第二回
「それで、一睡もできなかったと?」
指導教官のリンネル教授のその一言に、ぼくは返す言葉もなかった。
「…まぁ、ある意味では君もあの事件の被害者なのは私もわかってるんだよ。ヘリオスくん」
「はい」
「だけどさ、女の子部屋に連れ込むってのはどうなの」
「…それに関しては反論したいところですが」
「結果そうなってるじゃないか」
否定できない。かといって追い出すってのもちょっと違うんじゃなかろうか。
「実際問題どうしたらいいでしょうか」
「やっちゃったことは仕方ないから、これからどうするかだな」
「これから」
「まず第一に、普通に考えて君が借りてるのワンルームだよね」
「はい」
「同棲ダメだよね」
ちょっと待ってみようか。リンネル教授、言ってることは正しいですが…というのが表情に出たのか。教授はペンを指でくるくる回す。教授がこれをやるときは大抵学生が解答を間違えたときである。
「次にだ、そもそも彼女はなんで君のところに来たんだ」
「言われてみれば」
「君を特定するのは魔力探知でまぁ可能だよ。でも、普通なら別に君以外でも助力できる人はいるよね」
「はい」
「つまり、彼女が変な趣味の持ち主でないとするなら、君に何かを求めている、ということになる」
何かとはなんだろう。
「それがわからないと迂闊なことはできないと思うよ。私の知る限り『聖女』が破門された事例なんて、数えるほどしかないんだから」
リンネル教授が指折り数えている。どうやらn数は5以下らしい。
「文献で調べられるでしょうか」
「生物学より古文学当たった方が早いかもね」
「魔法生物の調査でも役に立ちましたよね古文学」
「そうそう」
「…待ってください。教授は何故過去の事例を知っているんですか?」
それはつまり、何かの理由で調べる必要があったということだ。教授も『聖女』と何かトラブルがあったのだろうか。
「『聖女』も魔法生物だということは知っているな」
「それは、…色々な意味で、まぁ」
「さて、では『聖女』に近縁な魔法生物は何か、わかるかね」
「…ちょっと待ってください。『聖女』は人間なんですよね」
教授がまるで『聖女』が人間ではないかのようなことをいうのは何故か。
「遺伝子上はおそらく人間だと言えるね。だが…」
どういうことだ。理解が追いつかない。
「だが?」
「では君に聞こう。人間とは、なんだね?」
「え?」
それをぼくに聞くのか?…教授はあのことを知っていて、それを言っている可能性が高い。
「正常に見える人間の染色体の中にさえ、時に異数性が見つかっている。今のところ、あまりはっきりしない細かいレベルでは、もっと多数の変異があるだろう」
「はい」
「せいぜい人間というのは、サルよりちょっとだけアタマが良くて、交配して人間っぽいの作れれば人間なんじゃないか?…そうだろう、こちら側のヘリオスくん」
…なんてことをいうのだ、この人は。遠回しに『きみも人間だろ』と言っているのか?冗談じゃない。別に誇りなんかはないけどぼくはオークだ。オークでしかない。
「それは少々暴論ではないですか」
「そうかね」
「そもそも『聖女』が遺伝子的に人間だとしたら、それは人間でしょう」
「…ミツバチはローヤルゼリーを供給されたら女王蜂となるんだよ。それ以外は働き蜂だ」
「?」
急にミツバチの話をされても困る。
「それがまぁ『聖女』のメカニズムだ。誰が考えたかは知らんが、ろくなもんじゃないな」
…なんだって?つまり生物学的には人間であったものを遺伝子発現を制御して別物にした!?そんなことがあり得るのか?
「とすると、
背筋に冷たいものが走った。彼女は人間だ、人間であるなら普通に暮らしていける、そう思ったぼくの甘い期待は打ち砕かれた。巣を追い出された働きバチはやがて行き場を失いし死ぬ。蜜の少ない時期などに発生する現象だ。
「…教授、何が必要ですか?」
「わからん」
「え!?」
「だがな。おそらくヘリオスくん、その答えはきみが握っている。だから彼女はきみのところに来たんだ」
こんなオークのぼくの何が必要なんだ?命と言われると流石にそれはあげられないが、そうでないならあげられるものはあげてしまおう。
---
文学部の図書館で古文書を読み漁る。『聖女』と破門の関係を調べていくうち、恐ろしいことがわかった。古代に存在したある宗教の破門は、当時の人間にとって死刑宣告であったと考えられていたが、実際には生き死にに関しては直接的にはどうってことはない(間接的にはともかく)。だが、『聖女』の破門は全く意味が違う。文字通りの直接的死刑宣告である。
そもそも『聖女』は神殿の魔力供給によりその能力を発揮できる。いや、それどころか生存にすら必要なのである。魔力の外部供給が断たれた場合、彼女たちには死の危険性すらある。通常外部供給を断たれた際には『聖柱』になってその生を終え…実際には生きているようなのだが…
破門された『聖女』の場合は話が異なる。魔力供給が断たれた結果、聖柱にすらなれない。文字通りの死だ。では…どうやれば彼女を救えるのか…
…あ、そうだ。確かに彼女を救えるのかもどうかも大事なんだが、服を買いにいく服を持ってきてもらうことになっていたんだ…。それも少なからず大切ではある。
---
慌てて図書館から部屋に戻ると、同級生が待ち構えていた。そそくさとうちに上げる。
「で、その子が元『聖女』だっけ?なんで名前?」
「…ロザリィ…」
「そう。ロザリィっていうんだ。わたしはドロシー・ホイヘンス。そこの勉強中毒のオークの同級生」
「勉強中毒って…」
酷い言い方もあったものだ。それなりの学費払ってるんだから勉強しないと損だと思うのだがどうだろう。
「そ、勉強中毒だから女の子の服なんて持ってないよね」
勉強中毒でなくても、普通、男が女の子の服なんて持ってないと思うのだが。
「とにかく持って来てあげたよ服。感謝しなさい」
「それには素直に感謝します」
「よろしい」
ロザリィが怪訝な顔をしている。おずおずとドロシーに質問を投げかける。
「あの…二人は…どういう…」
「あ、ただの同級生だから。大丈夫」
大丈夫って何が大丈夫なんだね。心持ちロザリィがホッとしたような表情をしているような気がするが、多分気のせいだ。
「じゃあ、今から着替えさせるから、出てっておくれ」
「え」
まぁこんな狭い部屋では、着替え見てしまうことになるだろうから確かに出て行った方が良かろう。
「終わったら呼んでよ」
「わかった」
こうしてぼくは外で待つことにした。中からドロシーが「なんてもんを持ってんのあんた!」とか叫んでる気がするが気にしないことにする。
「持ってきた服合わない…うーん…こうして…」
「ごめんなさい…」
「謝ることじゃないのよ、むしろ誇れ」
「誇る?」
「こんな立派なものを…」
「え、ちょ、ちょっと!」
中で何か揉んで、いや揉めてるが気にしないことにしないと。すったもんだがあったが、ひとまず三人で服を買いに行くことになった。
---
女性の買い物というのはなんであんなに長いんだ。子供の頃母の買い物に付き合わされるたび、まだ終わんないのかとイライラした記憶がある。
「ヘリオス、ちょっとこい」
ドロシーに呼ばれて見てみると、…ロザリィによく似合っている。白のワンピース。
「かわいい…」
しまった、思わず本音が出てしまったようだ…全く意味のない思考のノイズだ。
「ほー、この朴念仁にもそんな感情があったか」
「人を木石みたいに言うのはどうなんだ」
ロザリィはというと少々戸惑っているようだ。無理もない、生まれて初めてのことばかりである。
「こんな服着たことないの?」
「…神殿では修道服しか着たことなかった…」
神殿は厳しいところなんだな。これくらいの若い子が、周りが楽しく過ごしている間に、仕事と祈りだけの暮らしをしているというのは不満に思わないのか。…それとも比較する対象がなければ不満もないのだろうか。
「で、服なんだけど…」
「え、こんなにするのか!」
…仕方がない、必要経費である。しかし…龍退治の報奨金が溶けて、溶けていく…新作のアイアンハルバード…ヴィシャ板…
「あと、下着も買わないと。わたしのじゃ全然合わないからね」
まだ買い物するのか。いい加減にしてほしいものだが…これも必要だよなぁ。
---
結局遅くなったので、そのまま夕飯まで奢らされた。君らぼくのこと豚の貯金箱か何かと思ってないか?ロザリィは内心申し訳なさそうな感じだったが、ドロシーに言われてそのまま夕飯まで奢らさせられた。
ドロシーを途中まで送って、うちに戻ると結構遅くなっていた。ロザリィに風呂を勧め、ガウンを渡し、その間に図書館で借りた本を読む。破門された『聖女』に魔力を供給する方法…魔力授与じゃダメなんだろうか。あれは時間がかかる。ずっと授与し続けるわけにもいかないだろう。他に魔力供給を…?いや。なんだこれ。ある本に書いてあった方法に驚かされる。…エナジードレイン?まるで、絶滅種のサッキュバスじゃないか!?
本を読み続けるぼくの背後に、不意に人影が立った。
「ロザリィ?どうした…?」
不意にロザリィが、ぼくの首筋に噛みつこうとしているように見えた。目が赤く光っている。一体何がおきてるんだ?魔力欠乏?まさか…暴走!?抑え込めるか?昨日振りほどけなかったぞぼく!
まるでゾンビのような声をあげて、ロザリィがぼくに襲いかかってきた!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます