第02話 偽りの安寧
常日頃、卑弥呼と宗女達は車座になって食事を摂る。朝晩の寒さが身に沁みる時節となり、鎮座する大広間の板張りには大きな熊皮の敷物が何枚も敷き詰められていた。粛然とした空間が
殆どの城内居住棟には共同炊事場が併設され、韓国の
ところが、厨房の離れた宮殿だけは床暖房の対象外。だから、重ね着して寒さを凌ぐ。今は絹布製の小袖だけを召しているが、霜降の頃には袖無しの
加えて、分厚い特別仕様の
寝食を共にする宗女達は次代卑弥呼の候補生。
魏志倭人伝は『其(倭国)の山には丹が有る』と指摘するが、中国人が赤い顔料として重用した
次世紀には水銀を得る鉱物として脚光を浴びるのだが、その功罪は別の
少女らの顔貌を引き立てる赤い顔料の正体は阿蘇の旧カルデラ湖で産出するリモナイト。湖沼に繁殖した鉄バクテリアが
顔に斑点を着ける風習は邪馬台城の構成員を自認する
顔料の溶剤には、近海で獲れる白身魚――外見がイシモチに酷似する
彼女達の前に並んだ幾つもの須恵器。一品ずつ盛られた料理に目を転じよう。実りの秋は品数も多い。採れ立ての玄米は勿論、栗や
同史書が『
春に油菜や山菜、初夏に
生野菜はビタミン源として重要だが、
江戸時代の人々が夢中になった『銀シャリ(白米)』とは全くの別物。却って、それが良かった。食生活に恵まれぬ弥生時代に
備蓄用穀物として栽培の普及した大豆は、石膏のニガリを使って豆腐に加工されもする。但し、鉱石を豆腐作りの為に
調味料は塩と
製法は至って原始的で、両者とも海の恵みと言っても過言ではない。専ら沿岸部の住民が作っている。潮風に塩化される土地では稲作も難しく、食糧との物々交換を不可欠とする彼らにとっては正に賜物であった。
遠浅の有明海では長時間、干潟の
邪馬台城の場合、そんな一般的な製法に加え、平尾台産の岩塩を粉状に磨り潰したりもする。しかし、飽くまで奢侈品の類であり、宮殿での饗応でしか口にしない。
魚醤については、魚の内臓を塩漬けにし、好気性細菌が発酵する
宮殿とは
「お疲れ様でした。積もる話は後で聞くとして、さぁさぁ、食べましょう」
卑弥呼が
社会情勢や国際政治の動向分析を担う彼は、東西南北を広く
「この度は何処を放浪して戻ったのじゃ?」
「はい。白き岩々の山に御座います」
邪馬台城の北東60キロの距離に広がる平尾台。緑に覆われた山肌の至る所に白い石灰岩が頭を覗かせている。
「
「はい。全て
彼の言葉を聞き漏らすまいと、宗女達が身を乗り出す。教師の講話を興味津々で待つ女生徒の顔付きが並ぶ。外界に向ける関心は、卑弥呼よりも寧ろ、
「大槌を
溌剌とした宗女が好奇の目を輝かせて質問する。15歳の彼女にとって、三十路を迎えんとするオモイカネは教師なのだ。宗女の誰もが神位を継ぐ可能性を秘めており、彼の方でも教育の手間を惜しまない。
「ツイナよ。拾うのではない。掘るのだよ」
「掘る?。芋の様に地面から掘り出すの?」
「いいや。山の洞穴に潜り込んだ
石槍の刃先や矢尻の材料となる黒曜石は、平尾台の石灰石よりも更に古く、縄文時代から掘削されている。佐賀県伊万里市や長崎県佐世保市周辺の山々も
姫島の面積は約7平方キロに過ぎず、周防大島(約130平方キロ)と比べて余りにも小さい。また、瀬戸内海には姫島より大きな島が幾つも浮かんでいる。古代人が重要視した島だと容易に知れよう。男女群島も約5平方キロと狭いが、
姫島の黒曜石が鹿児島から大阪までの西日本全域に流通していた事実は、考古学的にも認められている。つまり、邪馬台国は黒曜石を媒体に自らの
「白き石は何故、城に運び込んでから粉砕するのでしょう?」
質問の意図が伝わらず、目をパチクリさせるオモイカネ。自分の性急に過ぎる言動を恥じ、(言葉足らずだった)と小さく舌を出すスクナ。
「米なら、稲穂は
「オモイカネよ。彼女の言い草は
宗女達の質問を卑弥呼自身が楽しんでいた。場が賑やかになるし、彼女らの勉強にもなるからだ。
「御前も知っての通り、平尾の石には幾つもの
平尾台から採掘する岩石は、石灰石(炭酸カルシウム)と石膏(硫酸化カルシウム)、岩塩(塩化ナトリウム)の3種類。その内、石灰石は
「ところが、割り切って言えば、
焼成を担う工房では、大きさや形状の異なる須恵器に容れて分別管理を徹底し、異材混入の可能性を排除している。
「見分け易い大きさで持ち込まねば、その後の作業に間違いが生じるのだよ」
「そうね、オモイカネ様。塩と勘違いして他の粉を舐めれば、舌が溶けちゃうものね」
消石灰を想起したツイナが納得顔で相槌を打つ。
「ところで、白き石の状況は分かったが、黒き石の方は
日本では珍しい露天掘りの貝塚炭鉱(福岡県若宮市)が、北北東に徒歩で1日から2日の近距離(約50キロ)、平尾台の西隣に位置する。其処で採掘する石炭を『黒き石』と呼ぶ。
「我々は天佑の地を見付けました。
「それで、
「はい。試しに使ってみたら、短い
製鉄工程とは酸化鉄(鉄鉱石)の還元反応に他ならない。反応速度は入熱量に左右されるが、その熱源と還元剤を兼ねる存在が炭素である。一口で「炭素」と言っても色々で、石炭を産出しない朝鮮半島南部では木炭を使用中。生産性が頭打ちとなるので、貝塚炭鉱の石炭を渇望している。
「目下の悩みは
「そうですか。それは良かった。
交易品の多角化は倭韓貿易を安定させる。鉄製農工具の増産は人々の暮らしを豊かにする。順風満帆だと知った卑弥呼は満面の笑みを浮かべた。
景気の良い話に華やぐ一堂。
ひたひたと冬が迫るに連れて早くなる日没時間。青黒い
南門前に
夜空の漆黒が濃さを増し、満天の星々を縫い
スサノオら幹部の十数人は、
「なあ、スサノオよ。
数週間の野営生活を経て、呼ばれた彼自身も焦燥感に駆られていた。統率者らしく8の字に結った左右の
「本当に
焚火を囲む全員が同じ不安を抱いている。吐露した弱音が恐慌の堰を切りそうだ。
「来る――、必ず来る!。奴らは喉から手が出る程に城の米を欲している」
疑念を追い払う呪文の様に強く言い切った。だが、空虚な抗弁に周囲は納得しない。後詰めの援軍が来ぬ限り、企てが画餅に帰すのは自明の理。立往生を強いられた彼の困惑を敏感に察しているからだ。頓挫を憂慮する空気が多弁を招く。
「
沈黙は疑心暗鬼の温床なり。根拠の
「鮭を捕り終わってからだ」
熊襲族の生活拠点は桜島の火山灰に覆われたシラス台地。稲作には不向きの狭い平野が彼らに縄文時代と変わらぬ生活を強いていた。今頃は、白髪岳南麓を源流とする
「それって
膝を抱え込んだスサノオは視線を焚火に釘付ける。猶も食い下がる男を無視し、自閉の繭で全身を覆い尽くす。その沈黙が八方塞がりの状況を如実に語っていた。勇気付けを期待した男も
更に何本かの木切れを放り込んだ頃、「なあ、スサノオよ」と別の男が疑問を呈する。彼も先々の展望に戸惑う一人だった。
「年を追う毎に門前に集う
展望の開けぬ交渉は博打と同じ。叶わぬ夢を追い求めるよりは地道に生きる事を指向すべきかも・・・・・・。
「こんな事を続けるよりは、沢山の
島原湾や八代海沿岸の干潟や湿地には葦科の
「
今度はスサノオも素直に返答する。得意分野の話ならば口調も滑らかだ。
「確かになあ。毛皮と取り換えるなら、茣蓙をウンと編まなきゃならんもんなあ」
邪馬台国の経済圏に
毛皮の売手は、
端的な事例は鉄との交換。比重の最も重い鉄は朝鮮半島からの輸入品だ。邪馬台城で鍛冶の手間も加える。誰の目にも価値は明らかで、僅かな分量しか入手できずとも不満は出ない。
但し、人々が重量基軸に納得するだけでは円滑な物々交換を望めない。例えば、
必然的に万民の欲する籾米が取引媒体として浮上する。しかし、白羽の矢を立てたものの、所詮は食糧。通貨とは異なる。価格なり相場変動の概念は芽生えていない。それでも、経済運営を取り仕切る上では欠くべからざる存在だ。だからこそ、自ら貯米する事を目指している。
スナノオの難解な講釈は丸で催眠術だ。重くなった目蓋を擦る仕草が連続し、話に飽いた者から
炎勢が衰え、
狩猟を
元々毛深い民族であるが、髭を剃ったり髪を結う風習を持たない。ただ、山野を駆け回っても枝葉に絡まぬ程度には燃える薪の先端で焼き整える。それでも、獣皮を縫い合わせた
一方、
因みに、インド原産の木綿は中国にすら伝来しておらず、綿花栽培の日本普及期は戦国時代。弥生時代の選択肢は麻布と絹布の2種類に限られる。絹布の衣装は、裁縫技術の会得者も僅かで、貴重品だった。必然、
下半身に関して、両者に大差は無い。麻縄の腰紐から二つの筒袋を吊り下げた構造。股間の露出したズボンを連想すれば良いだろう。後世、平民衣装として普及する
股間に巻く
結局の処、外観の相違は上半身に限られるのだが、農耕民族は無意識に相手を蔑み、それを機敏に感じ取る狩猟民族の方でも反発の念を抱いていた。
とは言え、今は利害の一致した同盟軍である。同胞意識の欠如以外に難点を挙げるとすれば、技能格差であろうか。喩えるならば、古参兵と生意気な新兵の混成部隊。
農耕民族が行う冬季限定の狩猟は
つまり、スサノオ達だけで挑んでも勝ち目は無い。援軍を乞うた所以である。狩猟民族の戦闘力が加われば、戦いの展開は違って来る。
石槍を構える狗奴人とは対照的に、熊襲族は完全武装の
且つ、弓術に長けた彼らは
「
「我らは薩摩から夜通し歩き続けて来た」
「分かっている」
「約束の報酬は必ず
「落城の暁には、好きなだけ米を持ち帰れ」
守銭奴を宥める様に返された気前の良い回答。族長は胡散臭さを感じたのか、ザンバラ髪の陰の下で
「俺達の目当ては白い粉。望む物が違うのだから、安心しろ」
と、スサノオが苦笑しながら弁明する。
「ウム。それで、
「今夜、城の民が寝静まった頃。あの壁を
腰紐に結わえた飛道具を確かめる族長。
「敵の数は?」
「恐らく500人程度」
邪馬台城の居住民は1万人前後。窯業や冶金業の従事者が大半で、非生産的な人員を養う余裕は乏しい。貯蔵品の管理や宮殿の給仕等、城内運営に携わる者を優先すれば、兵士に割ける人数も限られる。20人中1人の割合は安全保障に手厚い方だろう。
「その程度ならば、夜陰に紛れた奇襲でも何とか為るだろう」
「案ずるな。星の数ほどの
未経験者の大言壮語が癪に障ったようで、垢の浮いた
「御前さんが幾ら強がっても、仲間は知らんのだろう?。怖気付かねば良いがな」
皮肉混りの鋭い指摘には口を
熟慮する
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