第26話 大国主の国譲り

 破傷風はしょうふう菌は脳や骨髄の運動抑制ニューロンを麻痺させる。

 高千穂神社にウガヤを搬送した時には既に、全身の痙攣けいれんが抑えきれない状態となっていた。太腿ふとももの傷口を綺麗に拭い直し縫合するも、体内に回ってしまった破傷風菌の対処とはならない。

『直ぐに愛宕あたご屋敷に運び、ハナサク妃にお会いして頂きましょう』

 口数が少なくなったシオツチが、その一言だけをタマヨリ姫に告げる。

――今生の別れになるでしょうから・・・・・・。

 シオツチは心の中で、誰にともなく呟いた。

 ハナサク妃は54歳。高齢で外を出歩く事も出来ず、愛宕屋敷で終日臥せっていたが、未だ存命だった。存命中に双子の息子の2人共に先立たれると言うのは、母親としては辛い運命だろう。シオツチはハナサク妃に同情した。

 愛宕屋敷に移されたウガヤの症状は更に重くなる。唇が痙攣けいれんし、舌がもつれ、明瞭な発音で話す事が困難になった。しかし、破傷風菌が筋肉だけに作用する神経毒であり、ウガヤの意識は明晰なままだった。だからこそ破傷風は残酷な病気だと言える。

「お、お、お、俺の、む、む、むくろ、は・・・・・・、ひゅ、ひゅ、日向ひゅうが、しゅ、集落、の、み、み、南に、埋め、て、て、て、く、く、れ。

 ち、ち、父、う、上、が、き、北で、み、み、ま、もる、な、な、ならば、

 お、お、俺、は、み、み、み、南、で、しゅ、集、ら、落、を、み、みま、も、もる」

 ウガヤは、そう遺言すると、三日後に呼吸困難の症状で息を引き取った。享年35歳だった。


 宮崎県日南市の速日峯山に墳墓が造営され、其処にウガヤの亡骸が埋葬された。父ニニギと同様、荼毘だびに付す事無く、石室に安置された。

 話は外れるが、明治7年、時の政府はウガヤの墳墓を鹿児島県鹿屋かのや市に所在する鵜戸うど山だと治定した。ニニギの可愛山稜えのみささぎと同様、薩摩藩の学者の主張を重んじた判断だったが、その後に異論が噴出し、明治29年に此処、鵜戸陵墓うどみささぎを追加で“参考地”として整理した経緯がある。

 後の時代、この場所には鵜戸神宮が建立される。

 日向灘に面した海食洞の岩窟に建立された鵜戸神宮に参拝するには、崖に沿った石段を下る必要が有り、神社では珍しい“下り宮”となっている。

――昨夜、弟ホオリの夢を見た。ホオリの魂が海から戻って来るのではないか?――と思ってな。 

 生前のウガヤは、愛宕あたご山を降りた浜辺に立ち、水平線から昇る朝日を眺めている事が多かった。その理由を周囲の者が尋ねた時、ウガヤは恥ずかしそうに、そう答えたと言う。

 そんな弟想いのウガヤの心情を忖度そんたくし、鵜戸神宮は岸に寄せる波間近くに建立された。この鵜戸神宮の立地が『海幸彦・山幸彦伝説』のモチーフとなり、ウガヤは海幸彦となった。

 また、ウガヤの妻タマヨリ姫が亡くなった際、彼女の亡骸は鵜戸陵墓から北西2㎞境の墳墓に埋葬され、其処には宮浦神社が建立された。

 ちなみに、明治7年、時の政府はホオリの墓陵として治定した鹿児島県霧島市の霧島山山麓については異論が出ていない。対馬島で自害したホオリの亡骸を埋葬した墳墓が存在しないからである。


 邪馬台城の南城門前に駐屯していた日向ひゅうが軍が姿を消し、不思議に思ったオモイカネが間者を飛ばした。そして、ウガヤの死を知る。

「卑弥呼様。邪馬台城は救われました・・・・・・。まるで代々の卑弥呼様たちが守護してくれているかのようですな」

「オモイカネの言う通りですね。ウガヤ殿には気の毒ですが、正直・・・・・・、私もホッとしました」

「もう一息です。日向集落を追い込みましょう」

「だが、オモイカネ殿。こちらの兵士は300人強。日向軍は邪馬台軍の3倍弱の兵力です。

 もう攻め込む余裕は邪馬台軍に残されていません」

「日向軍を攻めるのでは無い」

「それでは、もう戦争をしなくて済むのですね?」

 オモイカネの言葉を聞いた卑弥呼が嬉しそうに確認した。

「いいえ。卑弥呼様。依然として、日向集落の力を削いでおく必要は有ります。

 ウガヤが死んでも、彼の息子達が成長すれば、再び攻めて来るでしょう。ニニギが死んだ後、ウガヤが攻めて来たように」

「・・・・・・それでは、如何どうするのですか?」

 卑弥呼は落胆し、仕方無くと言う感じで質問した。

「出雲集落を叩くのです。出雲集落は日向集落に武器を供給しています。その出雲集落を叩けば、日向集落が再び戦争を仕掛けてくる事は無いでしょう」

「今度は出雲集落が敵なのですか?」

 戦闘が役割のミカヅチでさえ、急な話に戸惑いを見せる。

「オモイカネよ。この邪馬台城は、いつから、戦争ばかりする集団になってしまったのですか?」

「卑弥呼様。我らが好きで戦争をしているのではありません。防衛に必要だから、戦っているだけなのです」

「今や斯蘆しろ人まで巻き込んで戦争をしているのですよ。斯蘆国だって、無理難題を要求し続けています。

 全ての発端は、その出雲集落を我らが裏切ったのが原因でしょう?」

「卑弥呼様のおっしゃる通りです。

 しかしながら、事が此処に至ってしまっては、今さら元の鞘には戻れませんぞ」

「日向集落と和睦を結べば良いではありませんか?」

「どうやって? 日向集落の目的は邪馬台城の滅亡ですぞ」

「だからと言って、戦争には直接参加していない出雲集落を攻めるなんて・・・・・・。

 それでは邪馬台城は斯蘆国と同じになってしまいますよ」

 卑弥呼とオモイカネの激しくなる一方の口論に、ミカヅチは割って入れないでいた。

 本来ならば、オモイカネの発言はミカヅチの領域である。ミカヅチが主戦論を唱えるならば分かる。ところが、そのミカヅチ自身がオモイカネを好戦的過ぎると感じていた。

――俺達3人だけでも一心同体で居なければ、邪馬台城は空中分解してしまう。

「卑弥呼様、オモイカネ殿。出雲集落に和睦の仲介を頼んではどうでしょう?」

「和睦?」

「出雲集落は日向集落と同盟の間柄だぞ!」

 ミカヅチの提案に対し、卑弥呼は期待感を示し、オモイカネは吐き捨てるように否定した。

「これまで、出雲集落は合戦には加担しませんでした。

 もし日向軍と同じタイミングで、出雲軍が北の海から攻めて来ていたら、・・・・・・どうなっていたと思いますか?」

 ミカヅチは質問で答える事で、冷静になって考える事を2人に促した。

「出雲集落は平和を望んでいるのだと、私は思います」

 2対1と少数派に転じたオモイカネはソッポを向いた。

「ミカヅチよ。出雲集落に行き、和睦を申し入れなさい」

「出雲集落は無傷なままじゃ。ミカヅチ1人が赴いても、相手にされず、追い返されるでしょうよ」

「それはオモイカネ殿の指摘する通りかもしれません。何らかの圧力を掛けた方が交渉は遣り易いでしょう」

「貴方がそう言うなら、兵士を連れて行きなさい。

 でも忘れないでね。目的は話し合いです。出雲の集落長を邪馬台城に招待しなさい。私が直接話して、和睦を頼みます」

 この時、卑弥呼は33歳、オモイカネは45歳、ミカヅチは36歳。

 ニニギが対馬海賊の征伐を求めてきた時からは十余年が過ぎ、卑弥呼も苦い経験を積んでいる。

――あの時はオモイカネの主張に易々と乗ってしまったけれど、もう同じ過ちは繰り返さない。私は卑弥呼なのだから・・・・・・。

 心に固く誓う卑弥呼であった。


 ミカヅチは約200人の兵士を引き連れて出雲集落に向かった。100人前後の正規兵と100人前後の斯蘆しろ人と言う構成。

 邪馬台城を無防備にも出来ず、百人程度の正規兵を残している。合わせて約300人。それが敗退した邪馬台軍に残された全兵力であった。

 末蘆まつろ人の船に乗り、稲佐の浜に上陸してきたミカヅチの軍勢を、ナムジは警戒しながら受け入れた。冷たい冬の海風が吹き荒ぶ季節であったが、邪馬台軍の兵士達は稲佐の浜に留め置き、ミカヅチだけを集落長の屋敷に案内する。

 相対するはナムジとコトシロ。ヤガミ妃と孫のミナカタの4人であった。要は屋敷に暮らすナムジの家族であった。

 コトシロは、日本神話に事代主神ことしろぬしとして登場する男性で、ナムジが瀬戸内の或る村落長の娘に産ませた息子だった。

 妻のヤガミ妃には「賢い子供だ。身寄りが無くて可哀想だったので、養子にする」と説明している。実際にコトシロの頭脳は明晰で、24歳に成長したコトシロは参謀役としてナムジを補佐している。

 ミナカタは、キマタとヌナカワ姫の間に生まれた孫で、16歳の青年に成長している。

――父ナムジも私も若い時から各地を放浪して見聞を広げた。お前も見聞を広げるが良い。

 キマタはそう言うと、息子ミナカタを旅に出した。その手始めとして、祖父ナムジが統べる出雲集落に身を寄せていた。日本神話に建御名方神たけみなかたとして登場する男性だ。

「それで本日は、の様な御用件で?」

「卑弥呼様より伝言が有って、参りました」

「伝言?」

「はい。日向ひゅうが集落との和睦を仲介して欲しい、と」

「和睦?」

「はい。卑弥呼様は、これ以上の戦争継続を望んではいらっしゃらない。

 そのお気持ちは、ナムジ殿、貴方も同じなのではないでしょうか?」

 ナムジは「和睦」と言う言葉を口の中で反芻した。

「御推察の通り、私は如何いかなる戦争も望んではおりません。

 ですが・・・・・・、ニニギ様とウガヤを失った日向集落が、そう簡単に和睦に応じるとも思えません。

 それに・・・・・・、ミカヅチ殿には申し難いが、秋の合戦で相当な痛手を被ったのでしょう? ウガヤは生命いのちを落としましたが、合戦自体は日向軍が圧倒的だったはず。

 何か和睦に見合う条件を提示しなければ、日向集落も応じないでしょう」

「ナムジ殿の御指摘は正にその通り。

 具体的な和睦条件は、卑弥呼様ご自身がナムジ殿と話し合いたいと申しております」

「それでは後日、卑弥呼様が出雲集落にお見えになるのですか?」

流石さすがに、それは・・・・・・。卑弥呼様は邪馬台城の頭首かしらでいらっしゃる」

「私も出雲集落の頭首ですが・・・・・・?」

「それはそうです。ところが、邪馬台城は未だ戦闘状態に有ります。一方で、出雲集落は戦闘状態にない。どうか、寛大な気持ちで以って、ご判断を願えませんか?」

「出雲集落は戦闘状態にないとおっしゃられたが、ミカヅチ殿の来訪により、そうなるのではないですか? 稲佐の浜には貴方の兵士がたむろしている。我が出雲集落にとっては十分過ぎる脅威ですぞ」

「和睦を申し入れるに、兵士を連れての訪問が無礼なのは承知しています。

 ええいっ・・・・・・!

 私はオモイカネ殿ではないので、上手く言い繕えません。だから、全て正直に申し上げます。

 日向集落のウガヤ殿が亡き今、オモイカネ殿は、補給庫となっている出雲集落を落とせば、日向集落も落とせる。そう考えています。

 私はミカヅチではあるが、もう、これ以上の戦争を望んではおりません。卑弥呼様と同じ気持ちなのです。

 だから是非、和睦を仲介して頂けませんか? その為に、邪馬台城まで出向き、卑弥呼様と話し合っては頂けませんか?」

「よしんば出雲集落を落としたとしましょう。だが、底を尽きかけた兵力で日向集落を落とせますか?」

「私が率いてきた兵士の顔触れを御覧になったでしょう? 半数は辰韓しんかん人だ!

 オモイカネは斯蘆国から追加の兵士を調達するでしょう。

 それを恩に着せた斯蘆国は、邪馬台城への無理難題を次から次へと繰り出してくるでしょう。邪馬台城だけではない。倭国全体を骨までしゃぶろうとするでしょう。

 もう戦争継続の目的を見失っていると言っても良い。私はミカヅチとして、それを看過できんのです」

 ミカヅチは激しい口調で心情を吐露した。ナムジはミカヅチの真剣な眼差しを見詰めた。

「嘘、偽りは無さそうだ・・・・・・」

「有りません。私には、正直に話す以外、貴方の心に辿り着くすべが有りません」

「分かりました。私が邪馬台城に赴きましょう」

「本当ですか! 有り難うございます」

 ミカヅチは額を床に着けて平伏した。

「ですが、貴方と一緒には行きません」

 ミカヅチが怪訝な表情を浮かべて顔を上げる。

「貴方の事は信じています。でも、辰韓人の兵士が船上で私を誅殺する可能性だって、無きにしも有らず、ですからね。日を置かず、私は独自のルートで参ります」

「独自のルート?」

「九州の西側には我々に好意的な集落が有ります。そちらから九州に上陸します。

 上陸したら、邪馬台城までの道案内はムカデ達に頼みます」

 戦争状態が長く続いた結果、出雲集落と田川集落の交流は途絶えていた。

 しかし、田川集落は日向集落に恩義を感じていたし、その同盟相手の出雲集落にも友好的だった。邪馬台城に気兼ねして、表立っての交流を停止したに過ぎない。

 その解決策として、田川集落は何人もの鉱夫を出雲集落に派遣し、平尾台に代わる鉱山として、日本最大位のカルスト地形の秋吉台で新たな鉱山を見付けていた。踏鞴たたら製鉄に必要な石膏や消石灰の供給は途絶えなかったのである。

 更に時代が下ると、このムカデ達の子孫が石見銀山を開発する事になる。出雲から石見銀山まで、50㎞足らずの距離しか離れていない。

「ムカデ? 田川集落との交易は続いているのですか?」

「いいえ。田川集落とは交易をしていません。貴方の正直さに影響されて、私も口が滑りました。

 此処での話はお互い、2人だけの胸に仕舞っておきましょう」

「分かりました。私にも異存は有りません。

 ところで・・・・・・」

 ミカヅチは口籠ったまま、黙り込んでしまった。

「何か?」

「対馬海賊の件は・・・・・・、申し訳ありませんでした」

 ミカヅチは再度、平伏して許しを乞うた。何度も額を床に着け、涙声になって許しを乞い続けた。

 ナムジは遠い目をし、茅葺屋根の出入口から差し込む日の光を眺めていた。

「もう、お止めなさい。その謝罪は・・・・・・、私が受けるものではないでしょう」

 ナムジが静かに呟く。

「ホオリとトヨタマ姫が受けるべき謝罪だ。

 それに・・・・・・、今は亡きナムジ様とウガヤこそが聞きたかった謝罪の言葉でしょう。

 もっと早くにその言葉を耳にしていたなら、きっと日向集落は戦争を始めなかったでしょうな」

 ナムジは悲しそうに述懐した。

 人生には取り返しの付かない事が多々有るのだ。誰にでも後悔し切れない行いが有り、それを背負って生きていくしかないのだ。50歳になったナムジには、それが理解できた。

――だが、過去を悔いても何も始まらない。より良き明日の為に、今日を生きるのだ!


 ナムジはヤガミ妃と孫ミナカタを疎開させた。

「ヤガミよ。ミナカタを連れて、キマタの元に戻れ」

「ナムジ。貴方、死ぬつもりじゃないでしょうね?」

「出来れば死にたくはないが、それは行ってみなければ、分からない。

 仮にこの身が危うくなったとしても、俺も50歳だ。此の世が平和を取り戻せるなら、老い先短い生命いのちを賭ける値打ちが有ると、俺は思う」

「ナムジ・・・・・・。きっと、無事に帰ってきてよ」

 キマタとヌナカワ姫が住む北陸の高志こし集落が疎開先であった。この行為が国譲りの日本神話の中の、ミカヅチとの力比べで負けたミナカタが諏訪まで逃げたと言うエピソードにつながっていく。

 その後、成長したミナカタは北陸から諏訪地方に拠点を移す。それは高志集落が版図を広げたと言うよりも、平和裏に文化的融合を進めて行ったと言うのが実態に近い。

 建御名方神は諏訪神社の祭神となり、寅年と申年に行われる御柱祭りでも重要な役回りを果たす。現代においても尚、長野県の地元民から篤く慕われている神様である。


 ナムジはコトシロを伴い、中国山地を抜け、尾道から海路で別府集落に移動した。温泉地として有名な大分県別府市に所在し、魏志倭人伝には『呼邑国』と記述されている。

 其処から由布、九重、玖珠くすと山道を縫い、日田村落に至る。日田村落は、周囲を山々に囲まれた日田盆地に所在する小さな村落で、魏志倭人伝には『鬼国』と記述されている。『鬼』は“ヒ”と言う発音を意味する借字である。

 呼邑集落からは田川集落から出迎えに来たムカデ達が案内した。

 日田村落を目前にした最後の峠の頂きで休憩している時、ムカデ達が北に聳える英彦山を指差した。

「ナムジ様。あの英彦山の中腹にホミミ様を祀ったほこらが有るでよぉ」

「兄の?」

「我ら毎年の様にお参りしておりますだ。ホミミ様の恩は忘れた事がありませんで」

「そうか。有り難うよ」

 斜面に夕陽を赤く反射させた山並みに、ナムジは目を細める。

――兄さん。どうか俺達を見守っておくれ。何としても平和をもたらすんだ。

「そんじゃ、ナムジ様。先を急ぎましょう。この坂を下れば、今日の宿泊地ですけぇ」

 峠を降り始めたナムジ一向を、不穏な集団が尾行していた。ナムジ達に見付からないように距離を置いている。彼らはオモイカネが放った間者集団だった。

 日向ひゅうが集落と出雲集落を往復する船舶の寄港地は数が限られる。その全てを監視しておけば、ナムジ達の到着を知る事が出来た。

 彼らの受けた命令はナムジの暗殺。但し、暗殺の証拠を残さない事が実行の条件だった。だから、刀剣での殺害を諦め、その機を覗いながら尾行を続けていたのだ。


 日田村落で一夜の宿を借り、ナムジとコトシロ、ムカデ衆は一日の疲れを癒した。

 春の到来は未だであり、日が長くなってきたとは言え、日没は早かった。盆地の日暮れは余計に早い。夕餉ゆうげを済ますと、早々に寝入った。ナムジ達だけでなく、村落全体が早くに寝静まった。

 それを好機と見た暗殺集団は、村落を囲む形で広範囲に火を着けて回った。各戸の茅葺屋根だけを狙い撃ちすれば、焼き討ちが有ったと直ぐに露見する。山火事を装う為に、日田盆地全域に放火するつもりだった。

 大きく円陣状に放火された炎は、田圃たんぼに残る枯れたイネを焼き、その周辺の枯草に燃え広がった。草の焼ける煙に村人達が気付いた時には、すっかり炎の円陣は完成していた。

 逃げ場は何処にも無かった。

 右往左往する村人達。阿鼻叫喚が周囲の山々に木魂する。

「ナムジ様! 山火事でさぁ。逃げないと」

「だが、何処へ? 見た処、炎に取り囲まれているぞ」

「父上。この盆地だけが燃え盛っているのは・・・・・・奇妙ではありませんか?」

「コトシロの言う通りだな。炎の外に逃げると、伏兵が潜んでいるのかもしれない。

 そうかと言って、このまま留まっていては焼け死ぬだけだ。さて、如何どうしたものか・・・・・・」

 思案している間にも、村落の外側に建てられていた竪穴式住居から順に燃え始めた。炎の円陣は狭まり、その内側に煙が充満し始める。

 息苦しさに堪り兼ねた村人が頭から井戸の水を浴び、炎の中に飛び込んだ。炎の包囲陣を強行突破しようと考えたらしい。1人が強行突破すると、後に続く者が続いた。

 残念ながら、彼らは脱出に成功していない。

 貫頭衣かんとういが濡れている限り炎の中を走り抜けられたが、炎の熱で乾いてしまうと火達磨ひだるまとなって悲鳴を上げた。その悲鳴を上げるタイミングが炎の奥深くまで突入した時点だったので、円陣中央で怯えた後続の村人の耳には届かなかったのだ。炎自体の上げるゴォゴォと言う音も邪魔した。

 こうして、焼身自殺の行列が続いた。

 その惨劇を森の中から暗殺集団は冷徹に観察していた。

「ゲホっ、ゲホっ。父上、この煙では、敵方も我らの様子をハッキリとは観察できないはずですよね?」

「コトシロの言う通りだ。何か知恵が浮かんだか?」

「はい。父上。あそこを見てください」

 コトシロの指差す方向には井戸が有った。今も最後の家族が水を浴びている。

「あの井戸の中に隠れましょう。穴の中に避難していれば、炎に焼かれる事はありません」

「伏兵の目を逃れる事も可能かもしれんな・・・・・・。

 悩んでいても詮無いか。コトシロの知恵以外に突破口を思い付けんわ」

 ナムジは後ろを振り返り、心配そうな表情で自分を見詰めるムカデ衆に説明した。

「さすが、ナムジ様。また我らは生命いのちを救って頂きやしたねぇ」

 三つの井戸を探り当て、その一つにはナムジとコトシロが、残り二つにはムカデ衆が身を隠した。

 釣瓶つりべの麻縄は焼け落ちるだろうが、当時の井戸は直径が小さく、両手両足を井戸壁に伸ばして踏ん張れば上り下りが可能だった。

 日田盆地を焼き尽くした炎が鎮火した後も猶、ナムジ達は井戸に隠れ続けた。伏兵の捜索を恐れたからである。一昼夜を井戸の中で過ごし、翌日の朝空が白む頃に這い上がった。その時には既にオモイカネの放った間者達は日田盆地を後にしていた。

 この事件を記憶に残す為、『鬼国』は『火田』と呼ばれるようになり、『日田』となった。


 日田村落を抜けると、其処から筑紫ちくし平野までは川を下る。

 筑後川ちくごがわの源流の一つが日田盆地から湧き出ている。この水路を使って、田川集落の鉱石は邪馬台城に運ばれていた。日向ひゅうが集落からの在来馬の貸出しが途絶えて以降、かつての陸路を人力で運ぶよりは効率的だったのだ。

 日田村落から少し下った筑後川の河縁には、木材を筏に組み上げる作業場が設けられている。ムカデ衆は筏の上に鉱石を載せ、材木と共に筑紫川下流域の村落と交易を行っていた。

 ナムジとコトシロは筏に乗って、邪馬台城の近くまで移動した。既に謀殺が成功したと信じ込んでいるオモイカネの魔の手は、もう伸びて来ない。

 だから、ナムジとコトシロが邪馬台城の南城門で誰何すいかされた時、オモイカネは腰を抜かして驚いた。

――炎の中で死んだのではなかったのか? このまま卑弥呼様に会わせるのは不味い。

「卑弥呼様。まずは私が会い、本人か否かを確かめて参りましょう」

「それならば、オモイカネ殿。私が案内して来ましょう。最近ナムジ殿と会ったばかりの私の方が、確認する意味からも適任でしょう」

「いやいや。お前はミカヅチとして卑弥呼様を御守りするべきだ」

「守るも何も、ナムジ殿とコトシロ殿の2人でしょう? 何ら警戒は要りますまい」

 屁理屈を捏ねて自分が最初に会おうとするオモイカネを、卑弥呼とミカヅチは不審の目と言うよりも、或る種の確信の目で眺めていた。

「オモイカネよ。ナムジ殿とは私一人が会う。良いな?

 ミカヅチよ。ナムジ殿を宮殿の大広間まで案内して来なさい」

「はっ。同行のコトシロ殿は如何(いかが)致しましょう?」

「ナムジ殿の随行者なのでしょう? 構いません。お通ししなさい」

「卑弥呼様。あちらが2人ならば、こちらも2人で会うのが道理。私も同席します」

「なりません! 私一人が会うと言ったでしょう? 私の決断には従いなさい」

 卑弥呼に強く拒絶されれば、オモイカネも引き下がるしかない。オモイカネとミカヅチは大広間から退出した。

 ミカヅチは、ナムジとコトシロを卑弥呼の面前まで案内すると、侍女達を下がらせ、自らも大広間から5段の上り框あがりかまちを下りて中庭の中央まで下がる。大広間には誰も近付けず、卑弥呼達の話が外に漏れる事は無い。

「邪馬台城まで遥々はるばる来てくださり、本当に有り難うございました。道中は順調でありましたか?」

「・・・・・・卑弥呼様。何も聞いてはおらんのですか?」

「何をです?」

 卑弥呼の表情にしらを切っている雰囲気は無い。

――卑弥呼様は知らんのか? 知っていて1人で私に相対しているとしたら、相当に肚の座った女性と言う事になるが・・・・・・。試してみるか?

「私達は謀殺され掛かりました。殺されそうになったのです」

「何ですって?」

 卑弥呼は腰を浮かした。

「殺されそうになったのですよ」

 ナムジは同じ言葉を繰り返した。

「日田村落を確かめてみれば一目瞭然です。焼死した村人達のむくろが幾つも転がっていますよ」

「何て言う事・・・・・・」

 卑弥呼は顔色を失っている。

「知らなかったのですか?」

 卑弥呼は首を強く振って否定した。

「卑弥呼様が御命令したのでは?」

「勿論、違います。そんな事はしません。ですが・・・・・・」

「ですが・・・・・・?」

「オモイカネが・・・・・・暴走したかもしれません。

 少し、お待ちになってください」

 卑弥呼はスックと立ち上がると、中庭に佇立していたミカヅチにオモイカネの捕縛を命じた。合わせて「日田村落の状況を確認せよ」とも指示する。

 卑弥呼はもう一度、ナムジとコトシロの面前に座り直すと、ナムジの顔を見詰め、軽く深呼吸した。

 身内の裏切りを初っ端しょっぱなに突き付けられては怯んでしまうのも無理は無い展開だが、ナムジを説得しなければならないと言う固い決意が卑弥呼の表情には浮かんでいた。

「信じてもらえないでしょうが、謀事はかりごとを巡らそうなんて気は、私には微塵も有りませんでした」

 少し虚脱した風に淡々と弁解する卑弥呼。頷くでもなく、無表情で応じるナムジ。

「謀事を巡らした罪が事実と判明したら、そちらにオモイカネの身柄を渡しましょう。

 それが、私から送る誠意の証です」

「誠意とは? 日向集落との戦争を終わらせる為の交渉材料と言う意味ですか?」

 卑弥呼は軽く首を振り、口の両端に微笑みを浮かべた。

「貴方達を謀殺しようとした事に関する誠意です。日向集落との戦争を終わらせたいと言う私の気持ちを信じて貰う為の誠意です。

 戦争に関しては・・・・・・、オモイカネの生命いのちでは足りぬでしょう」

 卑弥呼は淡々と言葉を続けた。ナムジは無表情のまま、卑弥呼に先を促した。

「日向集落には、私の生命を差し出します」

 そう宣言した卑弥呼の声は静かで小さかったが、ナムジとコトシロの耳には力強く響いた。ナムジは胡坐あぐらの上に置いた拳を少し固く結んだ。

 ナムジはしばらく無表情を続けていたが、肩に入った力を抜き、両方の拳を少し緩めた。コトシロの方は、身体の強張った状態が続いている。

「よく、ご決心なさいましたな」

 ナムジは卑弥呼の邪心を疑ってはいなかった。疑っていれば、邪馬台城まで来ない。

 一方で、戦争終結には卑弥呼の犠牲が不可欠だろう、とも考えていた。ただ、それを決めるのは卑弥呼本人であって、ナムジではない。その一言が卑弥呼の口から発せられるか否かが運命の岐路わかれめだ、とわきまえていた。

「邪馬台城を中心とする倭国を守るには、我々が争いをしている場合ではないのです。

 私の生命を犠牲にすれば戦争を終結できると言うなら、喜んで捧げます。まあ・・・・・・、生命を差し出す決心をするまでには、・・・・・・随分と悩みましたけどね。でも、もう大丈夫です」

「それで、邪馬台城が日向集落に求める条件は?」

「国を譲って欲しい」

「国を譲る? 日向集落の人々に「土地を捨てよ」と言うのですか?」

「いいえ。軍隊と、それを統べる者に立ち去って貰いたいだけです」

「何処へ?」

「遥か東方へ。この九州からは争いの構図を無くしたいのです。そうしないと、斯蘆しろ国の影響を完全には排除できません。

 だから、庶民が今まで通り、農業や林業に従事する事については、全く構いません」

 7年前の西暦220年。後漢王朝が滅び、権力を禅譲された曹操が魏王朝を立ち上げた。ところが、呉と蜀の同盟軍に対峙するだけで精一杯。魏王朝には朝鮮半島を平定する余裕が無かった。

 その情勢を突いた公孫淵が謀反を起こし、燕国を樹立しようと目論んでいた。公孫淵の動向次第で、斯蘆国は西の馬韓を攻めて朝鮮半島南部を統一するか、対馬海峡を渡って九州を平定するかを判断しようと企んでいた。

 付け入る隙を斯蘆国に与えないと言う外交政策が、倭国にとって非常に重要な局面だった。

「墳墓を祀る事に関しても問題無いのですね?」

「問題ありません。ただ、軍隊を引き連れて墳墓を巡礼するのは止めて頂きたい」

「他には?」

「日向集落と出雲集落に2人の侍女をとつがせたい」

「日向集落ではイワレの妻と言う事でしょうが、出雲集落では誰に? コトシロにですか?」

「いいえ。集落長の正妻として」

「私ですか? もう50歳の老人ですよ?」

「構いません。本人にも言い含めております」

「政略結婚ですか・・・・・・。

 いや、血脈の続かない邪馬台城の女をめとると言う事は、約束の履行を確認する監視者としての意味合いが強いですかね?」

「どう解釈して貰っても結構です。

 その替り、空位となるオモイカネの後任には、そちらの指名する人物を当てましょう。これで相互に確かめ合う体制が出来るでしょう?」

「そうですね。確かに公平な取り決めと言えるでしょう。

 それでは、オモイカネの地位には、このコトシロを就かせてください」

 国譲りを迫るミカヅチに「承知した」と応えたコトシロは、手を逆さに打って出現させた青柴垣の中に身を隠した、と日本神話に記述されている。その後の日本神話にコトシロが登場しなくなる理由は、オモイカネに転生したからだった。

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