第02話 偽りの安寧

 常日頃、卑弥呼と宗女達は車座になって食事を摂る。朝晩の寒さが身に沁みる時節となり、鎮座する大広間の板張りには大きな熊皮の敷物が何枚も敷き詰められていた。粛然とした空間が黄昏時たそがれどきの薄闇に包まれると、黒光りする獣毛の草原に白い三日月がポツリ、ポツリと浮かび始める。

 殆どの城内居住棟には共同炊事場が併設され、韓国の暖房設備オンドルに近い仕組みが備わっていた。煉瓦竃れんがかまどの温めた空気を屋外に逃がさず、床下を這い回らせるのだ。初夏には導気口を板塀で閉じ、炊事場の天井から暖気を排出して蓄熱を防ぐ。

 ところが、厨房の離れた宮殿だけは床暖房の対象外。だから、重ね着して寒さを凌ぐ。今は絹布製の小袖だけを召しているが、霜降の頃には袖無しの襦袢じゅばんを内に着用する。冬の寒さが深まれば、毛皮の上着を羽織る。

 加えて、分厚い特別仕様の須恵器すえきで木炭を燃やし、宗女達が夜通し交代で番をする。それでも、広間全体を暖めるには至らない。所詮は手先を温める火鉢の替りに過ぎない。

 寝食を共にする宗女達は次代卑弥呼の候補生。主女あるじと同じく絹布の小袖を着ているが、候補生のしるしとしての赤い顔料を顔の所々に塗っている。鼻の頭や頬、額の中央にチョンと一塗ひとぬり。

 魏志倭人伝は『其(倭国)の山には丹が有る』と指摘するが、中国人が赤い顔料として重用した辰砂しんしゃ(硫化水銀)とは別物である。日本では、半透明で深紅の硫化水銀の結晶体が殆ど産出せず、火成岩の一種として断層面に露出する。大陸産に比べて色調もくすんでおり、顔料としては二級品だ。

 次世紀には水銀を得る鉱物として脚光を浴びるのだが、その功罪は別の逸話エピソードで語りたい。さて、本題の邪馬台城に話を戻すとしよう。

 少女らの顔貌を引き立てる赤い顔料の正体は阿蘇の旧カルデラ湖で産出するリモナイト。湖沼に繁殖した鉄バクテリアが沈殿ちんでんした黄土で、褐鉄鉱や湖沼鉄とも呼ばれる。リモナイトを加熱し、粒の大きさで振い分けた後、顔料として使っている。

 顔に斑点を着ける風習は邪馬台城の構成員を自認する帰属意識アイデンティティーの現れだった。赤は神聖な色とされ、リモナイトの産出量も限られたので、候補生だけが赤い顔料を塗る。庶民も同じく顔面に点描するが、此方こちら消炭けしずみを顔料とした黒い斑点だ。

 顔料の溶剤には、近海で獲れる白身魚――外見がイシモチに酷似する鰾膠にべ――の浮袋を煮詰めたにかわを使用する。素気無い様を表現する〝鰾膠にべも無い〟の語源が日本古代の風習に依るとは、読者も少し驚くのではなかろうか。

 彼女達の前に並んだ幾つもの須恵器。一品ずつ盛られた料理に目を転じよう。実りの秋は品数も多い。採れ立ての玄米は勿論、栗や胡桃くるみ、里芋を煮た品々が並んでいる。

 同史書が『倭人やまとびとは夏冬に生野菜を食す』と伝える通り、年間を通じて新鮮な蔬菜そさい類が彩りを添える点が倭食の特徴だろうか。真冬には大根が食卓に上がるが、今は未だ時期が早く、この日の献立には含まれない。

 春に油菜や山菜、初夏に筍子たけのこふき、盛夏には枝豆や真桑瓜、秋には椎茸等の菌糸類が登場する。端境期にはもっぱら有明海で水揚げされた海草。水洗いを軽く済ませ、塩味を残すのが食欲をそそる秘訣と言えよう。

 生野菜はビタミン源として重要だが、脚気かっけ――原因はビタミン不足――患者が稀有な理由は、それだけではない。精米技術の稚拙な当時の主食は玄米。御世辞にも脱穀の程度が十分とは言えず、「籾米と大差無い」との酷評に現代人の誰もが首肯する有様だ。

 江戸時代の人々が夢中になった『銀シャリ(白米)』とは全くの別物。却って、それが良かった。食生活に恵まれぬ弥生時代にいて、胚芽――ビタミンの宝庫――の削除は自殺行為、脚気かっけによる病没者が続出しただろうから。

 備蓄用穀物として栽培の普及した大豆は、石膏のニガリを使って豆腐に加工されもする。但し、鉱石を豆腐作りの為に態々わざわざ粉砕する者は居ない。結果的に、一部の城民だけが食している。

 調味料は塩と魚醤ぎょしょうのみ。高度な発酵技術が伝来しておらず、麹と酵母を積極活用する醤油や味噌は存在しない。

 製法は至って原始的で、両者とも海の恵みと言っても過言ではない。専ら沿岸部の住民が作っている。潮風に塩化される土地では稲作も難しく、食糧との物々交換を不可欠とする彼らにとっては正に賜物であった。

 遠浅の有明海では長時間、干潟のうろに溜まった海水が天日に晒される。塩分濃度の濃くなった鹹水かんすいを須恵器のかめに集める子供達は丸で蜜蜂のようだ。荷車に載せて持ち帰ったら、煮立たせて内面に結晶化した塩を削げ落とす。

 邪馬台城の場合、そんな一般的な製法に加え、平尾台産の岩塩を粉状に磨り潰したりもする。しかし、飽くまで奢侈品の類であり、宮殿での饗応でしか口にしない。

 魚醤については、魚の内臓を塩漬けにし、好気性細菌が発酵するままに任せる。放置期間は、気温の寒暖次第で異なるが、凡そ数ヶ月であろうか。タンパク質がアミノ酸となり、核酸も加わって、芳醇な旨味成分が醸成される。


 宮殿とはけがれ無き女人にょにんのおわす場所。男なら、内守うちもり衛士えじですら建屋内に入れず、現人神あらひとがみだけが滞在を許される。今宵の食卓に招待された男も、その1人であった。

「お疲れ様でした。積もる話は後で聞くとして、さぁさぁ、食べましょう」

 卑弥呼がねぎらった相手は智恵者として神話に登場する思兼神おもいかねだ。オモイカネ――世襲の役職名――に昇華した者は生来の名前を捨てる。名前の喜捨は神域への転生を意味した。

 社会情勢や国際政治の動向分析を担う彼は、東西南北を広く流離さすらい、新月を目安に城へと戻る。慈悲深い主女あるじは、長旅の疲れを癒せとばかり、特別料理での歓待を常とした。今回は山中で射止めたきじの丸焼きが主菜として供されている。

「この度は何処を放浪して戻ったのじゃ?」

「はい。白き岩々の山に御座います」

 邪馬台城の北東60キロの距離に広がる平尾台。緑に覆われた山肌の至る所に白い石灰岩が頭を覗かせている。さながら草原に遊ぶ羊の群れの様だ。

如何どうであった?」

「はい。全て恙無つつがなく。鉄製の大槌を増やしましたから、白き石の穫高とれだかも増えております」

 彼の言葉を聞き漏らすまいと、宗女達が身を乗り出す。教師の講話を興味津々で待つ女生徒の顔付きが並ぶ。外界に向ける関心は、卑弥呼よりも寧ろ、邪気無あどけなさの残る彼女らの方が強い。

「大槌を如何どう使って白き石を拾い集めるの?」

 溌剌とした宗女が好奇の目を輝かせて質問する。15歳の彼女にとって、三十路を迎えんとするオモイカネは教師なのだ。宗女の誰もが神位を継ぐ可能性を秘めており、彼の方でも教育の手間を惜しまない。

「ツイナよ。拾うのではない。掘るのだよ」

「掘る?。芋の様に地面から掘り出すの?」

「いいや。山の洞穴に潜り込んだ蜈蚣むかで衆が、壁面にくさびを当て、大槌で叩き割るのだ」

 蜈蚣むかで衆とは鉱夫を意味し、鍾乳洞しょうにゅうどうでの採掘作業を土中に潜む昆虫の生態に重ねた呼称である。城を中心とした広域経済圏を邪馬台国と称するならば、彼らの重要な産業の一つが鉱業であった。

 石槍の刃先や矢尻の材料となる黒曜石は、平尾台の石灰石よりも更に古く、縄文時代から掘削されている。佐賀県伊万里市や長崎県佐世保市周辺の山々もことながら、大分県国東半島の間近に浮かぶ姫島が日本最大の掘削地として名を馳せていた。鉱脈の露出する姫島は『国産み神話』にも登場する。

 伊邪那岐いざなぎ伊邪那美いざなみが最初に産み出した8島は、本州、九州、四国、壱岐島、対馬島、隠岐島、淡路島、佐渡島。続いて誕生させた6島は、小豆島(香川県)、吉備児島(岡山県児島半島)、周防大島(山口県)、五島列島と男女群島(いずれも長崎県)、そして姫島である。

 姫島の面積は約7平方キロに過ぎず、周防大島(約130平方キロ)と比べて余りにも小さい。また、瀬戸内海には姫島より大きな島が幾つも浮かんでいる。古代人が重要視した島だと容易に知れよう。男女群島も約5平方キロと狭いが、此方こちらは中国大陸に向けて東シナ海を航海する際の重要な道標みちしるべだ。

 姫島の黒曜石が鹿児島から大阪までの西日本全域に流通していた事実は、考古学的にも認められている。つまり、邪馬台国は黒曜石を媒体に自らの基礎いしずえを築き、次なる進歩ステップとして石灰石文明を開化させたのだ。経済圏の根底を成す貯米事業ビジネスも石灰石に立脚している。

「白き石は何故、城に運び込んでから粉砕するのでしょう?」

 質問の意図が伝わらず、目をパチクリさせるオモイカネ。自分の性急に過ぎる言動を恥じ、(言葉足らずだった)と小さく舌を出すスクナ。

「米なら、稲穂は田圃たんぼに打ち捨て、米粒だけを俵に詰めます。白き石だって山中で砕き、袋に詰めてから運ぶ方が楽じゃないかしら」

 いまの卑弥呼は気取らぬ性格。形式や序列に全く拘らない。小生意気な質問ですら無礼講である。上下関係が曖昧あいまいだからこそ、食卓を囲んでの談笑は和気藹々わきあいあいと弾む。

「オモイカネよ。彼女の言い草は如何どうですか?」

 宗女達の質問を卑弥呼自身が楽しんでいた。場が賑やかになるし、彼女らの勉強にもなるからだ。

「御前も知っての通り、平尾の石には幾つものたぐいが有る」

 平尾台から採掘する岩石は、石灰石(炭酸カルシウム)と石膏(硫酸化カルシウム)、岩塩(塩化ナトリウム)の3種類。その内、石灰石は窖窯あながまで加熱して生石灰きせっかい(酸化カルシウム)とする。更には生石灰に水を撒き、消石灰(水酸化カルシウム)とする。其々それぞれに用途が違う。

「ところが、割り切って言えば、れも白い。粉ともなれば、傍目に見分けは着かぬ」

 焼成を担う工房では、大きさや形状の異なる須恵器に容れて分別管理を徹底し、異材混入の可能性を排除している。

「見分け易い大きさで持ち込まねば、その後の作業に間違いが生じるのだよ」

「そうね、オモイカネ様。塩と勘違いして他の粉を舐めれば、舌が溶けちゃうものね」

 消石灰を想起したツイナが納得顔で相槌を打つ。

「ところで、白き石の状況は分かったが、黒き石の方は如何どうじゃ?」

 日本では珍しい露天掘りの貝塚炭鉱(福岡県若宮市)が、北北東に徒歩で1日から2日の近距離(約50キロ)、平尾台の西隣に位置する。其処で採掘する石炭を『黒き石』と呼ぶ。

「我々は天佑の地を見付けました。蜈蚣むかで衆に任せておれば、早晩、穫高とれだかも増えましょう」

「それで、韓人からびとは喜びそうなのか?」

「はい。試しに使ってみたら、短い日数ひにちで鉄に仕上がると大好評でした。もっと多く寄越せと五月蝿い程に促されまして・・・・・・」

 製鉄工程とは酸化鉄(鉄鉱石)の還元反応に他ならない。反応速度は入熱量に左右されるが、その熱源と還元剤を兼ねる存在が炭素である。一口で「炭素」と言っても色々で、石炭を産出しない朝鮮半島南部では木炭を使用中。生産性が頭打ちとなるので、貝塚炭鉱の石炭を渇望している。

「目下の悩みは穫高とれだかの足りぬ事。香春かわらからの出稼ぎの者を数百人規模で増やしてもらいます」

 香春かわらとは蜈蚣むかで衆が平尾台の近隣で営む集落の名前だ。貝塚への大移動は単身赴任者の激増を意味するが、邪馬台城の采配でも彼らも潤う共存共栄の構図が成立していた。だからこそ、従順なのだ。

「そうですか。それは良かった。韓人からびとから得る鉄餅てっぺいも増えますね」

 交易品の多角化は倭韓貿易を安定させる。鉄製農工具の増産は人々の暮らしを豊かにする。順風満帆だと知った卑弥呼は満面の笑みを浮かべた。

 景気の良い話に華やぐ一堂。常時いつもは寡言なオモイカネですら口数が多い。泉が湧き出るがごとく開陳される体験談の数々。講談に熱中する宗女達の知的好奇心も際限が無い。銘々が自由に感想や疑問を述べ合い、舌鼓を打ちながらの食事会は深更まで続く。


 ひたひたと冬が迫るに連れて早くなる日没時間。青黒いとばりの降り始めた西空には宵の明星が輝く。既に黒天と化した東空では2等星までもがきらめき、星座の姿が朧気に浮かんでいる。

 南門前にたむろする1万人余りの狗奴人くぬびとは、少人数の班に別れ、銘々が焚火を囲んでいた。夜闇に包まれた地表では数多あまたの炎が踊り、日没直後の光景は天地逆転の錯覚を誘いそうな程に幻想的だった。

 夜空の漆黒が濃さを増し、満天の星々を縫いつなげた天之河が流れ始めると、天空こそが静謐せいひつで厳かな世界なのだと再認識する。何しろ地上には利己的な思惑が渦巻いていた。

 スサノオら幹部の十数人は、庭鶏にわとりの骨をしゃぶりながら、揺れ動く炎を見詰めている。膝を抱えて座り込む者、胡坐あぐらを掻く者、寝そべる者。倦怠感や無力感の漂う自堕落な一時ひとときだ。カランと薪が燃え落ちる度、雑木林で拾った木切れを投げ入れる。

「なあ、スサノオよ。徐々そろそろ、引潮時じゃないか。早く狩りを始めなければ、冬を越せない」

 数週間の野営生活を経て、呼ばれた彼自身も焦燥感に駆られていた。統率者らしく8の字に結った左右のまげも形崩れし、鼻下と顎に伸びた無精髭が憔悴振りを強調している。

「本当に熊襲くまその奴らは助太刀すけだちに来るのか?」

 焚火を囲む全員が同じ不安を抱いている。吐露した弱音が恐慌の堰を切りそうだ。

「来る――、必ず来る!。奴らは喉から手が出る程に城の米を欲している」

 疑念を追い払う呪文の様に強く言い切った。だが、空虚な抗弁に周囲は納得しない。後詰めの援軍が来ぬ限り、企てが画餅に帰すのは自明の理。立往生を強いられた彼の困惑を敏感に察しているからだ。頓挫を憂慮する空気が多弁を招く。

何時いつ?。一体、奴らは何時いつ来ると約束したんだ?」

 沈黙は疑心暗鬼の温床なり。根拠の欠片かけらでも与えねば・・・・・・と焦るも、中々に模範解答を思い付かない。苦渋の表情を浮かべた顔面上に、照光に映し出された鼻の影が舞う。疲れた頭を空回りさせた挙句、怒気含みの一言を吐き捨てる。

「鮭を捕り終わってからだ」

 熊襲族の生活拠点は桜島の火山灰に覆われたシラス台地。稲作には不向きの狭い平野が彼らに縄文時代と変わらぬ生活を強いていた。今頃は、白髪岳南麓を源流とする川内川せんだいがわ――筑後川ちくごがわに次ぐ九州第二の河川――に、鮭の大群が遡上しているだろう。

「それって何時いつだ?。明日か?。その次の日か?」

 膝を抱え込んだスサノオは視線を焚火に釘付ける。猶も食い下がる男を無視し、自閉の繭で全身を覆い尽くす。その沈黙が八方塞がりの状況を如実に語っていた。勇気付けを期待した男もた黙り込む。

 更に何本かの木切れを放り込んだ頃、「なあ、スサノオよ」と別の男が疑問を呈する。彼も先々の展望に戸惑う一人だった。

「年を追う毎に門前に集う生口いぐちを増やしちゃいるが、だからと言って、俺達に白い粉を分け与えるんだろうか?」

 展望の開けぬ交渉は博打と同じ。叶わぬ夢を追い求めるよりは地道に生きる事を指向すべきかも・・・・・・。活計たつきの責任を負う者ならば誰しもが自省する局面だ。

「こんな事を続けるよりは、沢山の藺草いぐさを編む方が良いんじゃないか?」

 島原湾や八代海沿岸の干潟や湿地には葦科の藺草いぐさが自生する。最寄りの狗奴くぬ郷では、藺草を編んだ茣蓙ござを特産品とし、常設市場マーケットで必需品と物々交換していた。だから、九州各地の人々は、縄文時代と変わらぬ竪穴住居に暮らすものの、土間に茣蓙を敷く文明的な生活を送っている。

藺草いぐさは軽い。汗水垂らしても、俺達の暮らしは豊かにならんさ」

 今度はスサノオも素直に返答する。得意分野の話ならば口調も滑らかだ。

「確かになあ。毛皮と取り換えるなら、茣蓙をウンと編まなきゃならんもんなあ」

 邪馬台国の経済圏にいては、同じ重量での単純交換を原則とし、天秤が水平になった時点で取引が成立する。

 毛皮の売手は、月輪熊つきのわぐま野猪いのししを仕留め、皮を剥ぐ。狩りの最中には落命の危険すら生じる。反面、藺草いぐさを編む作業は退屈で気が萎えるものの、間違い無く安全だ。そう考えると、等量交換にも納得する。

 端的な事例は鉄との交換。比重の最も重い鉄は朝鮮半島からの輸入品だ。邪馬台城で鍛冶の手間も加える。誰の目にも価値は明らかで、僅かな分量しか入手できずとも不満は出ない。

 但し、人々が重量基軸に納得するだけでは円滑な物々交換を望めない。例えば、藺草いぐさと毛皮の直接交換を試みたら如何どうなるか。行商の者が集う場所であっても、要望ニーズの合う取引先を見出すなんて絶望的だろう。

 必然的に万民の欲する籾米が取引媒体として浮上する。しかし、白羽の矢を立てたものの、所詮は食糧。通貨とは異なる。価格なり相場変動の概念は芽生えていない。それでも、経済運営を取り仕切る上では欠くべからざる存在だ。だからこそ、自ら貯米する事を目指している。

 スナノオの難解な講釈は丸で催眠術だ。重くなった目蓋を擦る仕草が連続し、話に飽いた者から火照ほてりに背を向ける。静寂しじまうごめく焚火の炎だけが眠りに就いた彼らを見守っている。

 炎勢が衰え、べた薪が消炭けしずみと化した明け方。東の空さえさやかに白まぬ曙に、事態は新たな局面を迎える。霜を踏みしだく足音と共に、待ち焦れた援軍が到着したのだ。


 狩猟を生業なりわいとする熊襲くまそ族の総勢は300人を少し超えた。

 元々毛深い民族であるが、髭を剃ったり髪を結う風習を持たない。ただ、山野を駆け回っても枝葉に絡まぬ程度には燃える薪の先端で焼き整える。それでも、獣皮を縫い合わせた作務衣さむえまとうと、二足歩行を始めた野猪いのしし見紛みまがうばかりの外見だ。

 一方、狗奴人くぬびとは丈の短い貫頭衣を着ている。足の動きを邪魔しないよう、上半身の衣装丈は太腿ふとももの付根辺りが標準だ。麻糸を編んだ生地を2枚重ね、左右両端のほぐれた繊維を幾つも結んで袋状に繕う。縫針と糸は朝鮮半島でしか入手できず、一般庶民の衣服作りは指先頼りだ。

 因みに、インド原産の木綿は中国にすら伝来しておらず、綿花栽培の日本普及期は戦国時代。弥生時代の選択肢は麻布と絹布の2種類に限られる。絹布の衣装は、裁縫技術の会得者も僅かで、貴重品だった。必然、近世欧州ヨーロッパの王冠が国王の表徴であるが如く、統治者の標号として絹は珍重される。

 下半身に関して、両者に大差は無い。麻縄の腰紐から二つの筒袋を吊り下げた構造。股間の露出したズボンを連想すれば良いだろう。後世、平民衣装として普及する直垂ひたたれの前身であった。

 股間に巻くふんどしが肉竿を隠すも、臀部でんぶは丸見え。双方とも土の膠着こびりついた素足で歩き回っている。

 結局の処、外観の相違は上半身に限られるのだが、農耕民族は無意識に相手を蔑み、それを機敏に感じ取る狩猟民族の方でも反発の念を抱いていた。

 とは言え、今は利害の一致した同盟軍である。同胞意識の欠如以外に難点を挙げるとすれば、技能格差であろうか。喩えるならば、古参兵と生意気な新兵の混成部隊。

 農耕民族が行う冬季限定の狩猟は追込漁おいこみりょうと同じ要領だ。山裾の開けた場所に包囲網を展開し、山中から鹿や野猪いのししを追い立てる。一匹の獲物を大勢で仕留める遣り方は個々人の武芸を重視しない。実際、屁放へっぴりり腰の男が結構な比率で混じっている。

 つまり、スサノオ達だけで挑んでも勝ち目は無い。援軍を乞うた所以である。狩猟民族の戦闘力が加われば、戦いの展開は違って来る。

 石槍を構える狗奴人とは対照的に、熊襲族は完全武装の扮装いでたちで臨んでいた。石斧を腰紐に差し、左手には短弓を持っている。竹製の矢筒を襷掛たすきがけに背負い、中には数十本の征矢そやを収めている。野獣の縄張りに少人数で分け入る彼らは、勇気、度胸、獰猛さの点でも人後に落ちない。

 且つ、弓術に長けた彼らは厚剣こうけんの届かぬ遠距離から攻撃する。城兵も弓箭きゅうせんを携えてはいるが、山中の獲物を追い慣れた彼らに軍配が上がる。だから、加勢に駆け付けた方は共犯者の戦力を密かに軽んじている。桁違いの頭数を揃えても、所詮は烏合の衆だ――と。

熊襲くまそおさよ!、待ち草臥くたびれたぞ」

「我らは薩摩から夜通し歩き続けて来た」

「分かっている」

「約束の報酬は必ずもらい受けるぞ」

「落城の暁には、好きなだけ米を持ち帰れ」

 守銭奴を宥める様に返された気前の良い回答。族長は胡散臭さを感じたのか、ザンバラ髪の陰の下で団栗眼どんぐりまなこがスゥッと細まる。

「俺達の目当ては白い粉。望む物が違うのだから、安心しろ」

 と、スサノオが苦笑しながら弁明する。

「ウム。それで、如何どうやって戦う?」

「今夜、城の民が寝静まった頃。あの壁をじ登って、なかから門を開けてくれ。俺達が雪崩れ込む」

 腰紐に結わえた飛道具を確かめる族長。科木しなのきの樹皮繊維を織った綱紐ロープを丸く束ね、先端には石のおもりを括っている。忍者の使う鉤縄かぎなわに近い。

「敵の数は?」

「恐らく500人程度」

 邪馬台城の居住民は1万人前後。窯業や冶金業の従事者が大半で、非生産的な人員を養う余裕は乏しい。貯蔵品の管理や宮殿の給仕等、城内運営に携わる者を優先すれば、兵士に割ける人数も限られる。20人中1人の割合は安全保障に手厚い方だろう。

「その程度ならば、夜陰に紛れた奇襲でも何とか為るだろう」

「案ずるな。星の数ほどの生口いぐちで攻めるんだ。戦人いくさびとが相手だろうと、必ず押し込める」

 未経験者の大言壮語が癪に障ったようで、垢の浮いた面央つらなかで団子鼻が鳴る。

「御前さんが幾ら強がっても、仲間は知らんのだろう?。怖気付かねば良いがな」

 皮肉混りの鋭い指摘には口をつぐむしかない。半日余りの説得で十分だとは思えないが、仮に日数を頼んだとしても、臆病風に吹かれる者が必ず現れる。彼らの到着前に襲撃計画を告げれば、一揆衆はいたずらに不安を募らせ、腰砕けていたであろう。

 熟慮するいとまを与えず、決断を迫る遣り方が大衆動員には最善なのだ。そう自らに言い聞かせるスサノオだった。

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