オーク青年の青春の日々 時にほろ苦い思い出

第一回


 2984年と言えば、今からもう12年も前の話だ。

 その頃のぼくときたら、学院と部屋を往復する間に、右も左もわからないまま蔡都の街をうろうろして、気がついたら蔡都にやってきてからもう数年も経過していたものだ。ホウライ学院というところのいいところは多数あるが、一番いいところは差別意識がまるでない蔡都の中にあるということだろうか。


 ぼくがいうのもなんだが、ぼくはのである。ルックスはともかく(美しいオークというものが存在するなら一度会ってみたいものだ)、中身の方がもっといけない。よくオークのことを豚に例えるが、とんでもない話である。豚の方が余程高等な生物であると言わざるを得ない。少なくとも豚は綺麗好きな動物だ。


 オークには、知性というものが殆どないように思える(実際にはそれは言い過ぎで、類人猿よりは若干上の知能がある)。食欲性欲睡眠欲、それしかない。ぼくも彼らと同じ知能であれば、彼らと気があうかもしれない。だが残念なことに、ぼくときたら人間並みよりは少しだけ頭がいいときている。となると、彼らと話が合うかどうかはなはだ疑問である。


 ここ蔡都には、差別意識が少なく、おまけに素晴らしいことにぼくより頭がいい人たちが多数いてくれる。知的好奇心を満たす会話を続けるうち、いつの間にか蔡都に住むようになっていた。あの『みやこやまい』になったりしないことも幸運なことであった。


 …とは言えぼくの幸運はここで途切れた、のかもしれない。今ぼくの部屋には、どういうことか一人の少女がいる。人によっては幸運そのものだろうと言われかねないが、残念ながらオークの再生産など一切考えたくないぼくにとっては苦痛でしかない。雨に濡れていたのでタオルと服を貸したところだ。着替えた後は膝を抱えて俯いたままである。


 彼女は元『聖女』。どうやら例の件で『破門』されてしまった、と人伝てにきいている。今まで『神殿』から出たことがない宝箱入り娘である。それにしても何故ぼくのところに来たのか。ぼくは思い切って聞いてみる。


「あのー」

「…」

「じっとしててもしょうがないから、何か、しない?」

「…」


 ダメだ、完全に心が折れている。


「そういえば、まだ名前聞いてなかったけど、名前、教えてもらっていい?」

「…ロザリィ」

「そう。ロザリィ…話したくないなら今すぐでなくてもいいから、どうしてここに来たのか教えてくれないかな」

「…」


 多分彼女に必要なのは、回復するための材料と時間である。人間を構成するのは、炭素、水素、酸素、窒素、リン、カルシウム、硫黄、鉄、塩素、ソディウム、ポタシウム…いや、元素レベルにまで還元して考えることはしなくともいい。人間を構成する材料を供給する、まずはそこからだ。何よりぼくもお腹がすいた。


「ちょっと待ってて」

「…」


 熱転換魔導機の中には今週分の野菜と肉を買い置きしていた。二人分ならなんとかなるだろう。


 今日は生姜焼にでもしようか。生姜をすりおろし、魚醤と混ぜる。タマネギとキャベツ、人参を炒め、一度皿に戻し、豚肉の薄切りを焼く。クックック、この匂いには耐えられまい。みるとロザリィ、膝は抱えたままだが、顔だけこちらを向けている。そうだろうそうだろう、空腹には勝てまい。ぼくがそんなことを考えているともつゆ知らず、彼女は相変わらず顔だけこちらに向けている。


 後はバター入りのソフトなパンと前の日に作ったコーンスープ…それなりに自信作だ。


「…いい匂い」

「一緒に、食べないかい?」

「…え?」


 お腹の虫がなく。どんだけ辛くても腹は減る。だからこそ、辛い時には美味しいものを食べなさい、母の教えである。


「…いいの?」

「二人分ならあると思うよ。食べて」

「…うん」


 ぼくは一方的に他愛もない話をしながら、彼女と夕食を食べた。薄緑の魔洸が部屋を照らす。


「…ごちそうさま」

「服はもう乾いたかな…」

「…あれは、もう着れない…」


 どこか破れていたのか?そう思って服を調べてみたのだが、どこも破れたりはしていないように見える。


「えっと、着れそうなんだけど…」

「…『聖女』しか着ることを許されていない」

「そうなんだ」


 宗教上の理由というやつか、それなら仕方がないな。

 明日学院の友達に頼んで服を貸してもらおう。その後買い物に行って…彼女はいつまでここにいるつもりなんだろうか。龍討伐の報奨金、すぐになくなりそうだ。


「とりあえずお風呂入ってきたら?服着替えて、拭いてるとはいえ身体冷えてるよ」

「…うん」


 あー…これから論文書かないといけないというのに…ふと昔のことを思い出してしまう。捨て猫を拾ってきてしまい、両親に怒られた。こっそりうちの軒下でしばらく飼ってたのだが、それもバレてしまった。最終的には、知り合いで猫を飼うのが好きな人のところに行ったのは何よりであるが。


 彼女は人間なわけで、まったく状況が一緒というわけでもなんでもないが、母親に言われたことがある。

「責任を取れるようになってから飼いなさい」

 …ぼくは、責任を取れるだろうか。


「ちょっと、着替えとタオル持って行ってよ」

「…うん」


 着替えにはとりあえずナイトガウンを貸そうと思った。これなら寝るぶんにはなんとかなる。


「出るとき服着てから出てねー」


 まさか子供じゃないし女性だから全裸で出てくるなんてことはないと思いたいが、放心状態だからなんとも言えない。それにしてもどうしてぼくの家に来たのか。


 論文をしばらく書いていると、ロザリィが出て来た。よかった、ガウンは着ている。ぼくが論文を書いているのが余程珍しいものと見える。


「魔導技術士論文書いてるんだよ」

「…」

「ベッドあるから、そっちで寝るといいよ。ぼくはソファで寝るから」

「え…でも…」

「まさか来た人をソファで寝かせるわけにはいかないよ」


 戸惑っているようだが、そもそも君が来なければぼくはベッドで安眠できたんだけどな。そんなことを心では思っていたが、口には出せない。


「…」


 不意にロザリィがぼくの手を取る。


「…どうしたの?」

「怖いの」

「なんで?」

「…一緒にいて」

「え、ちょっと…」


 それはまずいとぼくは思う。そもそもぼくはオークなんて再生産するつもりはないのだ。逆に彼女はわかっていないんだ、自分の言ってる言葉の意味。


「じゃあさ、こうしよう。寝る時君のそばにいてあげる」

「…いや」

「いやって…」

「怖いの…自分がどうなるか…わからなくて…」


 その時はぼくは、彼女が将来を不安に思ってるという意味で言っていると思っていた。実際には違う。彼女が極めて危険な存在になりうることを、ぼくは知らなかった。…ぼくは風呂に入った後、結局彼女と一緒に寝るハメになってしまった。


「背中向けで大丈夫?」

「うん」


 そういうと彼女はぼくに抱きついて来た。ヤバい柔らかいのが当たってるんですけど…、こんな感触をぼくはこれまで知らない。抱きついて来たかと思うと、彼女はすぐに眠ってしまった。


 あーよかった、ベッドから出てソファで寝ないと…と思ったのだが、とんでもないことが発生した。振りほどけない。すごい力だ。まるで女の子の力じゃない。振りほどこうとしない分には力を入れないが、ベッドから出ようとするとこれである。


 こうしてぼくは悶々としたまま、彼女の感触を背中に感じて、ろくに寝れたものではなかった。この時はまだ純情青年チェリーボーイだったぼくには刺激が強すぎたのだろう、朝、妙にヌルヌルしていたのを覚えている。何がとは、敢えて言わない。

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