第24話 綾野の帰国

 岡本浩太は新山教授から綾野が帰国している、との情報が得られたので、早速綾野の部屋を訪ねてみた。時間は夜が明けたところだ。


 部屋には確かに電気が点けられている。誰かが居るのだ。浩太は急いで部屋の前まで来た。


「確かに彼方に命を助けられたことは感謝していますが、かといって彼方の仰ることを総て信用している、という訳ではないのですよ。その辺だけは理解して貰わないと彼方に協力することは出来ないと思ってください。」


 確かに綾野の声だったが、どうも誰かを相手に怒っているようだった。話が見えないので岡本浩太は少し様子を窺うことにした。


「彼方の祖父であるマイケル=レイにいては、私もよく知っています。でも彼方がその孫である証明は何処にもありませんし、もし孫であっても彼方》の祖父のように奴らと戦っているとは限らないのですから。私の命を助けたことも何らかの計画の、一つの歯車に過ぎないかも知れないじゃないですか。」


「日本人というものはそれほど疑い深い人種であったのか。私にも古い日本人の友人が一人居たが、その男は君のような頑迷にところはなかったがな。なるほど、不用意に祖父の名を出したのが気に入らなかったのかも知れんな。だが、私の素性を知ってもらうには君達ような活動をしている者にはいつも効果的であったものでね。だが、信用しようとしまいと私がマイケルの孫であることは紛れもない事実なのだよ。そして、私はこの歳になっても祖父の意思を継ぎ、奴らが封印を解かれないように世界中を飛びまわっているのだ。ただ私はどうも組織というものに馴染めなくてどこの組織にも属していない。アーカム財団とは幾度と無く協力関係を結んではいるがね。」


 綾野が話しているのはどうも初老の外国人のようだ。話の内容からすると綾野が渡米中になにか危ない目に遭ったとき、その老人に助けられたらしい。綾野先生はどうもその老人に胡散臭いものを感じているようだ。だが、マーク=シュリュズベリィのようにアメリカ人には数代に亘ってクトゥルーたちに敵対している家系があるようだ。日本ではまだまだ一代限りの人が多いのだが。この老人もマイケル=レイの孫ならそれだけで信用できるのではないのだろうか。綾野は日本人としての引け目から疑っているかのような振る舞いをしているのかも知れない。浩太は思い切って部屋に入った。


「先生、無事戻っていらしたのですね。」


「岡本君か、心配かけたね。」


 岡本浩太は綾野の顔を見てちょっと驚いた。こんな時間に室内であるにも関わらず綾野はサングラスを掛けている。


「こちらは私が向こうでお世話になったリチャード=レイさんだ。リチャードさん、彼は私の教え子で岡本浩太といいます。今回の件でもかなり深く関わっている子です。」


「はじめまして、ああ、君が一緒に吸収されたという教え子の一人だね。」


「はじめまして。岡本浩太です。綾野先生がお世話になったそうで、本当にありがとうございました。」


「なんだか私の保護者のような口ぶりだな。」


「そんなつもりはないんですけど。それより先生、そのサングラスは?」


「これか、向こうでいろいろあってな。いずれ詳しく話そう。」


 それから、三人はお互いが得た情報を話し合った。浩太は拝藤女史から得た情報でツァトゥグアの封印を解く儀式に必用ないくつかのものと『サイクラノーシュ・サーガ』という書物のことを話した。アブホースについては情報は皆無だった。そして、『サイクラノーシュ・サーガ』については綾野が興奮して言った。


「ほぼ同じような情報を掴んでいたようだね。でも拝藤女史がその情報をくれたのなら、なぜ私に言ってくれなかったのだろう。それとも私のところに来た後、彼女(?)もその情報を掴んだのかもしれない。それとも何か考えがあったのかも。私はそれでその『サイクラノーシュ・サーガ』を探す過程でリチャードさんに救っていただいたんだよ。彼も同じようにその本を探していたらしい。」


「それで、本は見つかったんですか?」


「ああ、所在は確認できた。それで帰国して直ぐに京極堂に頼んでおいたから、明後日にも手元に届く筈だよ。」


「その他の物についてはさっき新山教授に無理を言って頼んできました。一週間のうちには揃えていただけるそうです。」


「新山教授か。あの人をあまり信用しない方がいいよ。自分の研究のためなら人類を売りかねない性格だから。」


「まさかそんな。」


「新山教授を私や橘と同じように思っていたら、酷い目に遭いかねない。何か特別な理由があるのかも知れないがあの人の研究に対する姿勢は異常としか思えないんだ。学長もよくあの人を教授職に就けている。それも県立大学のだよ。私には理解できないね。」


 綾野がそれほどいうのなら、そうなのかも知れない。だが、岡本浩太には新山教授がそれほど変わった人間には見えなかった。それとも研究となると人が変わってしまうのだろうか。


 結局本については京極堂さんの連絡待ち、その他の物については新山教授か杉江統一の連絡待ちという自分たちだけでは身動きの取れない状況を確認してその夜は別れた。リチァード=レイさんは綾野先生の部屋に泊まることになったので、浩太は自分のアパートに戻った。


 部屋に戻ってメールをチェックしてみたが、友人達の彼を心配するメールだけで橘助教授からの連絡は未だ無かった。綾野先生も心配していたが、情報は全く得られていない、ということだ。


 大英博物館に所蔵されている稀覯書を閲覧しに行っているだけの筈なのに連絡が取れないということは、橘助教授の身に危険が迫っているのか、それとも最悪の事態を考慮に入れなければならないかもしれない。桂田利明を救うため、とは言え自らの命を犠牲にしなければならなかったのか。浩太は遣り切れなかった。


 翌日には京極堂から綾野へ『サイクラノーシュ・サーガ』が手に入りそうだと連絡があった。『サイクラノーシュ・サーガ』とはその名のとおりサイクラノーシュという人物の物語だ。サイクラノーシュとは土星の別名のように思われがちだが実は人の名前である。そして、彼の愛した星がサイクラノーシュの名を与えられて人々の記憶となっているのだった。サイクラノーシュは宇宙を旅する旅人だったが、ある惑星で放置された神殿を見つけた。それは遥か古代の人類と呼べるかどうかも疑わしい者たちが崇拝していたツァトゥグアを祀っている神殿だった。


 サイクラノーシュはその神殿に入って行った。石造りの神殿は人間のサイズからすれば到底考えつかないほどの大きさと規模を誇っていた。廊下の幅は優に10mを超え、高さは15mほどもあった。ドアは何処にもなかったが、このサイズでドアがあったとしたらサイクラノーシュといえども開けることは出来なかったであろう。


 神殿の奥へ奥へと進んでいくと、蝋燭のようなものが壁の途中から斜めに生えている。よく観ると蝋と化した人間だった。その頭のところには蝋燭の芯のような物が取り付けられている。何処から見ても蝋燭だった。


 サイクラノーシュは神殿の最も奥まった部屋に辿り着いた。


 その部屋には壁一面に壁画が描かれていた。それは宇宙の誕生より今日までの歴史絵巻だった。原初の宇宙と同じときに生まれたアブホースやウボ=サスラも描かれている。アザトースの姿さえ見受けられた。


 それらの中に、少し原初の宇宙から時間を隔てたところにクトゥルーやツァトゥグアが描かれている。そして、その直ぐ後に旧神との壮絶なる戦いがあった。


 サイクラノーシュはその中で特にツァトゥグアに興味を覚えた。生まれた場所が近いのかも知れない。そして、気に入った場所も同じなのかも知れなかった。


 サイクラノーシュは特にツァトゥグアが描かれているところを熱心に探した。そして、ツァトゥグアがヴーアミタドレス山の洞窟に封印されるときの様子も詳細に理解した。ツァトゥグアが他の神々たちとは多少違う考え方を持っていたこと、ツァトゥグアには特に旧神達に積極的に歯向かう意思があったわけではなかったことなど多くのことを学んだ。


 サイクラノーシュはツァトゥグアをその封印されている場所まで訪ねて行ったのだ。そこでいくつかの興味深い話をした後、神殿のある惑星に戻ったのだった。


 『サイクラノーシュ・サーガ』にはその辺りのことが事細かに語られている。著したのは『エイボンの書』の魔道師エイボンとも言われているが、その真偽は定かではない。


 サーガにはその後のサイクラノーシュの活躍も詳細に語られていたが、ここではあまり関係が無い。ツァトゥグアを封印するくだりには封印するときの呪文のようなものと、それに対となる封印を解除する呪文のようなものも書かれているのだった。


 翌々日になって岡本浩太は綾野から連絡を受けた。本が手に入ったのだ。そして、それを解読している、とのことだった。暗号や遥か昔に忘れられてしまった言語の解析は、専門なのでそれほど時間はかからないだろう。


 浩太は本以外のものを手に入れるために大学へ向った。そろそろ準備ができている頃だと思ったからだ。生物学の研究室に入ると杉江統一と新山教授のほか、数人の研究員が忙しそうにしている。他人に聞かれては拙い話なので、杉江を外へと呼び出した。


「どうだ、揃いそうか?」


 実は岡本浩太に頼まれたものはとっくに揃っている。


「大丈夫だ。今日にも渡せるだろう。それより、本の方はどうなんだ?」


「本は手に入ったんだ。今、綾野先生が解読している。一両日中には結果が出るんじゃないかな。封印する呪文と封印を解く呪文の両方が記されている筈なんだ。」


「そうか、それなら3日後には穴に降りていけそうだな。是非とも今度は俺も教授もお供させてもらうぜ。無理して揃えたんだからいいだろ?」


「でも危険なのはお前も充分判ってるだろうに。桂田が今どうなっているか、その為に僕達が下手をすると人類を滅亡の危機に陥れかねない事態になってしまっていることを。」


「判っているさ、だからこそ何か力になれたらと思っているだけだよ。」


 杉江統一と新山教授の目的は岡本浩太には話せない。話せば連れて行ってくれる訳が無いからだ。それほどまでに二人は冒涜的で危険な賭けをするつもりだった。


 そして、全ての準備が整った初秋の早朝に綾野、岡本浩太、杉江統一、新山教授とが大穴に未だに設置されているカーゴに乗り込んだ。穴の深さは最後に降りていった時とほぼ同じ深さのようだった。


 底に着いて横穴に暫く進んで行くといつかの大きな空間へと出られた。そして、今回はすぐ近くにヴーアミタドレス山が聳えていたのだ。まるで浩太たちを待ち侘びていたかのように。


 四人はツァトウグアの棲んでいる洞窟へと入っていった。二度目の綾野と浩太はそれほどではなかったが、初めて訪れる杉江と新山教授は酷い恐怖心が心を蝕み始めていた。ツァトゥグアの影響を受け出したのだった。綾野と浩太は一度ツァトゥグアに吸収された経験があるので免疫が出来ているのかも知れない。


 特に何か得たいの知れないものの体内にしか思えない、じめじめとした洞窟の壁や天井が杉江と新山教授の心を徐々に蝕んで行くのだった。


 四人はついにツァトゥグアの洞窟へと辿り着いた。そこには初めて見たときと同じように特に警戒している風でもなく、かと云って安心しきって眠りについている風でもない、一つ一つの腫瘍が体中を覆っているかのように見るに堪えない姿のツァトゥグアがこちらを向いて蹲っていた。


「よく戻ってきた、人間たちよ。少しこの間とは違う者達が混じっているようだ。早速ではあるが我に課せられた封印を解く方法は見つかったのであろうな。」


 ツァトゥグアはストレートに聞いてきた。桂田利明の姿は確認できない。今でもツァトゥグアの体内に取り込まれたままなのだろうか。


「ツァトゥグアよ、望みのとおりお前の封印を解く方法と封印を解く儀式に必要なものを揃えてきたのだから、桂田を開放してもらおう。」


 綾野の言葉を理解したのか、ツァトゥグアは立ち上がり(綾野と岡本浩太はツァトゥグアが立ち上がるのを初めて見た。というか立ち上がれるとは毛頭思ってもみなかったのだ。


 立ち上がってもツァトゥグアの背丈は2mに満たなかった。ただ、人間とほぼ同じサイズに見えるが故にさらにそのグロテスクな外見が心象つけられている。ただ、今のサイズが本来のツァトゥグアの本当のサイズとは限らないのだが。


「ここに『サイクラノーシュ・サーガ』がある。お前も知っているだろう。遥か悠久の昔にここを訪ねてきた者の残した本だ。」


 ツァトゥグアは少し考えているようだった。


「なるほど、あの者のことが。お前達は昔というが、我にとってはついこの間のことに思えるわ。戯言はよい。早く始めるがよいわ。」


「待ってくれ、まず桂田を解放することが先だ。それを確認しなければ儀式は行わない。対等の取引ではないことは充分理解したうえで言っている。この点について引くつもりはない。もし、この条件が飲めないのならば、また偶然に人間がここを訪れる機会を永遠に待つことだな。」


 綾野はかなり強気に出た。ただ確かにこれは引けない条件だった。


 ツァトゥグアは綾野を値踏みするかのように睨みつけた。というか睨みつけたように思えた。実際は何処に視点が合わされているのか、そもそも眼球のような物があるのかどうかもよく判らなかった。


「よかろう、お前達がここに居る限り我を裏切れば元の世界には戻れないと理解しておるのならな。」


「それは嫌というほど理解しているさ。」


「それにしては、お前達とは別にここを訪れようしている者がいるようだが。」


(しまった。やはりそう簡単にはいかないか。)


 予想はしていたが、ツァトゥグアに隠れて別働隊を寄越しているのはもう少しばれないでほしかった、と綾野は思った。こうなったら仕方ない。


「彼らは私たちが儀式に使うもので一度に持って来れなかった物を運んでいるだけだ。別に騙すつもりはない。」


 岡本浩太や杉江統一、新山教授は何も聞かされていなかった。敵を騙すにはまず味方から、という古典的な判断だったのだ。しかし、神とも崇められているツァトゥグアの結界を気付かれずに超えることはできなかった。


「まあ、よいわ。気まぐれにお前達全員を屠ってしまっても、我には未来永劫の時があるのだ。気にすることはない。存分に足掻くがよいわ。ではその者達を待ってから儀式とやらを始めるがよい。」


 話の流れから別働隊の到着を待つ羽目になってしまった。

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