第6話 別荘地
次の日、待ち合わせの時間に少し遅れてしまった私は、慌てて店に飛び込んだが、浩太君の姿は無かった。店員に聞いてみると確かに浩太君らしき客が来ていたらしい。ところが、一人の男が待ち合わせていた客のように彼のテーブルに座って暫く親しげに話した後、一緒に出て行った、とのことだった。
一体彼は誰と何処に行ってしまったのか。不安に駆られた私は、直ぐに別荘地に向かって車を走らせた。普段は赤いGOLFWAGONに乗っているのだが、目立ちすぎるので友人に白いカローラを借りてきていた。
国道161号線を5分ほど走って右に折れると直ぐに別荘地に着いた。今日は多少曇っているのだが、心なしかこの辺りだけ更に空気が
私がここに足を運ぶのは今日が初めてだった。見回して見ると人の姿が見えない。何処にでも居そうな犬や猫、更には鳥の姿さえも見えなかった。急に音声が途切れてしまったビデオを見ているかのようだ。そんな中で私の車のエンジン音だけが響いている。
少し別荘地の中を走ってみたが、住人は勿論、浩太君の姿も無かった。私は別荘地の中でも湖岸よりの一際大きなログハウスの前に車を止めた。円藤社長に聞いたところによるとこの家の持ち主が、代表のようなことをしている、とのことだった。
表札には「田胡」とある。私は意を決してチャイムを押した。だが、返事が無いので暫く待ってつごう三回、チャイムを押した。一向に返事は無かった。円藤社長の話では、どの家にも電話は引かれていないとのことだ。
周りに人気が無いこと、家の中にも人気が無いことを確認した上で、私は例の特技を使って家の中に入った。家の中はごく普通の、しかし生活感のない部屋だった。ここに暮らし始めてから既に半年は経っている筈なのだが、家具と呼べるものが殆ど無い。異常に大きい業務用の冷蔵庫がひとつあるだけで、テレビもテーブルさえも無かった。
私は家の隅々、特に床を調べて回った。何処かに地下に下りる出入り口がある筈だ。
暫く探していると、何処の電灯も点かないスイッチを見つけた。押しても何も起こらない。スイッチを押して聞き耳を立てていると何処かでウィーンという機械音が聞こえた。だが、どこにも出入り口らしきものは現れな
い。音のする方を辿ってみると二階に登る階段があった。その階段の下のスペースを利用した収納があった。扉を開けてみると、あった。やはり地下への入り口だ。階段が下へと下りている。
暗い階段を降りてみた。トンネル状に続いている床や壁や天井は全てコンクリートの打ちっぱなしだったが、妙に湿っていた。というか、ぬめぬめとしている、と云った方が近い。懐中電灯の光も所々反射するような水溜りがあった。
暫くトンネルを進むと何処からか声がしてきた。くぐもった、何とも聞き取りにくい声だ。二人で話をしているようだが、一人の声は特に聞き取れなかった。
「そうすると、今回用意した心臓までも無駄だというのか。」
その言葉に誰かが応えている。そちらの方はぐちゅぐちゅと、何か口いっぱいに水を含んで喋っているような声だ。
「判ったから、もう自分の部署に戻れ。お前達の臭いはどうしても慣れない。」
男に言われてもう一人の男が部屋から出てきた。懐中電灯を消して隠れていると、先に出てきた男は、私が今来た方向とは反対の、奥の方に歩いていった。ぴちゃびちゃ、という音をさせながら。
一人残った男の様子を窺っていると、追って部屋を出てきた。私は多分この男が
私は男に気づかれないように家の外に戻った。そして男が家に戻ってきたタイミングを見計らってチャイムを押した。
家の中で多少ばたばたと音がした後、徐に男が出てきた。
「田胡さんのお宅ですか?」
男はごく普通の日本人に思えた。インスマス
「そうですけど、何か?」
ちょっと目にはエリートサラリーマンにしか見えない。
「突然お伺いして申し訳ありません。私は、おうみ不動産の円藤社長からお聴きして来たのですが、この辺りで別荘地を探しておりまして、ところがここ一帯は全て鈴貴産業さんの社員さんのための保養地として全部買い取られたと聞きましたので、たとえ一区画でも分けていただけないかと思いまして。」
「それは無理な話です。お聴きするまでもありません。お引き取りいただきましょう。」
私を追い出そうとするので、身体をドアの間に割り込ませた。
「そう仰らずに、なんとかお話だけでもお聞きいただけませんか。私も是非ここに別荘を持ちたいのです。」
私が聞いてもおかしな話だった。当然田胡も不審に思っただろう。徐々に顔色が変わってきた。私の正体に気づいたのか。
「まさか、自分からのこのことやってこようとは。余程自信があるのか、単に間抜けなだけなのか。」
「多分、単なる間抜けなんでしょうね。今日は岡本浩太君を引き取りに来ただけで、返していただけば直ぐに帰りますよ。」
田胡氏は不思議そうな顔をした。ダゴン秘密教団の仕業ではなかったのか。
「岡本浩太?君の生徒のことかね。彼がどうかしたのか。」
暗に私のことについては調査済みであることを仄めかしている。
「あなた方の仕業ではなかったのですか、私はてっきり。」
「てっきり何だと云うのだ。私が攫わせたとでも云うつもりか。」
本当に知らないようだ。私を脅して喋らせようとするのなら、
「私の勘違いだったようです。今日のところは大人しく帰りますよ。いずれ近々にお遭いすることになるでしょうが。」
「大人しく帰れるとでも持っているのかね。」
私の背後で数人の気配がした。囲まれたらしい。
「明日にでもこちらから迎えに行こうと考えていたところだったんだよ。手間が省けたと云うところだな。私と一緒に来てもらおうか。」
「ただで帰していただけませんかね。今日私が帰らないと、直ぐにここに日本の警察が捜索に来る手筈になっているのですがね。合衆国の政府筋とアーカム財団の両方からプレッシャーをかけてあるので軽視しない方がいいと思いますよ。」
脅しでは無かった。確かに今日の午後6時までに私からの連絡が無ければ、この家を中心に捜索に入る手筈になっていた。名目は適当に辻褄が合わせてある
「田胡さん、どうでしょう、このまますんなりと帰していただけませんか。まだ、数週間の余裕がある筈ですし。」
こちらも全て知っているのだぞ、という意味を込めて言い放った。少しでもけん制になればいいのだが。
取り囲んでいる人込みを掻き分けて表に出ようとしても、田胡氏は何も言わなかった。いずれ日が迫ってきたら強引に拉致するつもりだろう。
車のところまで戻ってみると、車は見事に廃車寸前にまで解体されていた。
「借り物なのにもどうしてくれるんだ。」
私が近づいていっても車を解体しつづけている男に怒鳴りつけた。
「いや、何でもないんだ。すまない、続けてくれ。」
理屈が通りそうに無い、初めてまざまざと見たインスマス
別荘地の中でも一番湖岸よりの家だったので、国道までは相当距離がある。後ろを振り返ってみると、ぞろぞろと私の跡をてんでバラバラに着いて来る。普通の人間としか見えない男もいれば、一目でインスマス
十二月ともなるとこの時間でもかなり暗くなってきている。暗くなると奴らの動きは早くなって来る。太陽が出ているうちにここを立ち去りたかった。
私がちょうど別荘地の半ばぐらいの所まで走ってきたところで、日が暮れてしまった。奴らも後ろから追ってくる者だけではなく、横からも現れ始めた。前を塞がれれば一巻の終りだ。
(んぐるふ、ふたぐん。うがふたなる、ふたぐん。)
地下から湧いてくるようなくぐもった声が聞こえてきた。上空では見たことも無い鳥が旋回を始めた。鷹のようだが、鷹ではない。
(テケリ・リ、テケリ・リ)
鳥の鳴き声なのか、誰かの、或いは何かの呻き声なのか。神経を逆なでするような音が周囲を包みだした。
(もうここまでか。)
私が諦めかけたとき、タイヤを鳴らして緑のBMWが目の前に滑り込んできた。
「早く乗って!」
聞き覚えのある女の声だ。確かめもせずに私が乗り込むと、車は急発進した。
何人か、或いは何匹か?を引っ掛けながら車は暫くして国道に出た。
やっと落ち着いて運転席を見ると、そこにはマリア=ディレーシアの映画女優のような整った顔が在った。
「お久しぶりね、ミスター綾野。」
「マリア、取り敢えずありがとうと言っておこう。でも
「私は和田支部長の命令で日本にミスター綾野の手助けをしに来ました。それとマーク=シュリュズベリィとも既に接触しました。彼とは協力関係が結べそうです。それと、CIAについては今後一切手出しをしない約束を交わしました。敵は少ないほうが好いですから。」
「CIAは敵なのか?」
合衆国の意向をそのまま受けている立場でもないようだ。
「敵に回りそうな組織を敵対させないように配慮している、と思ってください。ただ、アーカム財団もプロヴィデンス支部、ニユーヨーク本部、極東支部それぞれの利害は必ずしも一致していないのです。とても悲しいことですが。」
マリアはどこまで掴んでいるのか。そしてどこまで信用しても好いものなのか。とりあえず、命の恩人には違いない。
「ただ、今回のことは、事が事ですから協力体制が出来つつあります。もう20日しかないのですから。」
私は岡本浩太君の捜索に手を貸して貰えるよう頼んだ後、他にいくつかの頼みごとをしてマリアと別れた。近々大きな動きがある筈だ。ダゴン秘密教団からの接触は必ずあるだろう。それと岡本浩太君を攫った?誰かも。
アーカム財団も全力を挙げて護衛してくれるそうだが、結局財団も私から情報を得たいことには違いが無かった。
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