第33話 影から
「付いて行ってもよろしいでしょうか。」
クリストファー=レイモスはアンチクトゥルー協会(なんと直接的な表現だろうか。自らの主を過小評価しているかのような団体に対してはクリストファーは逆に過小評価してしまう。)から得たデータをナイ神父に手渡すために東京に来ていた神父を帝都ホテルに訪ねていた。(神父は三十一階建てのホテルの最上階特別スイートを常時リザーブしていた。)
「結果は見えている。特に付いて行く必要もないだろう。」
「それでは私があの本を彼らに渡した意味はないのですか?」
「そうではない。綾野たちがあの本を使ってどうするかを見極めたいのだ。ツァトゥグアの封印が解けようが解けまいが関係ないのでな。」
「それなら尚更その過程を見てくる必要があるのでは。」
クリストファーは単純に付いて行きたかった。『サイクラノーシュ・サーガ』にどんなことが書かれているのかは、神父も教えてくれていない。自分がもたらしたものの結果を自分の目で見届けたかった。
「それほど言うのなら良かろう。ただし、ツァトゥグアに気取られるわけには行かない。結界を張ってやるから全てを観てくるがいい。」
こうしてクリストファーは綾野たちに付いてヴーアミタドレス山の洞窟に向かった。
クリストファー=レイモスは不思議な気分だった。綾野祐介や岡本浩太、そして名前を知らない二人の日本人に付いてヴーアミタドレス山に来たのだが、四人は全く自分の存在に気付いていないのだ。ナイ神父の結界のお陰だった。ただ、洞窟に入るには細心の注意が必要だった。如何に神父の結界とは言えツァトゥグアその人のお膝元である洞窟に入ることは勇気がいることだった。結界の存在に気付かれてしまう可能性も高いのだ。それはほんの少しの違和感としてしか認識できない筈ではあるが。
神父の話では綾野たちはツァトウグアの封印を解くことはできないようだ。封印を解く方法も知らないクリストファーには何がどうなって封印が解けないのか見当もつかなかった。
四人が洞窟に入っていく。クリストファーは少しはなれて付いて行った。ツァトゥグアと綾野達の会話が始まった。何を話しているのか、離れているので詳しくは聞き取れなかった。しかし、これ以上近づくわけにもいかない。クリストファーは多少の苛立ちを覚えた。
暫くして綾野と岡本が出てきた。クリストファーは慌てたが脇に避けて二人をやり過ごすことができた。気付かれていないようだ。
クリストファーは残った二人が気にかかったので奥へと進んでみた。ツァトゥグアに気付かれないように慎重に進んだ。そしてクリストファーは初めて本物のツァトゥグアを見た。最大限に過少表現をしたならば蝦蟇蛙に似ていると言えるだろう。先日クトゥルーが暴れ狂っているところを見たクリストファーだったが、ツァトゥグアの方が更に異質だった。この世のものとは到底信じられない。膿やヘドロを混ぜ合わせてもあのように醜怪にはならないだろう。綾野たちはツァトゥグアに吸収されたと聞いた。クリストファーは自分には耐えられない冒涜に思えた。
残った二人の日本人はツァトゥグアと話をしていた。年上の方が何やらツァトゥグアに頼んでいるらしい。よく聞いてみるとツァトゥグアの体組織を一部地上に持って帰って調べさせて欲しい、と言っていた。何を考えているのか。どうも良く聞き取れなかったのだが、何か取引をしたようだ。二人が地上で何かをする代わりにツァトゥグアの体組織を持ち帰る許可を得たらしい。近づきすぎるわけにはいかないので、巧く聞き取れなかった。
やがて綾野達が戻ってきた。アーカム財団のマリヤ=ディレーシアとリチャード=レイは見知った顔だ。他の者は多分アーカム財団の特殊部隊だろう。
話の経緯を見守っていた。
「なるほど、そう言うことか。」
クリストファーは理解した。綾野はツァトゥグアの封印を解く方法を見つけはしたが、今の地球上ではその方法は取りえないのだ。時空を超える能力を持つヨグ=ソトースならば或いはツァトゥグアの封印を解くことが出来るかもしれない。それにはヨグ=ソトースの封印を解かなければならないのか。ヨグ=ソトースがウィルバー=ウェイトリィとその双子の兄弟の他に人間との間に子を成してい
ない確証はない。もしかしたら何等かの手掛かりが掴めるのではないだろうか。クリストフアーは神父への報告の必要性を強く感じた。
クリストファーが考えを巡らしている間に事態は急変していた。アーカム財団の特殊部隊がツァトゥグアに向かって発砲したのだ。仮にも神と崇められるツァトゥグアに対してそのような通常兵器が効果を示すとは考えられなかった。クトゥルーの場合はミサイルでさえ足止めにしかならなかったのだから。発砲された弾丸はそれを発した人間にそのまま返ってきた。特殊部隊は全滅だ。当然の結果といえよう。
クリストファーはある程度の収穫を得られたと判断したので洞窟を出た。そこで突然声を掛けられた。
「彼方は誰?」
女性か?
「私が見えるのですか?」
「そんな結界を張っていてもここまで近づけば感じることはできるわ。感じられたなら観ることはそう難しいことではないの。」
あいても結界を張っていたらしい。こちらからは見えなかった。
「ここはツァトゥグアの影響を強く受けすぎるから地上に戻りましょう。彼らと一緒じゃないと戻れなくなってしまうかもしれないわよ。」
クリストファーは綾野達と一緒に来たのでここまで普通に来られたのだが、確かに一人で戻るには難しい異世界だった。クリストファーは綾野達とは別にこの見えない彼女に連れ戻ってもらうことにした。どうも敵ではなさそうだ。神父に近いものを感じる。逆に彼女を信じなければここで置き去りにされるかもしれなかった。
クリストファーの思い通り(或るいは願い通りと言った方が適切かもしれない。)声の主は無事地上へと導いてくれた。綾野達が戻ったことを確認した上でクリストファーがナイ神父の結界から出ると声の主もそこに居た。
「どこかでお会いしたかしら。」
見覚えのない顔だった。ただ何か圧倒されるものを感じる。やはりナイ神父とどこか似通ったところがある。
「私は鈴貴産業の拝藤といいます。あなたは?」
社名と日本名。どちらも彼女には似つかわしくないように思えた。
「私は星の智慧派のクリストファー=レイモスといいます。」
「星の智慧派ね。なるほど、全ては彼の監視下でことが進んでいる、という訳かしら。彼はいったい何を考えているのかしら。」
彼というのはナイ神父のことだろう。顔見知りのような口ぶりだった。
「神父をご存知なのですか。」
「ええ、昔、かなり昔にね。まあいいわ、彼によろしく言っておいて。自分が全てを操っていると思っていたら意外なところで足元を掬われるかもしれない、と伝えていただける?」
そう言って拝藤女氏はふっと消えてしまった。
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