第02話 偽りの安寧

 陽が沈み、薄暗くなった宮殿の中では、車座になった卑弥呼と宗女達が食事を摂っている。

 朝晩の寒さが身に沁みる時節となり、卑弥呼の鎮座する周辺の板張りには熊の毛皮が敷き詰められていた。

 邪馬台城の殆どの居住棟には、韓国のオンドルに近い暖房の仕組みが備わっている。

 居住棟に併設された共同炊事場の煉瓦竃れんがかまどで温められた空気が、屋外に逃げる事無く、床下を這い回るのだ。暑い夏は逆に、床下に通じる通風口を板塀で閉じ、竃の煙は炊事場の天井から外に逃がしている。

 ところが、暖気の届かぬ宮殿だけは床暖房が無い。だから、寒さを凌ぐには重ね着する必要がある。今は絹布で仕立てた小袖だけを召しているが、冬が深まれば、下着として袖無しの襦袢じゅばんを着用し、必要に応じて毛皮の上着を重ねて羽織る。

 勿論、分厚い特別仕様の須恵器すえきで木炭を燃やしているし、宗女達が夜通し交代で木炭の番をする。それでも、広間全体を暖める程の火力は期待できず、卑弥呼が手を温める火鉢替りに過ぎない。

 卑弥呼と寝食を共にする宗女達は次代の卑弥呼候補生。主人あるじと同じく絹布の小袖を着ているが、候補生のしるしとしての赤い顔料を顔の所々に塗っている。鼻の頭や頬、額の中央にチョンと一塗ひとぬり。

 原料は阿蘇山のカルデラ湖で産出する阿蘇リモナイト。

 湖沼の土壌に繁殖した鉄バクテリアが沈殿ちんでん堆積たいせきして出来た、褐鉄鉱や湖沼鉄とも呼ばれる黄土である。阿蘇リモナイトを加熱し、粒の大きさで振い分けた後、顔料として使っている。

 魏志倭人伝には『其の山には丹が有る』と記述されているが、赤い顔料として中国人が重用していた辰砂しんしゃ(硫化水銀)とは別物だ。

 赤は神聖な色とされ、阿蘇リモナイトの産出量も僅かであったので、赤い顔料を塗る者は候補生に限られる。

 顔に斑点を着ける風習は邪馬台城の構成員を自認する帰属意識アイデンティティーの現れだった。庶民も同じく顔に斑点を着けているが、此方こちらは消し炭を顔料とした黒い斑点。

 顔料の溶剤は、近海で獲れる白身魚――外見がイシモチに酷似するニベ――の浮袋を煮詰めたにかわだ。素気無い様を表現する「にべもない」の語源は日本古代の風習まで遡る。

 彼女達の前に並んだ幾つもの料理に目を転じよう。須恵器に一品ずつ盛られている。

 収穫の秋が過ぎたばかりの頃は品数も多い。採れ立ての玄米は勿論、栗や胡桃くるみ、里芋を煮た品々。冬も深まれば大根が食卓に載るが、今は未だ季節が早い。

 魏志倭人伝に『倭人は夏冬に生野菜を食す』との記載がある。邪馬台城の庶民の食卓では、年間を通じて生野菜の類が彩りを添えていた。

 春に山菜、初夏にタケノコやふき、夏には枝豆、冬は大根葉等を食するが、端境期の季節はもっぱら有明海で水揚げされた海草。水洗いは軽く済ませ、塩味を残したサラダと言えよう。

 生野菜の類はビタミンの補給源としても重要だ。でも、精米技術の稚拙な当時の人々は玄米――白米ではない――を常食しており、ビタミン不足で脚気かっけを患う事例は滅多に無い。

 栽培の普及していた大豆は、秋に備蓄用穀物として収穫する一方、ニガリとして平尾台産の石膏を使って豆腐も作る。但し、豆腐を食する地域は邪馬台城周辺に限られる。

 調味料は塩と魚醤ぎょしょう。酵母を積極的に活用する発酵技術が未だ大陸から伝来しておらず、調味料としての醤油や味噌は存在しない。

 遠浅の有明海が干潮を迎えると、天日が干潟のうろに溜まった海水を蒸発させ、少しだけ塩分濃度を高める。海から採って乾燥させた玉藻を幾重にも重ね、潮溜まりの海水で洗い、更に塩分濃度の高い鹹水かんすいを作る。濃縮した鹹水を煮立たせ、須恵器の内面に結晶化した塩を削げ落とすのだ。

 邪馬台城の場合は、そんな一般的製塩法に加え、平尾台から採掘した岩塩を粉状に磨り潰したりもする。

 それらの塩を使って魚の内臓を塩漬けし、魚醤を生成していた。

 新月の夜には特別な食材が用意され、この日は、山中で射止めた雉の丸焼きが供されている。知恵袋であるオモイカネ――智恵の神様として日本神話に登場する思兼神おもいかね――が同席するからだ。

 オモイカネは外界を広く流離さすらって見識を積み、周辺動向や国際情勢を卑弥呼に定期報告する役目を担っていた。

 オモイカネ――世襲の役職名――に昇華した者は生まれながらの名前を捨てる。名前の喜捨は神域への転生を意味した。

「オモイカネよ。この度は、何処を放浪してきたのじゃ?」

「はい。白き岩々の山に御座います」

 邪馬台城の北東60千米キロメートルの距離に広がる平尾台。緑の草原で覆われた山肌の至る所に白い石灰岩が頭を覗かせている。

如何どうであった?」

「はい。全て恙無つつがなく。鉄の歯付き刀も数を増やしましたから、白き石の取れ高も増えております」

 彼の言葉を聞き漏らすまいと、宗女達も興味津々の顔付きで身を乗り出す。卑弥呼よりも寧ろ、邪気無あどけなさの残る彼女らの方が、城外の世界に向ける好奇心は強い。

「オモイカネ様。白き石のままで持ち込まず、粉砕して、袋に詰めてから運んだ方が楽ではありませんか? コメだって、籾米だけを袋詰めにして、稲穂は田圃たんぼに打ち捨てるでしょう?」

 1人の少女が目を輝かせて質問する。宗女達の中でも年長に近い彼女の年齢は15歳過ぎ。

 片やオモイカネの年齢は30歳間近。老い先短いオモイカネが彼女に仕える可能性は極めて低い。とは言え、オモイカネの存命中に候補生の彼女が卑弥呼となる可能性も否定し切れない。

 上下関係を定める仕切りが曖昧あいまいだからこそ、食卓を囲んでの談笑は和気藹々わきあいあいと弾み、年功序列を尊ぶ雰囲気が希薄だった。

 卑弥呼だけは別格の存在なのだが、いまの卑弥呼は気取らない性格をしており、序列には全く拘らない。

「オモイカネよ。ツイナの指摘は如何どうですか?」

 宗女達の質問を卑弥呼自身が楽しんでいた。食事の場が賑やかになるし、彼女らの勉強にもなるからだ。

「ツイナよ。白い粉には幾つもの種類が有るのだ。御前も知っておるだろう?」

 ツイナが頷く。教師の講話を興味津々で待つ女生徒の顔付き。

 平尾台から採掘する岩石は、石灰石(炭酸カルシウム)と石膏(硫酸化カルシウム)、岩塩(塩化ナトリウム)の3種類。

 邪馬台城に持ち込んだ石灰石は、窖窯で加熱して生石灰きせっかい(酸化カルシウム)とする。更には生石灰に水を撒き、消石灰(水酸化カルシウム)とする。

 其々それぞれに用途が違う。

「ところが、粉の色は微妙に異なるが、大きく言えば、れも白だ。粉ともなれば、傍目に見分けは着かぬ」

 またもツイナが頷く。邪馬台城でも、大きさや形状の異なる須恵器に容れて分別管理している。

「だから、色合いの違いを見分け易い白き石の状態で持ち込まねば、その後の作業に間違いが生じるのだよ」

「そうね、オモイカネ様。塩と勘違いして他の白い粉を口に含めば、口の中が溶けてしまうものね」

 消石灰を想念イメージしたツイナが納得顔で相槌を打つ。

「ところで、オモイカネよ。白き石の状況は分かったが、黒き石の方は如何どうじゃ?」

 福岡県若宮市の貝島炭鉱で採掘する石炭を『黒き石』と呼ぶ。

 日本では珍しい露天掘りの貝塚炭鉱が、邪馬台城からは北北東に徒歩で1日から2日の近距離(50千米キロメートル程)、平尾台の西隣に位置する。

「良い山を見付けました。蜈蚣ムカデ衆も鉱石掘りには慣れておりますからな。その内、取れ高も増えるでしょう」

 蜈蚣ムカデとは鉱夫の事である。

 平尾台の鍾乳洞しょうにゅうどうに潜って白き石を掘削する生業なりわいが、土中に潜んで小動物を捕食する蜈蚣ムカデの生態に瓜二つだった。彼らを蜈蚣ムカデ衆と呼んでいるが、蔑称ではない。

 邪馬台城を中心とした広域経済圏を邪馬台国と称するならば、邪馬台国の重要な産業の一つが鉱業であった。

 平尾台よりも更に古く、縄文時代から掘削されているのが、大分県国東半島の間近に浮かぶ姫島の黒曜石である。

 石器時代に槍の穂先や矢尻として使われる黒曜石自体は、他にも佐賀県伊万里市の腰岳や、長崎県佐世保市周辺の山々でも採掘されていたが、黒曜石の原石が露出している姫島は日本最大の掘削地として名を馳せていた。

 姫島の重要性は古事記や日本書紀の国産みの神話からも窺える。

 伊邪那岐いざなぎ伊邪那美いざなみが最初に産み出した8島は、本州、九州、四国、壱岐島、対馬島、隠岐島、淡路島、佐渡島。続いて誕生させた6島は、小豆島、干拓で陸続きとなる前の岡山県吉備児島、山口県周防大島、長崎県五島列島と男女群島、そして姫島である。

 姫島の面積は約7平方キロに過ぎず、約130平方キロの面積を持つ周防大島と比べると余りにも小さい。一方で、姫島より大きな島は、瀬戸内海に幾つも浮かんでいる。

 男女群島の面積も約5平方キロと狭いが、此方こちらは中国大陸に向かって東シナ海を航海する際の重要な道標みちしるべ。計14島の一つに列挙される点から、古代日本における姫島の重要性が窺えよう。

 姫島の黒曜石が鹿児島から大阪までの西日本全域に流通していた事実は、考古学的に認められている。

 つまり、邪馬台国は、石灰石文明を築く以前の縄文時代において、姫島の黒曜石を地域の特産品として活用し、自らの経済圏のいしずえを培って来たのだった。

「それで、その黒き岩は海向こうの民に喜ばれそうな代物なのか?」

「はい。伊都いとの市場を通じて海向こうの民に渡したところ、鉄を造るに必要な日数が少なくて済むと、大層喜ばれております。もっと多くの黒き岩を渡せと矢の催促でして・・・・・・。

 黒き岩々の山の取れ高を増やす事が目下の課題となっております。白き岩々の山から黒き岩々の山に、蜈蚣ムカデ衆の何百人かには動いてもらわねばならんでしょう」

「そうですか。それは良かった。これで、海向こうの民との交易で手にする鉄の取れ高も増えますね」

 オモイカネの報告を聞いた卑弥呼はニッコリと満面の笑みを浮かべる。

 現状の交易は籾米と鉄餅てっぺいの交換に止まっていたが、石炭も輸出すれば鉄餅の輸入量を拡大できる。鉄製農具や工具の増産を図れば、庶民の暮らしをもっと豊かに出来る。

 鉄鉱石から鉄を造るプロセスは、酸化鉄を加熱して還元する化学反応に他ならない。石炭を産出しない地域では木炭を還元反応の触媒とする。但し、木炭の加熱温度には限界が有り、石炭よりも製鉄の生産性が見劣りする。

 邪馬台国からの石炭は、朝鮮半島南部の人々にも望ましい交易品であった。


 ひたひたと冬が迫る筑紫ちくし平野では、日を追う毎に日没時間が早くなる。

 陽が暮れて青黒くとばりの降りた西の空には宵の明星が輝き始めた。先に夜空へと変わった東の空では1等星だけでなく2等星までもがきらめき、朧気に星座の姿を現している。

 南城門前にたむろしたスサノオ達。

 1万人余りの狗奴人くぬびと達は少人数毎に別れ、銘々の班が焚火を囲んでいた。軽く千を超す数多あまたの焚火は幻想的で、闇に包まれた地表に輝く星々のよう。日没直後の一瞬だけはさながら天地が逆転したかと錯覚してしまう。

 だが、夜更けと共に夜空の漆黒が濃さを増し、満天の星々を縫いつなげるように天の川が天駈けて流れ始めると、静謐せいひつで厳かな世界は天空に舞い戻って行く。

 人の世に渦巻く利己的な思惑だけが地上には取り残される。

 焚火を囲んだスサノオと中核メンバーの十数人は、籾米と交換した庭鶏の骨をしゃぶりながら、揺れ動く炎を無言で凝視みつめている。投遣りの倦怠感や無力感の漂う自堕落な一時ひととき。或る者は膝を抱えて座り込み、或る者は胡坐あぐらを掻き、或る者は寝そべっている。

 燃え尽きた薪の1本がカランと音を立てて崩れる度に、雑木林で拾った木切れを焚火に放り投げる。

「なあ、スサノオよ。徐々そろそろ、集まった民の心も俺達から離れるぞ。早く狩りを始めなければ、冬を越せない」

 スサノオ自身も焦燥感に駆られている。数週間の野営生活を経る間に、統率者らしく左右の髪を8の字に結ったまげも形崩れしていた。髭を剃って偉厳を醸した顔も、鼻下と顎に伸びた無精髭が憔悴し切った雰囲気を余計に強調する有様。

「本当に熊襲くまその奴らは助太刀すけだちに来るのか?」

 焚火を囲むメンバーの誰もが抱く不安を、先陣切ってスサノオに呼び掛けた1人が吐露する。

「来る! 必ず来る! 邪馬台城のコメを報酬に与えるのだ。奴らは喉から手が出る程にコメを欲している」

 自分に言い聞かせるよう、スサノオは強く主張した。だが、スサノオの不安を感じ取っている周囲は納得しない。

何時いつ? 一体、奴らは何時いつ来ると約束したんだ?」

 苦虫を噛み潰すが如き表情を浮かべるスサノオ。焚火に映し出された鼻の影が顔面上でチラチラと揺れ踊っている。やがて、怒気をはらんだ一言を吐き捨てる。

「鮭を捕り終わってからだ」

 熊襲族が生活の拠点とする南九州は、特に桜島周辺には火山灰の積もったシラス台地が広がり、稲作には不向き。平野部の少ない南九州で唯一纏まとまった面積を占める宮崎平野では、邪馬台国を見様見真似で稲作を始めてみたが、満足できる収穫を上げられていない。

 だから、熊襲族は縄文時代と変わらぬ狩猟生活で生計を立てざるを得なかった。

 そんな熊襲族にとって、川内川せんだいがわを遡上する産卵期の鮭の捕獲は、越冬用の食糧調達の観点から欠かす事の出来ない年中行事だ。

 九州山地の白髪岳南麓を源流とする川内川――筑後川ちくごがわに次ぐ九州第二の河川――は、薩摩半島の付け根を西へと流れ、果ては東シナ海へと注ぐ。秋になって産卵期を迎えた鮭が半端ない数の大群で遡上する。

「それって何時いつだ? 明日か? その次の日か?」

 猶も食い下がる男の問い掛けを黙殺し、スサノオは膝を抱え込んだ。自閉の繭で全身を覆う。

 焚火に視線を釘付けするスサノオに向けて軽く溜息を吐くと、その男もた黙り込んだ。

 更に何本かの木切れを放り込んだ頃、別の男がスサノオに質問した。彼も先々の展望に戸惑いを感じている一人だった。

「なあ、スサノオよ。こうやって邪馬台城を取り囲んで、意味が有んのかなあ?

 確かに年を追う毎に一揆に加わる人数は増えちゃいるが、だからと言って、邪馬台城が俺達に白い粉を分けてくれるんだろうか?

 こんな事を続けるよりは、藺草いぐさの取り高を増やす算段を考えた方が、豊かな生活を目指すには手っ取り早いんじゃないかな?」

 熊本平野の特産品として葦科の藺草いぐさは有名であった。刈り取った藺草――八代海沿岸の干潟や湿地に自生――を編んで茣蓙に加工し、吉野ヶ里の常設市場マーケットで必需品と物々交換していた。

 だから、九州各地の人々は、縄文時代から変わらぬ茅葺かやぶき屋根の竪穴式住居に暮らすものの、土間ではなく茣蓙を敷く文明的な生活を送っている。

「だが、藺草いぐさは軽い。大した物とは交換できんだろう? 後生大事に藺草だけ刈り取っていたんじゃ、俺達の暮らしは豊かにならんさ」

 今度はスサノオも素直に返答する。得意分野の話ならば口調も滑らかだ。

「確かになあ。毛皮と交換したけりゃ、茣蓙をウンと編まないといけないもんなあ」

 邪馬台国の経済圏において、物々交換の利便性に優れた籾米を貨幣替りに使用しているが、価格の概念は生まれていない。同じ重量での単なる物々交換が基本だった。

 藺草いぐさと毛皮の直接交換を試みても、ニーズの一致する相手を容易には探索できず、成約は至難の技。必然的に籾米――誰もが必要とする――を媒体に取引を成立させるのだが、客観的な尺度として重量以外の選択肢を見出せていない。

 毛皮を入手するには熊や野猪いのししを仕留め、皮を剥ぐ必要がある。狩りの最中には落命の危険すら生じる。反面、藺草いぐさを茣蓙に編む単純作業は苦労するものの、間違い無く安全だ。そう考えると、あながち不公平でもない。

 端的な事例は鉄との交換。比重の最も重い鉄は、朝鮮半島から輸入せねばならないし、邪馬台城で鍛冶の手間も加える。誰の目にも貴重性は明らかで、1升の籾米に見合う鉄が僅かであっても不満は無い。

 埒も無い対話を口数少なく交した後、スサノオ達は一人一人と眠りに就いた。全てが寝静まった静寂しじまに焚火の炎だけがパチパチとうごめき、野宿する彼らを暖かく見守っている。

 そんな焚火の炎も勢いを失い、べた薪の殆どが消し炭と化した明け方。東の空さえさやかに白まぬ曙、事態は新たな局面を迎える。待ちに待った熊襲族の援軍がスサノオの元に到着したのだ。


 熊襲くまそ族の援軍は総勢で300人を少し超えた。

 元々毛深い民族であったが、彼らは髭を剃る風習を持たず、髪も伸び放題。上半身に鹿の毛皮を縫い合わせた作務衣さむえまとい、毛むくじゃらである。二足歩行し始めた野猪いのししと言っても過言ではない。

 一方のスサノオ達は丈の短い貫頭衣を着ている。麻糸を編んだ生地を2枚重ね、左右両端からほぐれた麻の繊維を幾つも結んで袋状に繕う。当時、薄い生地を縫い合わす細針と糸は朝鮮半島でしか入手できない貴重品。庶民には無縁の道具だった。

 綿花栽培の日本普及期は戦国時代。弥生時代で細い糸と言えば、絹糸しかない。絹布の衣装を仕立てる時にだけ絹糸と細い針が使われ、その裁縫技術の会得者も限らる。必然、王冠が近世欧州ヨーロッパの国王の表徴であるが如く、絹は統治者の標号であった。

 下半身の衣装を検分するに、スサノオ達と熊襲族とで相違は無い。両者とも麻布を丸めた二つの筒袋に左右の脚を通している。腰に結んだ麻縄から筒袋を吊り下げた構造。股間を露出したズボンを連想すれば良いだろう。後世、庶民の衣装として普及する直垂ひたたれの前身であった。

 股間には麻布で作ったふんどしを巻いているが、臀部は丸見え。上半身の衣装の丈は太腿ふとももの付け根辺りが標準で、足の動きを規制しないように配慮している。尚、狗奴人くぬびとと熊襲族の双方とも素足で、同じ様に膠着こびりついた土で汚れている。

 両者の暮らし振りは似たり寄ったりなのだが、上半身の着衣の相違が狩猟民族と農耕民族の相容れぬ断絶を強調して仕舞い、スサノオ達は無意識に熊襲族を蔑む感情を抱く一方、それを機敏に感じ取る熊襲族の方も僅かな反発の念を抱いていた。

 とは言え、利害の一致した同盟軍である。

 槍を構えるスサノオ達とは対照的に、熊襲族は石斧を腰紐に差し、両手には弓矢を持っている。麻紐で編んだゆぎを背中に襷掛たすきがけで背負い、中には数十本の矢。完全武装の扮装いでたちだった。

 熊襲族は桁違いの頭数で圧倒するスサノオ達を軽んじていた。武器の扱いに習熟してなければ、烏合の衆と変わらない、と。

 スサノオ達の狩猟方法は追い込み漁と同じ。槍を構えた多人数が展開して開けた場所に包囲網を作り、山から鹿や野猪いのししを包囲網に追い立てるのだ。鍛錬された邪馬台城の兵士を相手に白兵戦を挑んでも、武芸の習熟度で段違いに劣るスサノオ達には殆ど勝ち目が無い。

 一方の熊襲族は、少人数で山に分け入り、野獣の縄張りで直に狩る。勇気、度胸、獰猛さの点では、熊襲族の方に軍配が上がる。

 且つ、刀剣の届かぬ遠距離から弓矢で攻撃する熊襲族は実戦的だ。勿論、邪馬台兵も弓矢を携えているが、こと、弓矢の扱いとなれば、日々野獣を追い求めている熊襲族の方が優秀だ。

「族長! 待ち草臥くたびれたぞ」

「スサノオよ。我らは熊襲から夜通し歩き続けて来た。約束の報酬は必ずもらい受けるぞ」

「分かっている。あの邪馬台城を落とした暁には、穀物倉庫から好きなだけコメを熊襲に持ち帰れ。俺達の欲する物は白い粉だ。お互いに好きな物を持ち帰れば良い」

「ウム。それで、如何どうやって戦う?」

「今夜、邪馬台城の庶民が寝静まった頃。族長達は城壁をじ登り、なかから城門を開けてくれ。突破口が開けば、俺達が大挙して城内に雪崩れ込む」

 族長が頷く。石斧とは反対側の腰紐に結わえたつるに手を遣った。蛇の如く森の大木に絡んだ蔓草つるくさを切り取り、先端には石を括っておもりとなす。忍者道具の鉤縄かぎなわに近い。

「邪馬台城には何人位の兵士が居るんだ?」

「恐らく500人程度」

 邪馬台城の居住民は1万人前後。大半の者は窯業や冶金業に従事している。

 邪馬台城といえども、経済的な付加価値を生まぬ者を抱える余裕は乏しい。籾米の貯蔵管理や宮殿の給仕等、城内運営に携わる者を優先すれば、兵士に割ける人数は限られる。住民20人に1人の割合とは、安全保障に手厚い方だろう。

「その程度ならば、夜陰に乗じた奇襲で何とか為るだろう」

「案ずるな。族長達が城門を解き放てば、俺達が多勢に任せて乱入する」

「だが、今夜の襲撃を仲間には知らせてはおらんのだろう? 御前の仲間が怖気付かねば良いがな」

 族長が鋭く指摘する。スサノオが一揆に参加した狗奴人くぬびと達に襲撃計画を告げるのは此れから。もし熊襲族の到着前に告げていれば、いたずらに不安を募らせ、腰砕けていたであろう。

 半日余りの短時間で同胞を説得できるとは、スサノオ自身も過信していない。反面、仮に日数を頼んだとしても、熟慮の末に心変わりする者だって現れるはず。勝負に臨んでは勢いをける以外、スサノオが採るべき選択の道は無かった。

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