第9話 復活の儀式
生贄の準備が整ったので、ダゴン秘密教団の人とは云いがたい者達が、クトゥルー復活の儀式の準備に取り掛かった。
生贄の墓には3日間寝ずの見張り番を置いてある。深き者どもは3日くらいなら寝ないでも問題ない。ダゴン秘密教団の大司教、田胡は生贄以外の儀式に必要なものを集めるように指示を出した。
その中の一つが「ネクロノミコン」だった。これは大英博物館のものでも、ミスカトニック大学所蔵のものでもない。星の智慧派が極秘に所蔵していたものを、今回何故か提供してくれたものだった。勿論、儀式が成功したあかつきには、丁重に返却することになっている。
田胡氏は星の智慧派を信用しているわけではなかったのだが、他に入手する方法が無く、正確な儀式の方法は「ネクロノミコン」から類推するしかない状況の中で、仕方ないと自分を納得させていた。別に偽者を掴まされた訳ではないようだ。田胡氏は星の智慧派を率いるナイと呼ばれる男が、主の味方なのか敵なのか判別がつかないのだった。
「これで、後は生贄の二つの心臓だけだ。」
星の智慧派の動向は不明瞭であったが、その他のことは自らが画策したとおりに進んでいる。ミスは無い筈だし、許されないことだった。
アーカム財団の関西本部はインスマス
結局綾野の云っていた内容については、聞き出した解読法で全て確認できた。意外にも本当のことしか云っていなかったのだ。
「馬鹿正直な奴め。いったい何がしたかったのか。自らの命を捨ててしまっただけだ。愚かな、としか云い様がない。」
知識があり、能力的にも問題はないが『好奇心、猫を殺す。』といったところか。教団に忠誠を誓うのなら、自分の右腕にでもなろうものをと妙に惜しくなってしまった。
「生贄になぞ、しなければよかったか。」
あまり物を考えようとしないインスマス
ただ、それもこれも主であるクトゥルーが復活さえすれば問題は無かった。自分は命令に素直に従うだけでよいのだ。考えるのはクトゥルー自身が全てやってくれる。旧神との戦いのときもそうだった。田胡氏はただ命令されるがままに無心に戦っただけなのだ。創造者に対して叛旗を翻したあの戦いは、負け戦であったが今度はそうは行かない。二度と同じ過ちを繰り返す訳にはいかないのだ。旧神自身は全く復活しそうな兆しはない。旧支配者たちをあちらこちらに幽閉して安心しきっているのだ。
田胡氏の元に情報がもたらされた。アーカム財団のプロヴィデンス支部長の和田という男が日本に帰国したらしい。そう云えば和田支部長の右腕だったマリアとか云う女が一足先に入国している筈だが、先日の関西支部を急襲した時も死体は確認できなかった。
財団としては組織的な反抗は大打撃を受けた今、到底無理な筈だ。和田支部長やマリア個人ではどうしようもないのだ。合衆国などでは国家そのものが、大きな敵になって立ちはだかるのだが、日本では政府としての対応が出来るわけでもなく、そういう意味ではアーカム財団以外の抵抗を受けることは想像も出来なかった。別荘地地帯一体を空爆でもしない限り、儀式を止める事はできないのだ。日本国政府にそれだけの度胸も器量もない。田胡氏は安心していた。
ただひとつ、何かひっかかるものがあった。なにかひとつファクターが足りない。登場人物に主役級の役者が欠けている芝居を見ているかのようだ。日本の警察やCIAなどではない。もっと我々に対して力を持った何かだ。
「浮上はいよいよ明日だ。儀式は午前10時より執り行う。スペアも含めて6体の死体から心臓を取り出す作業は9時までに終えて準備を整えて置くように。」
最後に必要な生贄について指示をだして田胡氏は主の復活を待った。何もかも明日だ。何億年と続いてきたことだろう。明日やっと終焉を迎え、旧神に対して攻勢に出ることができる。田胡氏、いやかの旧神との戦いの時代、ダゴンと呼ばれていた古きものどもの海神は無性に嬉しかった。人前で人間の姿でいるのも明日までだ。主が復活したのなら旧神達の怒りを買わないように目立たない人間の姿でいる必要はない。
ヒュドラがクトゥルーの復活を阻止しようとする米軍の攻撃で傷つき冬眠に入ってしまってから、数十年、ただ一人で準備を重ねて来た。ほぼ25年周期で浮上するルルイエにはクトゥルーだけではなく、一緒に封印されてしまったダゴンの同族たちもたくさんいる。
よく、ダゴンとヒュドラが父なる、母なると呼ばれることから夫婦のように勘違いされることがあるが、かれらは基本的に雌雄同体であって、父なる、というのはあくまで比喩的な表現である。たしかにダゴンとヒュドラは同属であり、クトゥルーの従者としても重要な位置を占めているので、並び称されることが多かった。だが、人間世界で云う夫婦というような捉え方は間違っている。
こんな辺鄙な星の海底都市に封印され、人間というような下等動物の手を借りなければ自らの主を復活させることが出来ない自分を責めることもしばしばある。それも明日で終ろうとしていた。
そうして運命の日は訪れたのだった。
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