第20話 騒乱前夜、忍び寄る魔手

 西暦214年、邪馬台城の再統一から15年余り。時の経つのは早い。赤児は成人し、至る処で世代交代が着実に進む。

 兄ホデリが日向ひゅうが集落長の地位に収まった事から、弟ホオリは新天地で新たな家庭を営んでいる。彼の愛妻はトヨタマ。今や出雲集落内の誰もがうらや鴛鴦おしどり夫婦だ。父親ホノギの予言通り、隊商を率いて踏鞴たたら製鉄の産物を故郷に運ぶまでに出世している。

 重要な交易品の一つが海で紛失し易い釣鈎つりばりだ。毎度の隊商で巨万ごまんと持ち込む。山幸彦が海幸彦の釣鈎を失くし、海神の宮で見付けて帰還する伝説の根底には、漁民の間で共有された感謝の念が反映されている。

 特筆に値する商品は酒や味噌だろうか。日向の食文化を随分と豊かにした。但し、完成品の引き渡しに徹し、醸造方法の詳細を問われれば口を噤む。製造技術を秘匿し、競争力維持に腐心する姿勢の表れである。ホオリ自ら知的財産の重要性を認識し、随行者にも箝口令を敷く周到さだ。

 彼の帰属意識アイデンティティーは妻を娶った新天地に根を張っている。唯々諾々と父親の指図に従う若者ではなかった。


 今は昔、スクナとオオヤツの老夫婦は、孫に接する祖父母の様に、トヨタマを溺愛していた。2人ともいずれ厳しく育てようと心構えていたのは事実。りとて、内気な幼女を前に「両親を殺されたんだから」と慈愛を優先した節が有る。

 活発な性格ならば、同世代の輪に入って傷心を癒せただろう。でも、彼女の場合は当て嵌まらない。引っ込み思案な性分は、生来のものか、孤児の境遇に依るものなのか。遊び群れる子供らを物陰から窺う姿が何度も目撃された。

――不憫ねえ。母親に甘えたい年頃だものねえ・・・・・・。

 養女の寂し気な背中を、オオヤツは遠目に見守り続ける。そう遣って何年も過ぎた或る冬の朝。茅葺かやぶき屋根は残雪に覆われ、雪室と化した屋内を朝餉支度あさげじたく竃火かまどびが温めつつあった。ところが、早起きを常とするスクナが何時まで経っても起き出さない。

「珍しい事も有るものね。トヨタマ!。御爺ちゃんを起こして頂戴」

 穏やかな寝顔は甘美な夢を愉しんでいる風。揺り起こそうと両手を伸ばし、羽毛入りの麻布団に小さな体重を乗せる。普段なら揶揄からかい半分で自分を懐に引き込むのだが、全く反応しない。其れ処か、鼻腔に呼吸の気配を感じない。小さな口から漏れ出す吐息は空気中で白く結露すると言うのに――。

「お、御婆ちゃんっ!!」

 助けを求める悲鳴を上げた切り、口元が戦慄わななく。突然の凶事に身がすくみ、八の字の白眉に視線が釘付けとなる。毛先に結氷した霜が雫となり、枕元へと滑り落ちる。丸で別れを惜しむ涙の如き軌跡。

 包丁を置き、急いで駆け寄るオオヤツ。皴垂しわだれた首筋に手を当てる。鼻先にかざした指に呼気は当たらず、常世とこよに旅立った事を再確認する。沈痛な面持ちで首を振ると、トヨタマが堰を切ったように泣き始めた。

 彼女は養父の亡骸に取り縋り、三日三晩、慟哭どうこくし続ける。声を嗄らさんばかりに号泣し、泣き疲れた後も滂沱の涙だけは頬を濡らし続けた。

――この娘は独りぼっちになったのね・・・・・・。私が本当の母親にならないと・・・・・・。

 と、小さな背中を擦りながら、密かに決心し直すオオヤツだった。


 更に時は流れ、その彼女も10年前に亡くなった。享年51歳。当時としては群を抜く長寿であった。恐らく、発酵食品――味噌や乳製品ヨーグルト――の効用が寿命を延ばしたのだろう。

 養父母と死に別れた時のトヨタマは10歳。ナムジ家に引き取られるが、邪気無あどけない少女でしかなかった。

「息子の次は、娘を育てるのね」

 多産の時代には珍しく、ヤガミは第二子を身籠らなかった。絶倫とは言わないが、ナムジの心身は共に健常。彼は方々で隠し子を儲けていたし、妻との営みも疎かにしない。女性側に生じた身体的変調が原因だと思われる。

 それもあって、ヤガミは養女を実子同然に育て、く面倒を看た。話題の合う同性の出現を喜び、女同士のお喋りに興じる。居場所を見出した風のトヨタマも甲斐々々しく家事を手伝った。

 キマタの歓迎振りも周囲を驚かせる。「姉が出来た」とはしゃぎ廻ったものだ。一時期は太陽が傾くや否やじゃれ合う幼馴染とも別れ、早々はやばやと帰宅する始末。まとわり付かれた方も2歳年下の義弟を可愛がった。スクナに教わった弁韓べんかん語を教えたりもする。

 振り返ってみると、この縁組は新家族の全員を元気にした。交易網の巡回に出た後の留守宅を賑やかにしたから、旅先での心配事が一つ減るとナムジも喜んだ。それだけではない。帰郷の折には土産を欠かさぬようになった。

 ただ、トヨタマは家族と繕わずに接する一方で、井戸端談義や寄合では人見知りする。臆して控え目な態度を保ち、物静かに存在感を消すのが常だった。


 そんな風に育ち、14歳の少女へと成長したトヨタマが同年代のホオリと出会う。家督を継げぬ次男が出雲の叔父宅に居候し始めたのだ。一つ屋根の下で暮らせば、幾ら寡言に過ぎるとしても、最低限の会話は生まれる。打ち解けて仕舞えば、交わす口数も増える一方だ。

 青年の方は初対面の時から好感を抱いていた。健気な少女に母親の面影を重ねたようだ。もっとも、自分が守ってやりたい――と思わせる儚げな雰囲気にほだされ、旨々まんまと虜になった観は否めない。

 少女の方だって屹度きっと、同居人を憎からず想っていたはずだ。額の白肌に浮かぶ柳眉を揺らさずとも、人知れず異性を見詰める表情には慕情が窺えた。その眼差しが恍惚うっとりとしていたのも事実である。

 2人は自然な流れで恋仲となり、恋は愛へと昇華する。結婚の誓いを交わし、新居を構えたのは4年前の事だ。翌年の盛夏にはトヨタマが懐妊し、明くる新緑の頃には待望の第一子が誕生する。息子イワレは、磐余彦いわれひこ火火出見尊ほほでみのみこととして日本神話に登場し、後の初代天皇(神武天皇)となる。

 西暦214年の時点で、ホオリは22歳、トヨタマは20歳。2歳のイワレは居宅の外周を独りで歩き回る程に成長していた。

 

 一方、ナムジとヤガミの息子キマタは18歳。父親に倣い、物心の着いた頃から長旅に明け暮れる毎日だ。思春期を迎えるに連れ、義姉に寄せる思慕の念は横恋慕へと様変わり。一方で、男女の機微にも敏感となる。その結果、自分が初恋相手の眼中に無いと悟り、居た堪れなくなった側面が有る。

 彼は甘酸っぱい思い出を胸に新天地を求め続けた。敢えて未踏の東に針路を定め、父親の軌跡が残る瀬戸内を避ける様に流離さすらった。山陰を海沿いに歩き続け、北陸の高志こし集落に辿り着く。奇しくも、其処は朝鮮半島からの漂着民が切り拓いた土地だった。

 血筋の為せるわざで、当地には義姉と容貌や物腰の似ている女性が多かった。安住の地と定めた彼の決心もむべなるかな。時を置かずして家庭を営むに至るのだが、妻の名はヌナカワ。古事記に登場する沼河姫ぬなかわひめだ。

 古今東西、大事に育てられた良家の子女は赤の他人に警戒心を抱く。特に余所者には強い拒絶反応を示す。集落長の箱入娘はこいりむすめ、ヌナカワ姫も例外ではなかった。キマタが言い寄ると、けんもほろろ。彼女の態度は素気そっけ無い。

 記紀の描く木俣神きのまたのかみは寡黙に尽きるが、それは若くして移住したキマタの逸話エピソードが出雲に残っていないからだ。神話とは民衆に語り継がれた口伝の集大成であり、情報の欠落部分を想像力で穴埋めした成果物だ。必ずしも事実を写し取った物語とは言えない。

 実の処、彼の饒舌は特筆に値する。深窓の令嬢を射止めた事からも明らかだ。各地で浮名をとどろかした父親ナムジと、何事にも物怖じない母親ヤガミの間に生まれたのだから、積極果敢な性格は遺伝学的帰着と納得できよう。

 意中の女性を口説き落としても、今度は保守的な父母が立ち塞がる。許しを得るまでに相当の期間を要したが、一向に凹垂へこたれる様子を見せない。日を置かずして門戸を叩く踏ん張りが、両親を根負けさせ、伴侶に色褪せぬ愛情を確信させる事となった。

 こうして、越境結婚に漕ぎ着けた夫婦は睦まじく暮らし始める。後々2人の息子を儲けるが、西暦214年の時点では初々しい新婚生活を満喫中であった。

 

 人々が安息な時を紡ぐ日本から中国大陸に目を転じると、其処には全く違った風景が広がっている。「後漢王朝に仇なす黄巾の乱を鎮撫する」との大義名分を掲げた諸将が群雄割拠する動乱の世。

 華北地方では、最大版図を誇る曹操が西暦208年に赤壁の戦いで敗れ、一時的な勢力減退を余儀無くされている。権力均衡パワーバランスの間隙を縫う様に、満州や朝鮮半島北部を跋扈ばっこする公孫一族だが、半島南部までは触手を伸ばせていない。

 ところが、絶対権力の及ばぬ半島の南半分は、平和を謳歌するどころか、無法地帯と化している。

 仔細に眺めれば、半島南西部(馬韓ばかん)よりも南東部(辰韓しんかん)の方に、勢力拡大を企図して蛮勇を競うやからが多い。地政学的にも侵略され易い南央部(弁韓べんかん)は、弱小集団ばかりが烏合うごうする状況が災いし、辰韓にとって格好の餌食と目されていた。

『辰韓』は『秦韓』とも呼ばれ、中国の歴史書――後漢書、三国志、晋書――には『秦朝の苦役を逃れた者が韓半島に辿り着き、先住民から土地を奪って樹立した国だ』と記述されている。

 犯罪者の子孫である彼らの性格は、紀元前200年前後の当時から変わっていない。暴力に訴えての侵略や簒奪さんだつを当然の事とする凶徒のままだった。

 流民の立場を同じくしても、互いに反目し合い、一致団結しようとは考えない。乱立した12の小国が統合されずに過ぎた400年の歴史が、その証左である。文化的影響力ソフトパワーと誇るべき素養を欠き、周辺国を武力で制圧するのみ。居丈高に降伏を求め、隷属を拒めば根絶やしにする。

 特に領土拡張の野望を抱く斯蘆しろ国――後の新羅しらぎに発展する小国――の悪逆無道な振る舞いは際立っていた。貪欲な征服者が矛を収めぬ限り、周辺諸国が幾ら平和を望もうと、時間の問題で戦禍に巻き込まれる。争乱の槌音が弁韓人の心胆を寒からしめていた。


 冷酷非道な辰韓人しんかんびとの群れが無辜むこの民を蹂躙せんと次々に越境する。丸で獲物を狙う大蛸が岩礁の陰から触腕を伸ばすが如し。魔手の一つに勿禁ムルギョム鉄山(慶尚キョンサン南道梁山ヤンサン市)が掴み取られた時点で、邪馬台国も「対岸の火事だ」と静観を決め込めなくなった。

 鉄鉱山の接収後、卑弥呼に対して「恭順し、求めに応じよ」と高飛車に下命する斯蘆しろの国王。弁韓東部に位置する小高い山は海峡を隔てた九州経済圏にとって戦略的生命線なのだ。冷酷非情な乱世を伸し上がるだけあって、弱みを握られた側が歯向えない事を熟知している。

 使者の口上した具体的な内容は次なる通り。

『倭国に逃げ延びた高霊キョンサンの王族を差し出せ。さもないと、鉄餅てっぺいの供給を途絶する』

 更には、『恭順の意を示さぬなら、侵攻の憂目に遭うだろう』と恫喝した。

 高霊キョンサン国とは大伽耶国――当時の慶尚北道で栄えた小国家群――の中核国で、朝鮮半島南部を南北に貫く洛東江ナクトン川の上流域に所在する。後背の達城ダセオン山が銅鉱石を産出し、行商に訪れる華僑の指南を仰ぎながら、精錬業を営んでいた。

 現代の大邱テグ市に相当する土地は陸運と水運との連接地。概ね100キロも洛東江を下れば、対馬海峡に面した釜山プサン市に至る。今も交通の要衝として栄えているが、出張や観光で訪れた日本人も多いはずだ。

 話を斯蘆国に戻そう。彼らは、横柄に振舞いつつも、飽くまで怜悧狡猾だ。被占領民が素直に帰属すると、自惚れてはいない。暴動が発生すれば鎮圧に梃子摺り、次なる侵略に支障を来す。だから、王族を公開処刑して再興の夢を断ち、民衆の反抗心を萎えさせる算段だ。

 治安政策と裏腹の捜索活動には並々ならぬ意欲を見せており、上辺だけの協力で誤魔化そうものなら、外交の険悪化は必定である。慇懃無礼な使者の帰国を見送った3人は「如何いかに対処すべきか?」と深刻に思い悩んだ。

 平和に安住し切った歳月の内に、世代交代も進んでいる。治世上の難局に臨む卑弥呼は20歳、為政者としては幼い。海千山千の智臣と武臣が補佐する布陣ならば、女王の若さは新風を吹き込む好機と歓迎されよう。ところが不運にも、現人神あらひとがみの全員が揃いも揃って若輩者だった。

 政策立案をつかさどるオモイカネですら32歳。中興の祖である先代ミカヅチに平伏し続けた当時の鬱屈が揺り戻すのだろう。経験が浅いにもかかわらず、権限を過分に意識して自説を曲げない。

 23歳のミカヅチに至っては一層見劣りする。確かに軍才には秀で、部下の寄せる人望も厚い。でも、優等生の資質だけで輔弼者ほひつしゃは務まらないものだ。就中なかんずく、御前会議では対等の立場を貫くべきなのに、年配者だからと遠慮する。その追従性が彼の致命的欠点と言えた。

「我らの急所を断つとは・・・・・・。狡賢ずるがしこい奴らですな」

「一戦、交えますか?。オモイカネ殿」

 好戦的な発言が平和主義者の女王を慌てさせる。

「何としても争いは避けねばなりません」

 勢い込んで大方針を定めたものの、2人には説明を尽くすべきだと反省する。合議制を円滑に運営するには、最新参の自分が謙虚さを忘れてはならぬ。そう肝に銘じていた。

「邪馬台城の御世が再び定まってより15年余り。ようやく世情が治まりました」

 再統一の当時、彼女は年端も行かぬ幼子おさなご。混乱期の記憶は無きにも等しいが、平和の尊さは先代から口酸っぱく説かれている。

「苦労を重ねて手にした安寧です。出来る限り長く――、長く続ける事こそわれらの務めでしょう」

 誰も泰平を乱そうとは考えない。凛とした発言に両臣が頷き、異口同音に賛意を示す。但し、その実現には困難を伴う。早速、途方に暮れたミカヅチが弱音を吐いた。

高霊キョンサンの王族なんて、居場所も分からぬのに、それを探し出せと言われても・・・・・・」

 入国管理の概念が無い時代だ。一応の玄関口である末蘆まつろ集落ですら、渡航者をあらためたりしない。日本の入り組んだ海岸線は無限と思える程に長く、隠密裏に上陸されたら把握しようが無い。亡命者の捜索は干草の山から針を探すようなものだ。

「我がきみ

「何です?、オモイカネ。常にも増して、頭の冴えた考えを聞きたいものです」

出雲人いずもびとの暮らしは、大海より渡りし者に影響され、一風変わっているのだとか」

 目下の詮議事項は亡命者の行方。踏鞴たたら製鉄の生み出す異彩な文化は古来よりの特徴であって、韓半島の事情とは無関係であろう。脈絡を無視して何を言い出すのか?――と、若い2人が博識者の顔を見詰めている。

「出雲こそが王族の潜伏先ではないでしょうか?」

 強引に過ぎる推論だと思いつつ、無碍に否定する事もはばかられる。何か別の口実で翻意を促さねばならない。

「先代は『日向ひむかや出雲との友誼よしみを保て』と遺言されました。出雲を槍玉に上げるなんぞ・・・・・・」

「私も彼の意見に賛成です。我らは多大な便宜を図って貰いました。その恩人を裏切るなんて・・・・・・」

 故人の威光を頼って消極的な反応を示す。単なる知識として経緯を知るに過ぎないが、前任者からの申送りを心に深く刻んでいる。

「そうは言っても、無視だんまりを決め込んでいては斯蘆しろに攻め入られますぞ!」

 腰の引けた2人に対し、オモイカネが強い口調で喝を入れた。彼だけが両集落との友好関係を軽んじている。対峙した時に煮え湯を飲まされた先代の影響だろうか。

「我らが使命は倭人やまとびとを守る事で御座いましょう?」

「それは分かっていますが・・・・・・」

 一面の真理を衝いた大義名分には抗えない。反面、恩を仇で返すとは人道にもとる。二十歳はたちの女性には余りに重い決断だ。自然と歯切れも悪くなる。

「出雲との紛争には発展しません。亡命者を捕えるだけですから」

 伏目に横を覗き見れば、ミカヅチが在らぬ方向に目線を彷徨さまよわせている。苦渋の表情を浮かべていようと、腰砕けの免罪符とは成らない。何とも頼り甲斐の無い武臣だ。自分こそが決断者だと自覚しつつも、御門違いの悪態を小さく漏らす。

「我がきみ

 静かな呼び声なれど、その冷たい響きは鋭利な刃物を連想させる。容赦無い追及に女王も顔を上げざるを得ない。

「我らが直接手を下さぬならば――、如何いかがです?」

 その先の発言を聞きたいような、それでいて聞くのが怖いような。彼女の双眸に微妙な感情が浮かぶ。ミカヅチは顔を背けたまま、聞き耳だけをそばだてている。

「対馬の海賊共に誘拐させれば良いのです」

「人質で得られる米俵は知れてます。彼らが興味を示すとは思えません」

 即座にミカヅチが難点を指摘する。

「十分な量を得られるなら?」

「その米を我々が提供すると・・・・・・?」

「いいや。邪馬台は1粒たりと提供しない」

「それでは、誰が?」

「斯蘆に支払わせるのだ。合意に足る報酬は当事者同士で交渉して貰う。」

 直接の行為に及ばないばかりか、利害関係すら結ばない。誘拐の共犯とも言えない程に極めて薄い関与。画策した張本人であっても、良心の呵責を感じずに済むかも知れない。優柔不断なる者を思考停止の罠へと追い込み、臆病な偽善者を安心させる甘言であった。

「斯蘆ならば、米の他にも、奴らが食指を動かしそうな褒美を提示できるだろう」

 彼らなら邪馬台城に無い物を準備できると、自信満々のオモイカネ。実際、略奪行為に役立つ武器の方が交渉材料に相応しい。一方で、狐に莫迦された様に間抜けな表情を浮かべるミカヅチ。卑弥呼も釈然としていない。

「邪馬台の役回りは適任者の紹介のみですが、友好関係を保てます」

 オモイカネは『海賊』と言わず、わざと『適任者』と言った。内容は変わらずとも、幾分かは耳障りが和らぐ。ところが、ミカヅチは付焼刃の作戦に危惧を抱いたようだ。実務派らしい疑問を呈す。

「奴らの活動範囲は壱岐と韓半島の周辺。山陰の村々を熟知しておりません。出雲を探し当てるのは至難の業でありましょう」

 指摘された方は実行の成否に拘っていない。協力の事実こそが肝要。(そんな事も分からないのか)と、侮蔑の雰囲気を漂わせる。但し、重箱の隅を突く指摘が端緒となって、卑弥呼が日和ひより始めては困る。

 実際、彼女の顔面には精彩が戻りつつあった。悪事の片棒を担がずに済むと、期待を寄せ始めたようだ。

――甘いな。

 好戦的な専制国家が無為無策を見逃すものか。オモイカネ自身は夢幻に過ぎぬと一顧だにしないが、最終的な裁定権は女王にある。此処は辛抱強く説得すべき局面だ、と思い直した。

「ならば、末蘆人まつろびとに付き添わせ、出雲まで案内して貰いましょう」

否々いやいや。絶対に駄目です。末蘆人は海賊を恐れています。行動を共にするなんて、絶対に有り得ません」

 反対意見が猶も続く。空理空論と侮っていたが、評定の不文律は多数決。連帯して論陣を張られては具合が悪い。迂遠なれど、まずは稚拙な同僚を言い包めんと舵を切るオモイカネ。

「末蘆人から斯蘆の使者に出雲までの道程を伝授させよう。その使者を海賊共と同道させ、手柄を立てさせれば良い」

「末蘆人が協力すると・・・・・・?」

あきないを望む韓人からびとに海路を教えて欲しい、と頼むのだ。真相を知らさねば、謀事はかりごとも露呈しまい」

 代替策の無い2人は、良心の呵責を感じつつも、渋々同意する。息苦しい事、此の上ない。影の采配者が御前から退いた後、示し合わせたように深呼吸した。

 開け放たれた引戸の向こうから生暖かい風がそよぎ入る。湿気を帯び、脂汗に濡れた肌を一向に乾かさない。思い返せば昨夜からの雲行きは怪しく、大嵐の到来を告げる前兆なのだろう。


 オモイカネは(存分に手腕を振るうぞ)と意気軒昂であった。初舞台に臨む主役俳優にも似た意気込み。権力志向の強い彼の心底では、(卑弥呼なんぞ何する者ぞ)と不逞ふていな感情すら沸き立っている。

――やっと此処まで登り詰めた。

 自分の半生を振り返ると感慨も一入ひとしおだ。不遇を発条ばねに奮起し、一段ずつ高みを攀じ登る苦労の連続。何度も「今に見返してやる」と呟いたものだ。強い反骨精神を長らく抱いた結果、冷徹で薄情な人間に育っている。

 彼の両親は、多夫多妻制の邪馬台城では珍しく、相思相愛の仲だった。自然の流れで城外へ転出し、田畑を耕す自給自足の生活に入ったものの、人生とは酷なものだ。野良作業中の父親が毒蛇に噛まれ、死んでしまう。

 途方に暮れた母親は幼い息子の手を引き、城内の集団生活に復帰する。ところが、以前と同じようには溶け込めない。母親が頑なにみさおを守り続ける内に、男達は距離を置き、息子とも詰屈ぎこちなく接し始める。異端を察知した子供達は明け透けに虐め始めた。

 冷遇される息子を不憫に思い、心労が祟ったのかも知れない。程無くして母親は病に倒れ、当時6歳だった彼は孤立無援の状態に追い込まれる。幸い、死際の助言が彼の人生を切り拓く糸口となった。

混り粉まじりこ固め粉かためこの正体を突き止めなさい。そして、オモイカネ様に告げるのです」

 その遺言を片時も忘れず、臥薪嘗胆の日々を重ねて幾星霜。焼成炉の工房に潜り込み、下働きとして朝から晩まで肉体を酷使した。7年もの間、彼の観察眼は一貫して鉱石粉の調合工程に注がれ続ける。初志貫徹の努力が実を結び、朧気ながらも組成比の推定に至った顛末は吉兆である。

 後は開陳の機会を窺うのみ。秘伝の知識を銅鏡に彫り留めた4代前の卑弥呼と同様、彼も木片に数多あまたの筋を刻み付ける。その符号を巡察中のオモイカネに差し出したのだ。

――何処から秘密が漏れたのだっ!!

 白髪老人の浮かべた驚嘆の表情は今でも鮮明に憶えている。導き出した回答は、微妙に間違っていたけれど、才能を示すに足る証拠となった。深い洞察力と強い探究心を見込まれた彼は、後継候補の一番弟子に収まる。

 爾来じらい、慇懃な態度を保ち、節度ある人物像を装って来たが、今日現在、叩頭すべき対象は全て鬼籍に入っている。


 現人神あらひとがみ3人の合議を取り纏めるや否や、間髪入れずに斯蘆しろ国との折衝を始めるオモイカネ。金海キメ釜山プサン市)に渡り、滞在中の使者を単身でおとなう。他者を締め出す意図は無く、邪馬台人やまたいびとの中で彼だけが異国語を流暢に操れるとの事情である。

 仕える上位者が不在となれば、饒舌にもなろう。奪い合うのではなく、第三者を犠牲にする謀議とあらば、腹蔵無く対話できる。「功績を挙げよ」とそそのかされた使者は会心の笑みを浮かべた。

 かる密室談議を経て、黒多どすぐろい奸計が動き始める。


 海賊の頭領は、斯蘆人しろびとの使者を伴い、百隻余りの海賊船を率いて日本海に漕ぎ出でた。双胴船は含まず、1隻に7、8人の男達が乗り込む単胴船ばかりの編成であった。作戦目的は人質の拉致。簒奪品の運搬ではない。機動性こそが成功の鍵を握る。

 対馬海賊の殆どを投入したに等しい、本拠地をもぬけの殻にしてまでの大遠征。そこまで舞い上がるには理由がある。倭韓交易の通行税と比べて、斯蘆国の約束した褒美は格段に魅力的だったのだ。

 我先にと先頭を争う有様は東アジアの各地に根付く龍舟競漕を思わせる。現代日本での風習を挙げるなら、長崎県の白龍ペーロン祭りや沖縄県の爬龍ハーリー祭り。

――そんなに意気込んで、300キロ余りもの長い航海を続けられるのか?

 しかも隠密行動に徹するべきだが、興奮した彼らに冷静な判断を求めても詮無いだろう。禍々まがまがしき魑魅魍魎が人知れず移動する百鬼夜行。妖魔にあらずとも、遭遇した者を不幸に陥れる展開は必至である。

 歴史を振り返ってみても、熱狂集団が悲劇を招く事例は枚挙にいとまが無い。


「山並みを右に見ながら東へ進み、最初に現れる大きな集落さとが出雲です。海岸から目を離さぬ限り、見過ごす事は有り得ません」

 地図の無い古代。末蘆人の説明は口頭であった。その上、簡潔に過ぎる。(素人相手の詳述は無駄だ)と匙を投げたのだろう。操船とは無縁の使者は航路上の道標を仔細に問い質そうともしない。

 曖昧な手引を又聞いた頭領は眼前のうつけ者に呆れ果てた。しかし、軽蔑すれど、罵倒はしない。彼は褒賞金の施与代行者。欲望が多少の鬱憤を宥め、追従笑いを浮かべさせる。事前情報を欠いては心許無いが、行けば何とかなるだろうとの楽観も有った。


 秋分を過ぎ、草木が朝露に濡れ始める寒露の時節。憂慮すべき台風の到来期は去り、風向きの変わった季節風も穏やかに船速を後押しする。対馬を出立した船団は晩秋の日本海を順調に航海し、僅か3日目にして出雲の沖合を通り過ぎる。

 此処で彼らの盲点を指摘しておこう。海上から陸地を眺めても、内陸部の様子は窺えない。日御碕ひのみさきから始まり島根半島を東西に貫く弥山みせん、湖北、枕木山の山塊群が視界を遮るのだ。目指すべき集落は山稜に隠れている。

 順風満帆に思える航海だったが、些細な事が蛮行に狂いを生じさせる。稲佐の浜――出雲の玄関口――を通過した時刻が、柔らかな日差しの降り注ぐ昼過ぎだったのだ。朝餉あさげを作る時間帯ならば、かまどの煙に気付いただろう。夜間であれば、銅鐸どうたくの漁火を見逃すべくもない。

 半日の違いが、出雲集落ではなく、東隣の農漁村に不運な惨事を招き入れる。住民が『青谷あおや』と称する村落だ。出雲集落から約80キロも離れているが、船ならば数時間の移動距離。海岸沿いの村影が船上から丸見えだった事も災いした。

 海原が赤く染まる頃、団欒の笑い声に包まれた青谷村の沖合に海賊船団が到達する。幾筋もの炊煙を認め、揚陸された舟艇から凶刃を手にした男達が躍り出る。横一列に並ぶ武骨な800人弱。何人かは舌を舐め擦っている。獲物を追い詰めた猛禽と同じ心境なのだろう。

 黒い影の集団が一斉に砂浜を駆け上がる光景は、母体の腹を食い破って湧き散る蜘蛛の子を連想させた。萱屋毎に包囲されては、正に袋の鼠。闘争と無縁な村民に立ち向かうすべは無い。漁猟で鍛えた肉体を頼もうにも1日の仕事を終えたばかり。誰もが空腹と疲労で腑抜けていた。

 全員の配置完了を見定めると、頭領は「おおっ」と大きな雄叫びを上げ、右拳を天高く振り上げる。急襲の合図だった。轟く鯨波。瞬く間に興奮状態の海賊達が殺到する。怒声や悲鳴が飛び交うも、真面まともに抵抗できた家人は居ない。

 虐殺劇が幕を開けた。弱者には悪夢でしかない一幕。住民の半分近くは斬り殺された。山裾の森林に逃げ込めた僅かな村人までは深追いしない。餓鬼同然、まずは自分達の空腹を満たすのだ。干魚ほしうおだけを齧りながら漕ぎ続けた数日。その憂さを晴らさんと、陸地の食事にしゃぶり付く。

 我を忘れ、性欲の発散を優先する男も多かった。若い娘は後ろ髪を鷲掴みにされ、土間に引き倒される。手足を羽多付ばたつかせての抵抗も空しく、身包みを剥され犯される。絶対服従を強いる海賊社会の抑鬱を噴出させた挙句の乱行だ。

 不成者ならずものを従える者には無頼ぶらいの心得が求められる。有体ありていに言えば、傍若無人な行為を放置する。強姦に水を差せば、反発を買うだけだ。被害者が如何どうなろうと、自分の知った事ではない。配下の者が欲求不満を解消できるなら、その機会を潰さぬ放置主義が肝要なのだ。

 それに、優先すべきは連行者の取調べ。弁韓人の居所を聞き出さねばならない。奪い取った夕餉ゆうげを味わいながら、「韓人からびとは誰だ?」と迫る。驕慢な斯蘆人しろびとは悪行に加わらず、第三者を装っている。その偽善者振りに内心で舌打ちしつつ、頭領は意識を眼前に戻した。

「白状しないと、ぇら全員を殺すぞ!」

 凄みを利かせた濁声は逆効果だったようだ。月輪熊つきのわぐまにも比肩する威圧感に震え上がり、首を横に振る村人ばかりだ。否定の仕草なのか、現実逃避の仕草なのか、見分けが着かない。恐怖の余り、土間で失禁する者さえ現れる。女共は一様に惚け、失神者すら出る始末。尋問は一向にはかどらない。

 業を煮やした頭領が森奥に消えた逃走者を改めて捜索させる。そして、1人の老婆が連れて来られた。短い余命と達観した者の胆力は据わっている。鬼の形相にも動じない。だからこそ、村の惨劇を終わらせたと言える。尋問者の知り求めた事実を伝えたからだ。

「もっと手前に出雲は在るだと!?。此処には韓人からびとが居ないのか!」

 自分達が無関係だと知った虜囚が正気を取り戻し、怖々こわごわながらも話し始めた。頭領は、肩透かしに地団太を踏むも、辛うじて冷静を保つ。居場所を聞き出すや否や、乱痴気騒ぎを切り上げさせ、直ちに浜へと引き返すのだった。


 災禍に見舞われた青谷あおやの共同体は木端微塵、僅かな生存者も故郷を棄てた。成れの果てが青谷上寺地遺跡――鳥取市西側に所在――である。遺跡東側の溝で発掘された人骨の総数は約5300点、100人分を超える。内110点に見られた殺傷痕は対馬海賊による蛮行の爪跡だ。

 当地の殺戮劇はしばらく歴史に埋もれるが、記紀編纂の頃に再び脚光を浴び始める。但し、虚構で真実を糊塗した『因幡の白兎伝説』として記録された。

 隠岐島おきのしまから本土に渡った白兎を襲う『和邇わに』とは、先に語った通り、対馬海賊の事。青谷人あおやびとは、海に並んだ海賊達に襲撃され、身包みを剥がされた。トヨタマを連れて逃げ出したスクナ達も同じく犠牲者だ。牙や爪で身を守れぬ野兎うさぎは弱者の喩えである。

 一方で、自然界での生存に必要な高い繁殖力は食肉用家畜に求められる理想の資質だ。白兎が登場する背景には、山陰地方では欠かせぬ存在だった事実が隠れている。

 現代に暮らす我々は、鳥取市の一辺を縁取る海岸線の内、東半分を白兎海岸と呼ぶ。其処そこから少し奥まった場所には白兎神社――創建時期は不明――が建立されている。

 青谷上寺地遺跡から約10キロの距離に在るが、口承の過程で虐殺現場が東方向へ誤伝したと推察される。近い将来、日の目を見た遺跡が真相を明らかにするだろう。

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