第35話 データの検証①

「桂田君はまだ行方不明のままなんだね。」


 答えは判っていたが聞かずにいられない綾野祐介だった。


「ええ、実家の方にも一切連絡を取っていないみたいです。」


 岡本浩太は桂田利明が病院から姿を消して以来ずっと行方を探しているのだが、今のところ何の手掛かりも得られていなかった。


「橘の消息も掴めないままだしな。」


 橘良平の行方はイギリスに入国した後全く掴めていない。恩師という人に連絡をしてみたが、来ていないし連絡もないという返事だった。


「そういえば、新山教授はどうしているのだろう、あれから何の連絡も無いけれど。」


 新山教授は何等かの約束をツァトゥグアと交わした筈だった。何もないのにヴーアミタドレス山の洞窟までついて来るはずがない、というのが綾野と岡本浩太の共通の認識だった。


「杉江にちょっと探りを入れてみたんですけど、あまり話してくれないんです。新山教授の個人的な話が深く関わっているらしくて。でも、杉江はそれがひいてはすべての人類にとっての希望となるはずだと言っていましたからある程度予想できそうな話ではありますよね。」


「そうだな、教授には病弱な娘が居ると聞いたことがある。その辺りなんだろうな。」


 不老不死の研究をしている、と噂されている新山教授だった。教授によってトカゲの再生能力を応用する動物実験はかなり進んでいるといわれている。ツァトゥグアの細胞を持ち帰ったとしたら相当なデータが得られるだろう。もしかしたら本当に不老不死が可能になるかもしれない。新山教授ならば、と思う綾野だった。


「この実験結果は特に興味深いものがあるね、杉江君。」


「確かに。でも何を意味しているのでしょうか。」


「例の遺伝子を同時に組み込めばかなりの確率で効果がある。ただ問題は効果が無い部分が存在する、ということだな。」


 世間で噂されている通り、新山教授と杉江統一はある種の実験を繰り返していた。ただ、それは不老不死の実験ではなかった。


「もう少し繰り返してみよう。脳と心臓、この二つが蘇生しなければ何の意味も無い。」


「教授、あせりは禁物です。時間はもう少しある筈です。確実な方法を見つけ出しましょう。」


 杉江には新山教授のようにこの実験を続ける個人的に理由は無い。ただの好奇心だった。ただそれだけに、個人的な理由を持っている教授のためにこの実験を成功させたいと思っている。


「ところで杉江君、例の遺伝子は一体何処で手に入れたものなのだね。人間の遺伝子が突然変異したものとも思えない。ツァトゥグアから採取したものとも似ているが違う。より人間に近いものだ。」


「それは。」


「聞かない約束だったな。まあいい、いずれ君から話してくれる時を待つとしよう。」


「すいません、教授。遺伝子を渡してくれた人とそういう約束をしたものですから。」


 例の遺伝子。それを杉江統一に渡した人間の正体は杉江にも判らない。ただ相手は杉江達がヴーアミタドレス山の洞窟から何を持ち帰ったのかを正確に把握していた。


「僕が誰か、ということより実験を成功させることが大切だとは思いませんか。ツァトゥグアの遺伝子をそのままどのようにして組み込もうと成功はしません。これはツァトゥグアではありませんが、別の旧支配者のもので実験済みです。僕たちの実験よりも彼方達の方が数段優れた実験者のようですからある程度の成果はでるでしょうが、必ず行き詰まってしまうでしょう。そこで必要になるものがこれなのです。人間と融合したツァトゥグアの遺伝子。こまで言えば誰の物かは判るでしょう。」


「まさか、行方不明になっている?」


「その通りです。彼の身柄は僕達が確保しています。もう一人、橘という人も。」


「橘といったら綾野先生の後輩でイギリスに行ったまま行方不明になっている人だな。君達の目的は一体何なんだ。」


「彼方達とそれほど違わない、とでも言って置きましょうか。そして、その二人は彼方達に対する人質でもある、と言う事もね。」


 それは杉江とほとんど変わらない若い男と女だった。女のほうは一言も話していない。


「どうしろと言うんだ。」


「この遺伝子を使って実験を完成させて欲しいのです。それが人類にとって有意義であるのならば、そう願うのは当然でしょう。」


「ならどうして人質なんかを取ったりするんだ。普通に協力してくれればいいじゃないか。」


「僕達には僕達がやりたい実験もあるのですよ。それと実験データはすべてコピーを頂きます。新山教授も彼方も実に有能だ。成功させるのも早いでしょう。ホラー映画のゾンビのような半端な死者蘇生では無く完全なる死者蘇生をね。」


 杉江統一には逆らう術は無かった。


「確かに杉江君の行動には不審な点が多い。ただ今のところ私の研究に多大な功績を生み出していることも事実なのだ。」


 綾野祐介は生物学教室に新山教授を訪ねていた。ヴーアミタドレス山の洞窟から持ち帰った筈のツァトゥグアの細胞について、教授に糾すためだった。拍子抜けするほど教授は事実として認めた。そして、その後の研究の経過を説明してくれたのだった。ただ、ツァトゥグアの細胞の他にもう一つ重要なものが杉江統一によってもたらされたという話だった。それは多分人間の遺伝子なのだろうが、完全に人間とは云えないものだ。もしかしたら岡本浩太か綾野自身の物ではないだろうか、というのが新山教授の意見だった。


「岡本浩太君のDNAは人間のものとは約3パーセント程度違っているとの結果が得られています。その時のデータや標本はもしかしたら入手出来るかも知れませんね。私はまだ調べてもらっていませんから。多分岡本君と同じような結果が出るでしょうね。ただ、桂田利明君のDNAは人間のそれとは約55パーセントも違っていたようです。教授が提供されたものはどうだったのですか?」


「私が杉江君から提供されたものはその二つのどれでもないようだ。とすると一体だれものなのだろうね。」


 岡本浩太と同時間ツァトゥグアに吸収されていた綾野や橘はDNA鑑定の結果も同様の筈だ。とすると他に提供者がいることになる。深き者どもやインスマスづらのDNAデータは揃っている。アーカム財団はトウチョ・トウチョ人のDNAデータさえも入手している。それらとの比較を綾野は新山教授に申し出た。


「杉江君に確認を取ってからにしてくれたまえ。一応彼からの提供なのでね。」


「新山教授、それなら今からでも杉江君を呼んで比較を依頼しましょう。岡本君のデータは付属病院の恩田助教授のところにある筈ですから。」


 新山教授が大学の寮に居る筈の杉江統一に連絡を取ろうとしたが、杉江は不在だった。綾野祐介はとりあえず新山教授に例の遺伝子の提供を依頼して付属病院に向かった。自らのDNAを鑑定してもらう為だった。先日来恩田助教授にも検査を勧められており、綾野自身も(3%程度人間離れしていることの)確認のために、多少の勇気が必要ではあったが決断したのだ。


「結果が出次第連絡させていただきますよ。それで新山教授の方は、あちらからの連絡待ち、ということでいいのですね。」


「そうしてもらえますか。あと、もっと他のものとの比較もお願いすることになると思います。そっちの方は私が連絡を入れさせていただきますから。」


 綾野祐介はアーカム財団の持っているデータを持ち込むつもりだった。部屋の戻ってアーカム財団のマリア=ディレーシアに電話を入れた。


「判ったわ、こちらにも後でデータを提供していただけるのなら私の方でなんとかしてみるわ。でもミスター綾野、気をつけた方がいいみたいよ。星の智慧派の動きがかなり活発になってきているわ。クリストファー=レイモスはナイ神父の腹心だということは知っているわよね、でも最近ちょっと違う人物の動きが入ってきているの。火野将兵と風間真知子という二人組みなんだけど、彼方の恩師の橘教授を亡くなる前に訪ねていたのがその二人だったらしいわ。それと最近桂田利明君の周辺にも現れていたとの情報も入っているし。もしかしたら桂田君が行方不明になったことにも絡んでいるかも。」


「判った、その二人の写真でも手に入ったら送っておいてくれないか。それとさっきの話は早急に頼むよ。」


 マリアは出来るだけ早い時期に直接恩田助教授にアーカム財団が持っているデータの提供を約束してくれた。

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