第22話 解答の発見

 殆ど放心状態で部屋に戻った浩太は、とりあえずメールのチェックをしてみた。綾野先生か橘助教授から何か届いているかも知れないし、アーカム財団にも多少の伝手で頼んであることがあったので、その返事が届いているかも知れない。


 浩太はノートパソコンに携帯電話を繋いでインターネットに接続した。


 メールは10通ほど届いていた。8通までは広告とプロバイダからの連絡メールだったが、1通は綾野先生からだった。


(詳しくは帰国してから直接話すが、重大な情報を得られた。ただ、こちらで執拗に妨害工作を受けて、少々怪我をしている。こちらで助けて貰った人の世話になっているから、心配はしないでくれ。出来るだけ早い時期に帰国するから、くれぐれも軽挙盲動はつつしむように。といっても聞くような浩太ではないことは判っているが・・。このメールもハッキングされている可能性が高いので、私の居場所や帰国時期は書けないが、もう暫くだから待っていてくれ。)


 以上のような主旨のメールだった。合衆国でどうも大変な目に遭っているようだ。怪我が軽ければいいのだが。ただ、このメール自体も本物かどうかを見極める術を浩太は持っていなかった。


 特にあても無く、独自のルートを持たない岡本浩太は、大学に行く気力も無く部屋に閉じこもっていた。綾野先生からの連絡がいつ入るのか判らないこともあって、部屋を出る気がしなかったのだ。


(ピンポーン)


 不意にチァイムが鳴った。


(誰だろう。)


 浩太がドアを開けると年齢的には浩太と同年代だが、落ち着き具合からは数十歳も年上に見える、非常に整った、だが冷たい印象を与える女性が立っていた。


「岡本浩太さんですね。」


「そうですけど、あなたは?」


「私は鈴貴産業の拝藤と申します。綾野先生からお聞きになったことは無いでしょう

か?」


 拝藤といえば、クトゥルーの眷属である『母なるハイドラ』その人ではないか。


「はっ拝藤さんがぼっ僕に、なっ何の用ですか?」


 浩太は落ち着こうとしたが、失敗した。声が上ずってしまう。外見からは想像できない、その正体を知っているのだから仕方が無いだろう。浩太が特に臆病な訳ではないのだ。


「ここでは何ですから、お部屋に入れていただけます?」


 綾野先生からは拝藤女史が特に危険な存在とは言われていなかったので、浩太は彼女を部屋に招きいれた。


「それで、僕に一体どんな用があるというんですか?」


 急かすように彼女が座った途端、浩太は切り出した。座布団もなく、畳に正座している彼女に対して(なんと正座が似合うのだろう。今時の女性にはない、気品があるよなぁ。)などと、場違いなことを考えながら。


「綾野先生はいま何処にいらっしゃいますの?」


 どこまで彼女に正直に話してよいのか、判らなかった。加えて彼女が本当に綾野先生と会った事がある拝藤女史なのか、浩太には確認する術もないのだ。


「僕に聞く前に、先生の動向は常に把握しているんじゃないのですか?」


 浩太は逆に相手の情報網を確認すべく、聞き直してみた。


「何か、疑っておられるようですね。仕方の無いことですけれど。ただ、これだけは信用して頂きたいのです。私や田胡などは決して彼方達に敵対する気はありません。この間、我が主が復活を成し得なかった事は非常に残念ですが、それは私達の力が足りなかったことと考えています。彼方達は彼方達人類の未来を賭けて行動しておられるのですから、その行為自体を責めるつもりはないのです。いままでもそうでしたし、これからもそうでしょう。私達には永劫に近い時間が許されています。次の機会を待てば済む事ですから。ただ、やインスマスの住民たちはそ

うは考えていないかも知れません。彼らが彼方達を憎むことは在り得る事でしょう。」


「脅すつもりですか。」


「いいえ、事実を確認しているだけです。私の立場と彼方》の立場の。」


 妖艶とか小悪魔とかの形容詞がつく女優に似ている、ひきこまれそうな瞳で拝藤》女史は微笑んだ。


(こんな状況じゃなかったら惚れていたかも知れないな。)


 あいかわらず、不謹慎なことを考えつつ話を聞いている浩太だった。ここ暫くは重い沈んだ気持ちで過ごす時間が多かったのだが、本来の自分は、桂田に負けず劣らない楽天家であったことを急に思い出した。それでいままで何とか乗り切って来たのだ。今回も大丈夫だ。不思議とそんな勇気が湧いてきた。


「彼方達が敵対するつもりはない、ということと彼方達の眷属はその範疇ではないことはある程度理解しました。それで、そんなことを態々僕に伝えに来たんですか?」


「いいえ、そうではありません。先ほどは彼方が私を何処まで信用しておられるのかが判らなかったので、あのようなことをお聞きしましたが、仰るとおり私どもでは綾野先生の動向はある程度掴んでおります。ただ、我が主の復活については今後数十年の時を要することでありますので、それほど熱心に活動を行っているとは言えないのです。には私達の考えは理解されておりません。」


「なるほど、その辺りで意見の相違があるということですね。」


「そういうことです。綾野先生がアーカムに向かわれたことは存じておりますが、その後の動向はどうもはっきりしないのです。何者かの結界の中に取り込まれてしまったような消え方なのです。それもかなり力を持ったものの結界に。」


「それは『旧支配者』クラスの、という意味ですか?」


「彼方達がそう呼んでいる者達、という意味では、その通りです。」


「彼方達はなぜ、綾野先生の行方を気にされるんですか?」


 そこが一番引っかかるところだった。綾野先生や自分はクトゥルーの復活を阻止しようとしていたのだから、たとえ憎んでいないといっても、例えばどこで死のうと関係ないはずだ。


「綾野先生からは特に聞いておられませんか?」


「いいえ何も。ただかのヴーアミタドレス山に迷い込んでしまった日の前日に彼方》が先生を訪ねてきたことと、縦穴の捜索を止めるように示唆したこと、あれは綾野先生たちを誘き寄せる罠だとかなんとか。」


「その通りです。あれは単純な罠でした。彼方達の地元で通常考えられない巨大な縦穴が発見される。当然のような彼方達が捜索に入る。そしてヴーアミタドレス山の洞窟ではツァトゥグアが待っている。私が綾野先生に指摘した通りになってしまいましたね。」


「いや、先生は調査を中止する、と仰ったんです。それを僕と桂田が、あっ桂田というのは今でもツァトゥグアの元で人質になっている僕の友人なのですが、その二人が勝手に穴に入っていっちゃったんです。綾野先生と橘助教授はそれに気付いて後を追ってきて下さって。」


「どうも私にはその辺りが引っかかっているのです。具体的に何処が、と言われても返答に困るのですが。ただ、私達は、これは綾野先生にもお話したのですが、我が主の復活を前に、他の旧支配者などが復活をしては困るのです。これは単に私どもの勢力争いではあるのですが、とりあえずは彼方達と利益を共にする事になるのですか、その辺りは信用していただいて結構です。つまり、彼方達次第、ということです。」


「彼方達にもやはり勢力争いがあるのですね。そう考えるとなんだか、単に恐怖や畏怖の対象としてしか捉えて居なかった『旧支配者』も僕たちとそう変わらなく思えてきます。まあ、個々の能力は神と比肩し得るものではあってもね。」


「火のクゥトゥグア、土のツァトゥグア、風のロイガー、ハスター、そして水の我が主、彼方達が四大要素に擬えているのは強ち間違いではありません。それぞれが敵対している、或いは敵対していないまでも、何らかの協力関係を結ぶには至っていない。主神クラスと呼ばれている者たちの関係はそのようなものなのです。」


 拝藤女史はなにか困っている、とも言うべき表情で語っている。実際にツァトゥグアなどがクトゥルーよりも先に復活を成し得たりしたら、ダゴンやハイドラなどはその配下に取り込まれてしまうのだろう。そのうえでクトゥルーが復活でもしようものなら、どのような仕打ちが待っているのだろうか。


「ツァトゥグアが復活をしてしまったら、彼方やダゴンでもどうしようもないのです

か。」


「私達は彼方達の感覚で言うところの『死』とは無縁です。その代わり、例えばある呪縛に捉えられてしまうと未来永劫そこから抜け出ることが出来なくなってしまいます。自らの力で抜け出せないのなら、眷族達を使って呪縛を逃れる手立てを立てます。それが出来る力のあるものを主神クラスと彼方達が呼んでいるのです。残念ながら私やダゴンでは、呪縛を受けながら眷属に影響を与えられるほどの力はございません。そして、ツァトゥグアは眷属を持つ必要が無い程、周囲に影響を与えられる力を持っているのです。」


「なるほど。ただ、僕達から見れば彼方とツァトゥグアの力の差は、2の無限乗と3の無限乗の違いにしか思えませんけど。」


「それは適切な表現かも知れませんね。2と3を乗じていけば行くほどその差は開いて行くのです。例え結果として無限乗であっても。観念的な話ですのであまりご理解いただけないかも知れませんが。」


「いや、判るような気もします。その辺りの事情はある程度理解しましたけれど、彼方がこの部屋に来られた理由をそろそろお聴きしたいのですが。」


 状況の説明、立場の説明に終始し、拝藤女史は来訪の主旨を未だ述べていなかった。2の無限乗の力を有する者が、僕のような者にどんな用があると言うのだろうか。


「そうですね。そろそろ本題に入りましょう。今回彼方達が遭遇した件についてはご自身である程度は把握なさって居られると思いますし、私達の立場もご説明しました。そのうえでお私が来た目的は、端的に言えば彼方達にツァトゥグアの封印を説く方法を教えて差しあげるため、なのです。」


 浩太には拝藤女史が何を言っているのか、咄嗟には理解できなかった。封印を説く方法を教える?そんなことをすればツァトゥグアを復活させてしまうかも知れないのに。それを阻止したい自らの立場を今まで散々説明してきたのではなかったのか。


 驚くべきツァトゥグアの復活方法を拝藤女史から聞かされた岡本浩太は、彼女が帰った後も震えを止めることが出来なかった。


 拝藤女史はなぜ浩太にツァトゥグアを復活させる方法を教えたのだろうか。そして、それは本当にツァトゥグアを復活させることが出来る方法なのだろうか。もしかしたら更にツァトゥグアの封印を強める為の方法を教えたのかも知れない。


 しかし、それならば浩太に嘘を吐かなくてもそのままを教えれば済むことだ。考えれば考えるほど判らなかった。そもそも人間の浅墓な考えの及ぶ存在ではないのかも知れない。それにしても浩太はいったいどうすればいいのか、全く以って見当がつかなかった。綾野先生や橘助教授は未だ連絡が取れない。拝藤女史からはなんとツァトゥグアを復活させる方法を聞いてしまった。それをそのままツァトゥグアに伝えれば桂田は無事戻ってくるかも知れない。


 でもそれはそのまま全人類が滅亡に向かうドアを開けることに成りかねない。浩太一人で判断できるようなことではなかった。三人で話し合ったときは、取り敢えずじっとしていても仕方が無いので、ツァトゥグアを復活させる方法を見つけよう、ということになっただけで、見つかったら如何するのか、ということまでは決めていなかった。そう簡単に見つかるとも思っていなかったからだ。

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