第34話 彼と彼女の馴れ初め

 冷え込む季節。

 外の冷気に影響を受けてか、部屋の中も寒い。

 けれど、布団の中は暖かい。だから眠る。ただひたすらに眠る。


 ――普段なら許されない行為。

 だが、今なら許される。この時期なら許される!


 お 正 月 最 高 !!


 って、あれなんかデジャヴュを感じる。

 そう思っていたら白月しらつきの声が聞こえてきた。


「いつまで寝てるの。体に悪いよ」


 ンン、この台詞にも聞き覚えがあるな。


 俺はモゾモゾと掛け布団から顔を出す。

 そして、テーブルに置いてある電波時計で日付……一月の七日、木曜日であることを確認した。ちゃんと日付は進んでいるか。デジャヴュの連続で、もしかしたらループしてたり……なんて考えたが。

 

 あぁこんな幸せな日々ならループも大歓迎――


「って、もう七日!?」


 掛け布団を払いのけながら驚いてしまう。

 ええぇっ! 七日ってことはもう明日から仕事じゃないか……!

 俺が衝撃の事実に驚嘆していると、


「……お兄さんって、そういう起きかたしかできないの」


 横にお化けがいた。

 正確に言うと掛け布団を頭から被っている白月がいた。


「へっ、そんな姿のお前も最高だぜ」


 俺は白月にグットポーズをする。

 彼女には見えてはいないだろうけど。


「……」


 彼女の無言が痛々しかった

 いや、ここはポジティブに考えよう! 自分の言葉に照れているからこそ、無言なんだ!

 

「…………」


 ……はい。

 

「すまん!」


 俺は白月に謝りながら考えた。このままじゃマズイと。

 今のまま――問題が解決していないまま――彼女を家に返すのは避けたい。

 でもあまり時間がない。彼女の学校が始まるのは一月一二日からだけど、俺は明日から会社だ。会社に行っている間はなにもしてやれない。アクションを起こすなら今日か土日のいずれかだろう

 だけど、土曜日とかは休日出勤がありそうでこわい。というわけで今日中になにかしらやらないとダメだ。彼女も冷静になってきた頃合いだろうし、ここは外部からの刺激を取り入れるべきか――






 ――そう考えた俺はてっちゃんが経営する居酒屋を訪れた。

 開店から間もないせいか、店内にはちらほらとしか人がいない。

 だがあの人は、自分の期待通り今日もここにいてくれた。


「あんちゃんたちが仲直りしてよかった!」


 あの人――けんちゃんが笑顔で言う。

 そして木製の椅子に座ったまま、俺の肩を何度か叩く。

 仲直り? と思いながら、けんちゃんの方に顔を向ける。


「ちょっ痛いですって。ほら、肩を叩くよりも飲んでください」


 そう言って、けんちゃんにお猪口を持たせる。

 そして彼のお猪口に熱々の日本酒を注いだ。ぬぉー、おいしそう。俺も飲もうかなとついつい思ってしまう。

 だけど、今日は……と視線を右隣に移す。


「……」


 白月が気まずそうに水を飲んでいた。

 それに習って俺も透明なコップに口をつける。酔っ払った姿を見せるのもあれだし、今日は冷たい水で我慢しておこう。

 にしても白月はどうしたんだろう。なぜそんなに気まずそうなのか。けんちゃん――他人がいるせいか。いや、でも前回初めて会った時は堂々としていたしなぁ。


 俺が心の中で首を傾げていると、


「あの、前回はありがとうございました」


 白月がこちらを向いて頭を下げてきた。

 疑問に思いながら「どういたしまして!」と答えたら、彼女は「お兄さんに言ったわけじゃないから」とふてぶてしく言う。

 じゃあ誰に言ったんだと思っていたら「いやぁ」とけんちゃんが照れるように髪をかいた。……頭をかいた。うん。


「お嬢ちゃん! そんなお礼を言われるほどじゃあ……ないって!」


 けんちゃんはそう言いながら日本酒を飲む。

 ……どういうこと? なぜ白月がけんちゃんにお礼を言うんだ?

 俺の頭がクエスチョンマークで埋め尽くされていたら、彼女が口を開く。


「そんなことないです。相談に乗ってもらったおかげで、気持ちの整理ができましたから」


「へへっそうかい。ベッピンさんのお役に立てたならぁ、俺も満足さ!」


 真面目な白月。笑顔のけんちゃん。困惑するオレ。

 

 えっ、相談ってどういうこと。

 眉を曲げながら疑問に感じていることを白月に小声で尋ねる。

 すると、彼女は恥ずかしがるように俺から視線をそらす。返答はなかった。寂しい。

 

 白月が答えてくれないのなら……


「けんちゃん、相談ってどういうことです?」


 彼に聞けばいい!

 俺は感じた疑問をそのままぶつける。


「んぅ? 相談ってのはあれだよ、嬢ちゃんから聞いたんさ。嬢ちゃんとあんちゃんと喧嘩したっていうのをさ。だから少し話を聞いたってだけ」

 

 でも、解決したなら一安心だな。

 けんちゃんは老いを感じさせない顔でそう言う。

 ああ、だから今日会った時に仲直り云々を口にしたのね、なっとく。

 そう思いながらもう一つけんちゃんに「どこで会ったんですか」と聞いた。そうすると彼は「うーん」と低い声を出しながら、手をポンと叩く。


「思い出した! ほら、クリスマスのちょいと前にあんちゃんと会っただろう。その前に嬢ちゃんともたまたま会ったんだよ。繁華街の近くにある大きな公園で!」


 けんちゃんの大きな声が店内にとどろく。

 相変わらずボリュームのある声だ。いや、そんなことはどうでもいい!

 なんかに落ちないぞ。クリスマス前……俺と会った日……。




 ◇



 駅と繁華街を結ぶ――大きな公園で一時間以上、ウロウロとしている。

 傍から見れば不審者に見えるかもしれないが、これにだって理由はある。

 白月しらつきー、声だけでも聞かせてくれないかー。


「…………」


 道行く人を見ても白月の姿は見つからない。

 ジャケットのポケットに手を突っ込みながら、ため息を吐いた。


「流行ってんのかねぇ」


 着 信 拒 否!

 元カノもそうだし、白月にもやられたし、なんなの。泣けばいいの!?  



 ◇



 

 ちがう。

 こ、これじゃない。こんな悲しい出来事はもう忘れよう。

 でも、確かこの日にけんちゃんと会ったような……




 ◇



「あんちゃん“も”いるじゃねぇか、よお!」


「けんちゃんじゃないですか。珍しいところで会いますね」


 駅の方へ振り向くと、はげちゃびん――けんちゃんがいた。

 店では必ず会っているけど、外で会うのは初めてな気がする。


「どうしたんだい。こんなところでボーッとしてさ」


 誰かを待っているのかい。と言われて、俺は苦笑いをする。

 そして「そんなところですかね」と答えた。


「やっぱりそうかい。このまま店に一緒に行こうかと思ったが、今日は引き下がっとくか」


「? そうですか。またの機会に飲みましょう」

「おう、じゃあな」


 そう言い、イルミネーション輝く繁華街へと去っていった。

 なんだろう。違和感があったな。普段なら、こう、もっと強引な感じなのに「俺の酒は飲めねえのか」みたいな。……そんなキャラじゃありませんね。すみません。

 繁華街の方へ頭を下げながら、さっきと同じように通行人の中から白月を探す……




 ◇




 これだ!

 この日にけんちゃんと白月は会ってたのか。

 はっ、わかったぞ! 彼女が照れている理由を!

 

 いつ……クリスマス前、喧嘩していた時

 どこで……よく待ち合わせ場所にしていた公園

 誰が……白月が

 なにを……俺を

 なぜ……俺と会うために!

 どのように……うろうろしていた! 俺と会うために!!


 キターー! 勝利の方程式!!

 俺があの日彼女を探していたように、彼女も同じ理由で公園にいたのだろう。

 ふっふっふ、そうだったのか。俺はニコリと笑いながら、隣にいる白月に声をかける。


「なぁ、白月。どうしてけんちゃんとあった日、公園なんかにいたんだい」


 満面の笑み――にやにやとする自分。

 それとは対照的に苦い顔をしながらも、頬を赤くする彼女。

 彼女の反応を見て俺の推測は当たっているに違いないと確信した――



 ――喧嘩していた最中でも想い合っていた事実。

 それに心が満たされていると、てっちゃんが料理を持ってあらわれた。そして彼は山菜を中心とした一品料理の数々から刺身の盛り合わせを木目のテーブルにおく。俺たちの目の前に置かれていく美味しそうな料理の数々。それを見て思わず目を丸くしてしまう。まさかこれが……お通し? いやいやまさか。

 でも料理は頼んでいないしな、と思いながら俺は「まだ料理は注文してませんよ」とてっちゃんに言う。

 すると、彼は「あの日に約束したでしょう。お二人で来てくれたらサービスをしますよって」そう言い、厨房へ歩いていき……再び料理を持ってこっちに来る。そして俺たちの目の前にまたしても料理を置こうとする。が、流石に止める。これ以上はもらえない! そうてっちゃんに告げると「もう作っちゃたんですし、お気になさらず」と言う。いや、気にするだろ!

 そのあと数分押し問答をしたが、結局は自分が折れてしまった。俺と白月は感謝をしながら料理に箸をつける。なめたけ、うまし。


  

 料理をあらかた食べ終えたころ。

 ついつい酒を飲んでしまったころ。

 けんちゃんは俺たちに下世話な話を振ってきた。


「お二人さん! 結婚はいつするんだい?」


「「……」」


 彼の問いに無言で答える俺たち。

 いや、結婚とかまだ早いし。そう考えていたら、


「おりょ……付き合ってはいるんだよな」


 けんちゃんは追撃をしてきた。もとい確認をしてきた。

 これは隠すようなことじゃないな。答えよう。

 そう考えていたら、白月が彼の質問に答える。


「付き合っています。結婚は“まだ”……考えていません」


 彼女はそう言い俺をちらりと見る。

 ……パッチリとしたまつ毛ですね。


 自分になんて言えと!?

 彼女の意味深な視線に戸惑っていたら、けんちゃんが首をひねる。

 そして聞いてはいけないことを聞いてくる。


「そういや……嬢ちゃんっていくつぐらいなんだ? 俺の予想だと高校――」


「ヘイヘイ! けんちゃんの結婚話が聞きたいYOー!! 教えて教えて!」

「んぇ? 俺のかぁ、まぁお二人さんの参考になら話してもいいけどよ」


「なるなる! めっちゃなりますって!! お願いします」



 なんとか話題を変えることに成功。

 別にけんちゃんだけなら高校生と付き合っていることがバレても問題ない。

 だけど! けんちゃんにバレるということは、他の人にもバレるということではなかろうか。

 だってこの人絶対に噂話とか好きだろ。そんな人に教えてしまったら……


 逮 捕


 いつか、いつか話そう。具体的に言えば白月が大学生になった頃に。

 


 俺が危機を回避してほっとしていたら、話は随分と進んでいた。

 けんちゃんと相手の女性との馴れ初め――高校時代の同級生と付き合い、彼が二十歳になってから結婚。そして二十二歳には女の子を一人。二四歳には男の子を一人。二八歳、三一歳のころにまた女の子と男の子が生まれたらしい。もちろん赤ちゃんを産んだのは奥さんだ。酔っていたせいか一瞬けんちゃんが赤ちゃんを産んだのかと思ったけど……。

 にしても、結婚の早さ諸々スピード感があるな。俺が大学生のころには結婚していて、俺が仕事で情熱を燃やしていたころには二人目の子供。けんちゃんのころとは時代が違うとはいえ、自分も結婚について真剣に考える年頃か。周りもぽつぽつ結婚してきてるし。

 そう考えながら右隣にいる白月を見る。彼女は「へぇ」「そうなんだ」と言葉をこぼしながら、真剣な表情で話を聞いていた。

 話している内容は……けんちゃんの子供――長女についてだ。



「俺が三十前半だったかな。それぐらいの歳を重ねた時に独立したんだよ。機械いじりも一端になったなと感じてさ」


 でも、と言葉を続けた。


「自惚れだったよ。後になってわかるもんだね、こういうのは」


 けんちゃんがグイッと酒を飲み干す。

 それを見て俺は彼のお猪口に酒を注ぐ。……ちょっと冷めてきたな。温め直してもらおう。手を挙げて、てっちゃんを呼ぶ。

 そして呼びつつも俺は「独立、うまくいかなかったんですか」と突っ込んだ。若干聞きにくいことだが、けんちゃんなりにもう受け入れてそうだから、問題はない……はず。怒ったり悲しんだりしたら謝ろうと考えていたら、彼は首を横に振る。

 

「それが独立自体は上手くいったんだよ。今は倅に継いでもらってるけどな。問題はそこじゃなくて」


 子供と――特に長女との仲が悪くなっちまってさ。

 けんちゃんは苦笑いをしながら言う。今まで見たことのないような、哀愁を感じさせる表情だ。焼けた肌に刻まれたシワ。それを深くして彼はつぶやく。 


「独立ってのは自分がかしらになるってことだ。今までは自分の仕事をすればそれで終わりだったが、まぁ頭になったらやることが多くて多くて。……家族に、子供に時間が割けなくなっちまってな」


 想像力が足りなかった。

 彼はそう言い、慣れない苦笑いを再びする。俺はその表情を見ながらぬるい日本酒を飲む。あまり美味しく感じられなかった。

 どこか居心地の悪い空気が流れていると、白月が口を開く。


「もしかして、奥さんや子供とはもう――」


「あんたは若者をいじめてなにが楽しいんですか、まったく」


 彼女が全てを言い切る前に、てっちゃんが割り込んできた。

 そしてそのままてっちゃんが「離婚とかそういうのはしてませんからね、彼」と教えてくれた。


「ええっ、話の流れからして離婚しちゃったのかとばかり」


「いやいや、あんちゃん! そうは言ってないだろう! ただまぁ離婚寸前ぐらいまでにはいったよな。一葉かずは――長女とかは成人するまで口を聞いてくれなかったしよ」


「私に泣きついてきたこともいったい何度あったやら。でもいまは家族全員、仲がいいんですよ。……けんちゃんの立場はかなり低いですが」


 後半の言葉は俺にだけ聞こえるように言った。

 しかし、けんちゃんにも聞こえていたようで、二人でざわめきあっている。……お客さんが増えてきているのに大丈夫なのだろうか。

 俺はそう思いつつ白月を見る。彼女はどこかほっとしたような表情をしていた。






 肌を刺すような冷たい夜空。

 西口のロータリー前は今日も閑散としていた。

 それが冷たさ――寂しさをよりいっそう深く感じさせる。


 でもその寂しさはすぐに薄れていった。

 自販機の明かりを背に、白月がこちらへ来てくれたから。


「酔いはさめた? おにいさん」


 彼女の綺麗な声が耳元に届く。

 綺麗で、だけど可愛らしさも感じられる声。それでいてふてぶてしさを感じさせる、彼女ならではの声だ。

 俺はその声を聞いて思わず目を閉じてしまう。どうして目を閉じたのだろう。……きっと耳元だけに意識を集中させたいからだ。彼女の声を心ゆくまで堪能したい。酔っているかな、こりゃ。と思っていたら、


「!?」


 頬に冷たいものがぶつかる。

 なんだこれはと目を開けたら、目の前に美少女――白月――美人がいた。

 欠けた月の光を浴びた彼女はいつもより美しくて、息を飲んでしまう。

 そして自分は自然とベンチから立ち上がってしまう。


「どうしたの、いきなり立ち上がって。そんなに冷たかった?」


 白月は眉一つ動かさずにそう口にした。

 そして手に持ったペットボトルを揺らしながら「水、買ってきたよ」と言った。

 俺は彼女の心遣いに感謝しながら「ありがとう」と水を受け取った瞬間――


 風が吹く。

 高層ビルが建ち並ぶ方から対面にある駅の方へと向かって、強い風が吹く。

 街路樹の葉っぱが揺れ、街灯の明かりも微かに揺れたように感じる。

 だが、それだけではなく。

 白月の艶やかな髪も風に舞う。その姿を見て、あの日――彼女と初めて出会った日を思い出してしまうのも無理はないと思う。……今日はスカートじゃなく、ジーパンだけど。


 ほんのちょっぴりのすけべ心。

 それと感傷に浸っていたら、彼女のある変化に気づいた。


「白月、もしかして髪のカラーリングやめた?」


 長い髪を手で押さえている彼女に聞いた。

 俺の記憶が正しければ昼は黒髪、夜は茶髪に見える不思議なカラーリング剤を使っていたはずだ。けどいまは夜でも黒い色にしか見えない。


「やめた、とは違うけどね。黒に染め直したんだ」

 

 クリスマス明けぐらいにね。もう髪は染めないよ。

 彼女はそう言ったあと「やっときづいたんだ」といたずら気に言った。

 俺はそれに対して水を飲むことでごまかした。振り返ってみると、彼女が家にいる間どの時間でも髪の色が黒のまんまだった。……彼女の変化に気づけないなんて!


 ……


 自分がベンチに座って反省をしていたら、白月も隣に腰掛けた。

 肩と肩が触れ合う距離、ひざ小僧がぶつかり合う距離だ。他人なら気まずいけど、いまの自分たちには幸福を感じられるポジション。

 あ、でも初めて会った日もこんな距離感だったような……あの時はどんな感情を彼女に抱いたのだろう。


 愛おしい横顔を見る。

 そのあとに星が散らばる夜空を見上げていたら、


「お兄さんとここで初めて会ったんだよね」


 白月がポツリとつぶやく。


「そうだな」


 俺も静かにつぶやき、そのまま言葉を続けた。


「……ありがとう。白月には感謝しても感謝しきれないよ」


 もしここで白月と出会えていなかったら……

 きっと今も過去のことを引きずって、みじめに生きていただろう。会社なんてもう辞めていたに違いない。

 でも白月と出会えたから、


「理沙と出会えたから、今の俺は幸せだって言える。自分を誇れるんだ」


 ありがとう。

 自分の強い気持ちをその一言に込める。

 

 ……


 風が吹いた。

 さっきよりも穏やかな風だ。

 その風が彼女の声を運んでくる。


「私も、だよ」


 彼女のささやき声。

 いつものような蠱惑的な声ではなく、温かな声。 


「ありがとう。おにいさん」


 どういう想いでその言葉を言ったのかはわからない。

 ただ、自分はそのひとことで笑顔があふれてしまった。幸せすぎる。

 彼女にその表情を悟られまいと夜空を見上げる。――あの日と違って夜空には星も月もあった。なんだかそれが嬉しくて更に口角が上がっていくのを感じていると、


「あのね、おにいさん。わたし……」


 白月が立ち上がりなにかを言おうとしていた。

 あどけない声で、けれど苦しそうな声で。

 

 俺はそれを黙って見守る。

 だって、これから彼女が言おうとしていることは、きっととても大切なことだから。


「わたし……!」


 白月は首元の――ペンダントを握る。

 あの星型のペンダントは母親からもらった物だったはずだ。それを強く祈るように握り締め――


「……ごめん」


 彼女は脱力するように座り込む。

 そして顔をうつむかせた。


「……」


 そんな彼女の肩をポンと叩く。

 また話せそうになったら、話せばいい。そう思いながら。



  

 


 家に帰ってきた俺たち。

 帰ってきたころには日をまたぎそうな時間だった。

 だからすぐに寝支度を整えて、あとは電気を消すのみ。なのだけど、


「電気消すぞー」

 

 わざと明るめの声で白月に確認を取る。

 それに対して彼女は「ん」と短く返事をするだけだった。

 ……まだあのロータリー前での出来事を気にしているらしい。


 まぁ俺の必死の言葉も届かなかったぐらいだしな……




 ◇




 白月が黙りこくってから三十分は経っただろうか。

 俺は彼女の冷えた肩を抱き寄せたまま、静かに次の言葉を待っていた。

 だが、もうこれ以上は待っていられないらしい。そろそろ終電の時間だからだ。


 そこで俺は玉砕覚悟であの言葉を口にした。

 あの――係長と飲んだ時に言ったくさいセリフ。


『お前にとっては俺なんて――この空の上に広がる無数の、星の一つだろう』

『でも俺にとってお前は、たった一つのお月様なんだ』と。


 この台詞に対する彼女の反応は『そっか』のみ――




 ◇




 過去の出来事に胸を痛めるおれ。

 で、でもあの言葉を言ったおかげで白月が動いてくれたから。

 そう自分自身を慰めつつも電気を消す。消したあと、ベッドにもぐり込む。


「あぁ」


 幸せと思いながら、彼女のいる方を見る。

 暗くてよくはわからないが、布団の上に寝ているのはわかる! あと掛け布団を頭から被っているのも!

 ……電気を消す前に見たからそりゃ知ってますよね、寝よ。


 俺は目を閉じる。

 そして明日から会社が始まるという事実に気づいた。やべぇ、ロクに準備をしていない……!

 いや、これはどうでもいいんだ。白月と親の問題がまだ、解決できていない。

 どうするべきか……


 …………

 …………


 どれくらいの時間が過ぎたのだろうか。

 目を閉じて、白月とその親が幸せになれる方法を考えてはみた。

 だが、一向にいい案が浮かばない。


 浮かばないというのなら、直接聞くのみだ。

 白月は”親とどうありたいのか、親にどうして欲しいのか”

 おそらくさっき彼女が言えなかったことに関係する内容だ。ゆっくりと彼女の答えを待つのが一番ではあるが……。

 

 今の時間は二十五時を回ったところ。

 普段ならもう俺と白月は寝ている時間帯だ。

 だからこそ、いま聞いてみよう。寝ていれば彼女の答えを待つ。そうでなければ――思い悩んでいるのなら、今ここで聞こう。


 俺は呼吸を整え、たずねた。

 ”親とどうありたいのか、親にどうして欲しいのか”を――




「「……」」


 丑三つ時。

 草木が揺れる音が微かに聞こえる夜。

 俺たちは一緒のベッドで寝ていた。


 …………

 ……


 明日から会社が始まるのにこれじゃあ眠れるわけないだろォッッ!!

 自分の心の叫びはつゆ知らず、白月はぐっすりと眠っていた。

 これが、天国とじご……天国か。


「俺も、そろそろ覚悟を決めなきゃな」


 彼女の寝顔は穏やかだった。


 

  

 

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