第23話 新山教授の協力

 綾野先生からの連絡は先日のメール以来無かった。もし帰国しているのなら直ぐにでも連絡がある筈だ。橘助教授からは全く連絡が無い。何らかのトラブルに巻き込まれているのは確実だ。もしかしたら二人には二度と会えないのかも知れない。


 浩太は考えが段々悲観的になる前に決心をした。


「一人でヴーアミタドレス山に向おう。」


 それは岡本浩太が悲壮な決心をしたのでも、自棄になって決めたことでもない。持ち前の(何とか成るだろう。)という楽観的な気持ちで決めたことだった。


 決めてしまったら、浩太の行動は早かった。拝藤女史から聞いた方法には、ある稀覯書が必用だった。浩太には頼る人は居ない。ただ一人心当たりが在った。あの古本屋の主人だ。浩太は直ぐに京都に向った。


 浩太が『京極堂』を訪ねると主人がいかにも面倒くさそうに出てきた。


「君は確か岡本浩太君じゃないか。どうかしたのかね。」


「ご主人、実はある本を探していただきたくて来ました。この間は彼方達に協力したのですから、今度はどうしても協力してもらいますよ。」


「儂にできることなら出来る限り協力はするが、一体なんの本を探しているのかね。」


「僕の目的はこの間話した通りです。そのために必要な書物。ご主人ならご存知のはずですよ。かの『サイクラノーシュ・サーガ』です。」


 主人は驚愕の表情を浮かべた。


「きっ君はそんなものが実在するとでも思っているのかね。あれはラヴクラフトでさえ想像上の書物として言及しなかった紛い物だよ。他の研究者も一切研究の対象にしたことはない程のものだ。どこで聞いたのか知らんが、馬鹿も休み休みにいいたまえ。」


「じゃあどうしてご主人はそんな書物をご存知なんですか。どこにも言及されていない、研究対象にもなっていないものを。」


 主人の顔は正に(しまった。)と書いてあるかのようだ。こんな小僧に心理を読まれてしまうとは。


「いっいや、儂も小耳に挟んだだけで、いったいどんな本なのか、何が書かれているのか、何時書かれたものなのか、誰が書いたのか、総てが謎だ。そんな噂を聞いたことがあるだけなのだよ。それより君は一体その本の名前を誰から聞いたのかね。まずそれを教えて貰おうじゃないか。」


「いいですよ。多分ご存知なんじゃないかな。鈴貴産業の拝藤さんという女の人からです。」


「拝藤?」


 古本屋の主人は知らないようだった。それを隠そうとしたが、もう無駄だった。


「ああ、拝藤さんね。それで彼女は今どこにいるのかね。」


「そんなことは知りませんよ。僕も初めて遭ったんですから。向こうから訪ねて来たんです。」


「向こうから訪ねてきた?何故君を訪ねてきたのかね。それにどんな用があったんだ。」


「それは向こうの都合でしょう。僕はただ彼女から聞かされた話の中に出てきた本をご主人に探して貰おうと訪ねてきたんです。」


 どうも納得がいかないらしい。岡本浩太の重要性は自らが先日浩太に話したのだが、自分が知らないことをこの青年が知っている、というのが不満のようだ。浩太が思うに、アーカム財団や綾野先生達ほど彼らから重要視されていない組織、というのが実情なのだろう。自分達はそう思っていないようだが。


 岡本浩太の身体を調べたデータもアーカム財団の方が有効利用できるかも知れない。


「まあ、無駄だとは思うが心当たりを当ってみよう。だが君は何をするつもりでその本を探しているのかね。」


「それはツァトゥグアに捉えられている友人を救い出すために決まってるじゃないですか。」


 浩太はさりげなく嘘を吐いた。相手は全く気付いていない。


「判った。もし見つかったら直ぐに連絡しよう。その代わり、君もその拝藤という女から連絡があれば直ぐに知らせて欲しい。約束してくれるかね。」


 浩太は稀覯書を探す以外に彼らに価値は無いと思っていたが、この場は承諾をした。稀覯書の探索は一流なのだ。だからこそ、綾野先生や橘助教授も付き合っていたのではないだろうか。自らを過大評価していることを除けば、人類の為に戦っている気でいるのだから悪い人間ではない。


  浩太には、相手の心のうちが手に取るように判った。もしかしたら、ツァトゥグアに一旦吸収された影響なのかも知れない。それが良いことなのか、悪いことなのか、今のところ判断がつかなかった。


 京極堂の主人に稀覯書探しを頼んだ後は、その他に必用な物を手に入れるために大学へ戻った。琵琶湖大学には浩太の所属している伝承学部の他、多少変わった生物学部がある。絶滅種を復活させる研究室もあった。そこに行けば何か助けになってくれるはずだ。


 研究室は二十四時間実験が続けられているので、閉められることは無かった。浩太が大学に戻ったときは、もう午前二時をまわっていた。


「誰かいませんか?」


 研究室の中では浩太には全く想像も出来ない機械が動いており、パソコンのモニターにはデータの羅列が次々とスクロールしていたが誰もいなかった。休憩中なのか、特に誰かが付いていなくてはいけない実験ではないのだろうか。


 暫く所在無さ下にうろうろと見回していると、誰かが入ってきた。


「あれ、岡本じゃないか。こんなところで何をしているんだ。」


 生物学部に在籍している杉江統一だった。杉江は開業医の長男だったが、医学部ではなく生物学部に入学してしまったので親からは勘当状態だった。岡本浩太とは同じ年齢なこともあり、共に貧乏学生という共通点もあって桂田利明らと共に遊び仲間だった。


「杉江、ちょっと頼みがあって来たんだ。」


「なんだよ、何だか様子が変だな。こんな時間に訪ねてくるなんて。そう云えば、桂田はどうしたんだ。最近ちっとも顔を見ないけど。」


「ここは、今お前一人か?」


「今日の宿直は俺と新山先生だけど、先生は仮眠中だから、今は一人だ。」


「真面目に茶化さないで聞いてくれるか。」


 浩太は今までの出来事を掻い摘んで杉江に話した。何時に無く真剣に話す浩太に、冗談では済まない深刻さを感じたのだ。


「それは本当の話なんだな。」


「ああ、それでこの間例の大穴の調査に来ていた城西大学の橘助教授はイギリスに、綾野先生はアメリカに飛んでいるんだ。」


「そういえば、綾野先生が急に相談も無く渡米したと学長が怒っていたと新山先生が話してたっけ。なるほど、話の大筋は判ったけど、それで俺に一体如何しろというんだ。」


「それなんだけど。」


 浩太はツァトゥグアを復活させるために必用な物のうち大半がこの研究室で揃う筈だということを杉江に説明した。


「でも、これだけのものを直ぐに揃えろって言われても無理だぜ。出入りの業者に無理を頼んだとしても2~3週間はかかるぞ。」


「いいよ、その間にこっちはこっちでいろいろと準備があるから。」


 その間に本が見つかり綾野先生や橘助教授が戻れば言うことはない。


「しかし、216ってのは大変だぜ。なんか、その数字に意味が在るんだろうな。ああ、なるほど獣の数字って訳か。」


「多分そう云うことだろうな。聖書も馬鹿に出来ないってことさ。あの手の本にも何らかの真実が隠されているなんてことは結構あることなんだ。綾野先生の受け売りだけどね。」


 琵琶湖大学生物学教授、新山晴信。綾野と二十歳違うこの男は、綾野と同じように変人として知られていた。再生、蘇生などのメカニズムを研究していることは、ある程度論文等で発表されているものもあるので、周囲の研究者達も理解していたのだが、その研究の本質は実は研究室の中でも極一部の者しか理解していなかった。彼は俗に言うところの不老不死の研究を行っていたのだった。


 一概に不老不死といっても、不老と不死は全く別問題と新山教授は考えている。不老については動物実験ではかなりのところまで研究が進んでいる。新陳代謝を遅くする方法や新しい細胞の活性率を究極まで高める方法は、その生物によって違う方法では在るが様々な方法の効果が確認できている。


 問題は不死だった。不老に近い状態は創り出すことは可能なのだが、それでも最終的には“死”が訪れるのだ。外見上の問題を除けば、かなりの長期間、老化を抑えることはできる。ただ所謂若返りとなると相当難しくなってしまう。そして、同じようにぶち当たってしまうのが、“死”という問題だった。


 新山教授はさらにその先の「蘇生」についても研究の手を広げていたが、その辺りに関してはかなり人類を冒涜しているとも取られかねない実験を内密に繰り返しているが、未だ成功した例はなかった。


 新山教授の研究にとって岡本浩太が提供できる情報はかなり重要な意味を持っている。その辺りを十分理解している、新山教授にとって最も信頼の置ける生徒であり、研究員である杉江統一は、岡本浩太の申し出には全面的に協力するつもりだった。ツァトゥグアについての知識はあまりなかったが、その封印を解く方法が、人間の蘇生方法に十分流用できる方法であるとの情報はつい最近新山教授から聞かされたところだった。


 杉江は新山教授からある程度の内容を聞かされていた。その中には岡本浩太がいずれ近々研究室に友人である杉江を訪ねて来るはずだ、ということも含まれていた。深夜の訪問は意外だったが、新山教授と二人の当直の夜だったので、好都合だ。岡本浩太が用意して欲しいと申し出た物については数日前から用意できているのだが、肝心の本が入手できていない。


 この手の実験にある種の呪文のような物が非常に有効な手段になることは、新山教授との数々の実験によって目の当たりにしている。一度など、本当に一瞬であったが死者が蘇ったかのように動いたことがあった。医学部から極秘で回して貰った、医学生の解剖の実験に使われた検体だった。それが上半身を起こして杉江の方を見たのだった。新山教授は最終的には、例えば焼かれて灰になってしまった遺体や、埋められて数百年経って原型を留めなくなってしまった遺体、ミイラなども実験対象となる予定だと話していた。


「じゃあ、悪いけど揃ったら直ぐに連絡をくれるかな。僕は僕でやらなければならないことがあるんだ。桂田の命がかかっているんだから、頼むよ。」


「判っているさ。でも大っぴらにそれだけのものを揃えることは俺には無理だから、なんとか教授を説得しないとな。ちょっと呼んでくるからお前から頼んでくれよ。」


 杉江は直ぐに新山教授を呼びに行った。


「教授、例の件で岡本が来ました。」


「もうここまで辿り着いたのか。岡本浩太という生徒も結構頭が回るようだな。」


「でも何故教授はそこまであいつらの情報に詳しいのですか?」


「杉江君。君はそんなことには首を突っ込まなくてよろしい。それが身のためだよ。」


「そういうもんですかね。」


 岡本浩太は新山教授は顔を知っているだけで話したことが無かった。


「初めまして、伝承学部の岡本浩太といいます。杉江君に聞いていただいたかと思うのですが、友人の一大事なものでよろしくお願いします。」


 中途半端に隠しても話の辻褄が合わなくなってしまうだけなので、総て正直に話すように杉江に言ってあったので、浩太も話しやすかった。


「事情は聴いたよ。直ぐには信じられる話ではないが、私もその現場に連れて行って貰えるのなら善処しよう。それが条件だ。それから、綾野君は一体どうしたのかね。あの男は昔から研究に熱中するかと思ったらフラフラと外遊にでてしまう、研究者としてはあまりいい傾向ではないな。」


「いえ、綾野先生もこの件で奔走している筈です。ただ今のところ連絡は取れないのですが。」


「私の情報では国内に戻っているらしいよ。何だか初老のアメリカ人と二人で連れ立って成田に着いたということだ。」


「本当ですか。でも新山教授はどうして綾野先生の動向をご存知なのです。」


「君達は踏み込まない方がいい世界が、世の中にはある、ということだよ。とにかくもう暫くすれば彼は戻る筈だ。ある程度の成果を得た上でね。あの男は決して無能な訳ではないから、アメリカ東部くんだりまで行って収穫も無く戻るようなことは無い。同行している人物も気になる。私の情報でも確認が取れなかった人物だ。」


「判りました。教授もお連れすることは、綾野先生が戻られるのならご一緒にご同行していただけると思います。綾野先生の情報、ありがとうございました。それでは是非とも早急に揃えていただきますようお願いします。」


 仮眠しているところを起こすことになったので、早々に失礼します、と言い残し岡本浩太は新山教授の研究室を辞したのだった。

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