第04話 天の岩戸、閉じる

 西城門から逃れた卑弥呼は一路、吉野ヶ里の常設市場マーケットを目指していた。邪馬台城からは西南西の方向、徒歩でも1時間ちょっとの移動距離。

 長さが槍と同じ程度の太い竹を2本並べ、竹の間を50センチ四方の麻布でつないだ担架のごとき運搬具。竹竿の端を前後2人の兵士が両手に握り、卑弥呼は麻布に腰掛ける。

 ホッ、ホッ。にない手の掛け声に合わせ、リズム良く揺れる擬似担架。麻布から振り落とされぬよう、卑弥呼は両脇の竹竿を強く握り締める。

 卑弥呼と同様、7人の侍女達も擬似担架の上だ。都合八つの擬似担架を50人程の兵士達が魚の群れの様に取り囲み、闇夜を駆け抜けて行く。深夜の闇夜。朝日はおろか、三日月すら未だ顔を見せない。

 稲を刈ったばかりの田圃たんぼの畦道が逃走路である。田圃の向こうに点在する茅葺住居の三角影を認めるも、其処を寝座ねぐらとする庶民は誰もが寝静まっており、緊迫の逃走劇に気付く者は居ない。

 吉野ヶ里までの中間点に位置する村に到着すると、村の入口で擬似担架の担ぎ手が一斉に交代。地元住民との接触を避け、休む間も無く移動を再開する。

 緊張と恐怖に冷汗を流し続けて30分余りが経過した頃、一行はう這うの体で吉野ヶ里に辿り着く。

 入場門の両脇には2脚の篝火かがりびが焚かれ、門番役の兵士2人が寝ずの番をしていた。

 邪馬台城と同じく、吉野ヶ里にも東西南北の四つの門が設けられ、各門に2脚ずつの篝火が灯されている。但し、灯りの届く範囲は限られ、周囲の者に自らの存在を知らせる灯台の役割と大差無い。

 物見櫓ものみやぐらにも兵士は詰めているが、煌々と流れる天の川しか光源の無い深夜では索敵効果も限られる。

「皆を起こせ! 邪馬台城が襲撃された! 卑弥呼様は此処に居らっしゃる。追捕ついぶの手が迫るかもしれぬから、篝火を焚けるだけ焚くのだ! 斥候を市場周辺に放て!」

 逃走部隊を率いる中隊長が矢継ぎ早に指示を出す。

 前代未聞の緊急事態に直面して、門兵達が何処まで理解できたのか?――は甚だ疑問であったが、兎に角、足をもつれさせつつ市場の屯所とんしょに駆けて行く。

 彼らの任務はもっぱら夜盗相手の警戒警備。小競り合い程度には一切動じないが、いくさともなれば話は別である。

 吉野ヶ里の社楼に卑弥呼が腰を落ち着けた頃には、街壁の四方八方で篝火の数が増え始めていた。

 交易目的で吉野ヶ里を訪れる人々の多くは、物々交換が1日で終わらないので、街壁の内側で野宿する。街壁の内側ならば夜盗に襲われる心配が無いからだ。

 ところが、今夜に限っては事情が異なる。不穏に浮足立った市中の雰囲気を察知して起き出した。寝惚け眼ながらも不安気に、兵士達の慌ただしい動きを眺めている。

 邪馬台城と概ね同じ面積を占める吉野ヶ里だが、邪馬台城とは異なり、煉瓦作りの構造物が無い。

 何故なら、吉野ヶ里は物々交換の要衝に過ぎず、政治活動や工業生産、籾米貯蔵の拠点ではないからだ。頑強な構造物が必要な施設だとは想定していない。

 唯一の防衛設備は市場を取り囲む街壁。煉瓦を積み上げた邪馬台城の城壁とは異なり、丸太を地面に突き刺して壁と成す粗雑な構造だ。

 念の為、社楼等の中核構造物だけは、個別に外堀と内堀で二重に囲っている。更に掘沿いには、丸太を交差に突き差して防護柵バリケードを築いているが、合戦に備えた本格的な防衛設備とは言えない。

 普段は市場責任者――市頭いちがしらなる肩書き――が居住する社楼に卑弥呼は落ち着いた。

 市頭は一介の役人に過ぎず、交易目的で吉野ヶ里を訪れた人々から入場料――少量の籾米――を徴収し、邪馬台城までの定期運搬を役務としている。政事まつりごとの一端には連なっていない。

 だから、邪馬台城の宮殿に比べると、吉野ヶ里の社楼――高床式の2階建て構造――は遥かに小規模だ。

 それでも、卑弥呼と侍女達は大きく安堵の息を吐いた。此処には自分達に危害を加える襲撃者は居らず、邪馬台城の庶民しか居ない。九死に一生を得た今は、それだけで十分であった。

 社楼の2階から吉野ヶ里の周囲に視線を漂わすと、漁火いさりびの様に連なる火焔かえんを数えて安堵を重ねる。東の夜空には上弦の薄細かぼそい三日月も昇って来た。僅かに薄らいだ闇夜を通して遠くを眺める限り、狗奴くぬ人達の攻め寄せる動きは認められない。

 吉野ヶ里駐在の者が気を利かせて、卑弥呼達に須恵器すえきの火鉢を運び込む。

 冷汗に夜風が当たって肌寒く感じるが、火鉢に覆い被さり手をかざすと身体の前面だけは温まる。心地良い暖かさに緊張の糸は解れ、今更ながらに眠気が襲って来る。無理も無い。今夜は一睡もしていないのだ。

 その時である。

 邪馬台城よりも遥か向こう、東の空が不気味に赤暗く照らされた。三日月ばかりか天の川を織り成す星々までもが次々と黒雲に掻き消され、世界は地獄の闇に閉ざされる。

 横揺れの前兆から間髪を容れず、地面を上下に揺さぶる激震が吉野ヶ里を襲って来た。床の上で火鉢が軽く跳ね、衝撃に姿勢を崩した卑弥呼は後ろ手に身体を支えた。

 激震に遅れること何秒かの後、ドドーンと腹に響く重低音が大音量で駆け抜ける。

「キャア」と悲鳴を上げた侍女達は腰を抜かし、四つ這いで卑弥呼の元に参じる。主人あるじの安否を慮った動きではなく、言い知れぬ恐怖に直面し、現人神あらひとがみたる卑弥呼の御加護を得ようと自然に生じた反射動作だった。

 だが、慕われた卑弥呼の心中も穏やかではない。生まれて初めて遭遇する現象に「よもや?」と訝り、背筋を走る悪寒に身震いを禁じ得なかった。

 ――先代の卑弥呼から言い伝えられた最悪の御印が顕れたのではないか?――

 今夜は狗奴くぬ人達の襲撃に遭った不吉な夜である。心配し始めると余計に恐怖心が募り、両腕を抱き締めて鳥肌立った身体の震えを必至に宥めようとした。

 大音量と地鳴りの原因は阿蘇山の噴火。それも数百年振りの大噴火。噴火活動は断続的に続く。

 通常ならば鶏鳴が朝日の到来を予告する頃合い。暁闇ぎょうあんの中、目を凝らして仄白む東の空に臨んでいると、火山灰で覆われ鉛色に染まった偽りの曇天が姿を現す。

 異変を認めた卑弥呼は「誰か!」と叫んだ。市頭がかしこまって参上すると、声音に震えを孕んだ口調で命令した。

「至急、末蘆まつろ集落に赴いているオモイカネを呼び戻しなさい」


 熊襲くまそ族と別れたスサノオはもぬけの殻となった卑弥呼の宮殿に足を踏み入れる。

 宮殿もた煉瓦作りの建屋だが、城内に林立する他の建屋とは違い、その表面は漆喰で白く綺麗に塗装されている。平尾台で採掘した石灰岩を消石灰に加工し、消石灰を捏ねて漆喰を内製していた。

 宮殿正面には煉瓦を5段に積み上げた階段を設えており、階段を上がった踊場では大きな杉の扉が観音開きに開け放たれている。上り框あがりかまちを登ったスサノオは足音を忍ばせ、屋内の大広間に侵入した。

 50畳程度の大広間の床には、端正に製材された杉板が隙間なく渡されている。正面の扉もそうであったが、杉板は軽石で研磨され、表面が滑らかである。

 その綺麗な床に残された何十組かの土足痕。残土が密告する足跡を目で追う先には、何枚も敷いた熊の毛皮と須恵器すえきの火鉢が三つ。かすかな余熱を放つ火鉢の中には消し炭が転がっているのみ。

 スサノオは耳を澄まして辺りを伺うも、宮殿内部からは物音一つ聞こえて来ない。耳に入る雑音は宮殿の外、城内の喧騒だけである。

 五感を研ぎ澄ませ、忍び足で大広間を横切る。大広間の奥面と左右の側面から廊下が一直線に延び、その廊下の両面には小部屋が続いている。

 石槍を持つ掌握を強めたスサノオは、身を屈めて腰の重心を低くする。兵士の出現に用心しながら、小部屋を一つずつ覗いて行く。其々それぞれの小部屋には千差万別の木箱が積み重ねられ、保管庫だと判る。試しに木箱の一つの蓋を開けると、絹の着物が収まっていた。

 宮殿には誰一人として残っていない事を確認し、復路は幾分乱暴な歩調で大広間まで返す。

(卑弥呼が居なくては目的を遂げられん。何処に行ったんだ・・・・・・?)

 思い悩むスサノオが茫然と佇んでいると、正面門扉の向こうが騒がしくなった。

「卑弥呼様は無事、お逃げになったのだな?」

 大声で確認するミカヅチに、兵士の1人が「はい」と返事をする。

「念の為、襲われた者の有無を確認する! お前ら、俺にいて来い!」

 聞き耳をそばだてていたスサノオは慌てた。

(何処かに身を隠すべきか・・・・・・? それとも奥の小部屋の窓から遁走すべきか・・・・・・?)

 四方に首を巡らすも妙案が浮かばない。逃走に躊躇した一瞬が命取りとなり、ズカズカと大広間に入って来たミカヅチと鉢合せになる。ミカヅチの背後には10名余りの兵士。

「誰か? 狗奴くぬの奴か?」

 見咎めるミカヅチ。誰何すいかの一言で我に返ったスサノオは、脱兎の如く大広間の奥へとはしり出した。

「皆の者! 狗奴の奴が居る! 残りの者で宮殿を包囲しろ。奴を逃がすでないぞ!」

 兵士達が二手に分かれ、右から左から宮殿を包囲する。

 最奥の小部屋の窓に手を掛けたスサノオであったが、屋外からも殺到する兵士達の声に聞き及ぶと、逃走を断念せざるを得なかった。手にした石槍の柄を強く握り絞め、(正面突破しかない)と思い直す。

 侵入者が袋の鼠になる顛末を予期していたミカヅチは、深追いもせず、仁王立ちでスサノオを待ち構えていた。両手で石槍を強く握り、前傾中腰に身構えるスサノオ。

 剣と盾を両手に持つミカヅチの容貌は威風堂々としている。凄みの効いた「名前を聞いておこう」との言葉は、丸でスサノオを捻り殺さんとする宣言のよう。

「スサノオだ!」

 相手を威圧できるとは思わないが、自身を奮い立たせる為にもスサノオは大声を張り上げた。

「ほう。威勢が良いな。

 だが、お前ら狗奴人の企みは潰えたぞ。南城門は閉め切った。後は城内に残る奴らを1人ずつ退治するだけだ。

 お前の空元気も何時いつまで続くものやら・・・・・・」

 余裕綽々しゃくしゃくのミカヅチに向かい、スサノオが摺足で半歩間合いを詰める。

 ミカヅチが剣を上段に構える。後ろに控える兵士達も遠巻きに円陣を作り、其々それぞれに剣を構える。

「スサノオとやら。今回の狼藉を主導した者を捕縛し、卑弥呼様の前に引き出さねばならん。

 首謀者の名を白状すれば、お前を城外に逃がしてやっても構わぬが・・・・・・、如何どうする?」

 偽名を語らって逃亡する千載一遇のチャンス。視線を左右に泳がすスサノオ。

 だが、相手が捕虜を集めて裏取りすれば、直ぐに嘘が露呈する。スサノオは臆しながらも覚悟を決める。

「首謀者は・・・・・・俺だ」

 ミカヅチは「ほう」と独り言ち、目を細めた。山狼が獲物を追い詰め、射竦める様を連想させる。

「お前が首謀者か。ならば殺す訳柄わけには行かんなあ。如何どうだ? 素手で遣り合うのは?

 そんな事は有りえんが、万が一、お前が勝ったら、捕縛せずに見逃がしてやろう。部下にも約束させるが・・・・・・?」

 スサノオは石槍を後ろに放り投げた。素直に信じるつもりは毛頭無いが、兵士相手に斬り合っても勝ち目は無い。眼前の偉丈夫を倒せたとしても、彼の部下達まで薙ぎ倒せるはずがない。

 先の展開は全く読めないが、一縷の希望を胸に両手のこぶしを固く握り締め、中腰の殴打撃体勢ファイティングポーズを構え直す。

「多少は気骨が有るみたいだな。楽しみだ」

 剣と盾を部下に預けたミカヅチもた、スサノオの前まで進み出る。剣と槍で対峙するよりも間合いは狭い。

 スサノオも大柄な方だが、ミカヅチはスサノオよりも頭一つ身長の高い大男であった。しかも、兵士のおさとして日々鍛錬する肉体は筋骨隆々。頑強な体躯の男でなければ、ミカヅチの地位には就けない。

 ミカヅチは脇を広げて屈強な両腕を肩より高く掲げ、熊襲ゆうしゅうの形を構えた。身長差を活かして、上からスサノオをじ伏せるつもりだ。

 間合いに踏み込んだのは、スサノオの方が先だった。ドンと音を鳴らして左足を踏み出し、右腕の握り拳をミカヅチの脇腹に打ち込んだ。

 だが、顔を歪めるでもなく平然と、ミカヅチは素早く逆襲に転じる。熊手状に十指を立てた両腕を振り降ろすと、スサノオの両肩をムンズと鷲掴む。上腕相当の僅かな間隔で両者の胸板が向かい合う。強固な力で肩を抑え付けられたスサノオの足取りは鈍重で、床に根を張ったと幻覚しそうな状況だ。

 移動の自由を奪われたスサノオ。拘束状態を打開せんとミカヅチの腹を連打するも、十分に腕を伸ばせず、期待通りには打撃力を発揮できない。

 スサノオが息を上げた刹那、ミカヅチは左腕をスサノオの脇の下に潜らせ、右の掌底をスサノオの下顎に押し付ける。互いの胸板を密着させて、スサノオを海老反りに寄り切る。スサノオの両腕は闇雲に宙を泳ぐのみで、実質的に一切の動きを封印されて仕舞う。

 身長差を活かしたミカヅチに持ち上げられたスサノオは、床から離れた両脚を無駄に動かすしかない。折角自由になった両脚。反撃の機会を探るも、海老反りの体勢から繰り出す蹴りの威力は弱過ぎて、全く意味を成さない。

 ミカヅチはスサノオを海老反りに捉えたまま、跳躍して前方に倒れ込んだ。スサノオにすれば、脊中から床に押し倒された格好になる。ミカヅチの体重に落下重力も加わった重さ。

 床に打ち衝けられたスサノオの後頭部がドシンと鈍い音を響かせる。

 軽い脳震盪を起こして朦朧とするスサノオ。背後に回って寝技に転じたミカヅチは、左上腕をスサノオの下顎に回し、押えに当てた右腕に力を込めて強く絞める。呼吸困難に陥ったスサノオがミカヅチの腕の中で悶絶する。

 格闘相手の気絶を認めたミカヅチは、スサノオの首に回した左腕だけは解かずに立ち上がる。正面門扉までスサノオを引き摺って行き、したたかに地面へと投げ打った。

 部下に麻紐での捕縛を命じると共に、「気付けの水を持って来い」と指示する。須恵器に汲んだ水をスサノオの顔面に浴びせるミカヅチ。咳き込みながら意識を取り戻すスサノオ。

 諦観したスサノオに向かい、ミカヅチが冷たい声で問い質す。

「一体全体、お前は何を欲したんだ? 毎日の様に城門の前で何やら大声で叫んでいたが」

「ゲオっ、不思議な白い粉を分けてくれと、ゲオっ、ゲオっ、卑弥呼様に談判したかったんだ」

 ミカヅチは剣呑な面持ちで口角を歪め、スサノオを嘲笑あざわらう。

「白い粉ねえ。お前は知らんだろうが、白い粉には幾つもの種類が有る。

 れを欲しがったのかは知らんが・・・・・・遣い方も理解できんのに、邪馬台城の物を欲しがるとは、全く愚かな奴だ。

 今からお前を卑弥呼様の元まで連行する。謀反人の言葉に卑弥呼様が耳を貸すとは思えんが、その時に戯言ほざいてみれば良かろう。

 根の国へと旅立つ前に少しは心が晴れるかもしれん」

“根の国”とは、当時の人々が信じていた死後の世界である。

「この狗奴人を荷車に乗せよ。吉野ヶ里まで護送するぞ」

 蓑虫状に麻紐で巻かれたスサノオを、兵士達が大八車に運び上げた時である。

 男達を跳ね上げようと地面が激しく振動し、雷鳴をも凌駕する大きな噴火音が耳朶を叩いた。

「何事か!?」とミカヅチが怒鳴る。流石の兵士達も不安気に辺りを見回すが、異変の正体が分からない。互いに困惑の視線を交わし合う中で、1人の兵士が奇声を発した。

 兵士の指差す方向に顔を振り向けると、視線の先には赤く照らされた阿蘇山の上空。対照的に、深緋ふかひ色に染まった空の周辺部分では、燦然と輝いていた星々を漆黒の闇が強烈な勢いで隠して行く。

 火の神の宿る阿蘇山が不気味な光景の原因だとすると、人間に抗うすべは無い。剛毅な男達ですら言葉を失い、生唾を呑み込む事しか出来なかった。


 熊襲くまそ族の男達は、スサノオと別れた後、東城門、北城門、西城門の3方向に向かう。城門に殺到する邪馬台城の避難民の群れを縫うようにして、城内の建屋を順繰りに検分して回った。

 狩猟を生業なりわいとする熊襲族に余剰物資として籾米を抱え込む余裕は無く、すなわち、邪馬台城とは無縁の日々を送っている。城内に不案内な彼らにとって、外観から穀物倉庫を判別する事は至難の業だ。

 それでも右往左往している内に、最も数の多い住居棟はれもが似た雰囲気であり、住居棟を除外して検分すれば効率的だ、と気付いた。穀物倉庫の捜索が加速する。

 穀倉区画には居住区画と同じ位に多くの棟――住居棟とは外観が微妙に異なる――が並んでいた。煉瓦の壁には窓が無く、小さな明り取りの穴が幾つか空いたのみ。手近な建屋の一つに熊襲族が集合する。

 検め役の1人が煉瓦の壁をじ登り、明り取りの木造扉を開けて内部を覗き込む。

 山積みされた麻袋を確認した検め役が籾米の発見を報告すると、300人弱の男達が大歓声で呼応する。

 彼らの目的は籾米の搬出だったので、「邪馬台城に侵入してからも戦闘行為には極力巻き込まれるな」と族長から念押しされていた。男手が減れば、それだけ熊襲の地まで運搬可能な籾米の量が少なくなる。族長は冷静に心算できる男であった。

 籾米の次は大八車の手配。蜘蛛の子を散らすように、熊襲族の男達は場内を隈無く探索して回る。そして、大八車を押して戻る度毎に籾米の麻袋を積み、東城門から三々五々に離脱した。

 避難民の列に混じる東城門までは移動速度も上がらず焦燥やきもきするが、城外に出れば群集も四散するので、運搬を邪魔立てする人混みも疎らとなる。

 行先を同じくする50台強の大八車は徐々に合流を果たし、遠目に隊商を眺めれば、餌場から巣に戻る蟻の行列の様に見える。

 避難民達は一様に、そんな熊襲族の火事場泥棒に眉をひそめはしたが、特段の反応は示さない。城門を抜けるまでは戦闘現場からの退避を優先すべきだし、城外に出て仕舞えば仲間も散り散りに姿を消す。多勢に無勢。熊襲族に歯向かうなんぞ怖くて出来ない。

 熊襲族の男達は意気揚々と引き揚げる。籾米を満載した大八車は重いが、達成感で興奮した彼らは重労働を苦痛ものともしない。

 東城門を抜けた後もしばらくは東に進路を取り、南城門の前で途方に暮れる狗奴くぬ人の大集団を大きく迂回する。

 小一時間も歩いた頃に進路を南に転じ、浅瀬の部分を見付けて筑後川ちくごがわを渡り、九重山や阿蘇山に連なる山地の麓まで至った時であった。 言葉通りに天地を引っ繰り返しそうな激震と噴火音が熊襲族の男達を襲う。

 彼らが噴火に遭遇した場所は、阿蘇山の北西方向、僅か30千米キロメートル余りの近距離。卑弥呼よりも、スサノオよりも近い。距離が近ければ近い程、火山灰に交じって火山礫かざんれきや火山弾も降り注ぐ。

 噴煙に一切の明りが掻き消された真の闇夜。暗闇の中をパラリ、パラリと小石が舞い落ちる。全員が不安気な表情を浮かべ、何も見えないと承知していても、上空に顔を向けて仕舞う。

 指の一関節程度の小石であっても顔に当たれば、平手で撲たれる様に痛い。腕を上げて顔を隠すと、今度は腕が叩かれるばかりである。

 困惑した一同が右往左往している最中。漬物石と同じ位の火山弾が大八車の1台を大破させた。衝撃波が籾米を撒き散らす。

 天からの鉄槌に熊襲族の男達は恐慌を来し、阿鼻叫喚を上げた。

 現人神あらひとがみの城を襲撃し、大量の籾米を盗んだ行為に多少の疾しさを感じても、戦利品を前に喜ぶ家族を想像しさえすれば、得意気な気分と高揚感で誤魔化せていた。だが、天神の怒りを間近に目撃したら、畏怖と後悔の気持ちしか残らない。

 族長の鼓舞も虚しく、悲鳴を上げた1人が大八車を放置してはしり出すと残りの男達も浮足立ち、我先にと南への遁走を始めた。誰しも心に余裕が無く、籾米を勿体無いとも思わない。

 放置された大八車の列を、豪胆な族長だけが物欲しそうに眺めていたが、独りでは運搬しようが無い。諦めて、籾米の詰まった麻袋を一つだけ肩に担ぎ、トボトボと仲間の後を追い始めた。


 肌寒い季節には珍しく、オモイカネは寝苦しさに何度も目を覚ました。胸騒ぎに安眠を妨げられ、招待所の寝床で微睡まどろみながら日の出を待つ。

 夜明けを告げる鶏の声を合図に、オモイカネは早々と起床した。洗顔しようと外に出た途端、天変地異を知らしめる自然現象に慄然とする。東から天頂を抜けて西に至る天球線を境に、天空が真っ二つに割裂していたのだ。南半分の天空は曇天――仔細に凝視みつめると雲が泡立っている――で覆われ、残る北側半分には澄み切った初冬の青空が広がっている、明らかに奇妙おかしい。

 オモイカネの滞在地は末蘆まつろ集落。リアス式海岸が続く長崎半島の北側――現代の佐賀県松浦市に相当――の海辺集落である。現在の長崎県から佐賀県に至る沿岸部には那岐族の集落が点在していたが、その中でも最大規模の集落が末蘆だった。

 北側に広がる海洋は玄界灘。概ね真北方向に50千米キロメートルも航海すれば壱岐島が浮かび、更に50千米キロメートルを航海すれば対馬島が浮かぶ。その更に北には朝鮮半島が在り、末蘆集落は朝鮮半島との重要な交易拠点であった。

 交易拠点としてだけでなく、末蘆集落は漁村としても栄えていた。眼前に広がる玄界灘は、東シナ海から流れ込む対馬海流が多種多様な魚を誘い、漁獲に恵まれた漁場なのだ。

 つまり、末蘆人は船の扱いに長けた集団であり、漁業と海上貿易を語る上で無視できない存在であった。末蘆人は自ら木造船舶を作り、船大工としても優れていた。

 海岸間近まで押し迫る山々に入り、かしけやきくぬぎを始めとする硬木かたぎの中から樹齢の古い巨木を選んで伐採し、その大きな丸太の断面にくさびを打ち込んで縦方向に割る。

 二つに割った後はちょうなで長手断面をえぐり、槍鉋やりがんなや小刀で形を整えて船とする。

 1本の巨木から2隻の丸太船を製造するのだが、船底の中央にはマストとなる丸太を突き刺し、海風で推進できるように帆を張る。完成すれば、全長が6メートルから8メートルの漁船となる。

 貨物を積載する船は双胴船。2隻の単胴船の向かい合う舷側を連接する為、横方向に何本もの木材を組んだ筏を渡すデザインだ。貨物は筏の上に積載する。

 筏部分の中間部にはマストを立て、漁船と同じく帆を張って海風を受ける。

 勿論、帆を畳み、オール漕ぎでの推進も可能だ。但し、オールで漕ぐ航法は乗船員の体力に律則され、長距離の移動には適さない。帆を揚げると寧ろ危険を招く時――例えば暴風雨――に限り、オールで漕ぐのが通例だった。

 冬が間近に迫った季節。九州には北西からの季節風が吹き始めている。阿蘇山の噴煙は漂って来ない。天候を知悉するオモイカネだけに、邪馬台城の方角で異変が生じている――と直感的に理解できた。遠隔地に孤立する自分が牴牾もどかしく、居ても立っても居られない。

 ――直ぐに邪馬台城に戻らなければ・・・・・・。

 オモイカネは末蘆の族長邸――高床式の一際ひときわ大きい茅葺木造家屋――に急ぎ参上すると、族長への面会を求めた。

「族長。今朝の異変は只事ではありません」

「ええ。私は斯くも禍々まがまがしき空を初めて目にします。あの山容の彼方が天変地異に見舞われているのは一目瞭然。さぞや邪馬台城の安否が心配でありましょう」

「はい。ですから、至急、邪馬台城に戻ろうと考えております」

「そうすべきでしょう。ところで、黒き岩の取扱いですが、オモイカネ様の検分が終わっておりませんが、如何いかが致しましょう?」

「族長を信頼しておりまする」

伊都いとの市場から運ばれる黒き岩を壱岐経由で弁韓べんかんに運び、鉄餅てっぺいと交換して来れば良いのですね?」

 弁韓とは朝鮮半島南部、後世の任那みまな、現在の韓国慶尚南道の辺りを意味する。鉄餅――雑巾状の鉄素材――を特産品としている。

 弁韓との交易を中継地点として支える壱岐島の中核的な集落は、現代でも原の辻遺跡として有名な環濠集落であった。

「はい。そのように。それでは、どうか宜しくお願い致します」

 慌てて末蘆集落を出立しゅったつしたオモイカネは小走りに徒歩で東に向かう。海岸沿いに伊万里を通過し、伊都の常設市場マーケットまで目前――と言う場所まで戻った時、卑弥呼が遣わせた兵士4人と合流した。

 兵士達は、持参した擬似担架にオモイカネを乗せ、来た道を吉野ヶ里へと戻り始める。

 道すがら兵士の報告を聞き、オモイカネは昨夜の顛末を知る。れも驚く内容ばかりだった。

 卑弥呼の無事は何よりであったが、卑弥呼が自分を呼び寄せた理由を忖度するに、(そんなにも阿蘇山噴火の状況は深刻なのか・・・・・・)と押し黙って仕舞った。


 吉野ヶ里に帰着したオモイカネは市頭の社楼で卑弥呼と向かい合った。

 侍女達を別の建屋に引き退がらせ、今は2人切りである。無事を喜び合う余裕は無く、心痛な面持ちで今後の対応を協議する。

「大変な事になりました。われの治世が至らぬばかりに、火の神が怒りを爆発させました」

「卑弥呼様の治世が悪いとは、私には思えません。邪馬台城の庶民もそうですし、邪馬台城と交易を結ぶ地方の庶民も皆、幸せに暮らしております」

 項垂うなだれる卑弥呼をオモイカネが懸命に慰める。

「ですが、オモイカネよ。実際、狗奴くぬ者供ものどもは謀反を起こしました。われの治世は乱れたのです!」

 図らずも強い口調で想いを吐露した卑弥呼であったが、自分の言葉に改めて恐れを成し、崩した膝の上で結んだ両手をギュっと握り締める。

 事実を前にしては、流石さすがのオモイカネも慰撫の言葉が浮かばない。

「斯く成る上は、この身を捧げて火の神の御怒りを鎮める他はありません。残念ですが・・・・・・」

 ガックリと肩を落とした卑弥呼の声が消え入る。

 昨夜、就寝前に侍女達が梳かした長い黒髪は、汗と埃でベッタリとして横顔に貼り付いている。憔悴し切った表情に胡乱な眼差し。卑弥呼の視線は焦点を結んでいない様子。

 口惜しさの余り苦虫を噛み潰したような顔をするオモイカネは、猶も言葉を探そうと苦悩する。

「卑弥呼様。もう少し様子を見ましょう。火の神の御怒りも直ぐに止むかもしれません」

 現人神あらひとがみとして尊敬を集める2人であったが、真の神の振る舞い様を予測するすべは無い。オモイカネ自身が十分に承知していたし、自分の言葉が気休めに過ぎない事も理解していた。

 腹癒せとして異変を招いた張本人に自分の怒りをつけようと、オモイカネはいきり立って腰を上げた。階下を見下ろす部屋の隅まで進むと、大声でミカヅチを呼ぶ。

「謀反人を連れて来い!」

 後ろ手に麻縄で捕縛し直されたスサノオが社楼前の中庭に引き立てられた。捕縛の麻縄の一端を握った兵士とは別に、ミカヅチが鉄剣を右手に随行している。この場でスサノオを処刑すると承知しており、邪馬台城が衝かれた失態を挽回する為にも自らの手で執り行うつもりだった。

 姿は認められないが、高床に屹立する老人の奥に卑弥呼が居る筈だ――と察知したスサノオ。背中を蹴られ蹌踉よろめきながらも大声を張り上げる。

「卑弥呼様! 俺達は不思議な白い粉が欲しかっただけなんだ!

 邪馬台城に盾突こうなんて此れっぽっちも考えちゃいねえ。どうか、卑弥呼様! 話し合いを!」

 俯いていた卑弥呼がスサノオの声に顔を上げる。

「何を今更」と憤慨する気持ちも少し有るし、「白い粉を扱うには高度な知識が要る。庶民風情が扱える代物でもないのに」と呆れる気持ちも少し湧き上がる。

 だが、覆水盆に返らず。全てを失った虚無感が消える事は無い。

「殺される前に言いたい事を言えて良かったな。続きは根の国で気の済むまで戯言ほざくが良い」

 ミカヅチから強い蹴りを腹に入れられたスサノオがゲホリと咳き込みながら前屈みに倒れ込む。露わになったスサノオの背中を踏みしだき、その首に剣の刃を当てた。

 ミカヅチの言葉を遠くに聞きながら、卑弥呼は「この者と一緒に根の国に行くのは嫌だな」と、ぼんやり考えていた。

「オモイカネ様! この狼藉者を殺して構いませぬな!」

 ミカヅチが階上のオモイカネに向かい怒鳴り声を張り上げる。

 オモイカネが承諾の返事を口にしようとした矢先、卑弥呼が「オモイカネ」と小声で呼び止めた。

「はっ」と後ろを振り返るオモイカネ。今にも泣き出しそうな表情の卑弥呼が呟いた。

「その者を殺すのは止しましょう。今更・・・・・・ですしね」

 堅く結んだ両のてのひらを凝視しながら、今度は自分に言い聞かせるように再び呟く。

「卑弥呼となって以来このかたわれは良き治世を心掛けて来ました。諍いの無い、平和で豊かな世の中を作ろうと、心を砕いて来ました。・・・・・・われなりにね。

 最期になって、その努力を否定するような真似を自分でしたいとは思いません・・・・・・。

 だから、その者を殺すのは止めましょう。

 邪馬台城にはむくろとなった狗奴の者供ものどもが転がっているのでしょう? 家族の元に骸を帰さねば――。その者には葬送の役目を果たしてもらいましょう」

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