第32話 暗躍

 クリストファー=レイモスは京都にいた。アンチクトゥルー協会の者と接触するためだった。協会の日本支部に直接行っても良かったのだが『サイクラノーシュ・サーガ』の情報を流したついでに直接そのものを持ち込むことにしたのだった。


 協会の関西支部に稀覯書収集の第一人者が居るらしい情報を得たので、自分で持ち込んでみようと思った。データを得る取引の材料にするつもりだ。


 その店は京都駅から北に続く地下街の外れにあった。『京極堂』というのが屋号らしく、古びた看板が掲げられていた。


「ご主人ですか?」


 店に入ると40歳ぐらいに見える男が奥の座敷になっているところで机に向かって座っていた。


「そうですが、何かお探しですか。」


「いいえ、探しておられるのはそちらだと思うのですが。」


 あまり商売熱心とはいえない主人は、その証拠に今始めてクリストファーの方を見た。


「確かに今日探していたものが届く手筈になっているが。」


「そうです。その件で来たのですが。」


 そしてクリストファーは風呂敷を取り出した。この日本の伝統的な簡易運搬用具をクリストファーはいたく気に入っている。どのような形のものでも包める上に、必要で無くなったら畳めばいいからだ。日本人はこのような智慧というのか、倹約の美徳というのか、古くからの伝統が数多く残っている。日本に来ることは結構気に入っていた。ただし、自分の仕事の内容を考えなければの話ではあるが。


「それはありがとうございます。早速ですが見せていただけますか。」


 古書店の主人は非常に丹念に「サイクラノーシュ・サーガ」を鑑定している。内容を読んでもいるようだ。


「失礼ですがご主人はこの本が読めるのですか。」


「いえ、少なくとも私の知っている言語ではないようです。セム語でもネクロ語でもないようだ。古代ルーンの上位語かとも思ったのですが、それとも少し違いますね。」


 クリストファーには全く判らなかったが、この古書店主は言語学の権威だとでも言うのだろうか。


「いいえ、私はただの古本屋ですよ。ただ、父が生前ミスカトニック大学で数種の言語学を教えていたので多少ならば判らないことも無いのです。ただ生噛りなものでたいした役には立ちませんけれど。」


 稀覯書の真贋を測るにはどうしても必要な知識の筈だから充分な知識なのだろう。逆にその知識があったからこそ稀覯書探索の第一人者になっているのかもしれなかった。人の良さそうな顔をしていて案外食わせ者かもしれない。


「見せていただきましたところ、確かに本物のようです。よろしい。買い取りましょう。条件はお電話でお話したとおりでよろしいでしょうか。」


 金などどうでも良かったのだが、あまり欲の無いことを云っておくと信用されないとも思ったので、そうおかしくない金額を提示しておいた。「サイクラノーシュ・サーガ」は確かに稀覯書中の稀覯書ではあるが、その内容や価値は例えば「ネクロノミコン」などと比べるとかなり落ちてしまう。同じ魔道師エイボンが書いたものとしてなら「エイボンの書」の方が重要だろう。


「お金はお金として実は彼方にお願いしたいことがあるのですが。」


 クリストファーは本を譲る条件として岡本浩太のDNA鑑定結果のデータと交換でないと本は渡せないと伝えた。合法的にデータを得ようというのだ。非合法な手段は何時でも取れる。クリストファーはたまにはこう云う方法もいいだろうと思っていた。


 古書店主は暫く何処かへ電話をかけていたがやがて戻ってきた。


「判りました。データと交換でよろしいのですね。それでお願いします。実際あのデータは私達では手に負えそうに無いと思っていました。私どもの検討結果も含めてお渡ししましょう。それとこれは虫の良いお願いかもしれませんが、もしあなた方であのデータに関して何か新事実でも発見しましたら私達にもフィードバックして貰えないでしょうか。あなた方が私たちと敵対するものなのか、協力を結んでいけるのかはこの際聞きません。『サイクラノーシュ・サーガ』を提供してくださるのですから味方かとも思いますが、一概にそうとも言えない団体もあるのは知っています。そんなことは関係なしに私はただ純粋に知りたいのです。」


 古書店主は真剣だった。この男は知的好奇心の塊のようだ。地球を救うとか人類が進化するとかそんな話の本質では無く、ただ「知りたい」ことが全てなのだ。クリストファーは自分でも守るつもりなのかどうか判らない約束をしてとりあえず「京極堂」を辞したのだった。

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