第27話 取り戻し(てしまっ)た人質

 岡本浩太と綾野は助け出した桂田利明をとりあえず琵琶湖大学付属病院に連れて行った。


「気分はどうだ。」


 桂田利明は多少顔色が悪いことを除けばとくに変わった様子も無かったが念のため入院させることにした。精密検査をしてもらうためだ。


「なんだかおかしな気分です。ツァトゥグアの体内に居るときはツァトゥグアが発生してから今までの気の遠くなるような時間を体験しました。壮絶な旧神との戦い、旧支配者達の中での反目、洞窟に封印されてから訪れた十人に満たない人間達とのやり取り。なんだか自分がツァトゥグアになったかのようです。」


 ツァトゥグアの体内でその記憶を再体験していたのだろう。精神が崩壊しなかっただけでも幸いだった。全く別の第三者的にその記憶をたどったのなら、すぐに精神的に死を迎えていただろう。取り込まれた状態、融合した状態だったから逃れられたのだ。


「まあ助かってよかったよ。今日はゆっくりと休むんだな。」


「ありがとう、浩太。ありがとうございました。綾野先生。」


 大学の講師室に久しぶりに戻った綾野祐介は、渡米中やツァトゥグア対策に走り回っていた間に貯まりに貯まってしまった仕事をこなす作業に執りかかっていた。


 橘良平助教授の消息は岡本浩太にも確認し、自宅や勤務先の城西大学、大英博物館にも連絡を入れてみたが、相変わらず知れなかった。アーカム財団のロンドン支局にも捜索を依頼してあるのだが、これといった情報は届かなかった。


 そろそろお昼にしようかと時計を見た時、電話が鳴った。岡本浩太からだった。


「綾野先生、ちょっと付属病院まで来てもらえませんか。」


「どうしたんだ。桂田君の身に何かあったのか。」


「ええ、とりあえず来て下さい。話はこちらで。」


 取るものもとりあえず綾野は桂田利明が入院している付属病院に向った。大学構内を自転車で約5分の距離だ。


「何があったんだ、浩太君。」


「詳しくは恩田先生からお願いします。」


 恩田助教授は琵琶湖大学医学部付属病院の医師だ。桂田利明の担当医だった。


「恩田です。私から説明しましょう。実は桂田君の検査を各種行っていたんですが、その前に岡本浩太君の検査結果を、これは岡本君から聞いた話なんですが、彼のDNAを鑑定したところ、人間のそれと97%一致した、という結果が出たそうです。逆にいうと約3%は人間と一致しない、ということですね。」


 ここで恩田助教授は一呼吸置いた。これは岡本浩太が人間と多少違ってきている、と宣言するようなことになったからだ。


「これは例のツァトゥグアに一旦吸収されたことが原因だと思われます。そして、これはお願いなのですが、綾野先生のDNAについて岡本君と同じ検査をさせていただきたいと思っています。多分同じ結果が出るのではないかと思います。」


 そして、恩田助教授はまたここでも一呼吸置いた。これは綾野も人間と多少違ってきていることを告知することになりかねないからだった。


「それは判りました。検査でも何でも喜んで受けましょう。それで桂田はどうしたと言うのですか。」


 それがここに呼ばれた理由の筈だった。岡本浩太や綾野祐介のDNAの話ではなかった。


「そこで、です。同じ検査を桂田利明君にもした結果が問題なのです。ここの設備では人間のDNAパターンとの比較に時間がかかってしまったのですが、彼の場合は基本パターンの45%でした。」


「45%も人間と違っていたんですか。」


「いいえ、人間と一致する部分が45%しかなかったのです。」


 それはどういう意味だろう。半分以上人間と一致しない、ということは『人間ではない。』ということなのか。


「それはどういう意味です。」


 恐る恐る綾野は聞いてみた。


「生物学的には到底人間とは呼べない、と言えるでしょう。」


「外見上は全く変わりが無いにも関わらず、ですか?」


「そうです。ただ、これはあくまで生物学上の問題であって、それがそのまま、彼が人間では無くなってしまったという意味ではないとは思うのですが。」


 恩田助教授としてはかなり苦しい回答のようだった。それはそうだろう。どう見ても人間としか見えない桂田利明が人間ではない、などと決めてしまうような権利は自分にはないと思う恩田だった。


「それとどちらかと言うとこちらの方が問題ではないかと思うのですが。」


「まだ何かあるのか。」


「その桂田利明が今日突然居なくなってしまったのです。」


 朝の回診の後だった。見慣れない外国人の見舞い客が訪れたのは確認されているのだが、その見舞い客が立ち去ったのは誰の記憶にも無かった。見舞い客は黒ずくめの神父のような風体だった。その後看護婦が様子を見に来たときにベッドはもぬけの殻になっていた。それまでの桂田は特に変わった様子は無かった。ただ、見るもの聞くものの総てが珍しい様子で看護婦に一々質問をしていたようだ。


「そうなんです、綾野先生。利明のやつは帰ってきてからどうも妙な感じでした。最初はショックで言葉数が少なくなってしまったのかとも思ったんですが、話せば話すほど言葉の節々に聞きなれない単語が出てきたりして。」


「どういうことだと思う?」


 それは想像したくなかった。桂田利明をヴーアミタドレス山の洞窟から助け出したと思っていたのが、もしかしたらツァトゥグアをこの世界に解きはなってしまったのではないだろうか。ツァトゥグア本体と桂田利明が入れ替わっていたのか、それとも45%の桂田と55%のツァトゥグアなのか。


 いずれにしても人類はかつて無い最悪の事態を迎えてしまったのかも知れない。

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