第34話 桂田利明の動向

「それはハイドラに違いない。」


 クリストファー=レイモスがヴーアミタドレス山の洞窟での出来事をナイ神父に報告すると、神父はそう言った。


「ダゴン、ハイドラのハイドラですか。」


「そうだ。ダゴンは今、非活動期に入っている。ダゴンにとってはお前達の言う妻のような存在だ。実際にはかなり違うのだがな。それにしてもその桂田という者の動向が見ものだな。それと綾野、岡本ではない二人の件も気にかかる。監視するべきだ。どちらかをお前が直接監視するのだ。別の方を火野にやらせる。」


 火野将兵は最近星の智慧派に入ってきた日本人だ。ナイ神父はいたくお気に入りらしく仕事を直接命じることが多い。極東支部長の新城は全く無視されている。クリストファーにとってはどうでもいいことであった。風間真知子という若い火野よりも更に若い女性をいつも連れ歩いている。一人で仕事をする事になれているクリストファーには理解できなかった。同伴者、それも異性の同伴者など煩わしいだけだ。


 クリストファーは桂田利明を、火野達は後で調べたのだが綾野祐介と同じ琵琶湖大学の生物学教授である新山晴信を監視することになった。


 病院に運ばれた桂田利明は様々な検査を受けていた。クリストファーがアンチクトゥルー協会から得た岡本浩太のDNAデータと同じような結果が出ているのだろうか。


 クリストファーが桂田利明を監視しだしてから数日が過ぎ、検査データを得る手段を画策していたときだった。病院から桂田利明本人がふらふらと出てきた。運ばれた時には自分では到底歩けない状態だったのだが、ある

程度回復したのだろ。クリストファーは一人で出て行く桂田を不審に思いながらも後をつけた。


 覚束ない足取りで、ただ何処に行こうとしているのかは確りと判っているかのような桂田は病人とは思えないほど長い距離を歩き続けた。ただその速さは大人のそれとは比較にならないほど遅かった。歩くことに慣れていないかのようだ。


 やがて目的地に着いた。それは桂田利明のアパートだった。クリストファーは前に調べたことがあったのですぐ理解した。


(なんだ、自室にも戻りたかっただけなのか。)


 部屋に入った桂田をまた監視しだしたときだった。


「ぐっうぉー。」


 何かに取り付かれたような叫び声が部屋の中から聞こえてきた。ただ事ではなさそうだ。暫く迷ったクリストファーだったが、意を決して部屋に入った。鍵はかかっていなかった。


「どうした。」


 踏み込んでみて唖然とした。桂田利明がのた打ち回っている。


「どうしたんだ、大丈夫か?」


 返事ができるような状態ではなかった。病院へ、とも思ったのだがクリストファーは直ぐにナイ神父に指示を仰いだ。直ぐに迎えを向かわせるので待て、との指示だった。


 そうこうしているうちに、桂田は少し落ち着いてきた。息は絶え絶えだった。


「落ち着いて来たか。大丈夫か?」


 クリストファーは桂田をなんとか抱え起こしてベッドに運んだ。意識は戻ったようだ。


「あなたは?」


「私の名前はクリストファー=レイモス。君の叫び声を聴いて失礼だとは思ったのだが部屋に入らせてもらった。」


 桂田利明は不審そうな顔をしなかった。クリストファーについても知っているかのようだ。


「もう大丈夫です。僕のことは知っておられるのですね。」


「ああ、正直に言うと病院から君をここまでつけていたんだ。」


「判っていました。多分僕に知られずにつけることは不可能だと思いますよ。そんな能力を得た所為で僕は今死にかけているのです。」


 ツァトゥグアに吸収されていた時間が最も長かった桂田利明がツァトゥグアに侵食されていることは容易に想像できた。岡本浩太でも3パーセント侵食されていたのだ。桂田はその所為でツァトゥグアの能力を一部でも得たというのか。


「体が溶けていくのです。比喩ではなく実感として体がどろどろに溶けていってしまう。心の中はもっと酷い状態なのです。自我というものが侵食されている。自分の意志ではなく話し、自分の意志ではなく行動している。ただ意識だけははっきりしていたのですが、この部屋に戻ったとたん意識の輪郭さえぼやけてしまって劇薬で溶かされている感覚が体中に広がったんです。実感として。」


 酷い経験をしたのだろう。話している間桂田は頭を抱えたままだった。クリストファーの正体に気付いているが話さずにはいられないのだ。


「詳しい話は神父と一緒に聞きましょう。」


 クリストファーは桂田利明を連れて東京の極東支部に戻るのだった。

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