講義第二十回 「みんなも知っていると思うのですが、魔力顕微鏡には『走査型』と『透過型』があります」


 今日は教養部の第3学年の実験実習の手伝いである。

 やることはそこそこ高度で、魔力顕微鏡を使って魔法生物mitochondriaを観察しよう、という内容。しかも魔学部以外もいるようである。農学部とかだから基礎知識的には大丈夫そうであるけれど。

 教授は別の仕事があるようなので、メインに指導するのはフランシス先生である。


「…早速だけど、準備をしたいと思います。今日の材料は…」


 先生が水槽から新鮮なイカ?を掴んで取り出す。ビチビチ跳ねているのを見て、女子学生の一部は引いているように見える。


「これ、クラーケンの子供なの」

「クラーケン!?」


 クラーケンとダイオウイカは外見上の差異ほとんどないからなぁ。形態学者的には全然別物だということだが…はじめて見た人からはどっちだかわかったもんじゃない。


「このクラーケン、魔法生物mitochondriaの量が多い部位があるので、観察するにはちょうどいいです」

「先生」

「なんでしょうか」

「クラーケンですけど、組織をとったあとはどうするんですか」

「…ゆう、ごはん?」


 先生がちょっと恥ずかしそうに視線を逸らした。…今月ピンチなんですか先生?


「え?」

「大破壊前の研究でも、イカの巨大内在回路の研究が行われていたようだけど、その時も残った部位は食べられていたとかいないとか」

「…えー?」


 学生たちが意外だという顔をしている。


「食べられる生物というのは家畜化されているなどして入手しやすいので、研究にもよく使われる部分があります」

「そうなんだー」

「大破壊前だとウシやニワトリ、コムギは代表的な事例ですね。あとは飼いやすさ、genomeサイズの大きさも関係しています」

「先生、クラーケンは食べて大丈夫なんですか?」

「これが、結構美味しいの」

「えー?」

「クラーケンだとバター魚醤焼きが私は一番好きなんだけど…おっと。ではまず切片の調整にうつりたいと思います」


 先生、よだれたれてません?…そっかクラーケンはバター魚醤焼きが美味しいのか…先生、多分学生たちの頭の中今それが渦巻いていると思います。


---


 酒精、para-formaldehydeなどによるクラーケンの固定を学生たちが黙々と実行している。魔法生物mitochondriaも、脂質二重膜構造なのには違いがないからな。


「…においキツイ」

「このあとosmium処理もあるわ。シュヴァリエさん、風魔法詠唱お願いね」

「はい」


 魔法による換気の際には小型の竜巻のようなものを発生させるのだが、若干制御が厳しい。実験している場所に近づけすぎるとサンプルまで飛んでいくし、遠過ぎると換気がうまくいかない。集中して詠唱をはじめる。においが若干減ってきた気がする。天井の配管を介して魔導空気処理機に送り込む。

 地味に手伝いも大変だと痛感する。先輩たちは何やら道具を準備している。ガラスのブロックのようだが…


「あの先生、切片作成機microtomeは…?」

「使わないわ」


 使わないで切片作るとかどうやるんですか先生。


「大破壊前の古い方法なんだけどね」


 先生、ガラスのブロックを丁寧に斜めに割る。


「この端っこで切片つくるのよ」


 ブロックを持ち上げて、実験室の学生たちにみせる。


「みなさんもガラスの破片危ないから気をつけてください」


 わざわざ面倒な方法でやらせなくても…各々包埋したイカの一部をスライスして行く。先生も同じようにサンプルを作成してゆく。


「準備はできましたか?それでは魔力顕微鏡のある部屋に行きましょう」


---


「みなさんも知っていると思うのですが、魔力顕微鏡には『走査型』と『透過型』があります。今日は『透過型』を使ってサンプルを観察します」


 それにしてもいつ見ても魔力顕微鏡は大きい。なんでも魔力を「加速」するのに必要な機構らしいが。

 切片を透過した魔力で、淡い緑色の光が映し出す映像。教科書によく見たあの画像である。

 うまくいった学生たち、うまくいかなかった学生たちと色々あるが、やはり実際にやってみると感じ方が違うように思える。自分も昔やったことがあるが、教科書に載っていた写真がこれだけ面倒な方法でできているとは思わなかったものだ。


「できてるすごい!」

「…こんなのが体の中にあるのか」


 各人それぞれが感想を呟きながら、画像を見て感動しているようだ。学生たちが、感動冷めやらぬまま実験室に戻ってきた。


「…というわけで、今日の実験を行った結果についてのレポートをお願いします。来週末までに提出してください」


 先生がレポートの提出のスケジュールの連絡をする。今日の実験はここまでである。学生たちはみんな帰っていった。

 学生たちは実験が終わって帰れるが、自分たちには後片付けがある。イカ臭い部屋を片付ける。風魔法で臭いを排気口に送り込む。それにしてもこのイカ…ほとんどのこっているわけだが。


「先生本当に食べるんですか?」

「…固定してないやつなら普通に食べるわ」

「えー」


 実験材料にされた挙句食べられるイカの運命…


「それにしてもこんなに食べるんですか?」

「一人でこれだけ食べるわけないでしょ、さてと、みんなお疲れ様。あとはやっとくから」


 自分たちは実験用具をまとめて研究室にもどる。


「結構重たいわね」


チェイン先輩はもう少し鍛えてもいいと思う。フランシス先生はそれより重たいイカ水槽運んでたけど、…今気がついたけど先生って自分より力がある?


「よかったら持ちましょうか?」

「いや、頑張る」


チェイン先輩がやっとこさ荷物を持って帰ってくる。


「ふー…重かった…」

「お疲れ様です」


先生がイカを持ち帰ってきた。氷結魔法でカチコチである。うちで食べるのか。本気か?


「イカもいいけれど、ウシの実験ってなんかないかなぁ…」


 実験材料を食べたいもので選ばないで下さい先生。


「農場実験の手伝いとかいいんじゃないですか?身体も動かせますよ」


 教授が戻ってくるなりそんなことをいう。言われてもしょうがない気はするが。


「…デュラルはイカ焼き要らないのね?」

「ごめん、やっぱりいらます」


 教授、胃袋も握られているようである。多分袋という袋を握られている。

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