第21話 それぞれの試練②

 浩太はいくつかの文書の解読を出来る範囲で取り組むことにしたが、もう一つの方法として、京都に出かけることにした。京都には綾野や橘とも親しい古書店の主人が居るはずだった。綾野も何かあれば頼るように言い残している人物だ。その人を訪ねてみようと思った。


 JR琵琶湖線で京都まで出て駅ビルの地下街からポルタへと向かった。ポルタに続いて造られた新しい地下街にその古書店はあるはずだった。


 一番北までいったところを東へ折れて、それからがどうも妙なのだが、徐々に坂になっている通路を降りていくような感じがする、更に奥にその店はあった。


「ここだな。」


 それはとても新しい地下街にあるとは信じられないような古ぼけた店だった。店の名前は「京極堂」とある。看板の文字は浩太が見ても惚れ惚れするほど達筆であった。


「あの、すいません、ご主人はいらっしゃいますか。」


 奥の風呂屋の番台のようなところにいるのは、昔の現代国語の挿絵に出てきそうな、レトロ調の出で立ちの風采の上がらない、ただ眼光だけは鋭い男だった。ひとめで愛想がないことが判る風貌だ。


「何か?」


 声は見た目のとおりの細い、ただしっかりとした声だった。


「琵琶湖大学の綾野祐介先生の紹介で来たのですが。岡本浩太といいます。ご存知かもしれませんが、岡本優治の甥にあたります。」


「綾野祐介?岡本優治?」


「そうです。ごく親しい間柄だとお聴きしていたのですが。」


「ああ、ホラーマニアの二人だな。そんな大層な名前だったのか。橘の後輩だろう。」


「違いますよ。城西大学の橘助教授の先輩に当る二人です。」


「先輩、あの二人は年上だったのか。それにしてはどうも頼りない風だった。その綾野の紹介で、岡本の甥がどうした。」


「実は、綾野先生と橘助教授は今拠所ない事情で米国と英国に旅立ってしまっていて留守なんですが、僕も何かの役に立ちたいと思って此処に来たんです。」


 岡本浩太は何を何処まで話してよいのか、自分の中で明確な決断をしないまま話し出してしまったので、曖昧で中途半端な説明になっていた。


「何を話しているのかさっぱり判らんが、で、私に何をどうしろと言うんだ。」


「ご主人に是非とも協力をお願いしたくて。」


「だから、どうしろと言うんだね。」


 古本屋の主人は神経質そうな外見そのままに、どうも短気な性格らしい。


「いや、ですから、ご主人に探していただきたい本があるのです。」


「そう云うことを早くいいなさい。でないと何が言いたいのか判らないじゃないか。」


「すいません。」


「それでどんな本がご所望かな。」


 本当は本を探して貰おうとも思ってはいたのだが、翻訳や暗号解読を手伝って貰えないかと期待して来たのだった。その道、特に暗号解読は綾野先生の師匠格だと聞いていた。


 年齢的には綾野先生や優治伯父と橘助教授の間らしいのだが、とてもそうは見えない。三人よりもかなり年上に見える。


「本も探してはいるんですが、できれば翻訳とか解読の方を手伝って頂ければと思いまして。」


「解読?ああ、綾野が熱中していたあれね。だめだめ、あんな物は解読する価値が無いものばかりだった。そんなものに振り回されてばかりいるから、あいつもいつまで経っても出世しないんだ。まあ、もともと出世したい風でもなかったがね。橘の方は助教授か、あいつの方がそう云えば真面目というか、要領はよかった。それと岡本優治なぁ。あの御仁はどうも軽薄でなじめなかったが、ああ君の伯父さんだったな。これは失敬。」


 そう言われても仕方が無いような伯父なので何も言い返せない。


「いくつかは、信憑性の高い文書があるんです。」


「そんなことなら、儂がその手の本を探し出してあげようか。そっちの方が本職だか

ら。」


「何か心当たりでも在るのですか?」


 どうもそんな口調だ。


「在ると言えば在るな。ついて来るかい?」


「はい。」


「それなら行こう。」


「えっ今ですか?お店は?」


「客が来るような店に見えるかい。儂はね、客の要望で本を探すことを主に仕事しているちょっと変わった古本屋なのだよ。古本屋というよりは本の捜し屋とでも言うところかな。」


 確かに一風どころか、二風も三風も変わっている。


 こうして、岡本浩太と古本屋の主人はどんな本を探すのも話をしないまま出かけたのだった。


 岡本浩太と古本屋の主人はJRの京都駅まで戻って電車に乗った。そのまま大阪まで行き、下車した。


「どこまで行くのですか?」


「まあ、黙って付いて来なさい。」


 どんな種類の本なのかもろくに話をしないままに連れて行かれるので、浩太は多少不安だったが、それほど不審な人物にも見えなかったので、黙って従うことにした。どんな些細な情報でも欲しいのだから。


 大阪駅でも地下街に降りて南に向かった。京都と違い地下街も広い。大阪駅から真直ぐ進み、暫く行った所で三方に分かれる道に当った。そこを一番左に進み多少右方向に折れつつ進んだところで、ちょっとした狭い脇道に折れた。その先にはエレベーターがあった。


「ここだよ。」


 主人と浩太はそのエレベーターに乗り込んだ。そして、降りる階を押すの筈なのだが、主人は特に何もしない。ただ、天井の隅をじっと見つめているだけだった。


「どうしたんですか?」


 浩太がそう問い掛けても返事もせずにその体勢を保っている。


 するとどうだろう。どこからかモーター音が聞こえてきた。聞き耳を立ててみると、エレベーターの箱の後ろから聞こえてくるようだ。その時、突然そこに空間がぽっかりと開いた。


「さあ、どうぞ。」


 その中は、違うエレベーターだった。二人が乗り込むと直ぐに後ろのドアが閉まった。そして、徐にエレベーターの後ろのエレベーターは下へと降りていった。今度も降りる階数は押さない。それどころか、押すパネル部分が無かった。乗れば動く。そんなエレベーターなのだ。


 下に着いた。ドアが開くと廊下が続いている。右に行く道と左に行く道。二人は左に向かった。


 暫く歩いて幾つかのドアの前を通り過ぎたとき、古本屋の主人が立ち止まった。


「ここだ。入りたまえ。」


 ドアを開けて岡本浩太が入ったその部屋は14帖程度の広さのフロアで、室内には数台のデスクとその上にパソコン、その他資料なのか紙類が乱雑に積まれていた。


「何処なんですか、ここは?」


「ここは私の組織の拠点の一つなのだよ。」


「組織?」


「君が知っているアーカム財団という組織があるだろう。あれのもっと全世界的でオフィシャルな組織、だが財団ほど世間には知られていないというようなスタンスと考えて貰おう。」


「ちょっと待って下さい、それなら僕が此処に来た理由は?」


「騙すつもりは無かったんだが、結果的にはそうなってしまった。すまないと思っている。私も事情を正直に話して協力を願う方が望ましいとは思っているのだが、多少、君の意向に逡巡してはいられない事情もあってね。」


「何が何だかさっぱり判りません。いったいどういうことなんです?」


 部屋にはラフなスタイルの男(少年と青年の間ぐらいの年齢?)たちが二人、面白そうに見ている。自分以外の全てが事情を把握していて自分だけ知らない、というのが気に入らなかった。


「君が思っているほど、君自身の価値は軽くない、というところが一番事情を説明するのに適切な言葉だと思うのだが。」


「そんな説明では全く判りませんよ。もっとはっきりと言って下さいませんか。」


「つまり、ツァトゥグアに一旦取り込まれた人間は史上君達四人しかいない、ということだ。これなら判るかね。」


 なるほど、それはそうだろう。まして、無傷で戻ってきた人間は皆無であろう。


「それは判りますが、だからどうなのかが判りません。僕は何故なぜこんなところに連れて来られたんですか?」


「そこが問題なのだがね。その辺の事情を正直に言ってしまうと、君が協力を拒むかも知れない、と判断したので君の申し出に協力するような体でここまで付いて来てもらったのだ。」


「だから、その理由とはなんなのです?内容によっては協力します。ツァトゥグアに取り込まれたことをご存知でしたら、僕が今何を求めているのかも当然知っておられますよね。その件に協力してもらえるのなら。」


「それは無理な相談だよ。君にも判っている筈だ。人一人の命と人類全体の問題なのだから検討する余地はない。ただ、我々は別の角度から君の友人を救う方法が見つけられるのではないかと期待しているのだよ。そのことについて、是非とも君に協力をしてもらいことがあるのだ。」


 岡本浩太にも古本屋の主人の言おうとしていることはおぼろげに判ってきた。つまり、自分の身体を調べてツァトゥグアに関する情報を得たい、ということなのだ。それによって、ツァトゥグアの封印を解くのではなく、逆に滅ぼすための手掛かりを探そうとしている。


「僕に実験台になれと仰るんですね。」


「君は話が早い。協力してくれるのなら我々に出来るだけのことはしよう。場合によってはヴーアミタドレス山に軍隊を派遣してもいいと思っている。」


「そんなことでなんとかなると思っている訳ではないでしょうね。少なくとも専門家であると仰るのなら。」


「判っているさ、通常兵器では奴らを滅ぼすことなど出来はしないことは。ただ、君から得られたデータによって奴らの弱点が見つかるとしたら、我々の力でもなんとかなるかも知れない。だからこそ、君の協力が必要なのだよ。」


 話の内容は理解できた。問題は具体的にどのように協力をさせられるのか、だ。


「判りました。出来るだけのことはさせてもらいますよ。一体何をすればいいのです

か。」


「とりあえず、君のDNAを調べたいのだが。」


 岡本浩太はそこで人間ドックに入ったような様々な検査を3日間に亘って受けた。


 血液や体組織を何度となく採取された。何かの薬品も数種飲まされたり注射されたり、その度に脳波や心電図を計測していく。医学生ではない岡本浩太にはそれがどのような検査になるのか、見当もつかないものばかりだった。


「素直に検査に応じてくれているようだね。」


 検査が始まって直ぐに仮の姿である古本屋の主人に戻っていた男は、数日振りに浩太の前に現れた。


「親友の命と人類の未来がかかっていますからね。」


 本当にそう思っている訳ではないのだが、浩太はそう応えた。多少自虐的な気分になっている所為だろう。


「君にも聞く権利があるだろうから、今までに判ったところを話しに来たんだが、聞きたいかね。」


「当然です。でなければ協力している意味が無いじゃないですか。」


「では話そう。後悔はしないね。」


 男の口調はかなり思わせぶりだった。何があると言うのだ。


「後悔なんかしません。」


「とりあえず、いまのところ判っていることは、まず、君は平均的な君の年代の青年と比べても身体能力がかなり上回っている、ということだ。」


 とても誉められているような気がしなかった。


「そんなことを調べていたんですか。時間の無駄でしょうに。」


「そう急かさないでくれたまえ。本題はこれからだ。その君の身体能力の中で、特に優れているのが反射神経だ。これについては、自覚があるかね。」


「いいえ、特にそんな風に思ったことは無いんですけれど。」


「なるほど。まあ、優れている、というような表現が適切かどうか判らないんだが。君のデータから推測すると、君の反射神経ならば例えば君目掛けて飛んでくる銃弾を避けることが出来るだろう、という話だ。漫画や小説の超人、達人のように。ただ、これは動体視力や銃声を聞き分ける超人的な聴覚も同時に必要になってくるのだが。」


「どういうことですか。」


「平たく言えば、君の反射神経は人間のそれを遥かに凌駕りょうがしている、ということだよ。」


 俄かに信じられる話ではなかった。何の自覚症状も無いまま、癌だと告知されたような感じだ。


「そして、やはり、とでも言うべきだろうが、君のDNAは約3%が人間のものとは全く違ったものに変化していた。現在知られている地球上のどの生物とも合致しない。つまり、その部分がツァトゥグアそのものの遺伝子か、ツァトゥグアによって変化させられた部分だろう。」


「そうですか。ある程度覚悟はしていたんですが、確認されたとなると。」


 ショックだった。いままで、色々と危険な目にも遭ってきたので、多少感覚が麻痺していたのかもしれないが、生来の楽天家だったはずの浩太なのだが、自分が人間ではないと告知されたようで、足元から地面が崩れていくような浮遊感に襲われた。


「僕はもう人間ではないのですね。」


「いや、たとえば人間との混血であるインスマスづらのDNAは人類とは約25%が一致しない。それらと比べると君は遥かに人間に近い存在だと言えるだろう。」


 何の慰めにもなっていなかった。


「その辺はある程度覚悟していましたし、詳しい説明は結構です。で、何か弱点は掴めたんですか?」


「それなんだが、君のDNAで変化している部分と、さっき話したインスマス面の者達のものとは、どうも一致する部分が無いのだよ。つまり他に比較できる対象が今のところ手に入らないので、検討の仕様が無い、という訳なんだ。もともとDNA自体の解析がそう進んでいる訳ではないので、その中で君が変化させられている部分が、どのような遺伝情報を司る部分なのかが、確定できないのだ。」


「それじゃあ、僕が協力している意味が無いじゃないですか。何とか成らないんです

か。」


 話が違う、と思った。それなりの成算があってのことだと勝手に思い込んでいたのだ。実はただデータが欲しかっただけだったのだ。


「いや、貴重なデータが得られたと研究員達は喜んでいるよ。ただ、実効性のあるデータは得られなかったので、君の友人を助け出す手助けは出来そうも無い、と理解して欲しいのだ。我々はこれからも人類がやがて晒されるであろう非常事態を出来る範囲で先延ばしさせるか、永久に阻止し続けるための方策を探っていくだろう。君に、我々の主旨を理解して貰っている筈だから、こちらの要請に従ってデータ収集に協力してくれたまえ。」


 そう云うと、岡本浩太の抗議も聞かずに部屋を出て行った。ひとり残された浩太は、別の係員に連れられて、元来た地下街に連れ出され、そこで開放されたのだった。


「一体どういうつもりなんだ。」


 係員の背中に罵声を浴びせても仕方が無いことは判っている。だが、叫ばずには居られない浩太だった。


 結局、何の手掛かりも得られないまま、数日を無駄に過ごしてしまった。本当にあの男は綾野先生の友人なのだろうか。もしかしたら、そこから疑わなければならなかったのかも知れない。浩太は、仕方無しの彦根の自分のアパートへと戻るのだった。

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