第19話 騒乱前夜

 西暦214年、邪馬台城の再統一から15年余り。時の経つのは早い。赤児が成人するには十分な時間であり、至る処で世代交代が着実に進む。

 日向ひゅうが集落を統べる者は唯一人ただひとり。兄ホデリが父親ニニギの跡を継ぎ、弟ホオリは出雲を新天地と定めたのだ。尚且つ、新たな家庭を営んでもいる。彼の愛妻はトヨタマ姫。今や集落内の誰もがうらや鴛鴦おしどり夫婦だ。


 冷徹な男だと誤解され易いニニギであるが、彼も人の親。いや、寧ろ子煩悩な親だと言えるだろう。ホオリが日向集落を離れる数年前の出来事だ。

 息子達の顎にうっすらと髭が生え始めた頃から、ニニギは折に触れ悩むようになった。双子の将来と日向集落の今行末いまゆくすえについて。

 ――日向を分割し、2人に分け与えるか?――

 否々いやいや。そんな事をすれば、集落は分裂し、兄弟間にいさかいを生むだろう。隆盛を誇る日向に災厄の種は撒けない。

 ――どちらを俺の跡取りとする?――

 知れた事。長男を跡取りに据えねば、火種を抱え込むも同然。

 ――それでは、次男ホオリを何処に遣る?――

 同盟の友誼よしみを結ぶ出雲集落が良いだろう。異心の無さをも証明する一挙両得の為業しわざだ。

 ニニギは可愛い息子達を見比べながら、そう決断した。

「ホオリは未だ15歳ですよ。見知らぬ土地で独り立ちするには早過ぎるでしょう!」

 夫婦の相談事ではなく通告に近い雰囲気で提案され、頑迷に反対するハナサク姫。

「ハナサクよ。ナムジだって出雲に赴いたのは15歳の時だ。ホオリに出来ない筈が無いだろう?」

「それはそうですけれど・・・・・・」

「二番煎じで出雲入りするホオリはナムジ夫婦を頼れば良いのだ。何を心配する必要が有る?」

「でも・・・・・・」

「可愛い子には旅をさせよ、と言うだろう? ホオリが逞しく育つ為なんだよ。俺だって寂しいさ。だがな。これはホオリの為なんだ! 親としては心を鬼にしなければ・・・・・・」

「ホデリとホオリは仲の良い兄弟なのに・・・・・・。ホデリだって可哀そうですわ」

「だからこそ、2人を引き剥がすんだ。兄弟だけの緩い世界に籠って、中々に他人と交わろうとしない。

 ホデリは集落長を継ぐべき人間だ。逞しく成長してもらわないと、俺も安心して引退できないだろう?」

 能弁な夫に何も言い返せず、膝の上で拳をきつく結ぶハナサク姫。俯く目には涙が溢れ、手の甲に滴る。理性と感情が心中で葛藤していた。

「それに、な。ハナサクも時々は出雲を訪ねよ。そうすれば、実弟ナムジとも会えるぞ。随分と長い間、ナムジとは会っていないだろう? 義母の墓にも参らねば――」

「ナムジと会いたいとは思いますけれど・・・・・・」

「そうだろう!」と、強い口調で畳み掛けるニニギ。消沈する妻を慰め、手練手管を駆使して懐柔する。交渉事に長けた夫を相手に、ハナサク姫の抵抗心は風前の灯火ともしびだ。

「それに勘違いするなよ。ホオリだって、出雲に拠点を構えると言うだけで、日向に帰省すれば良いんだ。今生こんじょうの別れでもないし、俺だって息子とは頻繁に会いたい」

 ――旅立たせると言ったり、会いたいと言ったり。どちらなの?――

 ニニギの真意が分からず、ハナサク姫は涙に濡れた顔を上げた。

「ホオリが交易の隊商を率いれば、年に1度は必ず日向に帰って来るぞ。その内に、嫁を連れて来るかもな」

 ガハハと哄笑するニニギ。場の雰囲気を変えんと気遣ったのだろうが、彼にしては珍しい反応だった。但し、誰にでも理路整然と自説を述べるニニギが情に訴えての懐柔を試みる事は無い。

 躊躇するハナサク姫に向かい、次々と説得材料を投げるニニギ。次第にハナサク姫も賛同し始める。従順な妻として結婚生活を送り続けたハナサク姫に“徹底抗戦”の文字は無かった。


 ニニギの予言通り、隊商を率いたホオリ――日本神話に山幸彦として登場――は、出雲集落の鉄製品を日向集落に運ぶようになった。

 勿論、釣針も交易品の一つ、海で紛失し易い釣針は必需品だ。個々の重量は極めて軽いが、毎度の隊商で巨万ごまんと持ち込む。『海幸彦・山幸彦の伝説』の根底には、日向漁民の歓迎振りが隠れている。

 特筆に値する交易品は酒や味噌だろう。日向集落の食文化を随分と豊かにした。但し、完成品を引き渡すだけで、醸造方法の詳細を問われれば口を噤む。何故なら、製造技術を秘匿して、出雲集落の競争力を維持すべきだから。

 ホオリ自らが知的財産の重要性を認識し、随行の男衆にも箝口令を敷く周到さだ。唯々諾々と父親の指図に従ったのではない。出雲で妻を娶った彼の帰属意識アイデンティティーは新天地に根を張っている。


 スクナとオオヤツ妃の老夫婦は生前、孫に接する祖父母の様に、トヨタマ姫を溺愛していた。孫に接する祖父母の様に。2人ともいずれ厳しく育てようと心構えていたものの、遠慮気味で内気な幼女を前に「両親を殺されたんだから」と慈愛を優先した節が有る。

 それでも、遊び群れる子供らを物陰から見ているトヨタマ姫の姿が何度も目撃された。

 ――不憫ねえ。母親に甘えたい年頃だものねえ・・・・・・。

 寂し気な養女の背中を、オオヤツ妃は遠目に見守り続ける。

 茅葺かやぶき屋根に残った根雪が雪室の様に屋内を冷やす或る朝の事だった。常時いつもは早起きのスクナ。何時まで経っても起き出さない。

「珍しい事も有るものね。トヨタマ! 御爺ちゃんを起こして頂戴」

 スクナの穏やかな寝顔は、まるで甘美な夢を愉しんでいる風の表情。揺り起こそうと両手を伸ばし、羽毛入りの麻布団に小さな体重を乗せるトヨタマ姫。普段のスクナなら、揶揄からかい半分で懐に引き込む処だが、全く反応が無い。

「お、御婆ちゃんっ!!」

 助けを求める悲鳴を上げた切り、口元が戦慄わななく。突然の凶事に身がすくみ、トヨタマ姫の視線は八の字の白眉に釘付け状態。

 包丁を置き、急いで駆け寄るオオヤツ妃。スクナの首筋に手を当てる。ひやりと冷たい。手の甲を鼻先に近付け、根の国への旅立ちを再確認する。沈痛な面持ちで首を振る。堰を切ったように慟哭し始めるトヨタマ姫。

 彼女は養父の亡骸に取り縋り、三日三晩、泣き続けた。最初は声を嗄らさんばかりに号泣し、泣き疲れた後も滂沱の涙だけは頬を濡らし続けた。

 赤く目を腫らした幼女の背中を擦りながら、

 ――この娘は独りぼっちになってしまったのね・・・・・・。私が本当の母親になってやらないと・・・・・・。

 と、密かに決心し直すオオヤツ妃だった。


 時が更に流れ、そのオオヤツ妃も10年前に亡くなった。享年51歳。当時としては可成りの長寿であった。発酵食品――味噌や乳製品ヨーグルト――の効用だろう。

 養父母と死に別れたトヨタマ姫はナムジ家に引き取られるが、邪気無あどけない少女でしかなかった。

「息子の次は、娘を育てるのね」

 多産の時代には珍しく、ヤガミ姫は第二子を身籠らなかった。それもあって、トヨタマ姫を実子同然に育て、く面倒を看た。

 絶倫とまでは言わないが、ナムジは心身ともに健常であった。方々で隠し子を儲けていたし、ヤガミ姫との営みも疎かにしない。女性側に身体的変調が生じた可能性が高そうだ。

 交易網の各地を巡回するナムジが家を空ける日々は長期間に及び、実質的にヤガミ姫とキマタの2人暮らし。トヨタマ姫が家族に加わり、ナムジの留守宅は賑やかになった。

 ヤガミ姫は話し相手の出現を喜び、家事の最中でも女同士のお喋りに興じる。自分の居場所を見出した風のトヨタマ姫も甲斐甲斐しく家事を手伝う。

 キマタの歓迎振りも周囲を驚かせた。2歳年上の姉が出来たとはしゃぎ廻り、一時期は太陽が傾くや否やじゃれ合う幼馴染とも別れ、早々と帰宅してはトヨタマ姫にまとわり付く始末。トヨタマ姫の方でも弟キマタを可愛がった。スクナに教わった弁韓べんかん語を教えたりもする。

 ただ、家庭内では繕わずに接するのだが、井戸端談義や寄合に出ると往々にして口数が少なく、物静かに存在感を消す傾向が見られる。人見知りが強く、臆して消極的な態度を示すのが常だった。

 そんな風にトヨタマ姫は育ち、13歳の少女に成長した時、同年代のホオリが居候し始める。一つ屋根の下で暮らせば、トヨタマ姫だってホオリと親しく会話する。2人は自然な流れで恋仲となった。

 健気なトヨタマ姫に対し、第一印象から好感を抱くホオリ。自分が守ってやりたい――と男に思わせる儚げな女性像にほだされ、旨々まんまと虜になった観は否めない。

 トヨタマ姫だって屹度きっと、ホオリを憎からず想っていた筈だ。白皙の額を飾る柳眉は滅多に揺れないが、人知れず遠目に凝視みつめる眼差しが恍惚うっとりとしていたのは事実である。

 そして4年前、目出度く夫婦となった2人は新居を構えた。翌年の盛夏にはトヨタマ姫が懐妊し、明くる新緑の頃には、息子イワレが誕生する。

 日本神話に磐余彦火火出見尊いわれひこほほでみのみこととして登場する男性。後の初代天皇(神武天皇)となる息子である。

 西暦214年の時点で、ホオリは22歳、トヨタマ姫は20歳。2歳のイワレは住居の外周を独りで歩き回る程に成長していた。

 

 一方、ナムジとヤガミ姫の息子キマタは18歳。父親ナムジに倣い、キマタも物心の着いた頃から長旅に明け暮れている。思春期を迎えたキマタも、ホオリとトヨタマ姫の漂わす男女の機微を察し、遠慮せざるを得なかった側面が有る。

 放浪の旅に出たキマタは、ナムジが馴染んだ瀬戸内ではなく、敢えて山陰を海沿いに東へと横切り、交流の無かった北陸に進路を定めた。北陸には朝鮮半島からの漂着民が住み着き、高志こし集落を築いている。

 キマタもた父親に続き、現地の女性と家庭を営む。妻の名はヌナカワ姫。日本神話に登場する沼河比売ぬなかわひめだ。

 古今東西、良家の子女は他人に強い警戒心を抱くものだが、集落長の箱入娘はこいりむすめとして大事に育てられたヌナカワ姫も例外ではない。特に余所者には拒絶と言っても過言ではない反応を示す。キマタが言い寄ると、けんもほろろ。彼女の態度は素気そっけ無い。

 日本神話で寡黙な人物として描写されているキマタ。若くして離れた出雲に大した逸話エピソードが残ってないからに過ぎず、実際は寧ろ饒舌な方だった。見知らぬ土地で深窓の令嬢を射止めた事からも判る。各地で浮名をとどろかしたナムジと、何事にも物怖じせずに積極的なヤガミ姫の間に生まれたのだから、それも当然だと言える。

 越境結婚した夫婦は息子2人を儲けるのだが、西暦214年の時点では初々しい新婚生活を素直に満喫中だった。

 

 若者達が安息な時を紡ぐ日本から中国大陸に目を転じると、其処には全く違った風景が広がっている。「後漢王朝に仇なす黄巾の乱を鎮撫する」との大義名分を掲げた諸将が群雄割拠する動乱の世。

 華北地方では、最大版図を誇る曹操が西暦208年に赤壁の戦いで敗れ、一時的な勢力減退を余儀無くされている。権力均衡パワーバランスの間隙を縫う様に、満州や朝鮮半島北部を跋扈ばっこする公孫一族だが、半島南部までは食指を伸ばせていない。

 ところが、絶対権力の及ばぬ半島南部が平和を謳歌する事は無く、寧ろ無法地帯と化している。

 仔細に眺めれば、半島南西部(馬韓ばかん)よりも南東部(辰韓しんかん)の方に、小国ながらも勢力拡大を企図して蛮勇を競う輩が多い。辰韓と馬韓に挟まれた南央部(弁韓べんかん)は、地政学的に侵略され易いが、弱小集団ばかりが烏合うごうする状況も災いし、辰韓にとって格好の餌食と化していた。

 『辰韓』は『秦韓』とも呼ばれ、中国の歴史書――後漢書、三国志、晋書――には『秦の時代、苦役を逃れた者が韓半島に辿り着き、先住民から奪った土地が国の創成だ』と記述されている。

 彼らの子孫である辰韓人の性格は、紀元前200年前後の当時から変わっておらず、野蛮な暴力に訴えての侵略や簒奪を当然の事とする非文明的なままだった。

 流民の立場を同じくしても反目し合って協調せず、一致団結する事には思いが至らない。乱立した12カ国が統合されずに経過した400年の歳月が、その証左である。

 文化的影響力ソフトパワーと誇るべき素養が無いので、周辺国を従えるには武力に依る鎮圧あるのみ。威圧的に降伏を迫り、隷属を拒んだ集落民は根絶やしにする。

 特に斯蘆しろ国――後の新羅しらぎに発展する小国――の悪逆無道な振る舞いは際立っており、侵略せんとする争乱の槌音が弁韓諸国民の心胆を寒からしめている。


 野望を抱く者の貪欲さが収まらぬ限り、自らは平和を望んでいようと、戦禍に巻き込まれるのは時間の問題だ。

 領土拡張を虎視眈々と狙う斯蘆国は、西方の国境全域で触手をうごめかす。蛸足たこあしの如く何本も伸ばした魔手の一つが、弁韓地域の東部に位置する小高い山、梁山ヤンサン鉄鉱山――現代韓国の慶尚南道梁山市に存続する勿禁ムルギョム鉄山――を掴み取らんと迫る。其処は邪馬台城の戦略的生命線でもあった。

 鉄鉱山を接収した後、卑弥呼に対して「我が戦いを支援せよ」と高飛車に下命する。冷酷非情な乱世を伸し上がるだけあって、弱みを握った相手が歯向えない事を承知している。

 使者の口上した具体的な内容は次なる通り。

高霊キョンサンの王族が海を渡り、倭国に逃げ延びたようだ。亡命した王族を斯蘆国に差し出せ。さもないと、鉄餅てっぺいの供給を途絶する』

 更には、『弁韓の征圧後、恭順の意を示さぬ倭国に侵攻するであろう』と恫喝した。

 高霊キョンサン(現代の大邱市)とは大伽耶国――現代の韓国慶尚北道で栄えた小国家群――の首都で、朝鮮半島南部を南北方向に貫く洛東江の上流域に所在した。慶尚北道の中心地を訪れた日本人も多い筈だ。大邱市から概ね100千米キロメートルも洛東江を下れば、対馬海峡に面した釜山プサン市に至る。

 被占領民が素直に斯蘆国の支配を受け入れるとは端から期待していない。暴動が発生すれば鎮圧に梃子摺り、次なる侵略に戦力を集中できなくなる。だからこそ、彼らの希望を打ち砕くのだ。

 公衆の面前で王族を残らず処刑すれば、国家再興の可能性は断たれたと諦め、民衆の反抗心も萎えるだろう。そう考える斯蘆国の捜索意欲は凄まじく、有耶無耶に誤魔化す余地は全く無い。

 慇懃無礼な使者の帰国を見送った卑弥呼、オモイカネ、ミカヅチの3人は「如何いかに対処すべきか?」を深刻に悩んだ。

 邪馬台城の再統一から長い歳月が流れ、卑弥呼は後継者へと更代している。難局に対峙すべき彼女は20歳に過ぎず、為政者としては幼い。女王を補佐すべきオモイカネやミカヅチもた代替りしている。

 中年域に差掛ったばかりのオモイカネは32歳。治世上の難題を克服した経験者だと胸を張るには至らない。未熟さを自覚するも、政策立案者としての権限を過分に意識する結果、自説に固執を押し易い傾向が窺える。先代ミカヅチ(中興の祖)の存命中は度々自分の意見を曲げねばならず、当時の鬱屈が揺り戻すのだろう。

 片やミカヅチは23歳の若者。軍事部門の責任者としての才覚には秀でていたが、老獪さと経験値での見劣りは否定し難い。就中なかんずく、本来は対等の立場でオモイカネとの論戦に臨むべきなのに、年配者に遠慮して自説を封印する性行は最大の欠点だろう。

「我らの生命線である鉄餅てっぺいの供給を断つとは・・・・・・。狡猾な奴らですな」

「一戦、交えますか? オモイカネ殿」

「何としても争いは避けねばなりません。

 邪馬台城が再統一を果たして15年余り。ようやく世情が治まったのです。苦労の末にやっと手にした平和と安寧。出来る限り長く、長く続ける事こそ我らの務め」

「卑弥呼様のおっしゃる通りです。

 ですが・・・・・・、高霊キョンサンの王族なんて何処に居るのでしょうか? 居場所も分からぬのに、それを探し出せと言われても・・・・・・」

 亡命王族の捜索を任されるミカヅチは途方に暮れた。

「卑弥呼様」

「何じゃ? オモイカネよ。御前の考えを申してみよ」

「はい。出雲の一風変わった文化は、韓半島よりの渡来者がもたらした技術に立脚するそうです」

 何を言い出すのか?――と、卑弥呼もミカヅチも黙ってオモイカネの顔を凝視みつめている。

「出雲こそ王族の潜伏先ではないでしょうか?」

 思い込みの過ぎる推論に、卑弥呼とミカヅチの沈黙は続く。

「オモイカネ殿。先代のミカヅチ様より私は、出雲との友好関係は維持せよ、と申し付かっております。その出雲に私が弓引くなんぞ・・・・・・」

「私もミカヅチの意見に賛成です。我らは日向ひゅうがと出雲には多大な恩を施して貰いました。その恩人を裏切るなんて・・・・・・」

 卑弥呼とミカヅチは消極的な反応を示す。過去の経緯は単なる知識に過ぎないが、前任者からの申送りは2人の心に深く刻まれている。

「そうは言っても、此のままでは斯蘆しろに攻め入られますぞ! 我らが使命は邪馬台城を頼む人々の暮らしを守る事で御座いましょう?」

 腰の引けた姿勢しか示さない2人に対し、オモイカネが強い口調で喝を入れる。日向や出雲との友誼よしみを、彼だけが軽んじていた。敵方として対峙した先代オモイカネが好意的に引き継がなかったのだろう。

「それは分かっていますが・・・・・・」

 二十歳はたちの女性が下すには余りに重い決断。自然と歯切れも悪くなる。

「出雲との紛争には発展しません。亡命者を捕えるだけですから」

 卑弥呼は目を伏せ、ミカヅチは苦渋の表情であらぬ方向に目線を彷徨さまよわせている。

「卑弥呼様」

 再び静かに呼び掛ける声。オモイカネの容赦無い追及に卑弥呼が顔を上げる。

「我らが直接手を下さぬならば――如何いかがです?」

 先の発言を聞きたいような、それでいて聞くのが怖いような。卑弥呼の双眸には微妙な感情が浮かんだ。ミカヅチは顔を背けたまま、聞き耳だけをそばだてている。

「対馬の海賊共に誘拐させれば良いのでは?」

「海賊共は簒奪物さんだつぶつを目当てに動きます。人質なんぞ、大した籾米の足しには成らんでしょう?」

 即座にミカヅチが難点を指摘する。

「大した籾米と交換できるなら?」

「その籾米を邪馬台城が提供すると・・・・・・?」

「いいや。邪馬台城は1粒たりと提供しない。斯蘆に支払わせるのだ。

 合意に足る対価は、斯蘆と海賊共とで直接交渉して貰う。斯蘆ならば、籾米以外にも、海賊共が食指を動かしそうな褒美を提示できるだろう」

 自信たっぷりのオモイカネ。狐に莫迦された様に間抜けな表情を浮かべるミカヅチ。卑弥呼も釈然としていない。

「邪馬台城は適任者を斡旋するだけ。斡旋の労が斯蘆との友好関係を保ちます」

 オモイカネは『海賊』の言葉を使わず、わざと『適任者』と言った。

「そうであっても、対馬の海賊共は山陰の村々を熟知しておりません。

 奴らが略奪行為を働く場所は、もっぱら壱岐と韓半島ですぞ。海賊共が不慣れな出雲に到達するのは、至難の業でありましょう」

 オモイカネは、頑迷に反対するミカヅチではなく、卑弥呼の目を見据えた。

「ならば、末蘆人まつろびとに付き添って貰いましょう。彼らが出雲まで適任者を案内するのです」

否々いやいや。絶対に駄目です。末蘆人は対馬人を恐れています。行動を共にするなんて、絶対に有り得ません」

 猶も反対するミカヅチ。仕方無くミカヅチの説得を始めるオモイカネ。

「ならば、末蘆人から斯蘆の使者に出雲までの道程を伝授させよう。使者に海賊共と同道させ、手柄を立てさせれば良い」

「末蘆人が協力すると・・・・・・?」

「邪馬台城に呼び、出雲との交易を望む韓人に海路を教えて欲しい、と頼むのは如何どうだ?

 真相を知る者が少ない程、謀事はかりごとが露呈する恐れも小さくなる。我らにとっても好都合だ」

 別の選択肢を思い付かない卑弥呼とミカヅチの2人は、良心の呵責を感じつつも渋々、オモイカネの怪しげな提案に同意する。

 卑弥呼の了解を取り付けたオモイカネは意気揚々と御前から引き下がる。部屋に残された2人は示し合わせたように深呼吸する。開け放たれた引戸の向こうからそよぎ入る生暖かい風。昨夜から雲行きが怪しく、大嵐が到来するのかもしれない。


 間髪入れずに末蘆国の使者との折衝を始めるオモイカネ。外交の場から卑弥呼とミカヅチを締め出そうとの思惑は全く無いが、朝鮮半島の言葉を流暢に操れる者は彼のみである。

 仕える上位者が不在の状況は御互い様。して、奪い合う構図ではなく、第三者を犠牲にする謀議なので、腹蔵無く対話できる。オモイカネに「功績を挙げよ」とそそのかされた使者は会心の笑みを浮かべた。

 斯かる密室談義を経て、ドス黒い奸計が動き始める。


 斯蘆しろ国の使者を伴った海賊の頭領は、百隻余りの海賊船を率いて日本海に漕ぎ出でた。双胴船は含まず、もっぱら漁船として使う単胴船ばかりであった。人質の拉致が作戦目的、簒奪品の運搬ではない。積載性能よりも機動性を重視した。

 1隻の単胴船には7、8人の海賊が乗り込む。対馬海賊の殆どの男達が本作戦に投入されたに等しい。本拠地をもぬけの殻にしてまでの大遠征。そこまで彼らが舞い上がったのには理由がある。邪馬台城と朝鮮半島の交易から徴収する通行税と比べて、斯蘆国の約束した褒美は相当に魅力的だったのだ。

 そうだとしても、大船団で行動すれば騒ぎが大きくなる。本来ならば、隠密行動を良しとすべきなのだが、興奮した彼らに冷静な判断を求めても詮無いのかもしれない。ただ、歴史上、熱狂した集団が悲劇を招く事例は枚挙に暇が無い。


 ――山陰の山並みを右に見ながら東を目指し、海岸沿いに発見する最初の大集落が出雲です。陸地から離れた沖を航海しない限り、通り過ぎる事は有り得ません――

 地図の概念が無い古代。末蘆人の説明は口頭であった。しかも、簡潔に過ぎる。(素人相手に詳述しても無駄だ)と匙を投げたのだろう。操船とは無縁の使者は航路上の道標を仔細に問い質そうともしない。

 漠然とした進路情報を又聞いた頭領は、使者を愚か者だと軽蔑はしたが、褒賞金の施与代行者を罵ったりはしない。欲望が多少の鬱憤を宥め、素直に追従笑いを浮かべる。事前情報を欠いた作戦遂行は心許無いが、行けば何とかなるだろうとの楽観も有った。


 秋分を過ぎ、草木が朝露に濡れ始める寒露の頃。台風を心配すべき時期は去り、向きを変えた季節風も穏やかに船速を後押しする。対馬を出立した海賊船団は晩秋の日本海を順調に航海し、僅か3日目で出雲沖合を通り過ぎる。

 海上から陸地を眺めても、内陸部の様子は窺えない。日御碕ひのみさきから始まり島根半島を東西に貫く弥山みせん山地、湖北山地、枕木山山地の山塊群が視界を遮るのだ。

 順風満帆に思える航海だったが、稲佐の浜――出雲集落の玄関口――の通過時刻が海賊達の計画を狂わす。頭上の太陽が柔らかな日差しを降り注ぐ昼過ぎだったのだ。

 朝餉あさげを準備するかまどの煙もうに消え、弥山山地の陰に隠れた出雲集落を見出す事は不可能。夜間であれば、銅鐸どうたくの漁火を容易に発見したのだろうが、そうではなかった。

 僅か数時間の違いが、出雲集落ではなく、東隣の農漁村に不運な惨事を招き入れる。住民が青谷と称する村落だ。出雲集落から約80千米キロメートルも離れているが、船で移動するならば数時間の距離。また、船上から丸見えの海岸沿いに所在していた事も災いした。

 夕暮れ時、夕餉ゆうげの支度で忙しい青谷村落の沖合に海賊船団が到達する。幾筋も立ち昇る炊煙を認めた頭領は、一斉に船団を砂浜に揚陸させた。刀剣を手にした海賊達が無言で浜を駆け上がる。黒い影の集団が一目散に動く不吉な様子は、母体を食い破って世界に躍り出る蜘蛛の子を思わせる。

 800人弱の海賊達が横一列に並んで急襲しては、村落民に立ち向かうすべは無い。しかも1日の仕事を終えたばかり。誰しもが空腹と疲労で腑抜けていた。

 1隻に同乗した男達を小集団とし、その小集団が個別に竪穴式住居を取り囲む。辺縁に建つ住居は見逃されたが、村落の大半は海賊達に包囲された。正に袋の鼠。何人かは舌を舐め擦る。獲物を追い詰めた猛禽と同じ心境なのだろう。

 全員の配置完了を見定めると、頭領は「おおっ」と大きな雄叫びを上げ、右拳を天高く振り上げる。襲撃の合図だった。瞬く間に鯨波は水紋の如く広がり、興奮状態の海賊達が押し入る。直ぐに住居内からは怒声や悲鳴が上がるが、家人達の中に真面まともに抵抗できた者は居ない。

 虐殺劇が幕を開けた。弱者には悪夢でしかない一幕。

 一部の者は住居の外に逃げ延びたが、半分近くは背中を斬り付けられ息絶えた。山裾の森林に逃げ込んだ村人を深追いはしない。自分達の空腹を満たす方が先決であった。航海中に食する糧秣は干魚ひもののみ。餓鬼同然、陸地で有り付いた食事にしゃぶり付く。

 興奮に我を忘れ、性欲の発散を優先する男も多かった。若い娘は後ろ髪を鷲掴みにされ、土間に引き倒されて犯される。配下とは言え、強姦の途中で娘から引き離せば反発を買う。乱暴者を従える頭領には、それなりの野蛮な心得が求められる。

 それに、頭領の前に連行された村人を詰問し、弁韓人べんかんびとの居所を聞き出す方が効率的と言うものであった。事を急ぐ必要も無い。夜は長いのだ。

 奪い取った夕餉ゆうげを味わいながら、頭領が村人を尋問する。驕慢な斯蘆しろ国の使者は悪行には加担せず、第三者を装っている。辰韓の偽善者に内心で舌打ちしつつ、頭領は意識を眼前に戻した。

「誰が弁韓人だ?」

 凄みを利かせた声。震え上がった村人は首を横に振るしかない。

「一体、誰が弁韓人なんだ? 白状しないと、御前ら全員を殺す事になるぞ!」

 威圧感は月輪熊にも引けを取らない。恐怖の余り、土間で失禁する者も現れた。女共は一様に惚け、失神した者も居る。

 はかどらない尋問に癇癪を起す頭領。改めて、森に逃げ込んだ村人を捜索させる。そして、1人の老婆が連れて来られた。短い余命と達観する老婆は、鬼の形相で迫る頭領にも動じない。だからこそ、老婆の存在が青谷の惨劇を終わらせたと言える。頭領の知りたがる事実を伝えたからだ。

「何だと!! もっと手前に出雲は在るだと!?  此処には弁韓人が居ないのか!」

 地団太を踏む頭領。手抜かりを覚った使者が血の気を失う。だが、頭領は憤怒を浮かべた双眸で睨みつけるだけで、辛うじて冷静を保つ。秘かに安堵の溜息を漏らす辰韓人。

 頭領の反応を見た虜囚の幾人は、自分達が襲撃対象ではなかったと知り、一種の安心感から正気を取り戻す。怖ず怖ずと話し始めた彼らから、ホオリとトヨタマ姫の居住地を詳細に聞き出す頭領。男達を引き連れ、直ちに浜へと取って返した。


 過度の殺戮に遭った青谷村落。共同体運営が持続不能となった。僅かな生存者は村落を棄て、出雲集落に移住する。放棄された村落の果ての姿が、青谷上寺地遺跡――鳥取市西側に所在――である。

 遺跡東側の溝では100人分を超える人骨が発掘された。総数は約5300点、内110点に殺傷痕が見られた。対馬海賊による蛮行の痕跡だ。

 当地の殺戮劇はしばらく歴史に埋もれるが、古事記や日本書紀が編纂される頃、再び表舞台に舞い戻る。それこそが『因幡の白兎伝説』。

 白兎が登場する理由は、山陰地方では野兎うさぎが家畜として飼われていた事実に由来する。牙や爪で身を守れない野兎は、高い繁殖力を生存競争に勝ち抜く武器とした。食肉用家畜として多産の特徴は無視できない。

 隠岐の島から本土に渡った白兎を襲う『和邇わに』とは、先に語った通り、対馬海賊の事。青谷の村人達は、伝説の通り、海に並んだ海賊達に襲撃され、身包みを剥がされた。海賊行為の犠牲者である点では、トヨタマ姫を連れて対馬島から逃げ出したスクナ達も同じだ。

 現代に暮らす我々は、鳥取市の一辺を縁取る海岸線の内、東半分を白兎海岸と呼ぶ。白兎海岸から少し奥まった場所には白兎神社――創建時期は不明――が建立されている。

 青谷上寺地遺跡から10千米キロメートルの距離に在るが、口承の過程で虐殺現場が東方向へと誤伝したと推察される。遺跡を発掘した今や、我々は真相に迫りつつあるのだ。

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