第17話 ツァトゥグアとの邂逅
四人が進んでいく洞窟は、強固な岩盤を刳り貫いたように見えていたのだが、実際足を踏み入れてみるとどうも足元が軟らかかった。なにか巨大な生物の食道の中を歩いているような感じがした。なにかぶよぶよとしている、とでもいうのだろうか。土、というよりは岩なのだが。
「なんなんだ、この洞窟は。」
「壁もぬめぬめとしているようだね。」
「先生、そんな落ち着いて言わないで下さいよ。先に何が待っているか判らないとき
に。」
「桂田、お前に言われたくはないぞ。」
いつも能天気な桂田に注意された綾野は多少反省しながら先頭に立って進んだ。全員懐中電灯は持参していたのだが、自然の光が薄暗くはあるが、発光している。光苔の一種だろうか。
洞窟は一本道だった。30分程降ったとき、少し広いところに出た。
「ここは何かあるんじゃないか。」
「スミスの小説ではヴーアミタドレス山の洞窟は何が棲んでいるのでしたっけ。」
綾野も岡本浩太もC・A・スミスはまだ研究の対象にしていなかったので、それほど精通している訳ではなかった。ツァトゥグアについては、そのほとんどがスミスの言及であったので、事前の知識がそうあるとは言えない。
「あっ、あそこに何かいますよ。」
桂田利明が最初に見つけて叫んだ。見ると確かにそこには何か物体が存在している。ツァトゥグアなのだろうか。
「動いた。」
その物体は体、というものであると言うのならそれは背中であったらしきものを此方に向けていたようで、振り返ったとでもいうのだろうか、此方を向いた。
それは、なんとも表現しがたい物体だった。スミスの言及のなかで、ツァトゥグアは蟇蛙に例えられていた筈だが、それはかなりそのものを人間に判りやすい例えとして言い表しているだが、それはとても蟇蛙と言えるような物ではなかった。
全体の形だけの話であれば、人間が認識できる一番近いものとすれば、確かに蟇蛙しか思い浮かばないのだろう。そう云う意味では、蟇蛙という表現はそう間違いではなかった。
「何者だ。」
その物体は到底人間の言葉を話すようには見受けられないものだったが、その言葉を発した者は、四人以外の者だった。ただ、それは本当のところは言葉として耳から入って来たのではなく、そういう意味として認識できる思考として直接頭の中に響いてくる言葉だった。
「私達は妖術師エズダゴルに連れられこの洞窟に来ました。そして、この世界には迷い込んだとしか言い様がありません。四人の関係だけ言いますと此方の二人は生徒ということになります。」
「お前達の関係など興味はない。何故にここに参ったのだと聞いておるのだ。」
「ですから、ただ迷い込んだだけだと。」
「そうではあるまい。お前とお前。その二人にはなにか懐かしい臭いがしておるぞ。これは遥かな昔、我とともに戦った者達の臭いであろう。クトゥルー、ダゴン、ハイドラとそのような名であったか。」
「あなたはツァトゥグアなのですね。」
「それは我の名である。しかしその名で呼ばれることはもはや無いであろう。我がここに縛り連れられて久しい。懐かしい臭いをさせ、我が名を呼ぶとはお前達は何者なのだ。」
ツァトゥグアは、どうも困惑している、といった感じが伝わって来た。長い間ここを訪れる人間は居なかったのだろう。
「エズダゴルとは何者であるのか。我はそのような者は知らん。我には永劫の時間があるのだ。我を訪ねて参った理由を言うが良い。存分に聞いてやろう。」
「私達はただこの世界に迷い込んでしまっただけなのです。元の世界に戻りたいのです。その方法を教えていただけるのならお願いしたいのですが。」
綾野の他の三人は目の当たりにしたツァトゥグアに圧倒されて一言も話せなかった。
「ここから出る方法だと。それを我に聞きたいと言うのか。なかなか人間としては畏れを知らない部類の者らしい。一体どれほどの間我がここに幽閉されているのか、知ったうえで言っておるのか。まあよいわ、我にはお前達を元の世界に戻す義理は無い。反対にお前達を元の世界に戻してやっても今の我の状況に変わりはないであろう。さて、どうしたものか。それとも、我をここから連れ出してくれるとでも言うのかな、侵入者達よ。」
それは神とでもいうべき者の、だが切実なる願いであったのかもしれない。計り知れない過去の旧神との戦いに破れ、この洞窟に幽閉されてから、ごく
この洞窟に訪れた人間はかのコモリオムのラリバール・ヴーズ卿が、これも妖術師エズダゴルに呪いをかけられて貢物にされて以来絶えて居なかった。
「ツァトゥグアよ、私達にはそのような力はないのです。逆にあなたの力を借りようとここまで来たのです。なんとか、私達を元の世界に戻す術を教えていただけませんでしょうか。」
綾野は正直に頼んだ。ツァトゥグアを開放するというような嘘はついても直ぐにばれてしまうに違いないのだ。それなら、駄目元で正直に頼んだほうがマシだった。嘘をついて怒らしてしまっては元も子もない。
「そうです、なんとかこの子達だけでも帰し
たいのです。」
橘も綾野と同じ気持ちになったのだろう。恐怖の中でやっとの思いで搾り出したような声で言った。実際ツァトゥグアの外見と言えば、その姿を見ただけで発狂する者がいる、と言われていることが十分窺える容姿だったのだ。頭の中に響いてくる声(思念)はごく穏やかなのだが、外見とのギャップで逆に恐ろしさが増しているくらいだった。
「なるほど、お前達の話は良く判った。それならば、お前達を元の世界に戻してやろう。我は幽閉されているとはいえ、そのぐらいのことなら簡単なことだ。ただ、お前達がこれから与える使命を果たせたら、その果たし具合によって戻す人数を変えよう。うまく行けば全員戻れる、という訳だ。悪い話ではあるまい。」
「ありがとうございます。でもその使命とは一体?」
「なに、簡単なことだ。我の使いとしてアブホースの元へと行って来てもらいたいのだ。ご機嫌伺い、といったところだ。」
「それはまさか、私達にアブホースの生贄になれ、ということですか。」
「違う違う、そうではない。お前達は我の使いとして、更にこの洞窟を地下へ地下へと降りていけばよいのだ。ただそれだけで、アブホースの元に辿り着けるだろう。彼の者は産み出す者であって、生贄を捧げるようなことはないのだ。我も生贄などを欲しているわけではない。何を勘違いしたのか、時折我に生贄を差し出す者がいるようだが、実は困っておったのだ。お前達が言っておったエズダゴルなどという者はその勘違いしておるうちの一人であろう。」
なにか、どうも話が変だ。ツァトゥグアは本来生贄を好むと伝えられている。ヴーズ卿の場合はたまたま生贄を飽食していたので蜘蛛の神アトラク=ナクアへの生贄にしたとスミスは言及していた筈だ。
「地下に降りていく途中には様々な試練が待っている、という訳ですか。」
「それも違うな。アトラク=ナクアやアルケタイプ達は今でもこの地下に棲んでおるかどうか、我には預かり知らぬことだ。彼の者達は別に我のように幽閉されている訳ではないのでな。このヴーアミタドレス山の地下洞窟に幽閉されているのは我とアブホースのみだ。他の者達は勝手に棲みついておるだけなのだ。いつまで居るものか知れたものではない。」
「なるほど、場合によっては何事もなくアブホースの元に辿り着けるということですか。それで、アブホースの元に辿り着いたとしてそこで何をすればよいのですか。」
ツァトゥグアの考えはどうも読めなかった。
「お前達に与える使命は、ただアブホースに会う、それだけだ。他意はない。ただ、四人一度にいっても詮無いことであろう。だれか一人にするがよい。だれが行くかを選べ。」
「では私が行きましょう。」
「先輩、それはだめです。私が一応調査隊の隊長なのですから、ここは私の命令に従ってもらいますよ。」
「二人とも、さっきから僕達だけを助けるようなことばっかり言って、4人全員で戻らなくちゃ意味ないでしょうに。ここは若い僕がいきますよ。いいでしょう。」
桂田を除いて三人はそれぞれ自分が行くときかなかった。
「お前達が決められないのなら、我が決めてやろう。お前は左眼。」
そういってツァトゥグアは綾野の方を見た。もしかしたら指差したのかもしれない。何処が腕で何処から手なのか判別がつき難い。
「お前は右眼。」
今度は橘の方を見たように思えた。
「そしてお前は上半身、お前は下半身。」
岡本浩太、桂田利明を順に見た。
「それで一人として行くが良い。それ以外の体は
ツァトゥグアがそういった途端、綾野の視界の右が無くなった。身体は夢遊病者のようにのろのろとツァトゥグアに近づいていく。そしてぶつかろうとしたとき、そのままずぶずぶと音をたててツァトゥグアにめり込んでしまった。橘の身体も同じように。岡本浩太下半身だけ、桂田利明は上半身だけがツァトゥグアに吸収された。
「こっこれは一体。」
綾野が喋ろうとしても、声は岡本浩太の声だった。
「どうしてしまったんですか。」
橘が喋ろうとしても岡本浩太の声だった。
「僕の声でみんな喋べっている。」
四人が合体させられてしまったのだった。
「そのまま、アブホースの元へと行くがよい。」
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