講義第十六回「多分『何言ってんだこの豚』っていう冷たい目なんだと思う」
教授は猛烈な勢いで仕事を進めている。迂闊にフランシス先生の部屋に行くと、厚さもさることながら内容で人を殺せる例の雑誌をこれ見よがしに見せつけられることだろうから、できる限り学院にいるようにしているんだと思う。逃げんじゃねーぞこの豚野郎、って内心フランシス先生も思っているだろうけど、彼女も解析を黙々と進めている。そして時間があったら論文に手をつけている。JBM(the Journal of Biological Magic)に投稿するという話なのだが、進捗は芳しくない。あまりに進捗状況がよろしくないので、教授が何度か「僕手伝いましょうか?」という始末である。教授が書いたのでは意味がないんじゃないかという気もしないでもない。教授はというと、またどこかに投稿したらしい。いつ書いてるんだ。恐ろしいペースである。
「教授はいつ論文書いてるのかわからない位書いててたまにこわい」
なんて先輩たちもフランシス先生も言っているが、フランシス先生とかプライベートまで知っててその感想っていうことは、教授の執筆速度はかなりのものということか。
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「ヘリオス教授は?」
「あの、どちらさ…フィッツ教授!?」
群集数秘術の第一人者にして、オーク教授どころかオーク以上の野獣がいた。
「君は…確かシュヴァリエ家の」
「はい、レイチェル・シュヴァリエです」
「そうか」
それにしても、フィッツ教授は生物学科にいた時はそう思わなかったが…あの話を聞いたあとだと身構えてしまう。
「そんなに警戒しなくても…」
「す、すいません」
「そんな人だけど、奥さんに一途だからね、大丈夫だよ」
メ…クレア先輩がやって来た。
「『紅のクレア』が何を言ってるんだ」
フィッツ教授こそいったい何を言い出すのか…。
「紅…?」
「この子が
「ちょ、チェイン先輩!」
「…ふ、フィッツ教授…」
フランシス先生がやって来た。
「いつも子供達がお世話になってるな」
「勘弁してください!」
「でも『ロザリィおねぇちゃんまた来ないかな』ってうちの子達言ってたぞ」
「…子供達不憫すぎるから言わないでください!!」
半泣きになってるフランシス先生ってちょっとチョロくないか?それにしても…12人とは大家族にも程がある。
「来られましたかフィッツ教授」
「ヘリオス教授」
教授もやってきた。
「例の件だが…残念ながら、群集数秘術的な有意差は見られなかった。だが、いくつか面白いこともわかったぞ」
「面白いことですか」
「むしろウォルフガングのヤツのアプローチの方が当たりかもしれない」
「…形態学的な相似、やはりありましたか」
「…そうだな」
どうやら共同研究の件らしいが、これに関してはどうにも口を濁されてしまっている。教授とフィッツ教授、そして第8研のギーテン教授の三人が中心に何かをやっているようだが。
「ギーテン教授といえばまたやったらしいな」
フィッツ教授が不穏なことを言い出す。
「またですか」
また、とは何があったのか…
「全く…そんなことしてる間があったらこっちの仕事きちんとやれ」
「またって何のことですか?」
小声でフランシス先生に聞いてみる。
「…ギーテン教授ってモテるでしょ。教え子に手を出しちゃったらしいのよ…よりによって第1研の子に…」
「第1研ってドルガン教授の」
第1研のドルガン教授は遺伝学の専門だったはずだが…接点あまりなくはないか?
「ヘリオス教授、ドルガン教授にも話してみるのはどうだろう?」
「…ドルガン教授は我々の中では『神殿』寄りですよ。折衝役の彼はこちらに引き込みたくないですね」
「…引き込みたくてもウォルフガングのヤツがやらかしたからな。とはいえ遺伝学的側面ならドルガン教授のテリトリーだろ」
「難しいですね。あまり巻き込む人間を増やしたくはない気もします」
「…ヘリオス教授や私、フランシス先生のように嫌でも関わるのは仕方ない。ウォルフガングに何かあってもアイツは独り身だし、女の子が泣くかもしれないがそれはアイツが悪い」
「酷い」
「しかし他のみんなを巻き込むというのは気がひけるな」
巻き込むとか関わるとかどういうことなんだかよくわからない。
「まぁそれはともかく、データの方は」
「これだ」
フィッツ教授が記憶結晶を取り出した。
「…ロザリィ」
「…わかったわ。はい、みんな、お仕事お仕事」
フランシス先生も含めて、フィッツ教授たちは何かを隠してやっているようだが…。
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夕方ごろまで教授たちは何やら打ち合わせをしていたらしい。
「…論文にできますかね」
「わからん。だが、論文化できなくても私達には必要な研究だ」
「…何でぼくらなんですかね」
「わかってて言ってるだろ」
「…そうですね」
教授は何やらフィッツ教授に恩でもあるのだろうか。フランシス先生の話だとフィッツ教授(の家族)のほうが恩があるようにも思えるが。
「皆さんもだいたい今日の作業終わりましたか」
「はい」
「それにしても…本当にヘリオス教授のところは見事に女の子ばかりだな」
「…選んでませんよ」
「知ってるが。しかしこれだけ女の子ばかりだと合コンとか行く気なくすだろ」
「行くわけないじゃないですか!ぼくオークだし」
「昔行っただろウォルフガングと」
「ちょっとデュラル!それ聞いたことないわ!」
急にフランシス先生が目くじらをたてる。心配しなくても取られないとは…いや、どうだろう…
「だ、だいぶ昔の話ですよ!それにもう行ったことないし!行く気もないです!」
教授もかなり焦っているようである。
「…そもそもです。行ったはいいです。あんな風に言われたらもう、行きたくなくなります」
「やっぱりオークだから、何か言われたんですか」
ロワイエ先輩…いゃまぁまず普通はそうだよな。
「…いえ、そこはまぁ何も言われなかったんですよ。問題は『お仕事何してるんですかー』って聞かれて、普通に遺伝子解析の仕事をしてるって答えたら、あの目。オーク見る目より冷たい目をされましたよ」
「…遺伝子解析に嫌悪感もってる人?」
多分違うと思いますチェイン先輩。
「いや、多分『何言ってんだこの豚』っていう冷たい目なんだと思う。意味がわからないことに対する人間の反応ってそんなもんだ」
…フィッツ教授のいうことにはいちいちトゲがあるな。でも言ってることは正論かもしれない。
「…なんで行ったんだろぼく」
「そういえば大分前にウチに来て珍しく酔ってグチってたの、アレそういうことだったの!?」
…合コンの後フランシス先生のとこ行ったのかこの豚野郎。
「みんな、どう思う?」
フランシス先生、こちらに振らないでください。
「ギルティ」
「ギルティ」
「…ギルティ」
みんな口を揃えて有罪判決か。当然だ。
「ギルティ」
自分も口裏を合わせる。
「ちょっと待ってください!ぼく無罪じゃないですか!」
「デュラル、他に隠してること、ないわよね」
怖い怖い怖い!フランシス先生怖い!
「…ないとは思いますが記憶から漏れてるヤツがある可能性は否定しません」
どこの政治家だ、教授は。
「ふーん…ところでデュラル、『魔術研究所』っていう女の子と飲めるお店あるの、知ってる?」
教授の顔からサァーっと血の気が引いて行くのがわかる。専門の話題をお姉さんに話せるのか?
「いつ、行った?」
「…フィッツ教授」
「…すまん」
あんたが連れてったのか12人子持ち。
「他にはないわよね」
「…お店はそのくらいです…」
「お店は、ね。正直でよろしい」
「浮気も不倫も風俗もしてないですよ!他にやましいことなんて」
「…うーん…まぁ…あれは…」
フランシス先生、何を思案しているのでしょうか。怖い。
「まさかロザリィ…モノもカウントするんですか!?」
「exactly…というわけで、お先に失礼します」
「ちょっと!まさか!ぼくの!!」
「ヘリオス教授、えらく尻に敷かれてないか?」
「まぁあの二人は夫婦みたいなもんですから」
「全く、そんなモノまで浮気にカウントしないでくださいよぉ!」
教授も男なんだなぁと思うが、おそらく教授の家のあちこちから本を探して机の上に積んでおくんだろうか。
「まぁでも探しても何も出ないとは思いますが」
教授、意外に冷静である。表情を見る限り本当に何もなさそうである。
「ヘリオス教授。今日は早めに帰宅することをお勧めする」
フィッツ教授が再び不穏な発言をする。
「何故です?」
「フランシス先生の専門分野はなんだと?」
教授、本日二度目の顔面蒼白である。
「まさか…ヴィジャ板!」
「…戸締りはやっときます」
チェイン先輩が哀れみの目で見ている。
「…すいません、お先に失礼しますね」
脱兎の如く駆け出す教授。魔導機全盛のご時世である。隠すのもバラすのも魔導機ってことか…何ともはや…。
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翌日、意外にニコニコしているフランシス先生と、半笑いかつ複雑な表情の教授が揃って研究室に来た。
「『窓と女房はハメれば直る』ってやつね」
…おいメガネ、小声で何言ってやがる。
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