講義第十七回「フランシス先生、論文はまだですか」
「…データは揃った。図もできた。…論文書かないと…」
「…それだけ揃ってたら書けますよね普通」
…教授が酷いことを言っているのかフランシス先生がアレなのかはわからないが、とにかく先生たちが会議室で論文を書いている。
「で、どこが問題でしょう?」
「…全般的に」
「まずストーリー展開決めましょう。今回のデータはコレで全部ですよね、参考論文は?」
「えっと、この論文と、コレと…」
フランシス先生が論文を出す。少々数が少ない気がする。
「この論文なら、元論文も引用しないと。この論文よりこっちの方がいいですよ」
教授が論文を取りだす。
「…うーん。そういうものですか」
「フランシスくん、論文を早く書く方法、ご存じですよね」
「…まさか」
「…ストーリーはパクる、データはパクらない」
「…えー」
フランシス先生が実にイヤそうな顔をしている。
「適切な引用であればむしろ必要です。それが論文ですよ」
「わかってはいるんですが…」
「この論文とこの論文の構成をこうして、この論文から…」
さらさらサラサラ…と教授が論文の設計図をつくり始めてる。
「…これじゃヘリオス教授が書いてるようなもんじゃないですか!」
「データはきみのものだよ」
「うーん…」
「…ロザリィ、新規性っていうのは全部が全部でなくていいんだよ」
「それはわかってるんですが」
「全く新しい概念なんて研究やってて一生に一度くらい出会えたら幸せですよ」
「そこまで?」
「はい」
そういうものなのか。研究ってのがわかってないのは自分もかもしれない。
「マイナーアップデートと、全く新しい理論、どっちも大切です。マイナーアップデートの中にも極めて重要なものもあります」
「それはそうですが」
「あとはアレですね。論文もっと読みましょう」
「…教授は本気で論文読むの好きですよね」
「必要だからってのもありますが、興味があるからってのは大きいですね」
「…私と論文、どっちが好きなの」
「えー」
教授、それは反則って顔している。
「…えっと、まず基準がおかしいですよねそれ」
「費やす時間とか、比較可能な側面はいろいろあるわ」
「…うーん…でもね、ロザリィ、今のぼくがいるのは論文読むの含めてぼくなんですよ」
「…なんかずるい」
「ずるいっていうならロザリィもですよ。時間あるときにこの論文3本読んどいてくださいね」
「はぁい」
この時は教授の言うことが正しいと思っていた。この時は。
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フランシス先生のブースの前に…生物学科第6研の人だな確か。
「ロザリィ、微生物のデータ解析の件なんだけど」
「その件のデータ解析結果はこれ」
フランシス先生が記憶結晶を取りだす。
「…よし、これで論文間に合う!ありがと!」
「名前入るよねわたしの」
「もちろんよ。ロザリィの名前入れないわけないでしょ」
「…ごめん。β魔研費分の成果出しときたいから…」
「フランシス先生?いたいた」
「…ドルガン教授」
「例のデータ解析の件だが、どうなっているかな…」
「あ、それは今解析中です」
…ひっきりなしに人が来てる。便利屋扱い?
教授が通りかかって、溜息をつく。
「どうしました」
「ごらんのとおりですよ。これじゃ論文読めって言っても厳しいです…」
「そこまで」
「最近はまだマシになりましたけど以前は結構ひどかったです。さすがにぼくも腹立てて『みなさんはフランシス先生を便利な道具かなんかと思ってるんですか!』と言ったことさえありますよ…」
「うわあ」
無論、研究者としての将来を心配しての発言だろうし正論だけど、教授と魔導技術士ってだけの関係じゃ無いからなあ二人は。私的な感情もないとはいえないだろう。
「普段温厚な教授が声を荒げたんでみんなちょっとびっくりしてたわ」
チェイン先輩のいた頃ってことはそんなに前じゃないなぁ…
「当然論文読むペースも上がらないし、論文書く間もない。たまっていく共著者論文。フランシス先生のほうがぼくより論文数出てますよ、共著限定だと」
「そんなに?」
「ぼくとの共著があるのはもちろんですけど、生物学科の論文が結構…」
それはどうなんだろうかと思わざるを得ない。
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夕方、フランシス先生のブースで教授とフランシス先生が話していた。フランシス先生は若干お疲れのようである。
「フランシス先生、論文はまだですか」
「…すいません、手法と本文は終わってますが…」
教授が紙を用意していた。
「…参考文献と結果はぼくが書いたよ」
「…」
「概論はお願いします」
「…デュラル」
「なんです?」
「やっぱり、わたし、向いてないのかな?」
フランシス先生が向いていなかったら自分とかはどうしたらいいんだろうか、そんなことを思いながら見ている。
「そんなことないと言いたいですが…きみの人生は、きみのモノだよ」
「…教授は厳しいな」
「そうですか?」
「…だったら、わたしがどうしたいか、わかってるでしょ?」
「きみこそ厳しいよ」
教授が苦笑しながら、フランシス先生を優しく見つめている。
「…その話は概論書いたらまたするね」
「わかりました」
大人の会話というやつだろうか。…自分にもわかる日が来るのだろうか。
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教授は自室にこもり書類を書きまくっている。事務作業をする人たちもいるようなのだが、教授にしかかけないものも多数あるようで、とにかく書いている。
詠唱を終えたフランシス先生がボーっとしている。詠唱には精神力がいるらしい。
「あー…予算申請の書類も書かなきゃ…」
どうも先生、詠唱は得意だが、書類書きも頗る苦手な模様である。
「魔研費の書類、早く書いてください」
「わかってます!あぁもううっとおしいなあこの謎線!」
「『trueword』の書式何とかなりませんかねぇ…」
trueword、というのは「文章管理魔法」の格納方式の一つである。MagicaSpiritとかいう会社が汎用的に使える小魔力で文章を書けるようにした呪文体系なのだが、普通に文章書く分には問題はそう起きない。ただ、印刷に使用しようと書式を固めると途端に使いにくくなる。目的外使用なんじゃないかって気もする。
「とりあえず今年うちで出した論文、ぼくの『Magic genetics』の魔法生物mitochondria genomeの論文と、フランシスくんの『the Journal of biological magic』の例の相同性の論文くらいですね」
「…あれ意味ないなぁ、ってちょっと思ってます?」
「まぁ全魔法生物の特定遺伝子比較なんて誰もやったことなかったんで、面白いとは思ったんですけど。正直なところ、それぞれの魔法生物は『由来』が違いますからね」
「由来、ってやっぱり…」
「確認の意味では意味はなくはなかったと言えます。…魔法生物は既存の生物から作られたのだっていうことの」
「うう…」
「ロ…フランシスくん以外じゃ短時間でここまでやれなかったですよ。誇っていいです」
「なんかバカにされてる気がする」
「そんなことはないですよ。全ての魔法生物の近縁種として既知の生物、モノによっては『天空の棺』でしか確認できてないものもいますが、とにかく魔法生物以外の近縁種が存在することが判明できましたし」
「って教授!いつの間にそんなこと!」
「フランシスくんのデータコピりながらちょっとずつ…あれ、まずかったですか?」
「そんなあぁ…それこれからやろうと思ったのに…まさか…」
「論文ならぼくがもう書いたよ」
やっぱり仕事の早い豚である。猪突猛進とはいうが…
「いくら何でも酷くないですか!何『彼女ならぼくの隣で寝てるよ』みたいに言ってるんです!…なんか寝取られた気分」
「筆頭著者はフランシスくんですよ。…ぼくの名前ももちろん入れますけど」
「それもなんか納得出来ない」
「やれやれ…困ったものですね」
「せめて一言相談してもらっても…」
「他の研究者のこと考えたら、多分そのタイミングじゃ出せませんでしたよ」
「ほぇ?」
「君の論文出た時点でみんな比較はじめたと思います。これからやるんじゃ間に合いませんね」
「それはまぁ…でも相談は…」
「研究室のデータは誰のものか、昔から問題になってますね。実のところこういうトラブルは昔からありました」
「ですから」
「そう、だから気をつけないといけないんです。データ見せた時点できちんと話さないと」
「教授まさかわざと」
「…さぁ、それはどうでしょう。ともあれ、今後はお互いきちんと話すということで、いいですね」
「まだ納得はいってませんがわかりました」
フランシス先生の目が怖い。別に先生の仕事を教授が片付けただけだとも思うし、論文だって先生名義だし、何が納得いかないのだろうと思う部分もあるが…
「…今日は魔力使いすぎちゃったなぁ…」
「ひっ!」
教授の目が屠殺場に連れて行かれる、ドナドナ(という歌が大昔から伝えられているが)されていく仔牛の目になっている。豚だけど。
「…今夜、わかってますよね」
「…それでも…錬金学科のパラクトン教授なら…きっと何とかしてくれる…」
小声で何の会話をしてるんだかはわからないが…。
「…それはともかく書類書いてからです!」
「はぁい」
…そういうことになった。
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次の日、なんか珍しく教授が休んでいた。
フランシス先生は「きょ、教授は体調ちょっと崩したみたいだけど、み、みんなは体調管理しっかりして、実験計画を予定通り進めなさい」と震え声で言っていたが、なぜだか引きつった表情を浮かべていたのは何だったのか。…腰をしきりとさすっていたが、まだそういう年でもないと思う。
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