第25話 彼と彼女のクリスマス

 俺は弱い。

 仕事で勝てない相手がいれば諦めるし、彼女に振られればすぐに諦める。

 壁にぶつかれば“仕方がない”という言葉で全てを終わらせてしまう。

 

 どうしようもなく、弱い自分。 

 けれど、 


 もうこれからの全てを諦めたくなかった。 

 白月と一緒にいたい。そしてこれからの自分を見守っていて欲しい。




 …………

 ……

 



 雪が降る。

 街灯に照らされた淡い雪が、街を白く染めていく。

  

 クリスマス――十二月の二十五日。

 普段は人の少ない西口も、今日にかぎっては人が多い。

 きっとあの月の光に照らされた高層ビルで、ディナーをするつもりだろう。


 できることなら、俺もしたい。目の前にいる彼女と。


白月しらつき


「……お兄さん」


 数歩先にいる白月は、白い息を零しながらつぶやく。久々に聞いた甘い――天使のような声。

 その声に心を震わせていると、彼女はそっとベンチから立ち上がった。普段の制服姿とは違い、黒を基調としたシックな装い。そしてワンポイントの赤いマフラー。彼女にとても似合っていた。


「おかしいと思ったんだ。昨日から今日の朝までずっと遊んでいたのに、また夜に集まろうなんて」


 おそらくすすむくんがなにかをしてくれたんだろう。

 ……まさか昨日は彼と一緒にいた、とかじゃないよな。左手に持った荷物の紐をつい強く握ってしまう。


「女友達とだから。……お兄さん、わかりやすいよね」


 不安を一発で解消してくれた。

 自分ってそんなに表情が出やすいのかな。田貫たぬきさんにも言われたし。

 

 って今はそんなことを考えている場合じゃない。まずやるべきことがあるだろう。

 俺は頭を下げたあと、白月の瞳をしっかりと見る。

 そして、口を開いた。


「ごめん、白月。この前は酷いことを言って」


「……」


「図星だったんだ。白月に言われたこと、そのどれもが今まで見ないふりをしてきたことばっかでさ」


 自分の弱さを認めたくなかったから、


「酷いことを言って、白月を傷つけて、そのあと凄く後悔した」


 俺は唇を強く噛む。

 あの時の悔しさが今だにくすぶり続ける。

 そのくすぶりをこの勇ましい風と共に、吹き飛ばしてしまいたい。


「ごめん!」


 もう一度頭を下げて謝る。

 今度は地面に着きそうなほど、深く頭を下げる。

 許してもらえるまで、諦めるわけにはいかない。

 

「俺は弱いやつだ。でも、白月のおかげで反省できて、これからは――」



「――いいよ」



「へっ?」


 白月のあまりにもあっさりとした声に、俺は思わず戸惑ってしまう。

 もう許してくれるの? 白月さん、それはあまりにも天使すぎない?

 でも、いっか! やっぱり白月様は神様だったな。としみじみ思っていたら、


「元々怒ってなかったから。じゃあね」


「えっ、じゃあね!?」


 俺が驚いているうちに、白月は自分の横を通り過ぎていく。

 その姿はまるで「用は済んだでしょ。さようなら」と言った感じだ。悠然とした――俺を意識していない歩き。……も、もしかしてまだ怒っているのか? ありうる。

 

「し、しらつきー。この後、用事がないのならご飯にでも……」


 俺が小さく叫ぶと、彼女は長い髪に白い雪を纏わせながら振り向く。その姿はまるで女神のように神々しくて、つい見惚れてしまう。

 けれど、彼女の素敵な笑顔を見て――これは“ヤバイ”と予感した。

 そして、


「せっかくのクリスマスなんだし、もっと大切な人と過ごしたら。一夜限りの遊びだったんでしょ」


 ふてぶてしく、どこか怒りを込めた声を聞いて――確信に変わった。

 あっ、これは間違いなくまだ怒ってる。


「さようなら、もう会うこともないね」


 そう言い切るや否や、また駅へと歩き出した。

 しかもさっきより歩く速度が速くなっている。


「それはだから、違うって! ちょっと! 白月さーん!」


 俺が呼びかけている間にも、どんどんと距離を離していく。

 こんな別れ方まっぴらごめんだぞ!


「くっ」


 走って追いかけるしかないか。

 けど、周りの人に痴情のもつれと勘違いされそうで怖い。具体的に言うと警察が出張ってこないか不安。

 でも、しかたが――仕方がなくねえんだよこの野郎! いくぞオラ!


 強引にあの言葉を捻じ曲げたあと、白月に追いつくため走り出そうとして――


「いたっ!?」


 ――コケた。


「おにいさ!――――……!」


 尻が二つに割れる!

 ちがう、そうじゃない。いま白月がこっち見た。そして心配そうに声をかけた!

 だけど、どうして走って逃げる! なんでだよ!! 好きなんだよ!!!


 ええぃ、カムバックしてくれないなら、追いかけるまでだ!

 左手に持ったビニールの紐をしっかりと握る。そして、


「っ」


 雪が薄く積もった、冷たい地面に右手を触れる。

 そして手の力だけで体を立ち上がらせる。


「あぁ、ヤバイ」


 ホーリナイトにへモリーナイトしそう。

 尻が痛くて仕方が――痛くない! だって男の子だもん!

 キモッ。っと我ながら思いながら、地面を蹴る。……今度は慎重に。






「三倍、三倍なのか。赤いマフラーをしているから!」


 俺たちは駅の構内に入ってもなお、走り続けていた。

 人の波を無視して走る白月、人の波を利用する俺。走り方の点では自分のほうが優位なはずだ。

 けれど、一向に距離は縮まらない。いや、若干は近くなったが、それでも遠い。


「……っ」

 

 マズイ。

 白月の更にその先――左右にある改札口を見て思った。

 もしこのまま改札を抜けて、電車にでも乗られたら面倒だ。

 

 ここは意識を逸らして、なんとか東口に行かせよう。

 俺はそう決意して口を開く。


「ひぃ、ひぃ」


 声にならなかった。

 昔はよく運動をしていたのに今じゃあこのザマか。

 ここは一度速度を落としてから喋るしかない。


「白月! 止まってくれ」


 俺は大きな声で叫ぶ。

 すると、


「止まるわけ、ないでしょ」


 白月は走ったまま、そう返事をしてきた。


「頼む。話を聞いてくれ。もう一回ちゃんと、謝りたい。話したいんだ」


 息を切らしながら、言葉を繋げる。

 よしっ、あと少しで改札を越える。そのままいけ!


「いやッ。お兄さんのこと、きらいだから!」


「き、嫌いって」

 

 グサリと胸に刺さる。

 でも、めげない!


「わかった! もし本当に嫌いなら、一回立ち止まって、俺の目を見ながら、そう言ってくれ!」


 俺の叫びに彼女は――答えなかった。

 その無言こそが答えだと信じて、走り続ける。

 これで本当に俺のことを嫌いだったら豚箱行きだな、こりゃ。


 ほんの、ほんの少しだけ暗い未来を想像していると、


「…………」


 彼女は改札を通り過ぎた。

 このまま走れば東口に出るだろう。


「へへっ」


 やーい、やーい、俺の会話に釣られてやんの!

 ……もともと東口に行くつもりだったのかもしれないけど、そんなの知らん! 作戦通りだ!




 俺たちはひたすらに走り続ける。

 周りが「お前らこんな日になにやってんの」的な冷たい視線を投げかけてくる。

 けれど、そんなのは気にしていられない。そんな想像上の寒さより、外の寒さの方がよっぽど冷たいしな。

 ――繁華街にたどり着く前に決着をつけないと。


「ここからが勝負か」


 東口を出たところで、一度息を整える。

 外の冷たい空気が心地よい。

 

「ふぅー」


 よしっ、いくか! というところで、


「お客さん――中村さんじゃないですか」


 てっちゃんっと会った。


「おお、てっちゃん。奇遇ですね。お店はどうしたんです?」


 つい癖で話を振ってしまったっ。

 けれど、そんな会話をしている暇はない。あたいったらバカ!


「――――」

 

 白月の方へ再び視線を向ける。

 げっ、速度を落としたと思ったらまた速くなっている。

 フェイントとはちょこざいな! 負けていられるか!


 当初の目的を忘れかけながら、俺は再び走り始める――

 

「いやぁ、今日は私もお休みですよ。家内とこれから買い物に――って中村さん! ……そういえば……頑張ってください! 2人で来店してくれたら、サービスしますから!」


 てっちゃんの言葉はほとんど聞き取れなかった。

 だけど、なぜだか「頑張って」という声だけはしっかりと聞こえた。

 ……にしても、どうして頑張れって言ったんだろう。まぁなんでもいい。とにかく頑張ろう! ありがとう!




 東口と繁華街の間にある――公園へとたどり着いた。

 さきほどよりも更に人は増え、イルミネーションの輝きは増している。


「きれいだねー」

「そうだね。ところでクリスマスの由来って知っている?」


 普通ならあのカップル……カップル? のようにゆっくりとイルミネーションの中を歩きたい。

 だが、白月がそれを許してくれない。


「ひぃ……」


 息を切らしながら俺は走る。

 って、あ! すいません。ぶつかった人に心の中で謝りながら、走り続ける。

 

 ……人混みの激しい繁華街へ入ってしまう前に追いつきたい。

 でも、距離が縮められないんだよな。どうしたもんかと目印の赤いマフラーを見ながら考えていたら、


「お」


 チャンス到来。

 繁華街へと繋がる信号が赤に変わろうとしている。

 この分なら彼女は渡り切れず、俺が彼女に追いつくことも可能だろう――


 ――だろうと思ったのに!

 なんでそこから更に速度をあげられるんだよ! しかも人込みをうまく避けてるし。


 白月が信号を渡っていく。

 マズイ。繁華街の中に入られたら、見つけられる気がしない。

 ……やるか。前みたいにえんこー少女と叫んでこっちに来てもらうか。と考えていたら、赤いマフラーが夜空を舞う。


「!」


 彼女がこちらを――マフラーの方へ、顔を振り向かせる。

 その時、俺たちの視線がぶつかり合う。


 マフラーがどうなっても知らないぞ!

 

 と白月の目に訴えかける。

 だが、彼女はそれを――マフラーを無視して、繁華街の方へと渡ってしまう。


「ええっ」


 マフラーを犠牲にするほど俺と話すのが嫌なんですか!?

 少しだけショックを受けながら、右手を夜空へと伸ばす。

 もうどうせ信号は渡れない。なら、せめてマフラーは回収しておこう。……交渉材料に使えるかもしれないし。

 

 風の力で飛ばされたマフラーは、気持ちよさそうに全身を羽ばたかせている。

 ふわふわと飛んでいるそれは、信号機の手前――俺の近くに落ちてきていた。自分はそこで立ち止まり、手を伸ばし続ける。

 よしっ、掴んだ。と思ったら、自分が握っている方の反対側をシャンブレーやくざさんが掴んでいた。




 一度目は偶然 二度目は必然、三度目は……なんだろうか。運命とかだったらどうしよう。

 俺はシャンブレーさんを見上げながらそう思った。

 まさかの三回目の出会いである。


「……またお前か」


 俺が唖然としていると、銀色のシャンブレースーツを着た彼は口を開いた。


「あは、あはは。なんかその、すごいですね」


 運命感じちゃいますよ。なんて間違っても言えない。

 相変わらずガタイが良いし、ヤクザだし。こんな人と赤い糸が繋がっていたら命がいくつあっても足りない。  


「お前とはゆかりがあるのかもな。名前は?」


 彼は自転車を降りたあと、右手で車体を抑えながらそう聞いてきた。

 ぐっ、正直名前を教えたくはない。けど、恩人相手だしな。ふぅ。


中村なかむら 信太郎しんたろうです。マフラーを取ってくれて、ありがとうございます」


 俺は頭を小さく下げて感謝する。


「中村か、このマフラーはお前のか」


「……いいえ、でも大切な人のです」


 彼の鋭い目を見ながらハッキリと告げる。

 信号は赤から青へと変わろうとしていた。


「そうか。なら、しっかりと返してやりな」


 そう言うと端と端をを重ね合わせながら俺の手に置いた。

 そしてそのまま言葉を続けて、


「ああ、それとこの前は迷惑かけたな。詫びと言っちゃあなんだが」


 受け取ってくれ、と俺になにかを差し出す。

 ……透明な袋に入った白い粉? 


 白 い 粉


 おいこれってもしかして……。

 俺が冷や汗を出していると、


「ちげえ、これじゃねえ。アミノ酸を渡してどうすんだって話だな……これだ」


 アミノ酸(仮)をしまったあと、俺に二枚のチケットを差し出してきた。


「俺が主催している演歌のコンサートだ。今日の二十時からなんだけどな、よければ来いよ」


「は、はぁ。ありがとうございます」


 マフラーの上に置かれたチケットを見ながら、首を傾げた。

 演歌? じゃあこの人もしかして。


「演歌歌手をやられてるんですか?」


「おう。この前、俺を追いかけてたのはその仲間ってこった」

「あー、なるほど。だからそんな派手な服で……ははは。実はあなたのこと」


「ん?」


 ヤクザだと思ってたんですよ。白い粉もありますし!

 なんてことを言いそうになっていたら、信号が青に変わる。


「っと、すいません。自分、今急いでるので、時間があればコンサートに行かせていただきます」


「引き止めて悪かったな。クリスマスに演歌ってのもおつなもんだぜ。じゃあな」

「はい! それでは――」


 と言いかけたところで、シャンブレーさんが持っている――ある物に気づいた。

 ……これを使えば遠く離れた白月に追いつけるかもしれない。


「あの、よければこれをお借りしたいのですが」






 繁華街のメインストリート。

 普段よりも色鮮やかな場所で、俺たちはサイクリングを楽しんでいる。

 ハハッ、あの光の道はカップル専用道路だって。行ってみようか。


「そこの自転車、止まりなさい!」


「すみませえぇぇん!」

 

 俺の妄想は儚くも消えた。

 後ろを追走してくる警察官の声で。


「あと少し、あと少しだけなんです!!」


 そう言い訳しながら、自転車の速度を上げる。

 後ろにいる女性警察官もそれを見て速度を上げてくる。こぇぇ。

 カゴに置いた荷物――アップルパイが心配だけど、更に速度を上げる。


「自転車通行禁止なんて、聞いてなかったんですよぉお」


 くそぉ。シャンブレーさんも教えてくれればよかったのに!

 大きなクリスマスツリーを横に避けながら、俺は怒った――




 ◇




「あの、よければこれをお借りしたいのですが」


 俺はシャンブレーさんの側にある、自転車を指さしながら尋ねた。


「これか? 構わねえよ。どうせここからは歩いて戻んなきゃならねーしな」


「おお。ありがとうございます! 必ず返しますので」

「使い終わったら会場の近くにでも置いといてくれや。ああ、そうだ。会場の場所はチケットの裏面にって、おい」


「すんません、もうこれ以上距離を離されるのは――」


 雪で白く染まったサドルに乗り込む。

 そしてカゴに荷物を入れ、ハンドルを強く握る。

 白月が走っていった方向を見据え、俺は漕ぎ始めた。


「どこに行くんだ。今日の繁華街は自転車通行禁止だぞ!」


 ……シャンブレーさんの言葉を聞き流しながら。




 ◇




 雪はみぞれに変わり、風もやみつつある。

 そんな中を俺と警察官はチャリで爆走をしていた。

 周囲からは「なにかのイベント?」とか聞こえるけど、気にしない。

 

「逆ギレしちゃってすみません!」


 俺は電飾で作られた光の輪をいくつもくぐり抜けながらそう叫んだ。

 

「さっきから何を言ってるの! ……まさかヤクをやっているんじゃ」


 警察官がいらぬ誤解をし始めていた。

 俺はシャンブレーさんじゃない! いや、あの人もヤクザじゃなかったけど!


「も、もう止めません? クリスマスにこんなことをやっていても虚しいでしょう」


 周囲を見渡しながら、警察官を挑発する。

 ……もう距離感的には白月が見つかってもおかしくないんだけどな。

 どこか店の中に潜り込んだのだろうか。だったら自転車を降りて探すべきか。


 けど、その前にな。チラリと後ろを見る。


「あなたがこんな馬鹿なことをやらなければ、私だってやらないわよ!」


 全くもってその通りである。

 俺が悪い! でも、ここで時間を取られたら白月と会えなくなる。捕まるわけにはいかないんだよぉおお!

 

 ぶつぶつと聞こえる「彼氏がいないからって理由だけで、どうして私が」みたいな声を無視して、俺は暗い脇道にそれる。

 それをいくつも繰り返して警察官を巻くつもりだったが――


「ふふふ、あなたを捕まえて一晩中調書を取っていれば友達に『昨日は男といたよ☆彡』って言えるわ……」


 執 念 を感じる!

 さっきまでいた比較的マトモな警察官はもういない。

 クリスマスという聖夜に生まれた哀しき女がひとりいるのみだ。


 ――そんなことを考えていたら、ついつい一方通行の道に入ってしまった。

 俺ってばドジ☆彡 ははは、どうしよう。


 もう仕方がな――わずかな希望を持って、暗い道を突き進む。

 前方からは繁華街の喧騒が聞こえるが……たしかに一方通行みたいだ。

 後ろから聞こえる女の高い声に怯えながら、なんとか突破してみせようと考えていたら、


「……お兄さん?」


 行き止まりに見えた場所から、天使の声が聞こえた――

 





 人がギリギリひとり入れる、幅の狭い路地。

 街灯の光がわずかに差し込む場所で、俺たちは息を殺し合う。


「おかしいわね、確かにこっちに曲がったと思うんだけど」


 警察官の声が近くから聞こえる。

 ……そのままいけぇ。チャリになんて気づくな。


「はぁ、いないか」


 誰か私とクリスマスを過ごしなさいよぉ。

 という声と共に警察官は去っていった。

 

「ふぅ」


 俺は張り詰めていた空気を吐き出したあと、隣にいる彼女を見た。


「白月、どうしてこんなところに」


「お兄さんこそ」


 肩と肩が触れ合う距離。

 視線を結び合わせながら、口を開く。


「俺はちょっとこう、警察官と夜のランデブーをしてたらさ」


「また悪いことしてたの?」


 クスクスと笑いつつ、猫のような目で俺を見る。

 ……なぜだかわからないけれど、彼女はいつもと変わらない様子に戻っていた。

 自分はそれに気をよくして、少し笑いながら口を開く。

 

「またってなんだよ。俺がいつ悪いことをしたっていうんだ」

 

「……私との関係」

「白月……」


「私がここにいた理由はね、お兄さんと似たような感じだと思うよ。

 ――顔を合わせるのが怖くて、走って逃げてたらいつの間にかこんなところに来ちゃった」


 ここの細い道って、従業位専用の裏口に繋がってるみたいだね。

 白月は周囲の暗さと同調するかのように――どこか悲しげに呟いた。



「……」



 繁華街の喧騒だけがボヤけて聞こえる。 

 お互いの熱い吐息が肌にぶつかり合って、自分と彼女の存在を認め合っていた。

 ……息、くさくないよな。と少し心配になりながら、俺は言いたいことを言うことにした。


「俺たちってさ、やっぱりどれだけ言い訳しても、始まりは不健全な関係だよ」


「……ッ」


 彼女の表情は、ハッキリとわからない。

 けれど胸を締め付けられるような表情をしているのは想像がついた。

 それが嬉しかったりする。だって、関心のない相手にそんな表情はしないから。


 俺ってばS? とか思いながら、言葉を続ける。


「でも、これからの関係はきっと変えていけるって思っている。だからまずは、」


 ――ごめん。

 心からの声を想いを込めて口にする。


「もう、怒っていないから。私こそごめんね。酷いこと言って、逃げたりして」


「酷くなんかない。白月のおかげで今の自分をしっかりと直視することができたんだよ」


 喧嘩した時の俺は我ながら情けなかったよ。

 そう言葉を吐いたあと、恥ずかしさをごまかすために頬をかく。

 ……さて、覚悟を決めて次へ進もう。


 彼女から香るミントの匂いに想いをゆだねて、心を続ける。


「白月、今までありがとう。そしてこれからも一緒にいたい。す――」


「――お兄さん」


「すぉ、ぉお。ど、どうした」


 好きだ。

 という言葉を紡ぐ前に言葉を止められてしまった。

 まさかのここで「さようなら」的な展開ですか……? 


 いやいや、まさか。

 ありえて欲しくない不安を感じていたら、白月はこちらを伺ううように見る。

 

 ――いつかと同じように、いたずら気な笑みを浮かべながら、


「好きだよ」


 

 


  

 白い満月の光が、暗がりにいた俺たちを明るく照らす。

 雪はもう、やんでいた。




 


 渋い声が大きな部屋に響き渡る。

 バーのような雰囲気の部屋には、老若男女が思い思いに曲を楽しんでいた。

 ……演歌のディナーショーなんて初めて来たけど、こういう場所でやるのが普通なんだろうか。


 どこかアダルトな雰囲気に身悶えながら、ソファーに身を沈める。

 これは中々の柔らかさ……! と感心していたら、


「アップルパイ、おいしいよ」


 俺が用意した紙皿をテーブルに置いたあと、白月はにこりと微笑んだ。

 そらもうソファーの柔らかさに匹敵するような笑顔だ。つまりは天使。


「だろ? 俺ってばめっちゃ努力したから」


 数々の失敗を犯しながらも、俺は至高のアップルパイを作り出すことに成功した。


「ちょっと焦げてるけどね」


「そ、そこはご愛嬌ということで」


 実をいえば数々の失敗を経て、ギリギリ食べることができるアップルパイを作れた。今のキッチンの惨状は思い出したくない。匂いから皮までリンゴ尽くしだ。家に帰ったら掃除しないと。なんて思いながら、苦笑いをしてしまう。

 ……そんな苦い顔を浮かべている時でさえ、俺の気持ちは幸福感で満たされている。幸せだ。


 っと、そうだ。

 連絡をしておかなくちゃな。


「少しだけ席を外すね」


 白月にそう告げて、一度店を出ることにした。




「おかえり」


 彼女のその言葉を聞き、俺の判断はきっと正解だったのだろうと思った。

 ……シンガポールも悪くないけど、やっぱり彼女と一緒にいたい。


 はぁ、それにしても「結婚式に呼べよ~」はないだろう。

 あーでも付き合っている相手の年齢は言わなかったもんな。勘違いするのもわけないか。いつかその辺も話せる日が来るといいな。そう思いながら、運ばれてきた魚にナイフを入れる。


「演歌を生で聞くなんて初めてな気がするな。白月はある?」


 白身魚を口に運びながら、そう尋ねる。


「小さい頃にあったかも。覚えてないけど」


 白月は壇上の方に顔を向けながら口にした。

 俺も彼女の視線に釣られて壇上を見る。今歌っているのは……シャンブレーさんか。意外とあの銀色のシャツが目立たない! 光の当て方のせいだろうか。なんにしてもコブシの効いた良い歌声だ。


「クリスマスに演歌って、少し驚いたけど悪くないね」


 でも、と彼女は言葉を続けた。


「いつか遊園地にも行こうね。今回行けなかった分も、楽しみたいな」


「――もちろん。必ず行こう」


 ワイングラスに入った水に口をつけたあと、強く頷いた。

 ワイングラスに入ったウォーターに口をつけたあと、強く頷いた。

 ……ウォーターって言ったほうがカッコイイなと思いながら、白月を見る。


 チョコレートブラウンの髪はいつ見ても綺麗だ。

 長くて、なめらかな髪。さわさわしてみたい。


 はっ、いかんいかん。

 健全にいかなくては! と自制心を働かせる。


「お兄さんは年末年始もこっちにいるの」


「年末かぁ、実家に帰ろうと思ってるんだ」


 不埒な妄想はやめて、彼女の疑問に答える。

 実家か。帰ろうか迷っていたが、一度帰るべきだろう。話さなくちゃいけないことがあるしな。……左遷させられたって言ったらどういう反応をするかな。今からすでに気が重たい。

 けど、女子高生と付き合ってます! って言うよりは気が楽だ。うん。


「そっか。少し、ううん」


 白月が首を振ったあと、さらに言葉を続ける。


「残念だな、お兄さんがいないの」


 いつものふてぶてしい声。

 そんな声で、そんな言葉を呟かれたら――もうたまりませんよぉぉおお!

 かわいすぎる!! 付き合おう! 付き合ってた!


「俺も白月と会えなくなるの寂しい! よしっ、やっぱり今年は実家に帰らない!」


 気持ちがいい感じに暴走していた。


「もう、バカだな。私のことは気にせずにお父さんとお母さんに会ってきて。めったに会えないんでしょ」


 会える時に会っておかなくちゃ。

 彼女は微笑むようにしてそう言った。


「いや、でも白月と会えなくなるのはなぁ」


「はいはい、こっちに戻ってきたらまた会えるんだから」

「そうだけど、そうだけど……白月は俺と会えなくて寂しくないの!?」


 あたいはさみしいわよ! と思いながら、口にした。

 今日の自分は間違いなく情緒不安定。


「それは……」


 白月が顔をそらしながら、口を開く。


「さみしいかも、ね」


 foo……

 fooooo…………

 

 fooooooooooo!!


 さみしいほどに恋しくなるぅぅうう!

 

 白月は元から素直でズバズバ言うタイプだ。

 だからこそ、こんな照れた感じに嬉しいことを言われたらテンションも上がる!

 ええい、スピリタスでもドンペリでもドンとこいだ! あ、未成年の前では飲みませんけど。

 これは帰ったら祝勝会だなと考えていたら、壇上から声が聞こえた。


 シャンブレーさんのドスの効いた声が会場に響く。

 ……デュエット大会か。ほうほう、なるほど。参加したい人は前に来なさいと、


「白月、行こう!」


 即決即断、勢いのままに。

 俺は白月の手を取る。


「わたし演歌とか歌ったことないよ」


「そんなの関係ないさ。俺も歌ったことないから!」

「なら、どうしてそんな自信満々なの」


 彼女の呆れたような――でもどこか嬉しそうな声に、元気よく答えた。


「だって二人で一緒にやれば絶対に楽しいからな。それが全てだ!」



 




 





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