第15話 若かりし暴走

 翌日、私は城西大学の橘助教授に連絡をとった。再調査の日は明後日なのだが、どうしても今日会いたい、と伝えたのだ。


 午後になって橘助教授は琵琶湖大学の綾野の講師室に到着した。


「どういうことですか、綾野先輩。調査を中止しろというのは。」


 着くなり橘は捲くし立てた。綾野から調査を中止して欲しい、理由は会ってしか話せない、直ぐに来て欲しい、と連絡を受けたのだ。何が何だが判らず、とりあえず飛んできたのだった。


「まあ、待たないか。これから順を追って話すのだから。」


 それから私は昨日、拝藤女史から聞いた話を、とりあえずは彼女を信じることを前提としたうえで話した。最初は懐疑ぎみに聞いていた橘だったが、次第にことの重大さに気付いたのか、多少蒼白な顔になって神妙に聞き入っていた。最後まで聞いて、直ぐに結論を出した。


「判りました。その話が本当ならば、調査は中止するしかないのでしょうね。でも確かな情報なのでしょうか。その拝藤という女はどれだけ信用できるのかが一番の疑問ですね。それとうちの教授や調査を依頼してきた市の関係者をどう説得するかが問題ですね。まあ、そっちのほうは私に任せてもらって結構ですけれど、先輩はどうするつもりですか。」


「私はどうもしないよ。それが一番ベターな選択だろうからね。橘も動かないほうがいいよ。判っているだろうけれどね。それと拝藤女史はある程度信用してもいいと思うな。最近のアーカム財団の調査においても、主神クラスの確執についての文書は数多く確認されているようだから。ただ単純な相関関係ではないようだけれど。」


「その辺は先輩のほうが専門ですから、先輩の意見に従うことにしますけれど、自分の身の危険が迫っていると言及されているのに、少し無用心すぎるのではないですか。」


 綾野もまさかそれほど自分が様々の意味で注目されているような存在になっているとは、拝藤女子から指摘されるまで夢にも思っていなかった。


 何とか橘助教授を説得した綾野は、もっと説得しがたい岡本浩太を学内で探した。しかし、浩太の姿は何処にもなかった。朝の講義には顔を出していたので、昼から帰宅してしまったのかも知れない。綾野は浩太のアパートに電話をかけてみた。


 しかし、岡本浩太は留守だった。桂田にも連絡を取ろうとしたがやはり留守であった。


 妙な不安が綾野を包んだ。もしかしたら橘との会話を聞いていたのかも知れない。調査が中止になることだけ聞いていたとしたら、二人のことだ、自分達だけで穴に潜ってしまうかも知れない。話を最後まで聞いていたとしたら、例え浩太でも無茶はしないはずなのだが。


 綾野は慌てて穴のあいている現場へと向かった。穴のあいている現場は、大学から自慢の愛車(自転車)で10分と近いところにある。直ぐに着いた。案の定、クレーンのワイヤーが穴の中へと伸びている。誰かが穴に入ったのだ。ワイヤーはカーゴからでも操作できるので、二人とも地下へと向かったのだろう。穴の形状がどう変化しているかも知らないで。


 仕方無しに綾野は橘に連絡を取った。二人を連れ戻すために自ら地下に降りることを伝えるためだ。ところが、連絡を受けた橘助教授は、自分も一緒に行くと言い出した。一人ではあまりにも危険だ、と云うのだ。


 綾野としては、自分達がもし戻らなかったら、事情を理解している橘に後のことを託すつもりでいたのだが、橘もがんとして聞かなかった。自分が行くまで待っていて欲しい、の一点張りだった。


 南彦根駅に着いたところだった橘助教授は直ぐにタクシーで現場に着いた。


 そして、急場で揃えられるだけの装備を持って綾野と橘助教授は昨日に続き穴の中へと降りていったのだった。


「なんか、昨日より穴の深さが浅い気がするな。」


 岡本浩太と桂田利明は、桂田が綾野の講師室の前で立ち聞きした話によって穴の調査が中止されることを知った。直ぐに二人は相談をし、二人だけでもう一度穴に入ってみることにしたのだった。


 浩太は昨日調査隊の一員として降下したのだが、桂田は連れて行って貰えなかった。それが中止ともなると、二度と地下へは潜れないかも知れない。情報提供者として、桂田は浩太を連れ出し、とりあえず最初の底まで降下することにしたのだった。


「昨日の半分ぐらいしかかかっていないような。」


「どういうことだよ、穴が埋まっちゃったとでもいうのか。」


「いや、そうじゃない。底の雰囲気は昨日と同じだけれど何か微妙に違うんだ。」


 浩太は何処か違和感を覚えていた。どうも昨日と違う。ただ目に入る物は昨日と全く同じだった。でも何かが違う。


 底からは横穴が続いている。昨日は真西に300mほど進んだ筈だった。二人は懐中電灯の明かりを頼りに進んだ。ところが、昨日発見された新たな縦穴がいつまで経ってもなかった。


「やっぱり変だ。縦穴が無いよ。」


「ああ、調査が延期になった原因の穴だよな。同じ様に直径3m位の垂直の縦穴だったんだろ。」


 ちょうど、今降りてきた穴と瓜二つの穴がぽっかりと開いていた筈だった。どこに行ってしまったのだろうか。


「引き返した方が良さそうだな。綾野先生にも中止になった理由を確認したいし。利明、戻ろう。」


「でも、昨日より横に進めるなら、行ける所まで行って見ようや。俺達が重大な発見をするかも知れないんだぜ。地下遺跡の発見者、岡本浩太と桂田利明って歴史の教科書に載っちゃうかも。」


 桂田は事態の重さが全く認識できていないのだ。何故最初の縦穴は短くなっているのか、二つ目の縦穴は無くなっていて横穴が続いているのか。浩太は厭な予感がしたので、桂田を説得しようとするのだが、どうも危機感が無い桂田は自分だけでも行くと云って聞かない。浩太は仕方無しに一緒に奥へと進むことにしたのだった。


 昨日の倍ほど進んだところで、急に桂田が立ち止まった。前方が明るく開けたのだ。


「なんだ、これは。」


 そこには巨大な空洞があった。


「そんな馬鹿な。どう見てもここの高さはさっき降りてきた深さを遥かに越えている

ぞ。」


 巨大な空洞の広さは一目では確認できないほどだった。高さも肉眼では確認できない。上の方は霞んでしまっているのだ。向こうの方に高い山のような物が見えている。遠近感が掴みにくいので実際に間近まで近寄って見ないことにはその高さは計り知れないが、そうとうな高さであることは間違いなかった。


「何なんだここは。何でこんな所に巨大な空間が存在するんだ。」


 さすがの桂田も想像もつかない事態に戸惑っている。しかし、桂田は事態の本質には未だ気付いてはいないようで、先に進むつもりのようだ。浩太には絶対何かが隠されている筈の場所に思える。たった二人で近づくことは自殺行為のような場所に。


 その頃、綾野と橘は穴の入り口に居た。二人は相談して、とりあえず二人を連れ戻すために穴に入ることにしたのだった。


「まったくもって若い者達の先走りには困ったものだな。桂田だけならまだしも、浩太まで一緒になって。」


「先輩、人の事は云えないのでは。昔は無茶をした仲じゃないですか。」


 綾野と2年後輩の橘は帝都大学在学中に岡本優治ともう一人の四人であちらこちらの遺跡の発掘を、半ば違法なものも含めてやっていた。宮内庁のブラックリストに載っているメンバーだったのだ。綾野は卒業して直ぐに合衆国に留学してしまったので、橘とはそれ以来会っていなかった。


「まあ、そう云うなよ。橘も同罪だろうに。仕方ないな、それじゃあ降りようか。」


 綾野と橘は先行している二人を追って穴の中へと降りていった。


「あれはなんだ。」


 そこには想像を絶する高さの山が聳えていた。地上世界にあるとしてもかなりの高さになるだろう。頂上は霞んで見えない。浩太は山に近づこうとする桂田をどうにか思い止まらせた。さすがの桂田も、在り得ない広さの地下世界に、背筋がぞっとしていた。


「一旦戻ろう、綾野先生たちも連れてもう一度来ることにしよう。」


 二人は直ちに今きた穴を戻った。しばらく、口も利けないまま歩いていると、向こうから懐中電灯の光が近づいてきた。


「あっあれは。」


 綾野と橘だった。


「君達、いったいどういうつもりだ。勝手な真似をして。」


「綾野先生、それどころの騒ぎじゃないんです。縦穴が無くなってしまったと思ったら、巨大な空間が広がっています。あれは在り得ない空間です。」


 浩太は会うなり捲くし立てた。綾野は何が何だが判らなかったが、とりあえずその空間を見て、確認した上で対策を考えることにして今度は四人で奥へと進んだ。


 奥へ奥へと歩いて行くと、程なくさっきの空間が広がっていた。


「なんなんだ、ここは。」


 普段冷静な橘助教授も、想像もできない広さの地下空間には驚きを隠せなかった。


「綾野先輩、どういうことだと思いますか。」


「これは、さっきクトゥルーの件でも話をしたように、どうも旧支配者達が幽閉されていたりする空間については、次元が歪められている可能性が高いことの一例なのかもしれない。ルルイエが地球の各地に浮上ポイントを持っていたように、この空間は何者かが幽閉されている、と見たほうがいいようだな。」


「異次元空間に迷い込んだとでもいうのですか。」


 四人で合流するまでの間に、多少は綾野たちがクトゥルーの復活を阻止した経緯を聞いていた橘助教授は、自らが理解できない超自然現象があり、恐るべき生命体?が存在することについても、ある程度理解しようとは思っているのだが、どうしても現代の科学で解決できる範囲での思考になれていることもあり、綾野の言葉は容易に納得できることではなかった。


 四人が呆然としているときだった。目の前がなにかぼうっとぼやけてきたと思ったら、白い靄が広がって1.5mほどの塊になった。そして、そのなかから、何かが現れた。


「だれだ。」


 それは自然木で造ったと思われる杖をつき、仙人のような顎鬚あごひげをはやした異様な風体の老人だった。


「だれだ、とは失礼な輩じゃの。久しぶりにまともな人間に会ったと思ったら、単なる礼儀知らずだったとは、ほとほとなさけないことじゃ。」


 老人は一人一人を値踏みするかのような目で一通り眺めた後、徐に綾野に向かって話し出した。


「お主は、どこぞで会った事が無いかの。どうも見覚えがあるような気がするんじゃが。」


「いいえ、ご老人。今初めてお目にかかると思いますが。」


「そうか、よいよい。お主達は本当に運のいいやつじゃ。その昔、儂が招魂の儀式をしとったものを台無しにしよったラリバール・ヴーズとかいうコモリオムの人間をツァトゥグア様への貢物にしてやったことがあった。今日は虫のいどころもよい。お主達を貢物ではなく、ツァトゥグア様の元に連れて行ってやろう。どうせ、ここに来たのはそれが目的じゃろうからの。」


「ツッ、ツァトゥグアが棲んでいる山なのですか。するとここはヴーアミタドレス山の麓であると。」


「そうじゃ、ここが魔峰と呼ばれるヴーアミタドレス山じゃ。そして、私の名はエズダゴルという妖術師じゃ。それにしてもここに着くまで、ヴーアミどもににさえも会わなんだと云うのか。お主たち、よほどの幸運の持ち主であろう。でなければ、お主たちのその格好では、奴らに襲われて命を落とすのがおちじゃからの。」


 ふと岡本浩太が今来た道を振り返ってみると、そこには違う星の地表であるかのような凸凹とした地表が延々と続いていた。


「綾野先生、あれを。」


「どうしたんだ。」


 同じように振り返った三人は一様に言葉を失っていた。自分達が来た道は何処にも見当たらなかった。


「何をごちゃごちゃと言っておるのだ。付いて来るのか来ないのかはっきりせい。」


 ここはエズダゴルに従うしかない、と誰もが思った。妖術師と自ら名乗るこの老人は身なりは襤褸を纏ってはいるが、威厳というか偉容は疑いないようなので、怒らせてしまっては大変、と素直に付いていくことにした。

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