第31話 闇夜の再突入

 西暦218年。邪馬台城を再び襲撃する時期は梅雨入りしたさくの夜と定められた。その選定理由は弩弓の無力化である。ホノギを射殺された精神的後遺症に決断を促された面が大きい。篝火かがりびも焚けぬ雨夜となれば、射的能力は盲撃めくらうちも同然。恐れるに足りない。

 勿論、稲刈り直前まで引き延ばし、兵糧攻めを試みる策も採り得ただろう。その方が損害軽微で済む戦術だ。半面、痺れを切らした熊襲兵が暴動を起こす危険性も高まる。更に言えば、斯蘆しろ兵が加勢したとの情報も聞こえ、浮々うかうかしていられない情勢だった。

 もっとも春先から既に、シオツチは下準備を周到に進めている。城内の糧秣を枯渇させんと、筑紫平野の方々で流言を広め、心理諜報戦を展開していたのだ。

「城の米蔵に積まれた米俵は張りぼてだったのでは?」

「どう言う事だい?」

「噂に拠れば、沢山の米穀こめが焼き討ちされたとか」

「ああ、そんな話を俺も耳にした」

「俺達があらためた米蔵の奥はからだったんじゃないの?」

 軍略家の故事付けであったが、偶然にもオモイカネの欺瞞を見事に言い当てていた。真偽を確かめようにも穀物庫の守衛が立ち入らせぬだけに、庶民の不安を煽る効果は絶大であった。

「だったら、如何どうするのよ?」

「預米を引き出しちまえ!」

「でもよ、梅雨に入れば、米が駄目になっちまうぞ」

「それまでは様子見を決め込むのさ。大丈夫そうだったら、また預けりゃ良いさ」

 こうして、奸智な御膳立てが効を奏し、例年にない進度で備蓄米が減り始める。


 夜行性の動物や昆虫が活動を始める頃に戦端は開かれた。下弦の弓張月が顔を覗かせるにしても、それは夜明け前。4組の特務隊が各城門の前に集結した深更の時点では、厚い雨雲が夜空を覆っている。翌朝までは一切の自然光を期待できぬ、奇襲には持って来いの天候であった。

 東西南北の門構えはれも似たり寄ったりだが、門松ならぬ、1対の炬火柱が左右を固めている。門扉の開閉を邪魔せぬ場所に竪穴を掘り、壁高の半ば辺りに光源が定まるよう、太い柱が差し込まれている。青銅製の傘を被せてはいるが、風が吹いて横雨となれば、無用の長物と化すだろう。

 そうなれば、真面な光源は箭楼せんろうの炬火台だけに限られる。但し、城壁の高さは身の丈の約3倍。地表を照らす灯光は気休めにしか成らない。城門前の哨兵にとっては心細い闇夜であった。

 城門と城門を結ぶ円周部分に至っては警戒を諦めたも同然だった。彼らにとっての第一防衛線は城壁の内側を環状に囲った水堀と土塁なのだ。

 城壁の天端てんばに並んだ燈火は、足許を照らすべく、歩廊の低い位置で燃えている。その光線は、歩廊の両側に伸びる胸壁に遮られ、外周の壁面には全く届かない。つまり、城壁伝いに無音で移動する限り、頭上の巡回兵に気付かれる可能性は極めて低い。

 忍び足で駆け寄った特務隊が、煉瓦の絶壁に張り付き、蟹歩きで城門へと接近する。各人が背負った数十の大竹筒は投擲弾だ。大量のいわしを煮沸し、湯面に浮いた油層を掬った燃焼油が入っている。酸化すると鼻を突く異臭を放つが、栓をしているので問題無い。

 揺れる影に隠れて指呼の距離まで迫ったら、短弓で歩哨を仕留める。そこからは時間との勝負だ。炬火柱を掴んで引き摺り、門扉に倒れ掛ける。薪の巻き上げる火の粉が天を衝く。油筒の一つを斧で割って魚油をち撒ければ、忽ちの内に炎が火柱と化した。

 多少の火焔に舐められようが、門扉の表面を焦がすだけである。丸太の真髄まで焼け落さねば無意味。だから、特務隊の面々は全ての油筒を割り、手当り次第に生臭い液体を撒き散らした。

 不純物の多い劣性油が黒煙を上げる。仮に煙幕が視界を奪わなくても、箭楼せんろうや歩廊に構える城兵は迎撃できなかっただろう。胸壁から大きく身を乗り出さねば、真下の侵入者を狙えない。長く姿勢を保てないばかりか、返り討ちに遭うのが関の山であった。

 反撃を心配せずに済むのだから、攻撃側は好き放題に破壊する。火の回りを早めようと、手斧で丸太に裂目を入れ始めた。力強い打裂音が何度も闇に響き渡る。時々に鋭く軋む音は大木の守護神が咆える悲痛な叫びを思わせた。

 第一の外門を焼き落とせば、次なる標的は第二の内門である。屹立した跳ね橋の前では、大量の水をたたえた内堀が行く手を邪魔していた。左右を煉瓦壁で仕切った構造は侵入者の動きを封じる工夫であったが、貯水槽と見紛みまがいそうな5メートル四方の閉鎖空間が弱点となる。

 魚油を満載した二輪台車が何台も、割竹の掩蔽柵に隠れながら、荒地を疾駆して来た。灯光の届かぬ草叢に潜み、特務隊の戦果を窺っていたようだ。城門までの数百メートルを、(車軸が破損するのでは?)と気を揉む程に全力で駆け抜ける。

 連打性の劣る弩弓の攻撃は1度切り。城門に辿り着いて仕舞えば、弩手の死角となる。それまでに太矢が自分を射抜くか否かは確率の問題。正に生死を賭けた競走だ。僅か数分の移動なのに、兵達には永遠とも感じられる緊張の時間だった。

 突入時の損害を俯瞰してみよう。四つの城門に5台ずつ、都合20台が突入。その内、弩弓の餌食となった数は1台切りだ。標的として小さ過ぎる兵は言うに及ばず、全員が無傷で駆け抜けた。

 水堀に至れば、其処は一種の安全地帯。作戦は成功したも同然である。油筒に裂け目を穿ち、投げ入れるだけ。水飛沫が上がる度に泥水は攪拌され、浮いた魚油が水面に厚い膜を張る。焼け落ちた外門の残り火に照らされ、極彩色の斑模様が怪しく畝っていた。

 指を咥えた城兵が無為に過ごす足元で、指揮官らしき者が最後の仕上げに取り掛かる。「最後の仕上げ」と言っても大した事ではない。小さな炎の踊る小枝を内堀に投げ込むに過ぎない。火に油ならぬ、油面に種火。メラメラと黄色に輝く垣根が伸び走り、周囲の気化した油分を餌として豪火に変貌する。

 着火された閉鎖空間は巨大なかまどの様なもので、うろと化した城門から空気を吸い込み、熱波を上空に巻き上げる。左右両面の煉瓦塀は大丈夫でも、丸太製の跳ね橋は高熱に耐えられない。見る見る内に表皮が黒く変色し、やがて随所で炎を産むに至る。

 襲撃者の退散時期すら把握できなかった醜態事は城側にとって痛恨の極みだろう。来た時と同様、彼らは壁面に沿って現場を離れ、暗闇の中に遠離とおざかって行った。

 こうして、東西南北の全城門は防御機能を喪失。城を守る者にとっては丸裸にされた様な悪夢だ。侵入を阻めぬとなれば、敵に主導権を奪われ、受動的な戦いを強いられる。つまり、第一次攻城戦で痛手を受けた邪馬台城が崖縁がけっぷちに追い込まれた事を意味する。


 翌日の昼過ぎからは半夏雨はんげあめが降り始めた。上空に風の気配は無く、鈍色にびいろに垂れ込めた雨雲は腰を据えている。大気も程々に生温なまぬるい。少なくとも数日間、大粒の雨を落とし続けるだろう。身体を冷やす心配は無用なれど、陰湿である事には変わりない。

――夜襲に打って付けの天気だ。

 ミカヅチは曇天を見上げ、雨滴が顔面を濡らすに任せた。ポチャリと落下した雫が頬を流れる触感。目蓋を閉じて感覚を研ぎ澄ませば、思考力も増すのでは。そう期待しての所作であった。

――問題はの門を潜って来るのか?

 これまでは、兵站上の定石通り、南に本陣を構えた。日向との分断を懸念せずに済む。我らの退路を断つ積りならば、北門か西門からだろう。再び筑紫の領民を巻き込むならば、東門の蓋然性が高い。東に布陣すれば、鉱石の搬入も封鎖し易く、一挙両得だ。

 考えれば考える程に〝俎板まないたの上の鯉〟と化した自らの立ち位置に気付かされる。戦力が限られる中、四門の全てを守る事は叶わず、消去法で城郭中央の宮殿警護を厚くするのが関の山であった。


 武臣の選択は軍師に見透かされている。と言うか、いずれの城門から攻略されようが、臨機応変に駆け付けねばならない。中央に戦力を集める布陣は自明の理であった。

――引き摺り回してやろうかのぅ。

 シオツチは、軍勢を大小二つに分け、少人数の方で南門を攻めさせた。夏至を期近に控えた朔日ついたち、世界が漆黒に染まるのを待っての遅い時刻だ。篠突く雨の中、バシャバシャと水溜りを踏む足音が派手に響く。

 手には地面に向けた銅鐸どうたく松明たいまつの載る金網にかぶせた一種の提灯だ。足元だけを照らし、城兵に所在を知られる恐れは無い。怒鳴るようなときの声を上げ、その銅鐸をも打ち鳴らす。実際よりも多勢と錯覚させるに十分な演出だった。

 冷えた握飯を平らげた直後だった事もあり、箭楼せんろうで警戒監視中の兵は度肝を抜かれた。篝火かがりびは焚いていない。灯光が地表に届かないばかりか、自身を格好の射的にするからだ。つまり、敵の接近を告げる兆候は音声のみ。鼻先すら見分けの着かぬ闇が恐怖心を掻き立てる。

 果敢に応戦しようと立ち上がる城兵も居たが、即座に短弓の餌食となった。城内の全灯火を消しては警備活動が成り立たない。遠灯の僅かな光量が彼らの動きを淡く浮き立たせ、夜目が利く熊襲兵には丸見え同然だった。こうして、犠牲者の再生産が始まる。

 急襲の対象は地上に限らない。箭楼の石垣に身を隠した者も数分後には同じ末路を辿った。敏捷なる刺客が城壁の石段を駆け上がったからだ。占拠を果たした者の役割はもう一つ。概ね同じ高さに聳える物見櫓ものみやぐらの歩哨を射殺す事にあった。空中の脅威を掃討しなければ、その後の侵入工作に集中できない。

 斥候役の兵が跳ね橋の残滓を潜り、城内へと足を踏み入れる。耳を澄ませても雨音しか聞こえない。城民は安眠を貪り続けているようだ。残りの兵は内堀の影に身を潜ませ、短弓を構え直した。城門と跳ね橋とをつなぐ左右2列の細い煉瓦塀の頂きに腰掛け、眼下に矢を向ける者も何人か並んでいた。

 続いて、最も身軽な1人が展望床へと続く梯子を攀じ登り、屋根裏から吊り下がった銅鑼どらを激しく打つ。敢えて城門突破の事実を知らしめる目的だ。兵舎に動きが認められるまで、夜気を震わす金属音は続いた。暗中に視認できる物は無く、闘争本能を燃やす者の心理を突いた効果的な誘導策と言えよう。

 荒い足音と共に南門へと向かった邪馬台軍の兵数は150人。倭人やまとびと斯蘆人しろびとの割合は概ね2対1である。迎え撃つ熊襲兵は数十人。桁違いの劣勢であるが、彼らは陽動作戦を担っている。端から戦果を期待しておらず、足止め出来れば十分なのだ。

 そうは言っても、少しでも多くの獲物を倒さん――と狩猟慣れした心が騒ぐ。地表と空中からの一斉射撃。大広場を横切って殺到する敵に身を隠す場所は無く、壊滅的な打撃を与えられるはずであった。


 銅鑼どらが鳴り止んだのを合図に、北門でも侵攻が始まった。600名強の2個大隊を投入している。ウガヤとシオツチを守護する直轄中隊は、吉野ケ里への逃亡を阻止せんと、西門に移動した。東門には一兵も配置していないが、現人神あらひとがみに筑紫集落へと逃げられれば、家探しを敢行するまでだ。

 城門からの侵入口は、水堀を渡り、焼け落ちた跳ね橋を跨ぐ隘路。一挙に押入る事も出来ず、1小隊に付き1列の槍襖やりぶすまを50列余り重ねた縦陣形である。長槍と盾での戦闘を想定しているが、短弓と矢筒も襷掛たすきがけに背負っている。

 基本的には先遣部隊と同じ攻略法だが、邪馬台軍の背面を突く算段であった。大粒の雨が足音を掻き消し、多勢であっても中々気付かれまい。加えて、駒の進め方にも周到さが窺える。

 南門から入ると眼前には視野の開けた大広場。半面、北門から入ると、右手に穀倉区画、左手には工房区画が見える。つまり、建屋が林立しており、物陰に隠れながらの進軍が可能であった。数を頼んで中枢まで押し通る積りであったが、自陣の死傷者が少ない方が良いに決まっている。


 城郭都市の中心を占める宮殿の敷地は南北方向に40メートル強、東西方向に90メートル強の大きさだ。長方形の周囲を築地塀で囲み、内外の視界を遮っている。

 殿舎から出て、東の短辺側にしつらえた宮門を抜けると、目の前には大広場が広がっている。約70年前に自害した卑弥呼が城民に別れを告げた場所である。当時は惜別の念にむせび泣く声に包まれたが、今宵は死傷者の断末魔が遠くに聞こえるのみだ。

 年長の大隊長が部下を引き連れ、宮門から中庭へと雪崩れ込む。半世紀前、スサノオが馬列をツイナに披露した現場である。流石さすがに長槍を突き出した300人が自由に展開できる広さは無い。後続の3割程度は、もう一つの大隊と共に陣後の守りを務め、邪馬台軍が南門より戻る事態に備えていた。

 敷地の西半分に建立された丁の字の殿舎は、両翼を左右に広げ、尻尾に相当する小部屋の列を西側後方に伸ばしている。謁見者を招き入れる大広間の扉は東に面し、温かい季節には昼夜を問わず、観音開きに解き放たれていた。但し、緊急時の今は固く閉ざされている。

戦人いくさびとが1人も居ないとは・・・・・・?」

 楽観的に解釈するならば、陽動作戦が功を奏したと考えられる。非戦闘員が屋内に籠るのは当然の退避反応だとして、内守うちもり衛士えじまでもが姿を暗ませるとは、罠を疑うべき奇妙な状況だ。先の戦から1年も経っておらず、邪馬台人やまたいびとが平和呆けしたとも思えない。

「用心するに越した事はない」

 大隊長の独り言は全員に共有された。薩摩人と元海賊の混成部隊。いずれの兵も剛毅と言う点では人後に落ちないが、度重なる戦場経験が彼らの感覚を研ぎ澄ませていた。

 幾人かの兵士が、鷺足で石段を登り、正面扉を押してみる。しかし、内側からかんぬきを架けているようで、ビクともしない。左右を見渡すも、漆喰塗りの壁には窓も無く、正面突破を挑むしかなさそうだ。

――丸太を手配するか?

 攻城槌ほど大袈裟な物は無用だ。破砕対象は杉板をつないだ木製扉、太訥だぼを砕けば事足りる。必要な直径は精々10センチ程度。易々と運べる太さだが、問題は調達先である。

 城内の建築物は煉瓦積み。丸太を組んだ物見櫓まで戻っても、斧を用立てねば切り出せぬ。目星も無しに不案内な敵地で丸太を探し回っても、現実解とは成り難いだろう。だから、軒下で雨宿りしていた三脚式の炬火器を横倒し、扉を焼き落す事にした。

 遺漏無く、殿舎をグルリと包囲させもする。相手の出方を待つのが堅策と承知しつつも、敵の援軍に背後を襲われないかと、気が急く事この上ない。大隊長の焦りを知ってか知らずか、炎足の這上しゃじょう速度は鈍いの一言に尽きた。


 白煙がひさしの下に雲霞を成す頃。居た堪れなくなった武装兵が観音扉を開け放つ。色濃い人工の霧の中から数人が躍り出る。自らを奮い立たせる為だろう。理解不能の雄叫びを上げて武威を顕示した。

 待ち構えた熊襲兵が得意の短弓で征矢そやを撃つ。狩猟慣れした者の一撃必殺の連射。けやきの矢柄が人体に生えた棘と化す。ところが、敵兵はたおれる処か、力強い足取りで石段を降り始める。

――不死身の化け物か・・・・・・。

 仔細に眺めると、胴体を木片の短冊で覆っている。斯蘆しろ軍にける一般兵の鎧だ。質素なれど、矢尻では射貫けない。厚剣で単片が打ち砕けようが、同じ場所を何度も撃たれない限り、致命傷とはならない。そして、盾を持たずに済むので、身動きが自由と来た。

 彼らが両手に握る武器は〝〟。中国の歩兵が用いる長槍の一種だ。先端にL字の金属刃が付いており、刺突も出来るし、巨鎌の様に払う事も出来る。直状の刃を付けた日向軍の長槍に比べ、縦横無尽に振り回せる利点は大きい。

――どう戦うべきか・・・・・・?

 初めて見る兵装を前に戸惑いが広がる。かと言って、逡巡していては命を落とすばかりだ。思考停止に陥った弓箭隊きゅうせんたいが、無駄だと知りつつも、闇雲に撃ちまくる。何本かの矢尻が刺さりはしたが、露程も痛痒を感じないようだ。

 案の定、異国の兵士は歩行を止めない。その難攻振りには、不気味さを通り越して、恐怖すら感じる。

 しかし、彼らの動作は鈍重であった。どうやら鎧を構成する木札こざねの総重量が嵩んでいるようだ。加えて、背骨や関節の動きを制約する風でもあった。貧弱な仕様では防具の用を成さず、防御を優先したらしい。

 難点を揚げれば切りが無いが、木製の覆面も装着者の視野を狭くしていた。覗き穴を大きくすれば、眼を射抜かれる危険性が高まる。已む無き事なれど、攻撃力は格段に落ちる。対峙する者が付け入るべき弱点であろう。

――間合まあいを詰めて、懐に入るか。

 弓兵を後ろに下がらせ、剣と盾を握る歩兵を前面に出した。囲い込んだ獲物に止めを刺す要領で、数人が徒党を組んで敵兵1人に対峙する。熊襲兵には手慣れた対応と言えるだろう。しかし、捕物劇は順調に進まなかった。

 熊にも似た大柄な男が中華槍を右に左に大きく振り回す。その乱暴な槍捌きの殺傷力は侮れない。包囲に加わる者を増やせども、遠巻きに厚剣を構えるのみで、中々討ち込めない。上空から眺めると、花弁を円く開いた花に見えなくもない。その大輪の花が中庭に六つ咲く。

 手詰まりの状況は野太い韓言葉からことばに破られた。合図だったのだろう。緩慢な歩調であったが、空を槍で薙ぎながら前進し、周囲に群がる人垣を掻き乱す。彼らは敵陣の攪乱を担う前衛の重装歩兵だと思われる。

「怯むなっ、押せ押せぇ!」

 大隊長が金切声を上げるも、中華槍の牽制する緩衝空間に阻まれ、一進一退が続いた。反撃手段を見出せぬ事が最大の理由だが、殿舎から新手が参戦しなかった事も一因である。緊張しつつも、死を怖れるに至らない。予定調和的な馴れ合いすら感じさせ、戦場にあるまじき光景であった。

 敵情を解説しておくと、指揮官には日向軍を倒す意思が微塵も無い。彼らは非占領国の元軍人で、故郷や家族を失っている。斯蘆軍に編入されてはいるが、忠誠心を疑われる存在だ。狡猾な国王が厄介払いも兼ねて派遣したのであって、体の良い追放と言える。

――命懸けで駆逐しても、俺達の存在意義が無くなるだけだ。

 日向人への遺恨を持たぬ彼らにとって、最優先事項は自らの保身。戦士として招聘されたのなら、戦争状態の継続こそが望ましい。感謝される程度に追い払い、仲間の損耗を避けるのが得策だ。幾ら利巧なオモイカネといえども、助っ人の低い戦意までは見通せなかったようだ。


 宮殿外で待機中の別大隊では、宮門から押し戻される友軍の在り様に、困惑を禁じ得なかった。脅威の出現を察知しても、その正体はようとして知れない。口伝くちづてに未知なる武装を説明されても理解は出来ず、剣戟を交わす気配すら漂わない点が愈々いよいよ不気味だ。

 落ち着かぬ居心地の悪さを感じている内に、南方の闇から多勢の足音が聞こえて来た。別働隊は力尽きたようだ。水溜りを踏む音が雨に負けず劣らず耳朶じだを打つ。

「槍兵は横一列に並び、敵に備えよ!」

 宮門を起点に70メートル余りの槍襖やりぶすまが東に伸びる。人数にして二百名弱、16個小隊が防御陣を敷いた。肉弾戦を想定し、二人一組で連壁を強くする。片膝を折った1人が肩で抑えた盾板を地面に打ち刺し、もう一人が両腕を力ませて長槍を突き出す。その後ろには厚剣を構えた歩兵が列を重ねる。

 南門との距離は徒歩で30分、走れば10分と掛からない程に近い。れど、敵兵は一向に気配を感じさせない。雨滴が全身を洗う中、彼らは前方を睨んでいた。だが、一寸先は闇。視覚を奪われ、槍先に意識を集中させる他は無い。聴覚と指先の触覚を研ぎ澄ます索敵は相当に気疲れする。

 しかし、緊張を強いられる点では城兵も同じ。恐々こわごわと近付くからこそ、接触の瞬間が間延びするのだろう。主体的に動きつつ、精神的には受動的な立場に甘んじている。その焦燥感が、鼓動を早くし、喉を渇かせる。息苦しさに下唇を開け、大粒の水玉を唇中に滴り落とす者が続出した。


 城側は長槍を左右に振りながら捩じ寄っていたらしい。槍刃の擦れる小さな金属音を合図に、武力衝突の火蓋が切られた。視覚を奪われた兵士は耳をそばだてており、キンと響く甲高い音を雨中でも聞き漏らさなかった。

 気合の声を上げて、刺突の腕を伸ばす。殺意に満ちた雄叫びが連呼され、そして左右に伝播して行った。勇ましい声の大合唱となったが、その成果を問えば、単なる空騒ぎと酷評され兼ねない。如何せん、姿が見えないのだから、虚無空間を突き刺しているのと大差無い。

 槍先が交差すれば、城兵も歩みを止める。それが条件反射と言うもの、防衛本能に逆らってまで猛進する馬鹿は居ない。掲げた盾鈑の陰に身体を潜ませた時点で半歩後退。改めて利き腕を伸ばそうが、槍先は何も捉えない。

 一方の日向兵も当惑していた。分担して槍と盾を構える二人三脚制。槍兵のみが勝手に前進できない。半面、盾板を支え持つ者は連壁の堅持を優先する。その結果、最初に配置された場所で長槍を突き引きするしかない。一連の動作は徒労に終わるのだが、無抵抗に佇立するよりは増しだろう。

 続いて、気を取り直した城兵が一歩踏み出す。刃先がガツンと運良く当たっても、盾面の何処を突いたのかは皆目分からない。

――上下左右のどちらを突き直せば良いのか?

 目隠しされての西瓜割りと同様、次なる一手の繰り出し先は正に暗中模索。刺突の成功する確率は著しく低い。

 こうして、滑稽さにいて中庭の戦況とは異なるものの、膠着と言う観点では相通じる茶番劇が大広場にも出現した。


 その均衡は想定外の登場人物に依って破られる。正確に言えば、動物であった。この展開を語るには、再び宮殿内に話を戻す事が不可欠。或る一つの反攻作戦が築地塀で遮断された別個の戦闘を結合したからだ。

 中庭に咲く睨み合いの輪は重装歩兵を核に移動している。さながら舞踏会で目にする輪舞だ。雨粒の奏でる楽曲に、無粋な兵装。退屈で緩慢な挙動。優雅とは程遠い光景だが、同じ様に周囲を魅了するのかも知れない。

 奇怪な状況が臨場する者の関心を引き、統率の弛緩が軍事的な綻びを誘う。具体的には、殿舎を包囲した日向兵が中庭に集まり始めたのだ。一人ひとりは加勢に参じた積りだったのだろうが、巡り巡って封鎖網に穴が開く。

 その間隙を縫い、手薄となった裏面から数人の斯蘆兵が築地塀を乗り越えた。彼らの向かう先は厩舎。居住棟を転用し、50頭の軍馬を飼っていた。馬の睡眠時間は1日当り数時間。屋外での異変を耳聡く察知したようで、臆病な彼らは戸口に現れた主の姿に注目している。

 愛馬の興奮を鎮めんが為、神経質に揺れる首筋を優しく撫で回す騎兵。巨体が暴れ始めると手に負えない。落ち着きを確かめたら鞍を載せ、馬背に這い上って跨る。出走準備完了。手綱でピシャリと首筋をはたく。手間取った時間を取り返さんと気が急くが、走り始めて仕舞えば、移動速度は速い。

 襲歩で駆ける時は騎手も大変だ。馬体が大きく躍動する半面、足場とするあぶみが無い。落馬しないように、左右の太腿に力を入れ、両手で手綱を握り締める。乗りこなすのに精一杯だから、武器を繰り出す余裕は皆無。よって、馬ごと体当たりして相手を蹴散らす戦法が常套であった。

 築地塀に沿って走らせ、宮門から再突入する。その計画であったが、殿舎に戻る直前、乱戦の現場に遭遇した。しかも、怒鳴り声の合間々々に金属音が混じる。剣戟に及んでいるならば、無視できぬ存在と認識すべきだろう。

――宮殿に残留した仲間を助ける前に、此方こちらを先に片付けねば安心できない。

 ところが、敵と味方を見分けようにも、怒鳴り声のする先は闇に包まれている。正に暗中模索。逡巡したのも束の間、彼らは乱暴な結論を出す。考えてみるに、日向人も邪馬台人も同じ倭人やまとびと。彼らにとっては両者とも異邦人。何を頓着する必要があろうか。突入あるのみだ。

 宮殿を南回りに迂回した馬列の最初の犠牲者は城兵であった。瞬きする間も無く、日向兵が弾き飛ばされる。自分の身に起こった事を理解できた者は居ない。強い衝撃を受けたと思った瞬間、空を飛び、地面に叩き付けられる。思わず上がる呻き声。

 乱闘現場を抜いた騎兵が馬首を巡らす方向は千差万別。或る者は右に、別の者は左にと、好き勝手に再突入する。僅か3頭の馬が数往復しただけで、押競おしくら饅頭の長い列が千々に寸断される。こうなっては白兵戦どころではない。双方の戦意喪失は甚だしい。

「退け~っ!」

 大隊長の叫びを合図に潰走が始まった。馬に衝突された者は捻挫や打撲傷を負い、中には骨折した者も散見される。動けない者は同僚に助けを求め、その声を頼りに所在を見出された。片跛びっこを引き、仲間に肩を貸されし、全員が這々ほうほうの体で北門を目指す。

 暗闇が哀れな後退姿を隠しても、打ちひしがれた気配は音声情報として隣接部隊にも伝わった。宮門付近にたむろする兵が友軍の安否を気遣う内に、「俺達は化物と戦っている」との妄言がまことしやかに囁かれ始める。重装歩兵に手を焼く大隊長ですら臆病風に吹かれそうだ。

――こんな捉え所の無い戦いは続けられん。

 意気消沈した部隊に勝ち目は無く、邪馬台軍に宮門を塞がれては袋の鼠。下手をすれば、全滅の恐れすらある。引潮時と判じた彼もた撤退を命じた。


 集合場所の西門前で2人の大隊長から事の顛末を知らされたシオツチは嘆息した。正直に吐露すれば、楽勝と信じていたからだ。戦場では何が起きるか――予断を許さない。油断すれば、立ち処に足許を掬われる。覆水は盆に返らずとわきまえつつも、慙愧ざんきに堪えない。

『斯蘆が本腰を入れて加勢しているようですな』

 第一次攻城戦の折、彼らは対馬島を併合するのみで、九州本土には上陸しなかった。邪馬台城も、制海権の復活に満足し、戦列への参加を求めなかった。だから、現人神あらひとがみが斯蘆の国王と通じていると知りつつも、軍事支援の深化を真剣に考慮しなかった。それが敗因だ。

 勿怪もっけの幸いは、枚挙にいとまがない程の怪我人を出そうとも、死者の数が十人に満たない事であろう。南門の陽動部隊も、鎧をまとった城兵に致命傷を与えられず、途中で射撃を諦めたそうだ。雨音越しの悲鳴は四肢を射抜かれた者の其れであった。つまり、邪馬台側の死者も少ない。

 双方に残尿感の残る引き分けであったが、仮に真相を知れば、無意味な犠牲を避けられたと天に感謝するだろう。仮に死屍累々の戦闘を続けても、日向軍の目論みは成就しない。何故なら、卑弥呼らは庶民の暮らす居住棟に押し遣られていたからだ。

 異口同音に『相応しい待遇を!』と騒ぎ立てる傲慢な韓人からびとに城内最高の居住空間を譲り渡した結果である。ミカヅチや宗女達は顔を真赤にして抗議した。そんな彼らを主女あるじが困り顔で宥める。傍目には主従が逆転した風の光景であった。

 人生、何が幸いするか、分からない。少なくとも「善行は運気を呼ぶ」との迷信が城民達に広がる契機にはなったようだ。

 さて、空振り必至の真相を知らぬウガヤ達は(あと一歩の所で)と意気消沈していた。血気盛んだった熊襲兵までもが、得体の知れぬ戦法に度肝を抜かれ、温和おとなしくなっていた。どうやらしばらくは戦わずに済む月日が流れそうだ。これこそが真の戦果と言えるだろう。

日向ひむかに戻り、攻め方を考え直しましょう』

 軍師の提言に悄然と頷くウガヤ。彼の頬を伝う水玉が、悔し涙なのか、雨粒なのか。寄り添うタマヨリにも判然としなかった。

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