第29話 彼女からのマッサージ

「力の加減、これくらいでいい?」


 白月しらつきの言葉が背中越しから聞こえてくる。

 その言葉に対して俺は、いい感じ! と返事をした。

 にしても……


「眠いなぁ」


 あくびをしながら、枕に顔をうずめる。

 もう今にも寝てしまいそうだ。

 

 白月のマッサージ技術が向上したから眠気が襲ってくる。

 というのもウソではないが、それ以上に久々のスキーが効いているのだろう。

 スゴイ、筋肉が震えている……


 俺が太ももを震わせていたら、


「寝ちゃってもいいよ」


 彼女の暖かな声が聞こえてくる。

 ここはお言葉に甘えて寝ちゃうのもありか。飯は外で食べてきたし、シャワーも浴びた。それに時間も時間だしな。……やっぱり帰りの運転はつらかった。二時間半という運転の時間はさることながら、筋肉痛に打ち震えながらの運転はキツイ。

 でも、白月が笑顔になってくれたし充分だな! と、そういやあれを聞いておかなきゃ。


「白月は学校っていつからなんだ?」


 枕から顔を上げたあと、たずねる。

 今日のスキーで気持ちが晴れて、家族の元に心置きなく帰れる! のが一番ではあるけど、彼女の問題は根が深そうだ。

 なら、次善の策――彼女が安全に、心を落ち着けられる場所があることをしっかりと伝えなきゃだ。なにがあっても白月の味方でありたい、その気持ちは変わらないから。


「一月の十二日からだよ。去年より休みが多いんだよね」


「くっ、有給を使っている俺よりも休みが多いじゃないか」


 ちなみに自分は八日から会社、と言葉を続ける。

 ……今日が四日だからもう何日も休みがない。しかも四日と言っても夜の四日だし。実質もう三日しかないだと……! この休みは永遠じゃないのかよ。と再び枕に顔をうずめる。


「お兄さん、ちょっと足を動かさないで」

「あ、ごめんごめん」 


 ついつい足をバタバタさせてしまった。

 精神年齢はまだまだピチピチだぜ! 恥ずかしいことを威張りながら、話を本題に移す。


「白月の学校が始まるのは十二日だよな。ならさ、その前日まではウチにいてもいいよ」


 俺は八日から会社だから、あんまり面倒はみれないけど。

 そう白月に言ったところで、彼女の柔らかな手が自分のふくらはぎから離れる。


「……いいの?」


 繊細な、どこか救いを求める声が聞こえた。

 こういう声を聞くたびに胸が締め付けられる。

 ……もし、白月の親が虐待でもしてようものなら、自分史上最高の怒りが湧き上がるだろう。

 

 内心での考えとは裏腹に、明るい声を出す。

 たぶんそういう系の問題ではないだろう。彼女の親への反応を見るかぎり。


「もちろん! というかむしろ、自分からお願いしたいぐらいだよ。俺ってば寂しがり屋だから一人暮らしってのはツラい!」


 ただ、と言葉を続けていく。


「その代わり、白月が家出してきた事情を聞きたい。話せる範囲でいいから。それにガッカリしたりもしない。それでも、話せないなら――」


 家に帰ってもらおう! 家までは車で送るから。

 という言葉は彼女の綺麗な声によってさえぎられる。



「ウソ、ついたから」



 シンプルな言葉が耳に突き刺さる。

 ウソ、つまりは約束を破られたということだろうか。俺は彼女の顔が気になって、小さく振り返る。

 すると、剣呑けんのんな雰囲気、それと悲しみを混ぜ合わせた表情の彼女がいた。


「何回も、何回も。昔から決めている約束で、お父さんは守っているんだよ。でも、お母さんはそれを何度も破って……。だからさ、もう愛想が尽きちゃったのかもね」


「それで家を出てきたのか」


 俺は彼女の目を見ながら、口を開く


「そうだよ。お母さんの態度に耐えきれなくて、ううん、お父さんにも怒ってるんだと思う。お母さんをとめない――むしろ、喜んでいるお父さんにたいしても」


 話の具体像がハッキリとはつかめない。

 それでも彼女があの――初雪が降った時よりも――悲しんでいるのだけはわかった。


 …………


 沈黙が小さな部屋に広がる。

 俺がふたたび顔を枕へと沈めていたら、


「……自分でもね、わかっているんだよ」


 彼女はポツリポツリと口を開いた。

 それと同時に、白月の細長い指が俺のふくらはぎを刺激する。さっきよりも指圧する力が強いのは、気のせいではないだろう。


「わかって、いるんだよ」


 顔を上げ、彼女の顔をちらりと見る。

 すると指の力強さとは裏腹に、彼女の言葉と表情は弱々しかった。

 そしてその表情のまま、首を左右に振っている――自分の言葉を否定するかのように。


 俺は急いで顔を元の位置に戻す。

 今の光景を勝手に見るのはよくないと感じて。




「ごめんね、あんまり話せなくて」


 しばらくの沈黙のあと、白月は口を開く。

 いつものようにふてぶてしい声で。


「充分さ。話してくれてありがとう」


 また話したくなったら話して。

 と言いかけたところで、ついついあくびが出てしまう。


「す、すまん。真剣に話を聞いてなかったとかじゃないからな! 白月のマッサージ技術がマジパナイとか、そんな感じであって……」


 そう慌てて言い訳をしたら、


「えんぎ、でしょ。わたしを疲れさせないための」


 白月がクスクスと笑いながらそう言う。

 俺はその優しさに甘えて「はははっ、そうそう」と返事をした。

 はい、演技じゃありません。純粋に眠かっただけです!


「本当に眠っちゃっていいよ。布団は自分でけるし、暖房も消しおくから」


「眠っちゃうよ? マッサージされながら、何も考えずに眠っちゃうからな!」

「はいはい、どうぞ。ゆっくり休んでね」


 こんな幸せな状態で眠っちゃっていいのだろうか。

 そう思いつつも、暖かな空気が俺のまぶたを開かせない。

 

「んぁ、じゃあ休ませてもらうよ」


 体の力を抜いてベッドと一心同体になる。

 あぁ、もうあと数秒で眠っちゃいそう。ボヤけた頭の状態で、考えていることをそのまま口に出す。


「しばらくここにいるなら、明日かいものに、いかないとな……」


「ありがと、お世話になるね。……迷惑をかけちゃって――」

「おれは、しらつきの味方だから。一緒にいられたら、それだけで楽しい、から」


「……おにいさん」


 まぶた越しに見えていた光が、突然と消えてしまう。

 それを少しだけ不安に感じてまぶたをうっすらと開けたら、


「ありがとう。私も、楽しいよ」


 白月のほがらかな笑顔。

 それと、星型のペンダントが見えた。そのペンダントは確か母親から……。

 思考は暗闇に溶け、彼女への想いだけがベッドの上に残った。

 

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