第37話 データの検証③

 部屋に戻った綾野は最近のごたごたで中途半端になっていた仕事をやり始めた。以前から稀覯書の日本訳を出版する計画をアーカム財団から要請されていたのだった。そのために様々な稀覯書を財団から託されている。勿論自らが手に入れた稀覯書も数多くあるので、出来うる限り翻訳して日本国内においても現状の認識を高めてもらう一助にしたいと切実に思っていた。


 今は「妖蛆の秘密」に取り掛かっている。ルドウィク=プリンの著した世界でも有数の稀覯書だ。既に四分の一は原稿が出来ていた。


 気合を入れて続きに取り掛かろうとしたときだった。綾野の部屋に誰かが訪ねて来た。


「先生、今日検査結果が出る筈じゃ無かったのですか。」


 岡本浩太だった。確かに今日検査結果を聞きに行くと浩太には話してあった。


「いや、他に渡したデータとの検証を含めて明後日にもう一度行くことになっている。」


「先生、逃げましたね。」


 浩太には隠せなかった。浩太自身が既に完全な人間ではない告知を受けた経験があるからだ。持ち前の明るい性格で特に周りに気を使わせるようなことはない浩太だったが、本当のところは浩太自身にしか解らない。ただ、同じ立場の綾野の気持ちは理解できるのだ。


「君には隠しても仕方ないな。君の言うとおりだ、私は結果を確認するのが怖かった。充分予想できる筈の結果をね。ただ言い訳をさせてもらえるなら、恩田助教授の態度からして、もしかしたら君の結果とはまた違う結果が出ている可能性もあるんだ。」


 綾野は多少ばつが悪く説明した。ただ説明している自分の言葉で再確認した気がした。恩田助教授は何かを隠している。綾野のデータの件とは別にだ。確かめる必要があると思った。


「先生、どうかしましたか。」


 考え事をしている綾野に浩太が問い掛けた。


「うん、ちょっと今考えていたのだが、君も明後日の午後に一緒に恩田助教授のところに来るかい。データの検証するサンプルには君のDNAも入っていることだし。」


「ぜひお願いします。」


「多分新山教授や杉江くんも来るだろうし、みんなで話を聞くことにしよう。」


 綾野は一人で聞くのが怖い、という感情とやはり他人には知られたく無いという感情の狭間に居たのだが、思い切ってそう言った。何かが起きそうな予感、特に最近強くなりつつある不安の正体がその時に判明する気がするのだ。


「火野から連絡があって明日の朝にはデータが入手できるそうです。それと綾野達にはその翌日にこちらが許可した範囲のデータを渡すように指示したと。」


「それでよかろう。クリストファーよ、お前も明日琵琶湖大学に火野たちと一緒に行くのだ。行ってお前が判断しろ。火野ではこちらに対してもデータを隠してしまう可能性がある。特に火野が別に恩田に渡したデータとの分析結果が重要なのだ。」


「別に渡したデータ、そんなものがあったのですか。」


「そうだ。」


「橘良平のデータ以外に、という意味なのですか。」


「くどいな。お前は何か不満でもあると言うのか。」


「いえ、決してそのようなことは。」


 クリストファー=レイモスにとっては全くもって不満だった。極東支部長の新城敏彦に対するかのような扱いだった。ナイ神父は側近中の側近である筈の自分に何の相談も無く直接火野将兵に指示を与えている。神父の考えは人間の思いつく範疇には収まりきらないとは思っても不満は残ってしまう。だが結局はナイ神父に従わざるを得ないクリストファーだった。

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