第03話 スサノオの叛乱

 東の空が白み始めるに連れ、起き出した一揆衆は朝餉あさげの準備に取り掛かる。最初の作業は火熾ひおこしだ。

 ひのきの着火棒を、杉板に開けた穴に押し付け、一心不乱に擦り付ける。両手の掌腹を激しく前後させ錐揉み式で頑張る者も居れば、着火棒に紐を巻き付け弓切り式に賢く回転させる者も居る。

 やがて黒焦げた摩擦面が白煙を上げ始め、炭化した粉塵が枯れた杉葉の下敷きに落ち始める。れた熱が小さな火をともすと、今度は細心の注意と迅速さの求められる工程だ。その種火を昨夜の火場に積み直した薪の隙間に差し込む。慎重な息吹で酸素を送り、威勢良く燃え始めれば一段落。

 手に肉刺まめこさえる作業は敬遠され勝ちで、最初の炎は聖火リレーの如く周囲の班に広がって行く。要領の良い男達は、怠け者と指弾されるのも癪だから、次なる段取りに取り掛かる。玄米を容れた須恵器すえきに小川の水を注ぎ、環状に整えた焚火の中央に安置して待つ。

 後は暖を取りながら湯気の出具合を見守る待つばかり。食感について一つ注釈するならば、密封性の劣る当時の鍋では炊飯時の圧力が足りず、強飯こわめしと称すべき程に硬く仕上がる。米穀に限らず、木実きのみ等の硬い食材を食べ慣れていて、顎の強い彼らだからこそ美味と堪能できる代物であった。

 さて、陶器の中では丈夫で軽く遮水性にも優れた須恵器だが、唯一の欠点は直火に弱い事だろう。野焼き焼成の土師器はじきよりも薄肉な分だけ耐火性に劣る。割れては困るから、火炎より微妙に離す。更に万全を期すなら、表面を泥で遮蔽覆コーティングする。

 反面、重い土師器は携行に適さず、現地での須恵器購入は理に適っていた。脆さを気遣う所作は確かに面倒だが、狗奴くぬに残した家族への手土産にもなる。何せ高温で焼く須恵器の表面は燻銀いぶしぎんの光沢を放っており、赤土色の土師器よりも格段に上品であった。

 ちなみに、須恵器一色の城内では、炎の踊る薪ではなく、入熱量を制御し易い木炭や竹炭を使用する。長く燃え続ける炭は床暖房の熱源ともなり、焼き割れ防止と一石二鳥だからだ。

 一方、城外では、製造に手間取る炭を山間の専門業者から入手する。つまり、気安く使えない。手持ちの籾米が少ない一般庶民の間では今以いまもって土師器が主流である。

 皆一様に抱き結んだ膝に顎を載せ、凍えた身体を焚火で温めていた。背中に当る陽光の居心地の良さに微睡まどろみ始める者も居る。朝靄あさもやまとった冷気に抗わんと、壺型鍋の漏らし始める炊飯音が耳に心地良い。

 ただ、スサノオの周辺だけが慌ただしい。焚火単位の小集団を束ねる班長が次々と、扇動者の元に出向き、何やら重要な指南話を持ち帰る。

 仲間の輪に戻った1人が険しい表情を浮かべていた。不審に思った一堂は、吹き零れた壺型鍋を逆さに蒸らしながら、怪訝そうに班長を凝視する。

「今年の群れ騒ぎも終わりなんだろう?」

 質問には答えず、押し黙ったままにドスンと腰を降ろす班長。昼光にも負けず存在を誇示する焚火に目を据え、顎の無精髭を撫で回している。

如何どうした?。何て言われたんだ?」

「今年は違うんだと」

「何が?」

温和おとなしく引き退がらないそうだ」

「引き退がらないって、如何どう言う事だ?」

「今夜、城を攻める。その為に熊襲くまそを呼んだ、と」

「何だ、それ?。攻めるって、この槍でか?。城の戦人いくさびとは鉄剣を持ってるんだぞ!」

「俺だって分かっているさ!」

「俺達にいくさが出来るのか?。野猪いのししを狩るのとは要領わけが違うぞ」

 腰の引けた指摘に「そうだ」「そうだ」と同調の相槌が続く。

「城を攻めた後は如何どうするんだ?」

「白い粉を手に入れる。元々、それが目的だからな」

「邪馬台の奴らが作り方を教えるのか?。教えて貰ったとして、狗奴くぬに作れんのか?」

「そんな事は・・・・・・分からん」

「分からん、って。俺達、如何どうするんだ?」

「近くの焚火を巡って、方針を伝えて来る。他の奴らが何と言うか、此処に戻ったら教える」

 立ち上がった班長が「それで良いか?」と、全員の顔を眺め回す。諾否の即答が難い遣り取り。或る者は目を逸らし、或る者は俯いた。意思表示を避ける沈黙だけが共通している。

し!」と自身を奮い立たせ、隣の焚火に移動する班長。残された一堂は、米飯を装うでもなく、その後姿を盗み見る。耳をそばだてても議論の経過は判然としないが、悠長に朝飯を食う余裕は無かった。


 結局の処、1万人もの一揆衆の内、約4割が襲撃への加担を拒んだ。大きく勢力を削がれたとは言え、狗奴人くぬびとの手には石槍。300人の精鋭熊襲くまそ族も加勢している。対する城兵は500人に過ぎず、殆どの城民は狩りの経験すら無い。彼らの慣れ親しんだ道具は鉱石を砕き鉄餅てっぺいを叩く金槌のみ。

 彼我の戦力を比べるに、互角以上の展開を望めそうである。離脱者が続出し、布陣の瓦解する可能性すら危惧していたスサノオは、期待を上回る結果に安堵した。

 遅い朝餉あさげで腹を満たした脱落者が三々五々に帰郷し始める。持参した籾米も残り僅か、長い石槍1本の他に特段の荷物は無い。傍目には食後の散歩を楽しんでいる風に見える。しかし、太陽が昇るに連れて頭数は増え、明らかに大きな人流となった。

 引揚げに気付いた哨兵が慌てて物見櫓ものみやぐらの梯子を降り始める。全力で馳せ参じた先の屯所とんしょにはミカヅチが控えている。ミカヅチとは現代用語の〝将軍〟や〝軍務大臣〟に相当する呼称。それが口伝えに転じ、雷や剣の権化として神話に登場する建御雷神たけみかづちと化す。

 彼もた就任時に生来の名前を喜捨している。邪馬台城では、元首である卑弥呼の他、智臣オモイカネと武臣ミカヅチの2人の側近だけが神域に転生した存在として特別視されていた。

 筋骨隆々たる偉丈夫の前で、片膝を突いて拝跪はいきする哨兵。涸れた喉に言葉を詰まらせながらも、「狗奴の者共ものどもが帰還し始めた」と報告する。

「そうか。引潮に転じたか・・・・・・。今年の祭り騒ぎも終わりだな」

 歴戦の古参兵であっても、1万もの大群衆と対峙すれば、一抹の不安に襲われよう。部下の前では昂然と胸を張り続けるミカヅチだったが、此の時ばかりは頬を緩め、深い呼気を漏らした。

 

 今夜はさくまで数日を残した月齢の時分。下弦の三日月は未明にしか昇らず、当面の間は星明りしか頼れない。つまり、夜陰に乗じて奇襲攻撃を仕掛けるには最善の好機。時の運が攻め手に味方したようだった。

 緊張を解きつつあった城塞に忍び寄る熊襲くまそ族の群れ。配置に着くと腰紐から鉤縄かぎなわを取り外す。投げ縄の要領で先端のおもりをグルグルと振り回し、城壁の内側へと投げ入れる。綱紐ロープを手繰り寄せては手応えを確かめ、煉瓦の窪みに石が嵌り込むまで何度も繰り返した。

 固着に成功した者から壁面をじ登り始める。四肢が左右に揺れる動作は丸で蜥蜴とかげ。登頂した城壁の歩廊に腹這いとなり、油断無く辺りを窺う。

 哨兵の不在を確認すると、今度は懸垂下降での侵入作戦を開始する。内側に垂らした綱紐ロープを太腿で挟み、両腕両脚を交互に曲げ伸ばす。内堀の水面に身体を浸し、音も立てずに対岸まで泳ぎ着くと、土塁の昇り斜面を匍匐ほふく前進する。

 密偵の如き侵入を企てられると、大軍勢の足止め用に巡らせた水の環も無用の長物と化す。城側の防御網を嘲笑うかのように、鹿砦ろくさいの根元に連なった全員が突撃体制を整える。事前に定めた役割分担に従い、銘々が襲うべき対象を見定めていた。

 準備万端と判断した族長が、傍らに控えた若者の肩に手を乗せ、顎をしゃくる。彼は短弓の名手だ。無言で頷き返すと、中腰の姿勢に起き上がる。弓弦ゆづるつがえた矢羽やばねを引き、物見櫓ものみやぐらに矢尻を向ける。隻眼の狙う先では、1人の歩哨が手持無沙汰にたたずんでいた。

 放たれた征矢そやは一直線に闇の中を飛翔する。首筋を射抜かれた射的が短く呻き、手擦りの上にくずおれた。頭が下がり、重心を崩した肉体は放物線を描いて落下する。木偶でくと化した最初の戦死者が地面に鈍い音を響かせる。

 族長の口笛に呼応し、付近の土塁から走り出す十数人の男達。城門を目指して疾駆する。全員が皆、我が身を隠せぬ場所に長居は無用。迅速な行動こそが最善の自衛措置だと心得ていた。観音開きの門扉を開けようと総出で重いかんぬきを持ち上げる。

 その刹那。音も立てずに駆け寄って来た動物が1匹、大きく跳躍すると熊襲族の輪に襲い掛かる。最後尾の男の首筋に噛み付くや否や、地面に引き倒した。

 無防備な後背を衝かれ、開門作業が頓挫する。虚しく響いた閂受を叩く重量音。その籠った音は、城兵を呼び込むに至らないにせよ、当事者の心胆を寒からしめるに十分だった。

「奴ら、厄介な代物を飼っていやがる。山狼おおかみなんて話、聞いていなかったぞ」

 飼主に従順な犬と異なり、山狼の忠誠心は群れの指導者に向く。筆頭格の個体を懐柔しない限り、全体を統制できない。つまり、使役の難易度が高く、猟犬を伴う熊襲族すらも中々飼い慣らせずにいた。

 反面、高い俊敏性と強い敵愾心は軍用犬に相応しい資質。更に言えば、獲物を個々に襲うばかりでなく、連携しつつ集団で挑む習性は何物にも替え難い。だから、代々の城兵は彼らの養育と教練に腐心してきたのだ。

 現に今も、残りの侵入者を牽制せんと獰猛な唸り声を闇に這わせている。その威嚇を前にしては、百戦錬磨の狩人ですら身をすくめざるを得ない。丸腰では歯が立たぬと手にする防身具は、長い黒曜石の末端を毛皮で巻いただけの庖刀ほうとう。敵意剥出しの野獣に立ち向かうには心許無い飛道具だ。

 二匹三匹と周囲に集まり始め、直ぐに20匹を超える。右に左に彷徨うろつき、攻撃の時宜タイミング間合まあいを計っているようだ。深更の暗幕に爛々と輝く対の眼光が恐怖心を煽る。少しでも臆する気配を見せれば、即座に跳び掛かって来るだろう。

「おい、皆の者!。山狼おおかみを弓で射よ」

 防護柵バリケードの陰に潜んだ男達が一斉に立ち上がり、周囲から迫り来る陰影に連射し始めた。だが、警戒心を露わにした野獣の動きは想像以上に機敏。射程限界から射込まれる攻撃をことごとく躱す。征矢そやの無駄ちは厳に慎まねばならないが、手持ちの残余を数えている余裕は無かった。

「おい!。早く門を開けろ!。狗奴くぬの奴らを引き入れるんだ!」

 族長の一喝で我に返り、閂の傍らに並び直す黒い集団。左右から射込まれる弾幕が山狼を牽制する中、力ませた両腕に意識を集中する。抱え上げた重い丸太を肩架けに担ぎ、内堀へと歩を進める。どの男も大粒の汗を流し、赤い根性顔を歪ませていた。そして、やっとの思いで水面に放り込む。

 バッシャーン!

 城門の外側ではスサノオ達が草叢くさむらに伏臥中。派手な水音が彼らを身構えさせた。ギギィ~と観音扉が内側に開くや否や「ウォー」と雄叫びを上げて殺到する。多勢の踏み足が地響きを轟かせ、山狼の包囲網すら拡散させる。


 城民の大半が安眠を貪る一方で、活動中の者も多い。居住棟では何組もの男女が閨房の営みに励み、窖窯あながまが稼働中の工房では夜勤者が寝ずの番に詰めている。

 異変に気付いた者は、屋外の物音に耳をそばだてていたが、流石さすがときの声を聞くと不安を抑え切れない。自らの目で確かめようと浮足立ち、建屋の出入口から顔を覗かせた。

 恐れおののく彼らを尻目に、両刃の厚剣こうけんと楯を両手に持った中守なかもりの兵達が南門に急行する。

「檻の山狼おおかみと犬を全て解き放て!、御前達は俺に続け!」

 ミカヅチが阿修羅の如き表情で怒鳴り声を張り上げる。

 宮殿警護に一定数を割いた後、残りの城兵を率いて自ら鎮圧に向かう。四つ足が駆け抜ける躍動音が彼らを追い越して行く。暗闇に双眸を光らせた群れが、勇猛果敢な暗殺集団と化し、砂埃を上げる人集ひとだかりに跳び掛かる。

 不意を突かれた狗奴人くぬびとが悲鳴を上げた。鋭牙の洩らす生臭い吐息を振り払おうと地面を転げ回る。ところが、状況を把握できない後続の者は只管ひたすら、前列の背中を押し続ける。転倒者に足を掬われもするが、乱入の勢いは衰えず、殺到の矛先が拡散するばかりだ。

 山狼に比べると、犬の方は愈々いよいよ頼りなかった。襲うよりも先に吠える犬の習性。何十匹もの吠え声が重なれば、其れなりに周囲を威圧する。だが、押し入った群衆を動揺させはしても、追い返すには至らない。

 後詰の兵達が南門に到着した時点で、既に千人余りが侵入を果たしていた。横一列に並んだ歩兵が盾鈑を構えて対峙する。押し寄せる暴徒の勢いを防御壁の中央で受け止めつつ、半円形に包囲せんと両翼の部隊が前進する。

 石槍を手にした狗奴人は、闇雲に体当たりを繰り返し、包囲陣を突き崩そうと試みる。絶対防衛線と心得る城兵側も、盾鈑の隙間から重質な厚剣を突き刺し、必死の形相で押し戻す。人熱ひといきれで蒸した肉塊の隙間からは汗臭い湯気が立ち込め、呻き声や怒鳴り声が蔓延した。

 殺気が殺気を呼ぶ戦場独特の空気。理性を失った者が殺人鬼と化すのは早い。其処彼処そこかしこで興奮と騒乱にまみれた白兵戦が展開され始める。死傷者を数えると、圧倒的に狗奴人が多い。その倒れた死傷者が足場を塞ぎ、膠着状態に陥る戦線。

 ミカヅチ達は累々と重なる屍体しかばねを乗り越え、押し戻そうと奮闘するも多勢に無勢。次から次に暴徒が湧き溢れ、城内へと雪崩れ込む圧力は相当なものだ。「このままでは埒が明かない」と判断した彼は、戦術変更を決意する。

 有能な指揮官は戦況確認を怠らないものだ。近くで剣戟けんげきを振るう小隊を捕まえ、新たな指示を出し直す。城門死守の伝令を果たしたら、現地の敵勢を報告せよ――と言い含め、東・北・西の三方へと1名ずつを派遣した。残った兵の全員には「粉玉こなたまを持って来い!」と命じ、屯所へと引き返させる。


 城兵の制止を擦り抜けたスサノオは族長の姿を探し回っていた。捜索の目から隠れる物陰を転々と移しながら、城内の混乱振りをつぶさに観察する。戦局を俯瞰し臨機応変に指図し直す指導者像を脳裏に描いていたからだ。

――頭数の多い俺達が城の兵に押されている。何故だ?

 屯田兵と専門兵の実力差、現実には其れ以上の格差が主因である。狗奴人くぬびとは、屯田兵ですらなく、単なる農民に過ぎない。手にした狩猟用の石槍を、殺人の凶器ではなく、牽制の道具としか考えていない。対する城兵は暴徒を無力化せんと剣を振るう。つまり、勝負に成らない。

 人数や装備力ではなく気構えの問題なのだが、兵理に暗いスサノオの意識は(誰の尻を叩くべきか?)と犯人捜しに終始していた。案の定、土塁の陰に潜む熊襲族の働きがかんばしくない。乱闘の輪を遠巻きに避け、談判せんと族長の元へ急ぐ。

「もっと沢山の矢を射てくれ!」

 毛皮の両襟を掴み、鬼気迫る表情で大声を張り上げた。

「押し合うだけでは活路を拓けない。御前達の援護が必要だ」

 片や、盟友と頼まれた方は「俺達は約束を果たした」の一点張りで、迷惑そうに口許を歪めている。襲撃を大掛りな押込強盗だと考える彼にとって、強奪を可能とする混乱が生じさえすれば十分なのだ。

「城門を開けたのだから、俺達は米蔵に向かわせて貰うぞ。後は自分達で何とかしろ」

「馬鹿な。あの出口が見えるだろ!」

 現実を直視させようと、南門前で入り乱れる黒山の群衆を右腕で指し示す。

「糞詰まっているのに、如何どうやって運び出す?」

「真向いの北門からだ」

「笑わせんな。城の戦人いくさびと熊襲くまそを通してくれんのか?」

 余りの苛立ちに左腕さえもブンブンと振り回す。

「城を落とさねば、米は手に入らんぞ!」

「俺達に何が出来る?。距離が開き過ぎて、奴らには矢が届かないぞ!」

「だったら、一緒に戦え!」

「俺達は槍を持っていないんだぞ。この短い出刃でばで討ち合うのか?。無駄死は御免だ」

「城内の奥深くに進み、奴らを背中から射るんだ」

 面倒な事を追加で頼みやがる――と舌打ちするも、「戦闘中の搬出が不可能」との指摘は正しい。局面打開には今暫いましばらくの共闘が不可欠だと頭では理解している。「仕方無い」と不承々々ふしょうぶしょう、前言を撤回する族長。「内堀を泳いで迂回し、後背から再攻撃せよ」と命令し直した。


 2人の口論する場所から数百メートルも離れた封鎖活動の最前線では、「南以外の城門に狗奴人くぬびとの影は見えず」との報告がミカヅチの耳に入る。浅はかな攻略法には抜穴が付き物だが、今回の攻め口は〝ざるに水〟と酷評すべき程に緩い。即座に「残りの三門から城民を避難させよ!」と号令する。

うち守人もりとに護らせ、我がきみにも此処から逃げて頂くのだ!」

 念押しとばかりに報告者の肩を掴み、大きな怒声を響かせる。彼の頭中には籠城戦や徹底抗戦の発想が浮かばない。人命こそが最優先とわきまえていた。邪馬台城の依って立つ基礎いしずえは知識であり、その実践を担う人材にある。

 続いて、部下達がゴロゴロと押し曳く二輪台車を見遣った。荷台には球形の須恵器が満載だ。秘密兵器の陶球を認めた彼は、辺りの喧騒に負けじと声を張り上げる。

粉玉こなたまを載せた荷車を物見櫓ものみやぐらまで曳いて行くぞ!」

 侵入者と奮闘中の包囲陣は、「道を拓け!」との督励に呼応し、南門方向の層を厚くした。その弊害として、薄くなった反対側が破られる。正に決壊、朽葉色した貫頭衣の連なりは氾濫した濁流を思わせた。そうであっても、指揮官としては防衛拠点の確保を優先せざるを得ない。

 物見櫓に辿り着いた先遣の3人が梯子を登る。展望床に立った1人が投擲とうてき役、残る2人は補充役だ。縄に垂らした網籠に容れた陶球の数は十余り。何度も上下させては続々と吊り上げる。それをつかんだ大柄の若者が、大きくかぶって、眼下の暴徒に投げ付ける。

 殻の薄い須恵器が次々に宙を舞い、狗奴人の頭に当たって砕け散る。飛散する白い粉。人工的なもやが地表に漂う。直撃を受けた者だけでなく、ひしめく周囲の者までもが白髪に染まった。

 白い粉の正体は生石灰きせっかい

 乾燥状態では無害の鉱石粉も、加水と同時に化学反応を起こし、高温を発する。揉み合う肉弾戦の真只中まっただなか。誰もが大量の汗を掻いていた。間も無く、毛髪を白くした者が口々に「熱い!熱い!」と叫び始める。現代に喩えるならば、暴動鎮圧用の催涙弾。戦意を喪失させる効果は著しい。

 身悶えすらもままならぬ押競おしくら饅頭の状況だ。芋虫の様に身をよじる動きが災いして、生石灰が隣人に塗り移る。内堀に身を投げる者も多いが、完全に洗い落とさぬ限り、発熱量は倍加する。火傷を訴える悲鳴が水面を覆った。

――現人神あらひとがみの許しを得ずに踏み入った神罰なのか?

 狗奴人の間に広がる当惑と動揺。焼けるように熱くても、炎は見えぬ。迷信深い者が恐慌を来たすに十分な怪現象だった。

 鎮圧効果を認めて意を強くする空中の雷撃隊。遠投用の紐付き網袋を新たに引き揚げ、2人の補充役が手際良く陶球を包む。紐の先端を掴んだ投擲とうてき役は、砲丸投げの要領で回転し、力任せに遠投する。連発に次ぐ連発。星空を目指した丸弾は、放物線を描いて、眼下の薄暗い空間に落ちて行く。

 その一つが、左右の塀を繋ぐ城門の渡廊下に砕け、生石灰を撒き散らした。降り注ぐ白い霧を隠す深更の暗さも被害者の恐怖を軽減しない。むしろ、想像力を掻き立てる方に作用したと言える。

――城門突破なんてとんでもない!

 顔をらせた男達が後退あとずさる。更には、背後に連なる人垣をじ登り、仲間の頭を踏み越えて逃走を図る。依然として後方の群衆は「押せよ、押せよ」の一点張りだから、土橋の通路は阿鼻叫喚の渦巻く修羅場と化した。

 乱入者を堰き止めんと並べた盾鈑の列。その連壁にミカヅチも肩を当て、僅かでも押し戻さんと踏ん張っていた。加勢の最中に感じた圧力の急速なる減衰。包囲陣を建て直す好機と判じ、改めて叱咤激励の怒声を浴びせ始める。

「もう少しで不逞ふていやからを城外に締め出せるぞ!」

 ところが、彼の安堵を新手の敵が掻き消した。背後から忍び寄る熊襲族が物見櫓に一斉射撃を仕掛けたのだ。墜落する投擲とうてき兵。呻き声に続く崩潰音を耳にした全員が身構える。射出地点を探らんと、血走った眼で周囲を見渡す。

 背面の広場に横一列で展開する弓箭きゅうせん隊。城兵に照準を合わせる様は、さながら狙撃兵の如し。

「皆の者、背後を盾で守れ!。新たな敵襲だぞ!」

 一斉に回れ右をする城兵達。突如として盾鈑の障壁が無くなり、狗奴人の前に逃走路が開ける。切羽詰まった者には雲海から差し込む一筋の光明と思えたに違いない。

――白い粉に比べれば、背中を向けた戦人いくさびとなんて恐くない。

 粉玉の魔手から逃れんと周章狼狽していた集団が「我も我も」と城内広場に殺到する。格闘試合で鍛え上げた背中を一心不乱に掻き分け、人垣を抜けた後は蜘蛛の子を散らす様に散開した。


 熊襲族――彼らは城兵と狗奴人の服装を見分けられない――の無差別射撃は続き、狗奴人の一部が餌食となって倒れ込む。その同士討ちが混沌の先駆けとなった。敵地進入を果たしたと喜ぶべき者すらも城内を逃げ惑う有様。

 居住棟や各種工房の周辺も十分に騒がしかったが、それは避難民の発する喧騒だ。隣を歩く者と先行きの不安を慰め合いながら、城外へと続く行列に着の身着のままで加わる人々。

 彼らは最初、整然とした秩序を保っていた。ところが、1人の放った絶叫が事態を一変させる。行列に紛れ込んだ狗奴人を見付け、驚愕と恐怖に身をすくませたのだ。危害を加える意思が無くとも、彼らの石槍は凶器として認識される。

 山狼は、喧騒から離れた場所で群れ、静かに状況を見守っていたが、小心者の犬は別の反応を示す。興奮の余り縦横無尽に駆け回っては、避難民と狗奴人の区別無く吠え立てる。恐慌を来した女子供の金切声が方々で上がり、混迷の色を増々濃くする。

 この頃になると、熊襲族の攻撃も尻窄しりすぼみとなっていた。誰が敵で、誰が味方なのか。矢尻の狙いを左右に彷徨さまよわせるものの、追加の征矢そやを放てないからだ。元々消極的だった事も大きい。

 反面、邪馬台軍の方は徹頭徹尾、城内鎮撫に余念が無い。事態の更なる悪化を避けるには城門の閉鎖が不可欠。後顧の憂いを取り除かんと、ミカヅチは南門に向き直る。

「残った粉玉こなたまで後続の侵入者を押し止めよ!。そして、南門を閉じるのだ!」

 弓箭きゅうせんの脅威が霧消した今、兵士達が機敏に反応する。二輪台車へと一斉に駆け寄り、展望床から放るよりも遥かに多い数の陶球を投擲とうてきする。この弾幕が決定となった。

 門扉を閉ざされると、一揆衆は行動目的を喪失したも同然となる。煽動者の姿を見失っては、熱情も瞬く間に冷めるものだ。城外に佇立する数千の人影。薄闇の中では判然としないが、呆然とした面様だけが男達に共通する。覚醒直後の夢遊病者を思わせる表情だった。

「もう俺達の出番は無いと思うぞ。どうせ矢も尽きるしな・・・・・・」

 族長の冷静な分析にスサノオもうなずかざるを得ない。「米を奪いに行くからな?」との念押しにも散漫な応答を返すのが精一杯だ。でも、無頓着な族長には彼の生返事で十分だった。黒い集団は、待ち兼ねた号令にときの声で呼応し、穀物庫を探さんと一目散に走り去る。

 辺りを見渡せば、何時いつしか東の空に月が弓を張り、遠慮勝ちに城郭内を白く照らしていた。建造物の難燃性が邪馬台城の長所なれど、炬火柱の倒壊による出火は散見される。煙火の放つ赤い光も手伝い、おぼろながらも遠くまで見渡せた。

 眼前に広がる荒廃の光景。駆ける者や足を引き摺る者。弱者の生存本能として集団行動を保ってはいるが、単独行動に走る者も散見された。或る者は高く腕をかざし、或る者は振り回している。其々が懸命に活路を拓こうと奮迅しているが、視野外の第三者に構う余裕の無い事だけが共通していた。

 残されたスサノオは、広場の喧騒に背を向け、宮殿と思しき建屋に向かう。卑弥呼に「不思議な白い粉を分けろ」と迫らねばならない。現人神あらひとがみとの対峙に気後れしそうな自分を奮い立たせ、腹に力を込めた。

 我ながら驚天動地の叛乱劇には戦慄するが、狗奴人にも少なからず犠牲者が出た今、彼女の同意は譲れぬ一線だった。

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