第27話 彼と彼女の共同生活
月も星もない夜。
空から降り続ける雨が、アパートの軒下に重なる。
周囲には山と森しかない。だからその音だけが、俺と彼女を包み込んでいた。
「お兄さん……?」
いや、瞳だけじゃなく、美しい声も、力を感じさせなかった。
「……ッ」
山の方から、強い風が吹く。
肌を刺すような冷たい風だ。もしかしたこの雨は雪に変わるかもしれない。そう思わせるような、冷たい風だった。
「白月、家に入ろう」
彼女がなぜ俺の部屋の前にいるのか。
それを疑問には感じたが、そんなのは後回しだ。
今は雨で濡れた彼女を暖かい場所に移すのが先に決まっている。……このままじゃ風邪を引いてしまうから。
「……」
俺は部屋の鍵を開ける。
そして返事をしない彼女の手を取り、部屋に連れて行く。
……周囲に人がいなくてよかった。傍から見たらよからぬことを疑われるような光景だし。
家の中は思っていたよりも寒い。
こんなことなら、いつものように暖房を付けっぱなしにしておけばよかった。
心の中でごちりながら、洗面室を開ける。ここの方がまだ暖かいな。そう思いつつ後ろにいる白月へ声をかける。
「シャワー浴びちゃって。タオルとかは用意しておくから」
「……ん」
彼女は長い黒髪から水を
その際、俺のそばを通った時、ささやくように言った「ごめんね」という言葉が、どうしようもなく胸を苦しくした。
「バスタオルは予備のが……あるな。ハンドタオルもある。あとはなにが必要だ」
ヤカンに火をつけたあと、クローゼットの奥を漁る。
普段はスーツを引っ張り出すぐらいにしか使わないから、それ以外の物を取り出すのは一苦労だ。
とりあえずバスタオルとハンドタオルは確保した。あと必要な物といったら、
「服?」
まさか着替えを持ってはいないだろうしな。
……どういう理由で俺の部屋の前にいたのかはわからない。
でも、ただ事じゃないのはわかる。やっぱり家でなにかあったのだろうか。前の電話で母親が健在なのはわかったけど、それ以外がさっぱりだ。
――考えるのはあとにしよう。
とりあえず服をどうにかしなくては。
「んー」
ガサゴソとクローゼットの中にある衣装ケースを調べる。
おっ、白い無地のシャツがある。上はこれでよしだな。
下はジーパンで我慢してもらおう。
「……」
なにかが足りない。
バスタオル、ハンドタオル、シャツにジーパン。
パッと挙げた感じは足りてそうだけど、やっぱりなにかが足りていない。
そうだ――
「パンツか! ……パンツ!?」
驚きの事実につい連呼してしまう。
いや、でも、ちょっ、パンツか……男物のトランクスならあるけどさ。女物のパンツなんてないぞ! ……あったらそれはそれで引かれるだろうな。もしくは、元カノとの付き合いを勘繰られる! ノット浮気とパンツ!!
「んっん」
ひとまず……パンツパンツと連呼するのはやめよう。
『下着』っていう表現でいこう。まだ下品じゃなくなる。
「だけど、どうすれば……」
俺のトランクスはお洒落だ。下着には気を使っているからな。……勝負下着。
ちがう、過去の話を思い出す場面じゃない。
ええと、俺の下着はお洒落だ。
でもそれだからって女性――白月に履かせるのは
自分的にも男物の下着を履いている彼女を想像したくはない。けど、白月的にオッケーならばそれもやむをえないだろう。
ノーパン……ノーパンよりはマシだ……!
「まてまてまて」
考えが極端になってきた。
他にも手段はあるはずだ。例えば、今から下着を買いに行くとか――コンビニまで車で二十分かかるけど。
もしくは乾燥機にかけるとか――乾燥機がねえ! あーでもコインランドリーが歩いて十分のところに……乾燥機にかける時間を考えたら結局コンビニと一緒ぐらいか。
「ぬぅぅどうすれば」
と考えていたら、ヤカンが悲鳴を上げる。
……とりあえず、スープの準備をしておくか。
俺は考えるのを止めて、キッチンへの扉を開けた。
ミニテーブルにコップを二つ置いたあと、洗面室の前にたどり着いた。
もちろんタオル一式と着替えを持ってだ。……男物の下着も含めて。
「白月ー、扉を開けても大丈夫か?」
俺がそう尋ねるとシャワーの音が止まり白月は「大丈夫だよ」という返事を返した。
その言葉を聞き、そっと洗面室への扉を開ける。
「……」
濡れた黒いコートなどを見ないようにしながら、タオルをカゴに置く。
あとは、これだ。
新品の下着を手にしながら、迷う。そっと置いておきたい、問題を直視したくはない。
でも、そういうわけにはいかないな。……本人に聞いてみよう。
ごくり。とツバを飲み込む。
白月に抵抗感がないのなら、男物の下着を履いてもらえばいい。それ以外の選択肢だと、スースーかびしょびしょをまた履いてもらうしかない。
あとはコンビニに行って買ってくるのもありだ。時間はかかるが、その間はお風呂に浸かっていれば風邪は引かないだろうし。……というかスースーとかは論外だ! 俺にそんな趣味はない! と思う。
「ふぅ」
聞きにくい。白月からしても答えにくい、恥ずかしいであろう質問。
果たして俺の選択は合っているのだろうかと思いながら、たずねた――
「白月、着替えについてなんだけど」
湯気が立つコンソメのスープに口をつける。
白月もそれを見てそっと口をつけた。少し冷ましておいたから、ヤケドはしないはずだ。
「「……」」
互いに一度、呼吸を置く。
暖かい物を飲んだ時って、言葉がすぐには出てこない。体がリラックスするからだろうか。
そんなことを考えていたら、白月はジトっとした目を向ける。……さっきよりも瞳に力を感じた。
「お兄さんにはデリカシーが足りてないよね」
彼女の綺麗な――ふてぶてしい、いつもの声が耳を通り過ぎる。
元気になってよかった。そう思いつつ、クッションに座った白月に頭を下げる。
「ワタクシが悪う御座いました!」
カーペットに額がつきそうなぐらいに頭を下げた。
白月の言う通り、我ながらデリカシーがなかった。付き合いたての、しかも年下に尋ねるようなことじゃなかった。
でも、経験が足りなかったんだ。今の自分には厳しかった……! 替えの下着をどうこうする経験を積んでいない、俺の未熟さが招いた悲劇。
顔を上げたあと、たいして長くない髪をサーっと暖房の風で流す。
気分はさすらいの風来坊。
「へっ、すまねえな。ワシは
流し目で白月を見る。彼女の頬はうっすらっと上気していた。
これは、決まったな……!
「ふぅん、お兄さんって女の人と縁がないんだ。へぇ」
アーモンド・アイが俺の瞳を捉える。
えっ、その発言はどういう風に解釈すればいいの「そんな……私がいるのに、ひどい!」的なのか、それとも「女遊びしてそうだよね」的な意味なのか。
前者の意味だと思っておこう。そっちのがキュンとするからな! それにだ、俺は白月一筋だからな。女遊びなんてしません! ということで、
「んっん!」
俺は咳払いをする。
そしてもう一度しっかりと謝った。すると、
「そんなに謝らなくて、いいよ。元はといえば私が悪いんだから……」
白月はまぶたを下ろす。
さっきと同じような、彼女らしくない雰囲気に戻ってしまった。
ミスったな、二度目の謝罪はいらなかったか。ここは適当な話題と俺のテンションでごまかす場面だったな。
どうしたものかと思いながら、さっきの下着騒動からヒントを探すことにした――
◇
「白月、着替えについてなんだけど」
バスルームにいる白月へ声をかける。
……いま初めて知ったけど、ここのバスルームの扉って透明性が高いんだな。
「着替え?」
彼女がこちらを振り向いたのがハッキリとわかってしまう。
マズイ。白月のスラッとしたボディーラインが見えてるじゃないか……!
いかんぞ、これは。と思いつつ、ちゃっかりと見ておく。いやいやダメだから。彼女高校生、健全第一!
俺が煩悩と戦っていたら、彼女にどうしたのかと尋ねられた。
「ごめん、ちょっと難敵がいてな」
「もしかして、クモ? お兄さん苦手だもんね」
水滴の音と共に、彼女の声が聞こえてくる。
そしてバスルームという場所のせいか、声が響く。――弱々しい声が。
だが、それと同時にその声は妙に色っぽく聞こえた。
つらい。
俺はただ彼女を心配したいのに、そうはさせてくれないこの状況がつらい。
早くこの場から離れるために、話を進める。
「クモより手強い存在さ。それよりも、着替えのことだ。タオル一式はもう置いてある。シャツやジーパンもだ。けど、だな」
そこで言葉を切ったあと、勢いで喋ることにした。
「下着が……ないんだっ。男物の下着しか、なくて。どうすればいい白月! 俺は彼女に対してノーパンでいることを望めばいいのか!? それとも、男物の下着を我慢して履いてもらえばいいのか!」
変態だった。
パンツをブンブンと振り回して、彼女にノーパンを迫る自分は、変態だった
そしてそんな変態に対して、白月は――
「着替え、あるんだけど」
――どこまでもクールだった。
◇
結局そのあと、白月はラフな格好で俺の前に現れた。
どうやらバッグの中に着替えを入れておいたらしい。……外が暗かったせいで、バッグの存在にすら気づかなかった。
もし、トートバッグの存在に気づいていれば――あんな馬鹿なことを考えずに済んだのだろうか。
スースー、びしょびしょ……男性物の下着。
ああ、数十分前の自分を消し去りたい。
って、そんなことはどうでもよくて、
「白月のそういう格好は珍しいな。Tシャツ姿もいいよ」
『着替えを用意して、家を出た』ということが重要だ。
仮に彼女が家出をしてきたと考えるなら、計画的な行動ということになる。
……もしくは常日頃、念のためカバンに着替えを入れている可能性もあるが。実際プロレスをしてもらう時、彼女は着替えを用意してた。
うーむ、これ以上はわからん。ここは彼女の出方を伺うとしよう。
わずかに残ったスープに口をつける。そして言葉を待った。
すると、彼女は視線を自身の胸に置いたあと、その視線の中心を手で引っ張る。
「そうかな。こういう軽い感じの服ってあんまり着なくて、ちょっと派手じゃない」
「確かに色合いは派手っちゃ派手だな」
蜂のように黄色いシャツ。
確かに目立つ色合いだ。白月が普段シックな服を着る分、余計にそう見える。
でも、
「これはこれで似合ってる。普段が綺麗なら、今日は可愛い白月だな」
俺は楽しくポップな気持ちで笑う。
「……ありがと。友達が勢いで勧めてきたのだから、少し自信がなくて」
彼女は照れたように視線を窓の方へとそらす。
そして自分は、いつの間にかスープを飲み終えていた。
コップをテーブルに置くと同時に、彼女がポツリと呟く。
「雨、弱まってきたね」
その声を聞いて、俺も窓へと視線を向ける。
確かに雨は弱まっている。しかし、雨は雪へと変わりつつあった。
「ありがと」
白月がまた礼を言う。
でも、さっきとは意味合いが違う言葉だとすぐに気づいた。
「帰るね。シャワーとスープ、助かったよ。いつかお礼するから」
彼女はそう言い終えると、バッグを持ち、素早く立ち上がって、玄関へと迷いなく歩いていく。
前から思ってたけど、この子の行動スピード速すぎ!
俺は中腰になりながら、彼女のなめらかな手首を握りしめる。
白月は振り向かない。だから、振り向かせるための言葉を言う。
「好きだ」
彼女はシャンプーの香りを纏いながら振り向く。
そして自分の目を見て「いきなりなにいってるの」と訴えかけてくる。
だが、その視線は無視して、言葉を続ける。
「“本当”に家に、帰るのか?」
……彼女はため息をひとつ吐く。
端正な眉を曲げたあと、首を左右に振った――
映画の「沈黙」シリーズっていくつあるんだろう。
どうでもいいことを考えたくなるほどに、沈黙だった。
「おせちの代わりにフライドチキン!?」「いやぁ、それが本当にあるんですよ~」
沈黙をやわらげるための声が、テレビから聞こえてくる。
おせちの代わりにフライドチキンか。他にはスシもあると。……子供はこっちの方が喜ぶだろうなと思いつつ、窓の外に視線を向ける白月を見る。
――彼女は元のポジション、クッションの上に腰を落ち着けてくれた。
でもそれっきりだ。今の事情を話してくれたりはしない。
「まだ正月だな」
テレビの特番を見ながら、俺は白い壁に背中をつける。
今、自分と白月は恋人同士だ。昔のように他人か知人か友人か、みたいな曖昧な関係じゃない。
なら、踏み込んでみてもいいか。というか今の彼女を放っておけるわけがない!
……にしても、尻が痛い。
カーペット越しとはいえクッションがあるとないとではこうも違うか。
彼女からクッションを奪還、いや、クッションを奪還しつつ、彼女を膝の上に載せる方法はないか……?
「……」
ジーッと彼女を見る。
……居心地が悪そうだった。
と、とりあえず場を温めてから、話を聞くとしよう。
こんなジメジメとした空気じゃ話しにくいだろうし。
リモコンでテレビを消したあと、自分は大げさに喋り始める。
「そういや前に約束した、俺のちょぉぉううう恥ずかしい話を聞かせて信ぜよう」
ゲーセンの時に約束したことだ。
結構前の話だから白月は覚えていないかもしれない。
ま、忘れていようが話すんだけどね!
と考えていたら、
「……おぼえてたんだ。てっきり、忘れちゃってるのかと思ってた」
白月は意外にもあの話を覚えていた。
ほぉう、これは楽しみにされちゃっているな。
俺はいちごミルクを口にしつつ、テンションをあげる。
「当たり前よ! 社会人たるもの――一人前の男たるもの! 約束は忘れん」
今こそ約束を果たす時、声を大にして言う。
「そうだよね。お兄さんは約束を忘れたりなんか、しないか」
どこか儚い微笑みで彼女は俺を見る。
あれ、もしかして地雷踏んだ? と思いつつ、過去の記憶を掘り返した――
「うん、帰る。お世話になりました」
「ちょちょっちょっと待って!」
帰ろうとする白月を呼び止める。
「駅でアイを叫んだって、それだけの話じゃないか! そんなにひかなくても!」
俺はおいおいと泣きながら文句を言う。
……恥ずかしい話だとは思う。けど、そこまでひかれる話だとは思っていなかった!
久々に白月の嘲笑う視線を感じて、テンション上がったきがするのは気のせい!
「お兄さんが落ち込んでたのは知ってるけど、流石にそれは、ねぇ」
バカにするような声でそうつぶやく。
ふぅ、たまらないぜ! ……ちがう、ちがうんです。決して喜んでいるわけではありません。
「だって、不審者情報として出てたよ、その話。……まさかお兄さんだったなんて」
えっ、不審者情報!?
「ま、まじで? 俺、不審者扱い?」
白月はこくりと頷く。
マジかよ……。誰が通報したっていうんだ。
はっ、もしやあのサラリーマンか。くそっ(俺の中では)話がついていたじゃないか! 同じ苦悩を共有する彼ならと、信じていたのに……。
俺が悲しみに暮れていると、
「ふふっ、お兄さん、顔が……ふふ」
彼女は笑いをこぼしていた。
全然笑いごとじゃないけど、笑ってくれたならよかった。
でも不審者かぁ。会社の最寄駅で叫ぶのは失敗だった。今度からは、って二度目はないか。
「ちなみにいまの、冗談だから」
いたずら気に白月は言う。
「あ、冗談。……そうだよな、マジ気づいてたわー。白月さんに喜んでもらうために演技しただけだから」
「ふぅん、演技なんだ」
そこで言葉を切る。
なにその目! 「やってることは不審者そのものだけどね」とでも言いたいのか!?
あ、いま実際に言った。妄想にして片付けるんじゃないと、はい……。
白月様の調子が戻ってきたところで、本題に移る。
「それで白月は家出をしてきたのか」
「……さらっと聞くね。まぁそんな感じ、かな」
家出、か。
壁に吊るしてある時計を見ると、もう夜の十時を指していた。
「大げさに聞かれるのも疲れるだろ。それで、家出の理由は?」
彼女は首を横に振る。
話したくないということだろう。どうしたものかと頭を悩ませているたら、
「お兄さんのことを信用してないとか、そういうことじゃないよ。ただ、」
それを話してお兄さんにガッカリされるのが嫌だから。
白月はそばにあるギターを触りながら、俺に視線を向けない。
「そっか」
一言、そう言うだけに留めた。
……ここは安易に「ガッカリなんてしない。なんでも話して!」という場面じゃない。そう言ったところで話したがらないだろうしな。
なにより、今の彼女の気持ちを聞けただけで充分だった。
「なら、いつか話せる時に話してくれ。白月のことはなんでも知りたいからな」
俺の本心を話す。
彼女のことをたくさん知って、悩みとかそういったものを解決してあげたい。図らずとも俺の問題を解決してくれた彼女のために。
でも、今がそう言う時期じゃないというのなら待とう。俺はただ彼女の味方でいてあげよう。
「それで、今日は家に帰るつもりなし?」
そう聞くと、彼女は首を縦に頷き、口を開く。
「これ以上、お兄さんに迷惑はかけないから」
「へっ、俺の部屋の前にいた時点で迷惑かけられてるっつーの」
「……そうだよね。わかってたのに、なんで来ちゃった――」
白月が喋り言い切る前に、言葉をさえぎる。
「だからさ、もうトコトン迷惑をかけてくれ。俺ってなに、ちょっと
ともかく! 俺はそう言って、立ち上がる。
「今日は泊まっていけばいい。ベッドは俺が使うけどな!」
布団の上だと、どうにも寝付けない。
畳の部屋で寝るのは好きなんだけども。
「……いいの?」
「もちろん! ただ、二つお願いごとがある」
一つ、明日はちゃんと家に帰ること。車で送るから。
「……」
そう言うと、彼女は首を縦にも横にも振らない。
でも、了承してくれたと思っておこう。一晩寝れば気持ちも落ち着くだろうし。
「それと次、これが重要なことなんだけど……」
俺がそこで間をためる。
すると、白月はなにを勘違いしたのか、
「なんでも、するから」
意志の強い瞳、それとかすかに赤い頬。
そしてぎゅっと自らの手を握り締めていた。
これは不健全の匂い……!
☆
『好きだよ、お兄さん』
『大好き。でも、ちょっとこわいかな』
『ううん、やめないで。初めてでも、お兄さんと一緒なら』
『優しくしてとか言わないよ。……気持ちよくなってね』
『そうなんだ、私も気持ちよくならないとダメなんだ……』
『わかった。頑張るから、その前に、ね』
『抱きしめてほしいな』
☆
ホーミータイッ!
なにげにまだ白月を抱きしめたことがない!
うそでしょ……恋人同士でしょ……と思いつつ、彼女の頭を軽く
「いた、なにするの」
「バカなことを言うんじゃありません」
「……私は、本気だよ」
「っ、し、白月が白月を安売りした時点でそれはもう白月じゃないの!」
照れと怒りをぶつけながら、二つ目の話を続け――
――衝撃の事実発覚。
白月は今日で家出二日目らしい。
考えてみれば当たり前なのかもしれない。まずは出来たてホヤホヤの彼氏の家じゃなくて、友達の家に行きますよねー。
なんでも昨日は友達の家に事情を言わぬまま、普通に一泊させてもらったらしい。そのあと、家に帰ると言って友達の家を出た。が、帰る気持ちにならずに外を彷徨っていたら、俺の部屋に来てしまったらしい。
「だから、今日も友達の家に泊まるって親に伝えておくよ」
そうすれば、何も聞いてこないから。
……彼女の横顔は無表情だった。いつものふてぶてしい表情ではなく、悲しさを隠しきれない無表情だった。
「頼んだ! 俺が警察の世話にならならいためにもな」
白月の気持ちを少しでも明るくするために、元気よく言う。
だが、家出二日目という事実を聞いて、俺は心の中で思ってしまった。一晩寝れば解決、なんていうのは難しいかもなと。
朝の七時。俺は霜の張った道を車で走る。
昨日の雪は明け方まで降り続いていたようだが、既にやんでいた。
窓からの天気を見るかぎり、今日はもう降らないだろう。
「……」
助手席にいる白月を見る。
昨日は、大変だった。白月の携帯が雨で壊れかけてる事件――親にメールできない事件を機に、
彼女が俺の着替え中に間違えて入ってきたり、夜は悶々と眠れない夜を過ごしたりと、同居生活は大変だなって感じた次第。
といっても最後のはウソなわけですが。めっちゃグッスリと眠ってしまった。無神経な自分バンザイ。
そんなわけで俺の調子はバッチリだが、
「晴れないな」
彼女はそうでもないらしい。
さっきから窓の外をぼんやりと見ていた。
「そうだね、曇ったまんま」
雪は降りそうにない。けれど、晴れそうにもない。
……
入り組んだ道をいくつか通っていく。
ここで対向車が来ようものなら、俺は泣く。というかバックする以外にすれ違う方法はないだろう。ここが一方通行の道であることを祈りながら、ブンブン坂登り。
すると、カーナビが『目的地付近に到着します』という音声を発した。
「おっ、そろそろ家が見えてくるんじゃ……ってもしかして、これか」
窓を開ける。
そして思わず見上げてしまった。
「でけえ……」
これが俗に言う武家屋敷か。
周りの家も都心の家に比べて軒並み大きいが、白月の家は更に一回り大きい。
「ここに何人で暮らしてるの?」
俺は思わず聞いてしまう。
「四人かな。……正確に言うと、二人。ううん、ひとりかもね」
ひとり……?
つい驚きそうになったが、なんとか我慢をする。
前回の電話を聞いたかぎり、母親は住んでいそうだったけど。……家の中を見てみると、パッと見は真っ暗だ。
胸のざわつきを感じながら、白月に尋ねる。
「弟くんは寮に行ってるんだものな。父親はどっかに転勤とかか?」
「正解。お父さんは、わたしが小さい頃からずっと海外暮らしだよ」
昨日までは家に居たと思うけどね。
彼女は特に動揺することなく、淡々と語る。
……父親に問題がないなら、これは母親と喧嘩したと見るべきか。いや、だけど白月はこういうのを隠すのが上手い。結論を急ぎ過ぎない方がいいか。
「昨日まで、ってのはまた。白月の父親は忙しい人なんだな」
いつタブーに触れるかも知れない、ギリギリの話題。
だが、ここで怯んでいたら俺たちは前に進めない。
「そうだね。本当、お父さんもお母さんも……」
俺は白月の方を思わず見てしまう。
見たくなってしまうような声だった。
――罵るような、吐き捨てるような声色。俺と初めてホテルに行く前に言った『ふぅん。お兄さん、高校生としたいんだ』的な声だ。あ、これだと白月の両親が変態みたいになる。
なんにしても、この話題はここまでにしよう。知りたいことは知れた。
「よしっ、白月。今日はバイトとかないな?」
それよりもいまは――
「バイト? うん、しばらくはお休みだけど」
「なら俺に付き合ってもらおうか」
ギアをパーキングからドライブに切り替える。
そしてアクセルを強く踏んだ。もってくれよ……! 俺のシャコタン!
「どこいくの」
彼女は不思議そうに尋ねてきた。
俺はそれに対して満面の笑みで答える。
「スキーさ!」
――彼女の表情を笑顔に変えるため、白いゲレンデに想いを馳せた。
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