこら」
俺たちは笑い合う。
互いに楽しい時間がもう終わることを知っているからこそ、今この瞬間を楽しんでいた。
……
門限なんて無視をしてしまいたい。彼女と一日中触れ合っていたい。
でもそれは長い目でみたら、彼女と会える時間を大幅に減らすことになってしまう。
だから――次も会うために――今日は終わりへと向けた話をする。
「最後にあの観覧車に乗ろう!」
見上げた先には八枚の赤い花弁が情熱的に燃え盛り、黄色い筒状花が幻想的に輝いていた。自分の言葉を聞いた彼女はクスっと笑いながら「お兄さんってベタだよね」と言った。俺はそれに対して笑顔で「うっせ!」と返しながら、彼女と肩を並べて最後のアトラクションに足を向けた。
観覧車は静かに回る。
室内には白い吐息の音だけが聞こえてくる。そして、窓の端から溢れるキャンドルのような光が二人を灯す。
静かで、幻想的な世界。
この世界に浸っていたいと思いつつ、窓の外に目を向ける。
目を向けた先には西洋風の園内――今まで歩んできた道々が一望できた。
「あれって私の家かな」
白月が独り言のように呟く。
俺はそれに対して「どれどれ」と呟きながら、彼女が見ている先に視線を合わせていく。
「んんーどれだ」
視線を
「そこじゃなくて、あそこ」
彼女が俺の左肩を叩く。
左側には窓に指をさしながら、こちらを見る白月。
当然目と目が合い、なぜだか互いに視線を逸らしてしまった。
「「……」」
意識している。
二人だけの空間。近い。暗い。
この三つが揃っていれば、意識するに決まっている! 彼女もきっと似たような感じだろう。
もはや家のことはどうでもよくなって、俺は反対方向の窓へと顔を移す。確かそっちには……
川があった。
近隣の山から流れてくる川が遊園地の外を走り続けている。
決して利根川や信濃川みたいな大きな川ではない。
でも、
「川流れてたんだね」
彼女もこちらの景色を見ていたらしい。
自身と同じ行動をしていたことに、つい笑みがこぼれてしまった。
その愉快な声が彼女に聞こえてしまい、ジッとした目で見られる。俺は「わるい、わるい」と言いながら、言葉を続ける。
「白月はこの小さな川がどこに続いてるか知ってる?」
「海でしょ」
「そりゃそうだ」
月に照らされたこの川は海に続いている。
「でもさ、その海の属している先が太平洋ってのは驚きじゃないか?」
小さな川がゆくゆくは世界最大の海洋と繋がっている。
こう考えると凄くロマンのある話だ。なんて、小学生の時に思った気がする。
そしてそれを今でも思うのだから、人ってのはそう変わらないのかもしれない。
「すこし……驚きかも」
溜め込んだ空気を吐き出すように言った。
…………
…………
沈黙が続く。
しかし、さっきのような緊張感のある空気ではない。ただ、穏やかに川を見つめていた。この先に広がる海を夢見て。
観覧車が頂上に近づきつつあるころ、白月が窓の先を見ながら口を開く。
「私、東京の大学に受験するから」
ゆっくりとした声。
しかし、強い意思を感じさせる言葉だった。
俺は”東京”という部分に驚きながら、言葉を返す。
「どうしてまた東京に」
県外の大学を受けるというだけならわかる。
でも、どうしてわざわざ東京と指定したんだ。
「お兄さんと東京で生活したいから」
もちろん他にも理由はあるけどね。
彼女はそう呟きつつ、こちらを見る。……本気だ。
「生活するだけなら……っ」
そう反論しようとして、口をつぐんだ。
わかる。彼女がどう考えているのかわかってしまった。
自分は思わず言葉を吐く。
「振り回されっぱなしだ」
彼女は俺に”変われ”と言っている。
弱くて、すぐに諦めてしまう自分から変われと言っている。
あと一年で俺が本社で働けるように頑張れ、そう告げていた。
「違うよ。私が振り回されてるんだから。だって、お兄さんが変わりたい、諦めたくないって言ってたから。だからどうやったらそのお兄さんの気持ちを手伝えるか真剣に考えたつもり」
「……」
俺は言葉を失くした。
そして次の言葉に泣き叫ぶ。
「あっ、もしお兄さんが東京に来れなかったら……」
彼氏ができちゃうかもね。
彼女の茶目っ気たっぷりな言葉に俺は「ノォオオオンッ!!!」と叫ぶ。そんな事態になったら自分は人生リタイアだ。あれ、でも諦めないって言ったからには白月に新しく彼氏ができても諦めてはいけない……? やっぱこれ彼女に振り回されている気がすると思っていたら、
「安心して彼氏に関しては冗談だから。ちゃんと待っててあげる。だって」
彼女は満面の笑みで言葉を続ける。
「私にとってお兄さんはたった一つのお星さまだから」
そ、そのセリフは……。
自分がいつか言った恥ずかしい台詞のオマージュ! この場面でそれを使うか!
俺は身悶えつつも言い返す。
……
「俺にとっても白月は、たった一つのお月様だよ」
いつかの恥ずかしい台詞に心を込める。
「そのお月様と一緒にいられるように、頑張るから」
彼女の顔にかかった髪に触れる。
触れた髪を撫でるようにして横に流した。
「お兄さん……?」
戸惑う彼女をそのままに、
口元に触れそうな赤いマフラーを首元に降ろす。
ふわっとした柑橘系の甘い香りが鼻をくすぐった。
月光に照らされた彼女は美しくて、だから、
「頑張るための力を俺に下さい」
「お兄さ……んっ」
……
白月の唇は温かく、幸せが詰まっていた。
この幸せのために俺は変わっていこう。
曇りひとつない満月の空は、やさしく自分達を照らしていた。
……………………
………………
……
「何の為に生きてる……か」
夢を見た。
数年前に左遷先でほんの少し悩んだ事。
過去の俺が今の俺に問いかけてくる。
何の為に生きているのかと。まぁ答えは決まっているよな。
「好きだっ! だから高校の時の制服を着てくれぇええ!」
「もう……なに朝からバカなこと言ってるの。というか起きてたんだ」
彼女――
俺はその声に導かれるようにぼんやりとしていた瞳を開ける。
そして自分の答えを確かめた――――
「私も好きだよ。だから布団の中から出てきて」
「……はい」
――――尻に敷かれるのも、悪くない。
そう思いながら、ベランダの方に目を向ける。
季節は春を迎えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます