第03話 スサノオの叛乱
東の空が白み始めるに連れ、起き出した一揆衆は
手に
後は暖を取りながら湯気の出具合を見守る待つばかり。食感について一つ注釈するならば、密封性の劣る当時の鍋では炊飯時の圧力が足りず、
さて、陶器の中では丈夫で軽く遮水性にも優れた須恵器だが、唯一の欠点は直火に弱い事だろう。野焼き焼成の
反面、重い土師器は携行に適さず、現地での須恵器購入は理に適っていた。脆さを気遣う所作は確かに面倒だが、
一方、城外では、製造に手間取る炭を山間の専門業者から入手する。つまり、気安く使えない。手持ちの籾米が少ない一般庶民の間では
皆一様に抱き結んだ膝に顎を載せ、凍えた身体を焚火で温めていた。背中に当る陽光の居心地の良さに
ただ、スサノオの周辺だけが慌ただしい。焚火単位の小集団を束ねる班長が次々と、扇動者の元に出向き、何やら重要な指南話を持ち帰る。
仲間の輪に戻った1人が険しい表情を浮かべていた。不審に思った一堂は、吹き零れた壺型鍋を逆さに蒸らしながら、怪訝そうに班長を凝視する。
「今年の群れ騒ぎも終わりなんだろう?」
質問には答えず、押し黙った
「
「今年は違うんだと」
「何が?」
「
「引き退がらないって、
「今夜、城を攻める。その為に
「何だ、それ?。攻めるって、この槍でか?。城の
「俺だって分かっているさ!」
「俺達に
腰の引けた指摘に「そうだ」「そうだ」と同調の相槌が続く。
「城を攻めた後は
「白い粉を手に入れる。元々、それが目的だからな」
「邪馬台の奴らが作り方を教えるのか?。教えて貰ったとして、
「そんな事は・・・・・・分からん」
「分からん、って。俺達、
「近くの焚火を巡って、方針を伝えて来る。他の奴らが何と言うか、此処に戻ったら教える」
立ち上がった班長が「それで良いか?」と、全員の顔を眺め回す。諾否の即答が難い遣り取り。或る者は目を逸らし、或る者は俯いた。意思表示を避ける沈黙だけが共通している。
「
結局の処、1万人もの一揆衆の内、約4割が襲撃への加担を拒んだ。大きく勢力を削がれたとは言え、
彼我の戦力を比べるに、互角以上の展開を望めそうである。離脱者が続出し、布陣の瓦解する可能性すら危惧していたスサノオは、期待を上回る結果に安堵した。
遅い
引揚げに気付いた哨兵が慌てて
彼も
筋骨隆々たる偉丈夫の前で、片膝を突いて
「そうか。引潮に転じたか・・・・・・。今年の祭り騒ぎも終わりだな」
歴戦の古参兵であっても、1万もの大群衆と対峙すれば、一抹の不安に襲われよう。部下の前では昂然と胸を張り続けるミカヅチだったが、此の時ばかりは頬を緩め、深い呼気を漏らした。
今夜は
緊張を解きつつあった城塞に忍び寄る
固着に成功した者から壁面を
哨兵の不在を確認すると、今度は懸垂下降での侵入作戦を開始する。内側に垂らした
密偵の如き侵入を企てられると、大軍勢の足止め用に巡らせた水の環も無用の長物と化す。城側の防御網を嘲笑うかのように、
準備万端と判断した族長が、傍らに控えた若者の肩に手を乗せ、顎を
放たれた
族長の口笛に呼応し、付近の土塁から走り出す十数人の男達。城門を目指して疾駆する。全員が皆、我が身を隠せぬ場所に長居は無用。迅速な行動こそが最善の自衛措置だと心得ていた。観音開きの門扉を開けようと総出で重い
その刹那。音も立てずに駆け寄って来た動物が1匹、大きく跳躍すると熊襲族の輪に襲い掛かる。最後尾の男の首筋に噛み付くや否や、地面に引き倒した。
無防備な後背を衝かれ、開門作業が頓挫する。虚しく響いた閂受を叩く重量音。その籠った音は、城兵を呼び込むに至らないにせよ、当事者の心胆を寒からしめるに十分だった。
「奴ら、厄介な代物を飼っていやがる。
飼主に従順な犬と異なり、山狼の忠誠心は群れの指導者に向く。筆頭格の個体を懐柔しない限り、全体を統制できない。つまり、使役の難易度が高く、猟犬を伴う熊襲族すらも中々飼い慣らせずにいた。
反面、高い俊敏性と強い敵愾心は軍用犬に相応しい資質。更に言えば、獲物を個々に襲うばかりでなく、連携しつつ集団で挑む習性は何物にも替え難い。だから、代々の城兵は彼らの養育と教練に腐心してきたのだ。
現に今も、残りの侵入者を牽制せんと獰猛な唸り声を闇に這わせている。その威嚇を前にしては、百戦錬磨の狩人ですら身を
二匹三匹と周囲に集まり始め、直ぐに20匹を超える。右に左に
「皆の者!。
「おい、早く門を開けろ!。
ハタと我に返り、閂の傍らに並び直す黒い集団。左右から射込まれる弾幕が牙獣の攻撃を牽制する中、力ませた両腕に意識を集中する。抱え上げた重い丸太を肩架けに担ぎ、内堀へと歩を進める。どの男も大粒の汗を流し、赤い根性顔を歪ませていた。そして、
バッシャーン!
城門の外側ではスサノオ達が
城民の大半が安眠を貪る一方で、活動中の者も多い。居住棟では何組もの男女が閨房の営みに励み、
異変に気付いた者は、屋外の物音に耳を
恐れ
「全ての
ミカヅチが阿修羅の如き表情で怒鳴り声を張り上げる。
宮殿警護に一定数を割いた後、残りの城兵を率いて自ら鎮圧に向かう。四つ足が駆け抜ける躍動音が彼らを追い越して行く。暗闇に双眸を光らせた群れが、勇猛果敢な暗殺集団と化し、砂埃を上げる
不意を突かれた
山狼に比べると、犬の方は
後詰の兵達が南門に到着した時点で、既に千人余りが侵入を果たしていた。横一列に並んだ歩兵が盾鈑を構えて対峙する。押し寄せる暴徒の勢いを防御壁の中央で受け止めつつ、半円形に包囲せんと両翼の部隊が前進する。
石槍を手にした狗奴人は、闇雲に体当たりを繰り返し、包囲陣を突き崩そうと試みる。絶対防衛線と心得る城兵側も、盾鈑の隙間から重質な厚剣を突き刺し、必死の形相で押し戻す。
殺気が殺気を呼ぶ戦場独特の空気。理性を失った者が殺人鬼と化すのは早い。
ミカヅチ達は累々と重なる
有能な指揮官は戦況確認を怠らないものだ。近くで
城兵の制止を擦り抜けたスサノオは族長の姿を探し回っていた。捜索の目から隠れる物陰を転々と移しながら、城内の混乱振りを
――頭数の多い俺達が城の兵に押されている。何故だ?
屯田兵と専門兵の実力差、現実には其れ以上の格差が主因である。
人数や装備力ではなく気構えの問題なのだが、兵理に暗いスサノオの意識は(誰の尻を叩くべきか?)と犯人捜しに終始していた。案の定、土塁の陰に潜む熊襲族の働きが
「もっと沢山の矢を射てくれ!」
毛皮の両襟を掴み、鬼気迫る表情で大声を張り上げた。
「押し合うだけでは活路を拓けない。御前達の援護が必要だ」
片や、盟友と頼まれた方は「城門開放の約束を果たした」の一点張りで、迷惑そうに口許を歪めている。襲撃を大掛りな押込強盗だと考える彼にとって、強奪を可能とする混乱が生じさえすれば十分なのだ。
「
「馬鹿な。あの出口が見えるだろ!」
現実を直視させようと、南門前で入り乱れる黒山の群衆を右腕で指し示す。
「糞詰まっているのに、
「真向いの北門からだ」
「笑わせんな。城の
余りの苛立ちに左腕さえもブンブンと振り回す。
「城を落とさねば、米は手に入らんぞ!」
「俺らに何が出来る?。此処からじゃ遠過ぎて、奴らには矢が届かないぞ!」
「だったら、一緒に戦え!」
「武器は何だ。この短い
「城内の奥深くに進み、奴らを背中から射るんだ」
面倒な事を追加で頼みやがる――と舌打ちするも、「戦闘中の搬出が不可能」との指摘は正しい。局面打開には
クルリと背中を向けた動作は子供染みた嫌々の仕草だろう。天を仰いだ後、是見よがしに深い溜息を吐くと
2人の口論する場所から数百メートルも離れた封鎖活動の最前線では、「南以外の城門に
「
念押しとばかりに報告者の肩を掴み、大きな怒声を響かせる。彼の頭中には籠城戦や徹底抗戦の発想が浮かばない。人命こそが最優先と
続いて、部下達がゴロゴロと押し曳く二輪台車を見遣った。荷台には球形の須恵器が満載だ。秘密兵器の陶球を認めた彼は、辺りの喧騒に負けじと声を張り上げる。
「
侵入者と奮闘中の包囲陣は、「道を拓け!」との督励に呼応し、南門方向の層を厚くした。その弊害として、薄くなった反対側が破られる。正に決壊、朽葉色した貫頭衣の連なりは氾濫した濁流を思わせた。そうであっても、指揮官としては防衛拠点の確保を優先せざるを得ない。
物見櫓に辿り着いた先遣の3人が梯子を登る。展望床に立った1人が
殻の薄い須恵器が次々に宙を舞い、狗奴人の頭に当たって砕け散る。飛散する白い粉。人工的な
白い粉の正体は
乾燥状態では無害の鉱石粉も、加水と同時に化学反応を起こし、高温を発する。揉み合う肉弾戦の
身悶えすらも
――
狗奴人の間に広がる当惑と動揺。焼けるように熱くても、炎は見えぬ。迷信深い者が恐慌を来たすに十分な怪現象だった。
鎮圧効果を認めて意を強くする空中の雷撃隊。遠投用の紐付き網袋を新たに引き揚げ、2人の補充役が手際良く陶球を包む。紐の先端を掴んだ
その一つが、左右の塀を繋ぐ城門の渡廊下に砕け、生石灰を撒き散らした。降り注ぐ白い霧を隠す深更の暗さも被害者の恐怖を軽減しない。
――城門突破なんて
顔を
乱入者を堰き止めんと並べた盾鈑の列。その連壁にミカヅチも肩を当て、僅かでも押し戻さんと踏ん張っていた。加勢の最中に感じた圧力の急速なる減衰。包囲陣を建て直す好機と判じ、改めて叱咤激励の怒声を浴びせ始める。
「もう少しで
見通しが立ったと溌溂さを取り戻した次の瞬間、
背面の広場に横一列で展開する
「皆の者、背後を盾で守れ!。新たな敵襲だぞ!」
一斉に回れ右をする城兵達。突如として盾鈑の障壁が無くなり、狗奴人の前に逃走路が開ける。切羽詰まった者には雲海から差し込む一筋の光明と思えたに違いない。
――白い粉に比べれば、背中を向けた
粉玉の魔手から逃れんと周章狼狽していた集団が「我も我も」と城内広場に殺到する。格闘試合で鍛え上げた背中を一心不乱に掻き分け、人垣を抜けた後は蜘蛛の子を散らす様に散開した。
熊襲族――彼らは城兵と狗奴人の服装を見分けられない――の無差別射撃は続き、狗奴人の一部が餌食となって倒れ込む。その同士討ちが混沌の先駆けとなった。敵地進入を果たしたと喜ぶべき者すらも城内を逃げ惑う有様。
居住棟や各種工房の周辺も十分に騒がしかったが、それは避難民の発する喧騒だ。隣を歩く者と先行きの不安を慰め合いながら、城外へと続く行列に着の身着の
彼らは最初、整然とした秩序を保っていた。ところが、1人の放った絶叫が事態を一変させる。行列に紛れ込んだ狗奴人を見付け、驚愕と恐怖に身を
山狼は、喧騒から離れた場所で群れ、静かに状況を見守っていたが、小心者の犬は別の反応を示す。興奮の余り縦横無尽に駆け回っては、避難民と狗奴人の区別無く吠え立てる。恐慌を来した女子供の金切声が方々で上がり、混迷の色を増々濃くする。
この頃になると、熊襲族の攻撃も
反面、邪馬台軍の方は徹頭徹尾、城内鎮撫に余念が無い。事態の更なる悪化を避けるには城門の閉鎖が不可欠。後顧の憂いを取り除かんと、ミカヅチは南門に向き直る。
「残った
門扉を閉ざされると、一揆衆は行動目的を喪失したも同然となる。煽動者の姿を見失っては、熱情も瞬く間に冷めるものだ。城外に佇立する数千の人影。薄闇の中では判然としないが、呆然とした面様だけが男達に共通する。覚醒直後の夢遊病者を思わせる表情だった。
「もう俺達の出番は無いと思うぞ。どうせ矢も尽きるしな・・・・・・」
冷静な状況判断にはスサノオも
辺りを見渡せば、
眼前に広がる荒廃の光景。駆ける者や足を引き摺る者。弱者の生存本能として集団行動を保ってはいるが、単独行動に走る者も散見された。或る者は高く腕を
残されたスサノオは、広場の喧騒に背を向け、宮殿と思しき建屋に向かう。卑弥呼に「不思議な白い粉を分けろ」と迫らねばならない。
我ながら驚天動地の叛乱劇には戦慄するが、狗奴人にも少なからず犠牲者が出た今、彼女の同意は譲れぬ一線だった。
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