えんこー少女 3万円

ネームレス・サマー

第1話 彼は田舎でアイを叫ぶ

「あーもうっ! 間に合わなかったか」


 黄色い外装の電車が山の間をすり抜けるように走っていった。

 今日は折角早く帰れると思ったのに……最近ついてない事だらけだ。

 眉毛の先まで伸びた髪を押さえ込むようにして、こめかみに手を置く。


「ふぅ、次の電車は……三十分後か」


 ありえねえだろ、シティボーイにはつらすぎる。

 これでもまだ電車の本数が多い時間帯ってのが信じられない。


「はぁ」

 

 夕日が浮かぶ空を見上げながらため息がこぼれ出た。

 立っていても仕方がないか、座るとしよう。俺は黄色いチェックのネクタイを外した後、今の気持ちをぶつけるようにして勢い良く座った。


「……壊れないよな」


 すると、木のきしむ音が聞こえてきた。

 見るからにボロいからな、このベンチ。もう壊れてもおかしくはない。

 けど座らないっていう選択肢もないか。三十分……三十分もあるんだよなぁ。


「はぁ」


 頭を地面に向けると、自然とため息が出てしまった。

 ……ここに来ていったい何度目のため息だろう。

 まだ三ヶ月しか経っていないのに、一生分のため息を吐き出したような気がする。


「なんでこんなことに」


 無駄に長い木製のベンチに座ったまま、視線を遠い空へと向ける。そして、両腕を背もたれに引っ掛けた。木のささくれが俺の腕を突き刺そうとしてくるが、お生憎様だ。クールビズは昨日で終わってるんだよ。こんなド田舎じゃあ、スーツなんて着ても面倒なだけだと思っていたが、役には立つらしい。


「っといけない」


 俺は濃紺色のスーツのボタンを全て外す。

 すでにシワが多いスーツなのに、これ以上増やすのは頂けない。着られなくなってしまう。

 そういや、昔同期が『スーツは営業にとっての防具。最高の物を用意するべきだ!』とか言ってたな。当時は俺もその通り! って同意していた気がする。


「今となってみれば、お笑い草だな」


 着られればいいさ、着られれば。

 そう思いながら、顔を定位置に戻した後、視線を左右に振る。

 俺が座っている八人掛けのベンチには誰も座っていない。もう一つある同型のベンチも同様だった。


 いや、そもそもだ……


「人っ子ひとりいねえ」


 ベンチにだけではなく、黄色い線の内側にも外側にも人がいない。

 都会なら最低でも駅員はいたが、ここじゃあそんな上等な者は存在しない。いるとしたら鳥とタヌキぐらいか。いっそタヌキを駅長にでもしてみたらどうだろう。


「…………」


 胸を冷たくするような風が吹き抜ける。

 木々が風に揺らされるが、葉と葉が擦れ合う音は無かった。

 それも当然か。緑の葉はほぼ全て枯れ落ちてて、焦げ茶色の葉が枝に一枚か二枚付いている程度なんだし。


「景色は気に入ってたんだけどな」


 夏、ここに来た頃は緑で溢れかえっていた。

 黄色や赤色の花達も色鮮やかに咲き誇って、山を多種多様な色で染め上げていた。それに、川のせせらぎや鳥達の鳴き声が夏の景色をより一層魅力的な物にしていた。

 だけど今ではどうだ。一面真っ茶色だよ。山火事でも起こったんじゃないかと言いたくなるぐらいだ。


 寂しい景色。

 ……まるで未来の俺を暗示しているような風景みたいだ。


「っバカらしい」

 

 一生このままってことはないだろ。本社にだって、きっといつか戻れるはずだ。


「夜になっちゃったな」


 駅構内にある何本もの街灯が一斉に光を発し始めた。結局帰る時間はいつもと一緒か。空を見上げると夕日が闇に溶け込もうとしている。もう……秋も終わりだ。


「はぁ」




  ◇




「来月から転勤な」 

 

 平の社員よりも立派な椅子に腰掛けている人――営業副部長は俺に対しそう言った。


「……えっ」 


 副部長の口にした言葉に上手く反応できなかった。

 けれど、仕方がないだろう。時間はまだ朝の九時を少し過ぎた所。いつもならメールチェックを適当にしている時間帯。頭が回っていなくて当然だ。

 

 それに昨日は取引先の相手と終電後も競うように酒を飲んでいたから余計にか。家に帰ったのは六時頃だったっけ……朝焼けに照らされながら必死に家のマンションへ歩いて帰った記憶がある。独り寂しい部屋に帰って、水飲んで、シャワー浴びて、ことこと煮詰めたしじみ汁飲んで……。

 

 あれ、むしろ俺よく会社来れたよな。流石はエリートだ。凡百の存在とは訳が違う!


「にしてもあの人は無事に帰れたかね」


 とりあえずタクシーにぶち込んでおいたから、家には帰れていると思うが。


「おい、聞いているのか。中村なかむら。現実逃避したい気持ちはわかるがな」


 俺が意識を過去に飛ばしていると飯田いいだ副部長が哀れむように声を掛けてきた。

 相変わらず声が大きいな……頭が痛いからもう少しボリュームを下げて欲しいもんだ。

 にしても現実逃避ってなんだ? 何か嫌なことでもあったのだろうか。


「どういうことっすか、飯田さん。というかそもそも何で自分が呼ばれたんですか? ライブの誘いなら会って話すのは不味いんじゃ」


「しっ! 社内でその話はやめんか!」


 飯田さんは席から立ち上がり小声で俺を叱った。

 

「おっとっと、こりゃ失礼」


 俺が頭を軽く下げる。

 すると飯田さんはまったく、と口にした後、一脚五万はするという黒いリクライニングチェアに再び腰掛けた。

 

 はぁ、一度は座ってみたいな、あの椅子。見るからにすわり心地が良さそうだ。俺みたいな平が座っている椅子とは大違い。格差社会、ここに極まれり。

 でも、このままいけば定年間近には俺もあのふかふかな椅子に座ることができるだろう。


「あっ、だけどここ飯田さん専用の個室なんだから話しても問題ないんじゃ」

「わかるもんかよ。山崎部長はノックをしないで入ってくることもあるんだぞ」


 うわっ自分より偉い人にあの趣味がバレたら面倒だろうな。下手したら出世コースにも関わりそうだし。『次期社長候補の飯田副部長。趣味であるアイドルの追っかけがバレて脱落!!』 なんて笑えない。

 飯田さんが出世すれば仲の良い俺も出世コースへと乗っかれるんだ。気をつけなくては。

 

「はっ! 以後気をつけます」


 ふざけた敬礼をしながら返事をする。……本来ならこんなに気安く話ができる立場の人じゃない。ハタチも半ばを過ぎたばかりの自分からしたら、四十後半で十円ハゲのおっさんってだけでも話しにくい。

 なのにそれだけじゃなく、立場――役職も全然違う。

 自分は平のペーペーで部下なんて存在しないのに、飯田さん――飯田営業副部長は直接、間接の部下全てを含めると三桁の部下を従えていたはずだ。


「以後、か。ん? お前、昨日飲んでたろ」


「……わかりますか?」


 視線を宙へと彷徨わせていたら、飯田さんが鼻を手で摘みながら非難めいた声で俺に喋りかけた。気付かれるとは……ブレスケアだけじゃ足りなかったかー。


「アルコールのキツイ匂いが香ってきたよ。接待なんだろうが、程々にな」

「へーい」


 そう言うと飯田さんはリモコンを机の引き出しから取り出し、エアコンを起動させた。暑くなってきたとは言えまだ六月も始まったばかりだ。冷房って事はないだろう。状況から考えて空気の清浄をするに違いない。


「ったく、そんな適当だから…………」

 

 俺に視線を向けた後、ぼそぼそと愚痴るように何かを呟いた。

 

 何言ってんだろ。にしても、ひょろっとした体格とは対照的な強い力を感じさせる目だ。いつ見てもビビる。流石三大商社の副部長ってだけはあるな……よし、俺の目標変更。定年間近には課長を目指そう!課長クラスも確か今飯田さんが座っている椅子と同じ物だったはずだし。椅子さえあればいいや。個室は諦めよう。


「で、何で自分は呼ばれたんでしたっけ?

 こう見えても自分~午前中に一件外回りが入ってるんで~マジ忙しいんすよ~」


 俺の舐めくさった言葉にため息を吐きながら、飯田さんは尋ねる。


「本当は?」


「雀荘で人生とは何かを学んできます!」


 それに対し、俺は背筋をピンと立たせながら、威風堂々と告げた。


「そんなもの、大学中に済ませとけ」


 そんな俺の言葉に、飯田さんは光沢感のある黒い机に頬杖を付きながら呆れたように言った。


「いやいやだって、先輩や上司、飯田さんもそうやって成長してきたって言ってたじゃないですか」


「そうなんだが、そうなんだがな……。

 ウチは昔から結果さえ出せば大体の事は多めに見てきたからな」


 飯田さんは苦々しく呟きながら、こめかみを強く抑えた。

 んん? ……どうにも雲域が怪しい。普段なら軽い返事を返してくれるのに。

 ここは話を変えるべきだな。


「あー、話戻しますけど、どうして自分呼ばれたんですか?」


 飯田さんとは立場が違いすぎて、なかなか社内では会う事がないからな。あったとしても偶然会うか直接メールでこっそりと呼ばれるぐらいだ。

 わざわざ上司を通してお呼び出しが来るなんて、勤続三年目にして初めてな気がする。


「……転勤、と言ったろ。頭も回ってきたようだし、本題に話を移そう」


 そう言うと飯田さんは浅く座り直し背筋を整えた。表情も真剣そのものだ。

 それを見て俺も自然と体に力が入ってしまう。

 とてもあんな趣味の持ち主とは思えない、鋭い雰囲気を醸し出している。


 飯田さんはひとつ咳払いをした後、俺のプライドすべてを破壊した。

 

「中村信太郎は七月一日付をもって本社から――エリア支社勤務を命ずる」

 



 ◇




「海外ならまだいい! 格好も付いたよ!

 なんでよりによってこんなド田舎に飛ばされにゃーならんの」


 ベンチから立ち上がり、人っ子ひとりいないホームで俺は叫んだ。

 叫ばなきゃとてもじゃないがやっていられない。


「クソ、飯田さんの奥さんや子供にあの趣味をバラしてやればよかったか?」


 ……そんな事をしても意味はないか。副部長が決定を下した訳じゃないし。

 

 あーあ、こんな辺鄙へんぴな所に飛ばされたなんて友達にも言えねーしさ。

 彼女に言ったら……ああもうなんでだよ! 今だにお前の事が忘れられねえよ。


「別に一緒について来てくれって訳じゃないのに。遠距離でも俺は良かったんだよ」


 そんなに嫌だったのか? 田舎に飛ばされる彼氏は。

 三年以上も付き合っていたのにあんまりだろぉ。


「なーんにも残っちゃない♪ 生き甲斐もない♪ 希望もない♪」


 結婚相手も、出世する可能性も、ぜーんぶなくなりました♪

 ……この替え歌を聴いたら飯田さん怒るだろうな。ミキちゃんの歌を汚されたとかなんとか言って。


「世界よ、俺を愛してくれえ! 愛するより、愛されたいのぉおおお!」 


 人がいないのをいいことに大声で叫んだ。

 

 あー愛が欲しい、愛に飢えてるわ。誰でもいいから愛をくれ。

 だけど間違っても哀はいらないです、もう充分間に合っているからな。

 俺の叫びに反応したかのように、電車の到着を告げる機械アナウンスが聞こえた。


「…………」 


 そして電車のヘッドライトがホームを照らした時、俺は気付いてしまった。

 向かい側のホームに男が一人いることに。


「…………っぉ」


 俺は素知らぬ顔で空を見上げる。

 

 これが哀か……。

 

 っておいおい、冗談だろ。なんで人がいるんだよぉ。

 早く電車よ来てくれ! 居た堪れないだろ、この状況は!

 口笛を吹きながら時間が早く過ぎることを祈っていると……来た。


「ほっ」


 黄色い電車の二両目が俺の目の前で止まる。……よ、よしこれで俺の顔はもう見えないはずだ。忘れてくれよ、名も知らぬサラリーマン。君も社会の荒波に揉まれたなら俺の気持ちがわかるはず!

 だから警察に通報とかは本当に勘弁してください。

 

 心の中で目撃者にゴマをすっていると、扉が開いた。

 それを見て俺は足早に車内へ入る。暖かさに包まれた車内の空気が俺の心を弛緩しかんさせる。


「……」


 ああ、もう全てを忘れよう。さっき俺が叫んでいたことや彼女に振られたこと、覚えていても仕方がない。なにせ明日は休みの日だしな! 少し遠いけど繁華街の方にでも行って、パーッと遊ぼう! 仕事なんてどうでもいい! どうせ本社に戻ることなんてできないだろうしな。ははっ。


「せめて明日ぐらいは良い日でありますように」


 俺の小さな呟きは電車の振動でかき消された。

 何の為に生きてんのかね、俺は。扉付近に設置されてポールに寄りかかりながら瞳を閉じた。




 ……………………

 ………………

 ……


「何の為に生きてる……か」


 夢を見た。

 数年前に左遷先でほんの少し悩んだ事。

 過去の俺が今の俺に問いかけてくる。


 何の為に生きているのかと。まぁ答えは決まっているよな。


「好きだっ! だから高校の時の制服を着てくれぇええ!」

「もう……なに朝からバカなこと言ってるの。というか起きてたんだ」


 彼女――白月しらつき 理沙りさの綺麗な、呆れたような声が頭上から降り注いでくる。

 俺はその声に導かれるようにぼんやりとしていた瞳を開ける。

 そして自分の答えを確かめた――――


「私も好きだよ。だから布団の中から出てきて」

「……はい」


 ――――尻に敷かれるのも、悪くない。


 

 

 

 

 


 


  

 

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