第10話 クトゥルーの復活
湖中よりごごごっと云う音と共に神殿が浮上しだした。島ごと浮き上がってくるのだ。そして、別荘地は丁度その浮上した島と繋がった。地下に作られていた祭壇は地上へと移動されている。そして、そこには生贄にされた死体から取り出された心臓が二つ並べされている。この心臓がクトゥルーを封印している旧神の<大いなる印>に代わるとき、クトゥルーの封印は完全に解かれるのだ。今まで幾度となく試された方法では、一度解けた封印は直ぐまた元に戻ってしまう。この方法では今回が初めてだ。そして、最後になると田胡氏は信じて疑わなかった。
(ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるうるるいえ うがふなぐる ふたぐん)
詠唱が始まった。ほぼ人間に近い声と、とても人間とは思えないくぐもった声。周囲を鷹ではないが鷹に良く似た禍々しい鳥が数え切れないほど旋回している。空は墨で塗りつぶしたように見えた。
インスマス
(ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるう るるいえ うがふなぐる ふたぐん)
ただ繰り返しその言葉が詠唱される。
「ルルイエの館にて死せるクトゥルー、夢見るままに待ちいたり。」
田胡氏にはあまりにも耳慣れた言葉だった。
ごごごぅ。島の中央部は更に盛り上がって
島の中心にあるルルイエの館であるところの神殿は、その殆どが地下に埋もれてしまっている。そして入り口のみが古代ローマの神殿のように聳えていた。入り口までの階段は到底普通の人間のサイズを考慮して作られたとは思えない。1段が2m以上あるのだ。そして、水中に沈んでいた所為で、あるいは違う意味でぬるぬるとぬめっていた。
(ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるう るるいえ うがふなぐる ふたぐん)
さらに詠唱は続く。そうして、島の浮上は止まった。ごごごごぅ。ぐふっぐふっぐふっ。表現しがたい音が神殿の入り口から聞こえてくる。何かが巨体を引きずって地下通路の階段を登って来るようだ。
表現しがたい音は少しずつ近づいてくる。詠唱は続く。すると、詠唱を続けているインスマス
儀式が最終段階を迎え、田胡氏は用意した二つの心臓を持ってルルイエの館たる神殿に向かって進んだ。<大いなる印>には近づくことは出来ても触れる事はできない。深き者どもでは近づくことすら出来ないのだ。
正にクトゥルーがその姿を現そうとしたとき、田胡氏は二つの心臓と大いなる印を取り替えるべく大いなる印の前に立った。二つの心臓を持っていれば触れられる
(ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるう るるいえ うがふなぐる ふたぐん)
「我が主、クトゥルーよ。幾億の夜を越えて復活の時に至った。その姿を我の前に見せたまえ。」
決して人間には発声出来ない声で叫びつつ、田胡氏は<大いなる印>に触れた。
「うおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ。」
全身が砕け散るような激痛が田胡氏を襲った。<大いなる印>には触れられないのか。どういうことだ。高々と掲げられた二つの心臓は田胡氏の手の中から落とされた。
「なんだ!」
田胡氏の手から心臓を落とさせたのは二発の銀製の特殊な銃弾だった。
「そうはさせないわ。」
マリアだ。そして、いま一人。
「綾野、お前が生きているとすると、これは一体?」
田胡氏は落とした心臓を拾い上げようとした。しかし、更なる銃弾によって阻まれた。
「貴様は、ラバン、ラバン=シュリュズベリィ。生きていたのか。」
マークを従えたラバン=シュリュズベリィだった。そして、その横に綾野祐介、岡本優治、岡本浩太とアーカム財団の極東支部のメンバーたち。
「それは本物の心臓だよ。ただ、儀式に必要な3日間生き埋めにされた死体から取り出したものではなく、あの日事故で死んで墓場に埋められた気の毒な人たちのものだ。だから、儀式には使えないんだよ。」
田胡氏は愕然と立ち尽くしている。空には米軍の戦闘ヘリが数機旋回して大きな音を響かせていた。
「お前の望みは絶たれたのだ。大人しく云うことを聞くのだな。」
ヘリは神殿の入り口にナパーム弾を落とし始めた。クトゥルーに直接効果がある訳ではないが、動きを少し止めることなら出来る筈だ。<大いなる印>が健在なままなら、それで十分だった。
「うおおおおおおおぉぉぉぉぉ。」
表現できない叫び声で田胡氏は叫んだ。悲しみに満ちている叫び声だった。
「なぜお前達は毎度毎度私の邪魔をするのだ。他の何よりも我が主クトゥルーさえ復活すれば旧神に対して全ての封印を解かせることもできように。」
儀式に参加していたインスマス
入り口で足止めを食っていたクトゥルーはヘリの操縦者を1名狂気に引きずり込み、戦闘ヘリは一機墜落されてしまったが、儀式が完成しないまま再びルルイエは沈下を始めた。水棲の旧支配者であるクトゥルーなのだが、その体の全てが一度地上に出ないことには封印は解けないのだ。
残ったのは田胡氏、ただ一人となった。
「あなたも、ヒュドラのようにそろそろ冬眠されるか、大人しく封印されたらどうですか。」
「私の正体にも気づいていたのか。食えない男だな。」
ジュリュズベリィ博士はマークに支えられて祭壇のところまできた。
「久しいな、ダゴンよ。手下どもはほぼ全滅したぞ。もちろん、ここと同時にインスマスも襲撃をしたのであちらに残っている深き者どもも全滅だ。そろそろ諦めんか。」
「私が我が主を復活させようとしている訳がお前達人間に判ってたまるものか。お前達は目の前のことだけで精一杯で地球全体、宇宙全体を慮る我が意思を無駄にするのだ。これから先も同様のことが繰り返されるであろう。だが、私は決して諦めはしない。我が主は次の機会を待たなければならんが、違う主神クラスの旧支配者の封印を解くことに各々の従者達が死力を尽くすであろう。我が主を復活させる術は既にこの手に入れたのだ。他の者達も同じように自らの主を復活させられないと思うな。」
途中から田胡氏であった物体はその形状を留めなくなってきた。ダゴンである本来の姿に戻りつつあるのだ。こうなっては空爆でも火炎放射器の直接攻撃でも、ましてや拳銃などでは太刀打ちできない。
「ダゴンよ、お主が諦めないのなら、わしらも諦めないだろう。わしの意志を継ぐもの達もだ。それとナイアルラトホテップを余り信用せん事だな。奴が本当に望んでいることは推し量ることが出来ない、それはわしらにとっても、お主にとっても同じ事だ。」
ラバン=シュリュズベリィの言葉を聞いていたのかどうか、その終わりと同時にダゴンは湖に身体を躍らせた。湖中にも網を張って捕獲できるように対処してあるのだが、仮にも海神ダゴンその人だ、無駄な努力に終るだろう。
私達は沈みきってしまったルルイエの残した波紋を見ながらやっと一息つけたのだった。
「しかし、本当に生き埋めにされるところだった。あと数分遅ければ蘇生できなかっただろうな。」
一網打尽にするために儀式は順調に進んでいるように思わせなければならなかったので、生き埋めにされた私達はぎりぎりのところまで、そのまま放置されていたのだった。見張りが気を許したときに取り敢えず空気穴だけは確保した上で。
一度見張りを襲撃し、墓場を離れた間に私達を助け出して、違う死体を埋め何事も無かたように元通りに戻しておいたのだ。
「危機一髪とは正にこのことですよね。」
岡本浩太君は若さゆえ回復も一番早かった。
「祐介や浩太には言い訳が出来ない。本当にすまなかった。私も一緒に捕まえてくれ。」
「いいじゃないか、命も助かったことだし、お前も判ってくれたことだし。」
一番の理由は由紀子さんの悲しむ顔が見たくなかったのだ。
「綾野先生、これからどうするんですか?」
シュリュズベリィ博士からはセラエノの来ないかと誘われたのだが、マーク達と一緒に地球で旧支配者や古きものどもと戦う活動を続けるつもりでいた。クトゥルーについては25年は大丈夫な筈だ。
「それにちょっと直ぐにやらなければならないことがあるんだ。」
私には2つやらなければならないことがあった。ひとつはドーン博士に彼女の夫の消息を知らせることだった。ロルカ=ドーンことエイベル=キーンはダゴン秘密教団によって既に殺されていた。例の文書についての情報を得るために拷問を受けている最中に急死したのだ。どこまで、どんな言葉で彼女に告げるかが問題だった。
そしてもう一つは私達の身代わりになってもらった心臓を本来在るべきところに戻してあげる、ということだった。此方の都合で遺体を損壊してしまったので、私にも大きな責任があり、自らの手で持って戻してあげたいと思ったのだ。
墓について二人の墓を掘った。心臓を取り出した後、そのまま埋めてしまってあったからだ。遺体を掘り出して心臓を戻した。
お棺に入れて再び埋め戻そうと土をかけ始めたとき、がさっという音がした。だれかが手伝いに来てくれたのかと振り向くとそこには驚愕の眼差しで私を見つめる駐在さんの姿が在った。
有無を言わせず私は逮捕されてしまった。身柄を引き取る本部からのパトカーも信じられないほど迅速に来た。その間、私の話は全く聞いて貰えなかった。外部にも連絡を取らして貰えない。たまたま居合わせた新聞記者がぎりぎり間に合う朝刊に記事を送ることも止められなかった。
そして、一旦私は遺体を盗もうとしていた「墓場荒らし」としてセンセーショナルに報道されてしまったのだ。さすがに第一報なので本名は伏せられていたが。
だが、事実は多少異なるのだ。私は遺体を盗もうとしていたのではなく、戻そうとしていたのだから。
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