第16話 恐怖の山

 エズダゴルに連れられて暫くはそれほど傾斜の無い坂道を登ったり下ったりしていた。小一時間ほど歩いただろうか、やがて傾斜は緩やかな登りのみになってきた。ヴーアミタドレス山の途中にツァトゥグアの棲む洞窟は

あるというのだ。


「それ、あそこがツァトゥグア様が棲んでおられる洞窟の入り口じゃ。心して入るがよいぞ。」


「えっ、ご老人は一緒に行って下さらないのですか?」


「儂か?儂は駄目じゃ。齢数千年を数える妖術師ではあるが、ツァトゥグア様の御前に罷り出るほどの度胸は未だに得られないのでな。ツァトゥグア様は怠惰な邪神とも言われておるが、それは正鵠を得ておるのじゃ。例えば儂などがその営みを乱すようなら忽ち更に悍ましい地下世界へと落とされてしまうじゃろう。お主達も十分に注意をすることじゃな。」


 妖術師エズダゴルはそういい残すとふっと文字通り消えてしまった。


「どうします、綾野先輩。」


 橘助教授と綾野は二人の生徒を無事に元の世界に戻す責任があると感じていた。ここは異次元の世界、ヒューペルポリアなのだ。もしかしたら、時代さえも超越した世界なのかも知れない。


「戻る方法を探すしか無いだろうな。今来た道を戻るとしても何処に続いているのか見当もつかない。」


「綾野先生、ここはひとつ先に進んでツァトゥグアに対面するしか無いんじゃないですか。」


 浩太はある程度腹を括っていた。道を開くには先に進むしかないように思えるのだ。


「そう簡単に云うが、相手はツァトゥグアなんだぞ。旧支配者の中でも特に得体の知れない存在なんだ。」


「その、ツァトゥグアとかいうのは一体何のことですか。」


 橘助教授も桂田もその辺りの知識は持ち合わせていなかった。


「ツァトゥグアとはC・A・スミスによるとサイクラノーシュから来た旧支配者のひとり(?)で、ヴーアミタドレス山の地下洞窟に幽閉されていると言われている。サイクラノーシュとはムー・トゥーランにおける土星のことらしい。ただ私は鵜呑みにはできないと感じているんだが。それと四大要素の分類としては地の精とされているんだが、それもどうだかと思うね。土星、洞窟というアイテムによって後から付けられた可能性が高いと思っているんだ。いずれにしてもツァトゥグアそのものについての言及は余りにも少ない。スミス以外は無い、といってもいいくらいなんだ。私の調査・研究の対象もクトゥルーの他の旧支配者についてはナイアルラトホテップのみが封印されていない関係もあって、そのふたり(?)以外はほとんど進んでいなかったのが現状なんだ。」


「先生、講義している場合ではないのじゃないですか。」


「悪い悪い、つい夢中になってしまった。それにしても洞窟に入るのか、もと来たと思われる道を引き返すのか、決断しなければならないことは確かだな。どうする橘。」


「ここは私の専門分野じゃないですから。先輩の意見に従いますよ。私ももっと祖父にその辺りの話を聞いておけばよかったと後悔しています。先輩と祖父の会話にはなかなか入り込む余地が無かったから、あんまり興味は無かったのですが、そんな非現実的で空想的な話を大の大人がどうして真剣に話せるのだろうって何時いつも不思議に思っていたものでした。今ごろ事の重大さに気付くなんて、なんと知恵が浅かったことか。」


「そう落ち込むことはないよ、だれだってこんな話が現実にわが身に降りかかって来るなんて想像もしないだろうからね。ラヴクラフトはただの恐怖小説家だと思っている輩や、その存在自体知らない人が大勢いるのだから。」


「そうですよ、日本クトゥルー学会の会員の大半はただの恐怖小説愛好家ですから。危機感をもっているのは綾野先生や無くなった橘教授の他にはほんの一握りでしたから。僕も伯父のことがなければ、ただの一ファンの域を出なかったでしょう。」


 三人の話に桂田はついて行けなかったが、生来の楽天家である本領を発揮して提案した。


「とりあえず、そのツァトゥグアとやらに会って見ましょうよ。道が開かれるのは大体そういう勇気ある行動の結果である場合が多いでしょう。冒険小説の鉄則ですよ。」


「おいおい、小説と一緒にしないでくれよ。でも浩太も桂田も同じ意見なら、当ってみるしかないのか。」


「砕けてしまうかもしれませんけどね。」


 四人は意を決して洞窟の奥へと進んでいくのだった。

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