第20話 それぞれの試練①

 ひとり残された形になってしまった岡本浩太だったが、ただ黙って待つのは彼の性に合わない。


 ツァトゥグアとアブホースに関する情報をインターネットで検索をしてみた。日本国内のサイトにはほとんど情報はなかった。小説の題材として取り上げられているものに関する情報は種々掲載されているのだが、現実のツァトゥグアやアブホースについての情報は皆無であった。


 それはそうだろう。日本国内のクトゥルー神話関連の研究機関や協会などは「神話」として捉えているだけで、アーカム財団のように現実の問題として把握している団体はなかった。


 そして、そのアーカム財団にしてもツァトゥグアの情報は何も持ち合わせてはいないのだった。また、持ち合わせているとしても、果たして桂田の命を救うためだけにツァトゥグアやアブホースの封印を解く方法を教えてくれるだろうか。探すのを手伝ってくれるだけでも考えられなかった。


 それにしても、どうして自分はこうも危機的な状況に追い込まれてしまうのだろう。前回のクトゥルーの時は伯父である岡本優治の行方が知れず、捜索をしている過程で関わってしまった。


 今回は桂田にしても自業自得の面はあるのだが、自らが撒いた種、という意味では自分も違いはない。どうしても桂田の命を救う方法を考え出さなければならないと思った。


 綾野と橘がそれぞれ旅立って行ってからもう一週間が経とうとしていたが、二人とも現地に着いた旨の連絡がメールされて来た後、連絡が取れなくなっていた。調査が何処まで進んでいるのか、皆目見当がつかない。それどころか、何らかの事件に巻き込まれている可能性もあった。綾野の方は何度も訪れている場所であり、ミスカトニック大学付属図書館の館長は旧知の人だという話なので、手間はとらないと言って出かけたのだが、どうも心配だ。


 橘助教授の方は留学先の恩師が大英博物館の関係者なので、無理を承知で頼んでみると言っていた。本来の理由を話して理解してもらえるとは二人とも考えてはいない筈だった。


 浩太はとりあえず、一つの方法として綾野先生の蔵書を調べてみることにした。前に見せて貰ったとき、翻訳途中のものや、暗号解読が済んでいないものが結構あったことを思い出したのだ。綾野先生の部屋や講師控え室の鍵は預かっている。浩太は早速講師控え室にこもって蔵書を調べだした。


 ルドウィク・プリンの『妖蛆の秘密』やダレット伯爵の『屍食教典儀』、フェォン・ユンツトの『無名祭祀書』、作者不明の古代文書である『ルルイエ異本』、『ヨス写本』、『ナコト写本』、そして『エイボンの書』等々。


 その殆どが写本であり、彼方此方綻んでいるものを何とか解読しようとしている最中のものばかりなので、浩太ではどうしようもなかった。


 特に『ヨス写本』、『ナコト写本』、『エイボンの書』の3冊はツァトゥグアについての言及が多いとされている文書なので、期待が出来る筈なのだが、解読しようとしている文書その物の真偽が問われるようなものも多く、解読は進んでいない、と綾野先生は溢していた。


 先にクトゥルーの復活方法を解読したときは、元の文書自体は確りとした記述があったので如何に解読するか、ということに気を使えばよかったのだが、此処にあるものについては、元の文章についても擦り切れていたり、破損していたりと完全ではなかった。解読以前の問題なのだ。


 それでも、綾野先生は独自にある程度の解読を進めていたらしく、文書別にノートを作って解読途中の経過やメモが記載されているものが数冊あった。結婚もせずにこんなことばかりを部屋にこもってやっていると、精神衛生上好くないとは思うのだが、性分なので仕方がない、とよく綾野先生は言っていた。暗いと言われても仕方ないだろうな、と浩太は思った。綾野先生の部屋は本に埋もれており、到底女性を通せることができるような、スペースは見つけられそうもなかった。


 さらに、その辺りにあるノートをパラパラと捲っていると、ノートの間から一枚の便箋が落ちた。つい最近書かれたような新しいものらしかったが、その内容はアーカム財団のプロヴィデンス支部長、和田圭一郎氏への手紙の下書きだった。反故ほごにしようとして忘れていたのだろうか。


 その手紙の内容は、あの発見された縦穴を調査しないように強く勧めるものだったが、その理由は実に驚くべきものだった。


 鈴貴産業の拝藤という女性からの申し出というか、情報提供によるものだったが、それは確かに調査を再開する訳にはいかないと納得できるものだった。特に今、この状況下に置かれている浩太にとっては身にしみて判るのだ。浩太はつくづく、自分と桂田の軽率な行動を悔やんだのだった。


 文章の内容は、今岡本浩太達が置かれている状況をそのまま予言しているものだった。ツァトゥグアの封印を解くために必要なものを探させるために、人間、特に綾野先生や橘助教授たちをあのヴーアミタドレス山に誘き寄せようとして空けられた穴だったのだ。


 そのためにどういう方法で造ったのかは判らないが、旧家の床に在り得ないコンクリートの縦穴を開けたのだ。人間の仕業とは思えなかった。ただ、ツァトゥグアにそれだけの実世界に影響できる力が在るのなら、とうに復活していても良さそうなものである。となると違う何かの仕業であろうか。いずれにしても浩太の想像の域を大幅に逸脱していた。

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